思考の糸。…新型コロナ・パンデミック下に自由であるべき諸権利を制限することは弾圧であるか否か?


ある人は云う、遊興の権利であれ、飲食の権利であれ、労働の権利であれ、外出の権利であれ、これらさまざまな権利を国家なり自治体なりが規制によって制限することは人権侵害に他ならない。都市封鎖等、総理大臣であれ大統領であれ、時に感情的なスピーチによって訴えかけ、心情的に煽情した挙句、人々から諸の権利を剥奪することは民主主義に対する深刻な抑圧である。今の外出規制等を思うに、まさに悪しき戦前回帰に他なるまい。戦前、戦時中、治安維持法等によって我々の自由な権利は抑圧された。我々は今こそ我々の自由を守らなければならない、と。

これは真か偽か。

論理的に考える。そもそも戦争とはなにか?疫病とはなにか?

大雑把に言えば、戦争とは人と人の政治的な問題に他ならない。故にその限りにおいて、原則としては戦争することも可能であり、戦争を回避しようとすることも可能である。現実には、戦争が発生するとき、選択肢がまるでなかったか必然であるかのようになだれ込んでしまうものであるらしい現実に関しては此処に問わないでおく。詳細に議論するなら、おのおのの戦争事例に関わるそれぞれ詳細な歴史的考証が必要である。とまれ、論理的には本来、戦争とは、する選択もあれば、しない選択もある政治的な問題に過ぎない。あくまで人が人に対して解決すべき問題である。

反して、コロナ・ヴィルスは人か?人という言葉の定義はともかく、ヴィルスを人だと答える人はいない。疫病とは人の関与しようのない他者であって、人の制御を越えた巨大な異物、例えば火山の噴火や地震やそれに伴う津波等の部類に違いない。人ではない絶対的な他者を仮に神なり鬼なりと呼んでおくならば、コロナはまさに台風、雷と同じくに神であり鬼である。神や鬼に対しては荒れ狂うそれを鎮めようと無駄な祈念でもしてみるか、逃げ隠れるか、いずれにせよなんとかやり過ごすかするしかない。津波がおし寄せる時に、山上に逃げろという命令を無視して、どこの誰がレストランでデートをする自由を主張し、または今日の残業をこなしてから終電で帰る自由を主張するだろう?

もちろんコロナの実態は未だに我々にはわからない。あるいは、本当は大した事が無いのかもしれない。これからより深刻になるのかもしれない。新型だからわからない。わからないから新型である。つまり、こう考えてみよう。例えば、ある家がある日、煙に包まれたとする。あなたはそれを外から見ている。それはあなたの家である。濛々と黒煙が舞い上がる。外からは、炎は未だ誰も確認していない。中に入ったものが誰も居ない以上、内部には炎がとぐろを巻くのか、それともただのボヤなのか、今のところ判断しようがない。あなたはその家の父親である。そして中には三人の子供たちが残されている。あなたはどうするだろう?凡庸な父親であるところのあなたは叫ぶ。逃げろ!子供たち、今すぐ逃げだせ!と。ところが中にいる子供たちは甘やかされた子で、あなたのいうことなど聞こうともしない。ひとりはゲームをする自由を主張する。ひとりは来年の大学入試にそなえた勉強をする自由を主張する。ひとりは彼女とのLineに忙しい。あなたはどうするか?彼等の自由を尊重しそのままに放置するか。それともぶん殴ってでも連れ出すか。

於意云何?…あなたの心に、どう思う?

政治的な問題に対して、人権侵害はあり得るだろう。慥かに戦中は自由な行動も発言も弾圧されただろう。繰り返すが、それは人と人の問題に過ぎない。神と人との問題ではない。故に如何にしても政府はコロナ禍において戦前政府を模倣できない。仮に同じ事をしたとしてもそれらは違う問題である。又、仮にパンデミック治安維持法が施行されたとする。それによって、有事においては国民の権利は制限されると規定されたとする。この前例によって将来の戦争が可能になることは絶対に不可能である。戦争という有事と疫病という有事はまったく違う有事だからだ。疫病は戦争の前例にはなりようがない。

パンデミック対応に於て戦前を持ち出して議論することは、こういうことだ、例えば、ある村がある。その村にある日、ひとりの坊さんがやってきた。坊さんは説法をはじめた。曰く、誰をも、何をも、生きとし生けるものすべての命を奪ってはならない。ましてそれを食うなど!と。

村人は感動して坊さんに帰依した。坊さんを讃えた。言った、今日、なんと有難い言葉を聞いたことか!われわれはもう誰をも殺さない。何ものの命も奪わない。まして殺して食うなど!と。

坊さんは満足した。満足したから空腹を感じた。だから先ず瑞々しいアボカドを貪り食った。それでも飽き足らずにつややかなマンゴーを食った。それでも飽き足らずに葡萄を。桃を。さくらんぼを。ことごとくの熟れた美味極まる果物をひきちぎって貪り食った。それを見た村人は憤慨して言った。

食うなと人に言って、お前自身は貪り食う。この腐れ坊主!と。

村人は坊主を罰して殺した。

於意云何?…あなたの心に、どう思う?

村人と坊主、愚かなのはどちらか?アボカドを喜ばせたのはどちらか?








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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