多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説18
以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
そこで、…島の賤の女に比那岐という女がいて、それを憐れみ御寵を賜われた…というか、もう御位にいないからね。ただの賤の流れ者か?じゃあ、普通に島の女に手ぇ出しよった、と(と圓位は笑った)。
籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳爾 菜採須兒
お前は誰ぞや?
父はおるのか?母はおるのか?
朕はのう、京から渡った草枕、今は此の島の島守ぞ
うたかたに見つ隱岐の島はおしなべて、しきなべて、我こそ坐せ我こそをれ我こそ隱岐の島守ぞ、とでも?
その、末裔。後鳥羽天皇の庶流。…だった、とね。
私。もちろん、そういう方がいても可笑しくはない。失脚のときも、まだ四十前…後、後醍醐天皇のような方もいらっしゃいますかね。庶子のひとりふたりいてもおかしくはない…もっとも、庶民などに興をそそられることでもあれば、ですが。
圓位。麻羅麻という人がいるの。陁陁麻の父親。本当は、たぶん、その麻羅麻というひとの事跡の語り伝えがあって、それの一部、外傳的な周緣挿話のひとつなのよ。陁陁禮都豆美の話はね。戦争で…太平洋戦争ね。いろいろ途絶えたものが多いんじゃない?
私。なんで?
圓位。だって、まがりなりにも皇統にかかわるものだから。憚りが多かったんじゃない?麻羅麻というのは伊夫伎の木というのでつくった舟で単身島に乗り込んで住み着いたひとで。それが言いふらして回ったの。俺はかの逆族北條氏らに隱岐に流されたる後鳥羽の天皇の末なるぞとね。島をまわして荒らして回った山賊まがいの男。
片方の眼の黑目が眞っ赤だったとか。男を好き放題殺して皮を剝ぎ、子供を好き放題殺して貪り、女を好き放題に姦して廻って、ひところ島の者らみなはらからになりかけたほどだったと。
私。その人はどうなったんですか?
圓位。山の上に誘い出すのよ。島に最後に殘った未だに手のついてない女…少女ね。はじめて女の体になって間の無い…かつ、賤の…ことさらに賤の賤のと貴族でもない島民自身がそういうんだから、そういう身の上なんでしょう。江戸時代だからね。
私。所謂被差別部落の?
圓位。その子の顏を磐で打って見栄え良くし、絹衣まとわせ栴檀の香を焚きつけて、とね。山の石清水で四日の日肌を拭わせ、女みんなで化粧させ、とね。山に舞い舞い誘い出すのよ。山の上に穴掘ってあって。賤の娘もろともに落っこちちゃう。ここぞと島民みんな竹槍つきさす。落ちたものどち娘も刺し殺されるわね。ところが麻羅麻は…
私。そもそも、その人は日本人なんですか?
圓位。麻羅麻?
私。そう。
圓位。漢文佛典にでも出てきそうな名前ね。知らない。それは。取り敢えず、海から来た…。ともかくも、麻羅麻だけはまだ死んでいなかったどころか竹槍に咬みついてくる始末なので、手当たり次第娘の屍ごと繩でがんじがらめにして舩にのせ沖に放ったと。娘の死んだ血も麻羅麻の生きた血も海に混ざり合ってね、赤く染まった海に和邇が…鮫でしょ?
何十匹も來て。それぞれに何十いくつにも麻羅麻を喰いちぎって海の底に消えていった、と。
私。只管、殘酷な話ですね。人権論者が見たら逆上するような。
圓位。まあ、伝承。ところで、麻羅麻、どんな人だった思う?
私。容貌?
圓位。どう?
私。容貌魁偉、身長一丈とかそういうのですか?
圓位。逆。華奢な女も心配して貢ぎはじめるくらい華奢な美靑年なの。それで島の人みんな、そうかご落胤かと納得するのね。あれは宮こに緣の人に違いないとね。女たちを魅了したんじゃない?歌がある…
麻羅麻あな やあ
麻羅麻あな やあ
はねとべぇぞやあ はね麻羅とぶぞ
めもめも乘りゃあや めも麻羅とぶぞ
麻羅麻乘らりゃあや 麻羅麻乘らりゃやあ
麻羅とぶぞ やあ
私。これもそのおばあさんに?
