多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説59
以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
比
ベトナムで描いたの?
淸
あなたの爲に書いた
比
それは嘘だよ
比
いつ帰ってくるの
淸
もう書かない
たぶん
比
帰ったら話そうよ
淸
二度と書かない
あれで最後
比
帰ってはくるよね?
〇(片岡比羽犁あて淸雅文書。メールに添付)
2019.09.13.
(本文)
羅睺羅王から耶輸陀羅王へ
一時中断した挨拶。その再開。
添付をご確認ください。
わたしの爲に?
あなたの爲にも?
あるいはあなたの爲にこそ?
空は雨。その馨匂いたち、綺夜宇
(文書)
9月12日。
いまだにダナンにいる。朝起きてその事実に驚く。
私は6時過ぎに起きた。それからシャワーを浴びて身支度をした。何故?友人が來るから。タオ?蘭?その前に日本から友人が來るから。どこに?ベトナムに。
彼の名は穗埜果。ホ、ノ、カ。彼は彼だから男性。玖珠本。ク、ス、モ、ト。九州から來た。東京で逢った。こっちに来る前に。玖珠本穗埜果。
年齡。逢った時は19歳だった。どこで?会ったのはどこ?有栖川公園で。何故?ハオ・ラン。浩然。許宇。波乎。比呂。そうわたしたちが呼んだ少女のせい。彼女のせい。あなたが嫌悪する人。あったことも無いくせに。
だから、彼は白雪のひと。
白雪の波乎はその日私を呼び出した。当時の最新型の今言う太古のガラケーで。
今日来ない?
なぜ?
櫻でも見に?…名目は自分で考えなよ。
どこ?
櫻覩る爲なら有栖川?
公園?松濤公園は?
有栖川。…お前がそういうなら、有栖川。
波乎はそう云って笑った。
だから時は三月。
雨の無い儘空は曇った。白かったから。だから櫻の花さえ白かった。波乎はひとりの青年を連れていた。櫻など見向きもしない儘、そして波乎は彼を紹介しもしなかった。
あなたの嫌悪する波乎は、それでも時に途切れがちに笑った。
私も彼女の爲にだけ笑んだ。
玖珠本はひとり笑みさえしなかった。
白雪の靑年は不遜な迄に美しかった。眼差しに陰りがあった。なにもかも、彼は彼を害するすべてを厭わなければならなかった。したたる朝の露さえ自分を害することを知ってる彼は、故にまなざしに惡しき棘をしかみなかった。
褐色の肌をいまだ寒い筈のTシャツの下の筋肉の上に息づかせた。
わたしは彼がわたしを盗み見るのを知っていた。
それを波乎が聲にもださずに楽しんでいるのも。
二日後にわたしは彼を抱いた。穗埜果は波乎を恐れた。彼に軽蔑されることを。私は云った。その耳に。安心しろ、と。お前が俺に抱かれる前からすでにあの人はお前を軽蔑しているから、と。
そしてわたしは彼の爲に笑った。
玖珠本が久しぶりに連絡をくれたのだった。いつ?その前日に。
いま、サイゴンにいる、と。
何故?
観光旅行だよ。
嘘だろ?
実はカンボジアにも行ってきた。
何故?
例の件の準備。
そう。
穗埜果は明日の朝にダナンに着くと書くのだった。
その、フェイスブックのメッセンジャーに。
私は応えた。
なぜ?と。
決まってる。
なに?
お前がいるから。
わたしは鼻に笑った息を吐いた。それは穗埜果には聞くすべもないものだった。だからわたしはパソコンの前で消える、存在理由さえなくなったその息の痕跡を吹き消した。
彼にもはや返す言葉など無く思えた。
それ、かすかな鼻の息だけが相応しい答えだったから。
わたしは何も返信しなかった。
5時にこっちを出る。
彼はそう敎えた。そっちに何時に着く?…逢おうよ。
返さない儘、私はパソコンを閉じた。
朝焼けの斜めに掩う下、バイクで空港に行く。ロビーで彼を待った。
彼の荷物は少ない。
片手にほんの申し訳程度のバッグ。
思えば十年近く逢っていなかった。有栖川の春から数えて数か月後の冬に、私はこっちに来た。
彼は私を見てもなにも聲を掛けなかった。
ただその目にわたしを見た。
変わったね、と。
わたしは心の中でだけ彼にそう言った。大人になった。そう思ったから。
まなざしは棘だけを見詰めるうちに、それがもはや棘でさえないかに振舞う。そんな狡猾さを彼の眼は持っていた。
——そんなに、熱くないね。
穗埜果がささやく。
——思ったほど…こっちは。…サイゴン、カンボジア、あっちは、熱かった。
殆ど会話もない儘に私はホテルに歸った。玖珠本を後ろに載せて。
ベッドに寝転がり、足を延ばす。
わがままに伸びをし、そして媚も無くわたしを見、しばらくの間私を見詰めた。
窓際に、立った私は彼に見つめられた。
——元気?
わたしは改めて、ようやくにおそらくは最初に掛けるべきだった言葉を掛けた。
穗埜果は聲でだけ笑った。
云った。
——死んではいないね。綺余は?
——同じく。みんなは?
——みんなって、誰?
——白雪
——の、誰?
わたしは応えずに、いつか私にかるい軽蔑をさらす彼の眼を覆うように、その傍らに腰かける。
——波乎?
穗埜果が云った。
答えない私に彼は、軈ては吐く息でだけ笑いかけた。
——彼は、永遠に、元気だよ。
——爆弾なの?
私はささやく。
——なに?
——カンボジア?サイゴン?…爆弾の準備?
——そっちは、中国経由。…梓豪が、
——梓豪?
——知らない?…だね。五年前に…彼が。變ってる。経歴が。もともと新宿界隈のチャイニーズ・マフィアだった父親の子。しかし大卒。台湾に育った。八年前に日本に来た。本職は翻訳家。
——日本語?
——ポルトガル語。
云って、穗埜果は腕をのばし、その指先に私の唇をなぞった。
ささやく。
——久しぶりだね…
——じゃ、なんで?
——なに?
——爆弾準備したんなら…
——まだ。まだまだ。…今からって…早すぎる。…年始。…中国のね。旧暦でしょ。来年になったら、しだいしだいに。春までには準備する。段取りだけ終わらせてある…量が、大量だから。
——なに準備するため?
——藥剤。クスリ。
——タブンTabun?
——その生成…日本で試しに作った。…帝東大學の…あそこの教授の工藤さん、知ってるでしょ?もう50だよ。彼。…でも、あのひと、専門家でしょ…じゃないけど、そっち系の…だから、できあがりあまりにも無味無臭で…
——どうするの?
——はっきり毒ガスだってわからないと意味ないじゃない?…別に殺傷目的じゃない。から、匂いがないのはそもそも
——じゃ、
——けどオウムのサリンは異臭したでしょ?松本とか。あれ、不純物のせいだよって。工藤さんが…よく知らないけどね。あくまで偶然的なものだよと。知らない。そのあたりの経緯。俺は深くはタッチしてない。ともかく、で、東南アジアあたり、もっと粗雑な薬剤さがせないかと。
——あったの?
——難しいでしょ。日本に運ぶのが。作ればいいんだよ。研究室で。日本の。その不純物っていうのを入れて。不純物入ってさえいれば匂うんだろ?匂えば騒ぐんだろ?騒げばいいんだろ?なにが難しいの?って。…別に、それはどうでもいい。
——なんで?
——実は、お前に逢いに来た。
——だと思った。
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