圓位。また違う人。名前は…高梨さん…下のは忘れたな…調べればわかるけどね。みんな、こちらでお經あげたひとだから。
圓位の話は以上。あとは、雜談である。轉生つながりで太平記の如意王の話など。これはこっちが戦記物の研究者と知っての戯れ語りに過ぎない。
最後にせっかくだから周南から引いておこう。
關關たる雎鳩は
河の洲に在り
窈窕たる淑女は
君子のよき逑(たぐ)ひ
寺を出て山道を下り、海岸に出たときは丁度一日中降り続く雨の小休止した十数分の間だった。故、あれは白鷺というのだろうか?遠瀨の海岸に三羽ばかりたたずんで、羽をのばしていたのである。
鷗か、そのうえには違う鳥が數羽鳴き騒いでいた記憶がある…それで、なんとなく思い出されたのである。
〇久村文書Bその二(佐伯。離島。眞夜羽)
(佐伯宅にて)
嚴島沙羅樹院を辭して向かったのは佐伯宅(気の進まない訪問。茨での話の中で彼等がなかなか信賴できかねる人物に想えて來たから)。歸ったら伺いますと謂って仕舞ったので。故、訪問す。
本宅の応接間。佐伯騰毗は不在(当主は?…遊びにいってるのよ(あそびにいっしもうてな是は佐伯母)…雨の中を?(是は私)…関係ないですよ(かもうてんもんかぁ)變わり者だから(いちげぇじゃからな以上は佐伯母))。
佐伯祖母(それがこの家の乃至彼女の個人的な作法なのか、佐伯母は必ず佐伯祖母が口を開く迄默止しつづける。此の日はすぐに佐伯祖母が口を開いたので、いつものいやな沈黙はなかった)。どうでした(どがんでしたん?)
私。いや。おおよそ話は聞いて…それでも、あたらしい事はなにも聞いてませんよ…たぶん、もうご存じの。
佐伯祖母。わたしらも先方さんが…ほら、神主の家でしょう?
やっぱり、心に不安があると、縋りたくなるんじゃない?あちらさん、身よりもないからうちらに縋ってこられることが多くて。
ただ、神道と謂うのは、變な咒術陰術魔術とはちがってね。その、心のありようみたいな話だからね。基本的にはね。
佐伯母。なにも、なかった(なぁんもなかったん)?
私(佐伯母に)。ええ。基本的には。
佐伯母。基本的には?
私。いや。何もないですよ。
佐伯母。でも(しゃあて)基本的にはって(きほんてきにゃあて)なんか、いま、いやらしい言い方したよ(やらしいぃいーかたぁしたでぇ)あなた(あんたも)。
佐伯母。なんかあったの?
私。夢見惡かっただけですよ。
佐伯祖母。夢?
佐伯母。云ってみて(いゆうてみられぇ…と、彼女はひとり問い詰めるように云うのだった)。
故、夢の話をしたのだが、うまく話せなかった。夢の話は大抵そう。うまく傳らない。いずれにせよ、今、纏めれば以下の如
夢なので、いつも夢は途中から(已に)始まっている(…いつでもそうだ。夢に開始の一瞬は存在しないのである)喰う、しゃくしゃくいう音が聞こえ續けている。
周囲の全部に、拗音に熟れたようなべたついたクセのある音(…いかにも判りにくいが)。
見るともなく見れば(——というか、目が何処にあるともなくすべてをすでに見續けていたのだが)夥しい小さな円形の白い粒立ちがさかんに犬の生々しい屍を喰い漁っているのだった。是は私の心の悔恨の形をかえた表現だと解釋されるに違いない思ったら(そしてその結果を恥じたら)、よくよくみれば円形の泡立ちは匂っていることに気附いた(そもそも最初から匂っていたのだ)。
匂い。洗っていない犬の毛の匂い。喰えば同化するのかいよいよ匂いが濃くなるのである。
わたしは歌う。
迦美古呂斯 迦美古呂志
迦美都久迦良那 迦美古呂斯
迦美都久母能那 迦美古呂斯
迦美古呂志 禰豆美波迦牟那
迦美古呂志 蔽牟美波迦牟那
迦美古呂志夜那 迦美古呂志曾那
これは犬の屍そのものをあざ笑ったのである。ここで私は思い出すのだった。そもそも、わたしが犬の言語について理解できるようになったのは樹木の悉くが解けて流れたときが始まりだったことを。
流れ出た樹木の命を(その餘りにも巨大な地球規模の損害を)思って、わたしは悲しみにもう持て答えられないと思いながら、そして見つめ續けるのだった。
何を?
見つめ続けるのだった。
何を…と。その夢の中でいま俺は夢を見ているらしいぞと思いながらに問い續けたのである。(是は、今すこしでも夢の感じを克明に写そうとして、若干修正して書いているので、佐伯二人に話して聞かせたままではない。もっと、白けた味気ない話しかできなかった。尤も、いまの之も他人が見たら面白くもなく、実感もなにもないだろうが。あくまで、非常に生々しく——皮膚感覺として。…そういう夢だったのである)
佐伯母。それ、いつ見たの(いつみられたん)?
私。昨日…ま、こっちに歸る最後の日ですね。
佐伯母。で、あなたはどう思うの(どうおもわれるん)?
私。僕?…なにを?
佐伯母。何を暗示してると?
私。暗示?
佐伯母。だって、氣になってたんでしょ?
私。いや、別に気にもしてませんよ。
佐伯母。だっていま、話されたじゃない?赤の他人のわたしたちに。あなた、くわしく話したじゃない?
いずれにせよ、その後今回の滞在に世話になった禮を謂って、そして佐伯宅を辭した。
(夢)
ホテルで泊まった、その日の夢。
佐伯騰毗(今日の騰毗はいやがうえにもちいさく、いつにもましてちいさく、このままじゃ俺の掌にさえ乗ってしまうよと思ったのだった)が海岸で謂う(嚴島の海岸だろう。遠淺である。遠浅すぎて海の浪さえ見得ないのだ)。
騰毗云、(振り返って)比留マをどりをな。比留ハの君の爲にをどうたろう。
□□□の爲にをどうたろう。
□□□の爲にをどうたろう。
(□三字はどうして聞き取れないのである。どうせ比留米と謂ってるのだろう?そう、思い乍ら夢の中にわたしは呆れているのだ…)その歌曰く(をどる、即ち踊ると云ったが、直立して謠うだけなのである)
阿阿阿阿
阿阿伊阿
阿阿佐阿
左沙阿阿能於久宇宇麻阿阿阿阿
比伊伊能於
比伊伊能於於於久麻阿阿迦波
比伊能久麻迦波邇伊伊伊伊彌
邇伊伊伊彌阿
古於於於麻阿
古於於於麻阿斗米
古麻斗米弖衣衣衣彌
志伊伊婆阿志伊伊婆志
彌伊豆宇宇迦阿阿蔽
迦阿阿蔽
迦阿阿祁衣
迦阿阿祁衣乎於於
迦祁陀邇乎
彌伊牟ンンンン
ンンンンン
ンンンン
ン波阿…
知ってる。珍しい哥ではない。古今集の神游哥のひるめのうたである。
わたしは聞きながら、お前はさっき鷗を飲んだろう?頭から飲んだのだろう?と。彼をあざ笑い(そのあざ笑う自分を羞じ乍ら)思いつづけるのだ(空は白濁。此の處の雨天の印象だろう。どこを見ても日の光の影だにもないのである)。
(埠で。眞夜羽と)
島を出るのは早朝だった。眉村たち親子三人が見送りに來るということだった(夜、電話をかけて歸ることを傳たのだ。茨訪問についてはなにも聞かれなかった。あるいは、額田か髙長が已に電話連絡したのではないか)。ホテルのロビーに出たらソファで三人待っていた。レセプションの從業員と雜談しながら(知り合いなのだろう。もっとも、島案内も請けがう土産物屋の亭主であって、知らないほうが可笑しい)。
眉村和。先生、もう歸られるんですね。
私。でも一週間以上いましたからね。
和。宮島どうでした?
私。いや、すごくおもしろかった。
和。なにもないところで。しょせんこんな神社しかないところだから(と、私たちは埠に向かう。運轉は和哉。車はマツダの乘用車だった。広島だから、ということなのか。尤も特に此の車が目立ったくらいで、一般的に多いのはトヨタだのなんだのの方である。業務用のトラック等は100%マツダだ)。
埠につき、和哉が深雪をこづく。深雪思い出し(本當は忘れてなどいないのだ。人見知り?…わたしに何故か気兼ねしてたのである)私に土産を手渡す。
和。これ、ぼくらの店の土産物なんですよ(紙袋のなかには箱入りの土産、都合三箱である)。
私。いえ、結構です。こんな…これ、何だろう?
和。牡蠣のオイル漬け。特産なんですよ。東京で、東京のみなさんにも…と和哉笑う(こうした一連の雑談の間、かの眞夜羽はときに深雪に甘えてみたり鼻歌を歌ったり、要するに気にならないありふれた子供、だったに過ぎない…)。
私が禮を謂って、何かあったら連絡ください、こちらも何かあったら連絡します、と(和とはすでにLineでつながっていた)。かくて、それじゃ、と埠の改札を潜ろうとしたときに、いきなり眞夜羽が云った。
眞夜羽。先生。
私。…ん?
眞夜羽。また会うよ。ぼくら、また、きっと逢うよ。
私は聲を立てて笑った。云う、(和哉を見ながら)「瀧の下でって?(豐饒の海のあれである。もっとも、和哉は何をいっているのか判らなかったろう)」
眞夜羽。違うよ。瀧なんかないよ。次、よろしくね。
私。こちらこそ。先生、能無しだから何の役にも立たないけどね(と笑い、其の時に眞夜羽は眞顔で)
眞夜羽。役に立たないけど(深雪。こら。もう…この子…同じ時に和哉。すみません(是は私に)こら眞夜(是は眞夜羽に))でも、ぼくつかったら(儘)よろしくね。
私。つかまるの?(笑う)
眞夜羽。ぼくの気持ち、わかってね。
眞夜羽はそう云って、そして父親の顏を見上げた。
フェリー十数分。廿日市の驛から數時間、それから新幹線四時間、電車で渋谷駅まで。靑山のモデルナに歸ったの時已に夕方の五時を過ぎていた。曇りこそすれ広島に雨はなかったが、東京に雨はふったようだ。濡れた宮益坂を私は土産を抱えて上ったのだった。
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