多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説15
以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
流れ流れた蛭の子は(ながれながれたひるんがぁ)。
晝の光に干上がった(ひるんひかりにひあがっしもうた)。
そのめずらしき落とし子の(そんめずらしげなおとんごの)。
わだつみ神の德子比賣(わだつみがみのとくごひめ)。
德子の比賣の化け姿(とくごんひめのばけすがた)。
莫迦のお前も知ってるか(あんごうのおめぇもしっとんか)。
莫迦のお前は知ってるか(あんごうのおめぇはしっとんか)。
德子の比賣の借り姿(とくごんひめのかりすがた)。
なあ知ってるか(のうやおめぇしっとんか)?
莫迦のお前でも知ってるか(あんごうのおめぇでもしっとるん)?
見上げた向こうに何がある(みあげたむこうにゃあなにがありゃあ)?
雲の向こうに何がある(くもんむこうにゃあなにがありゃあ)?
月の國には雨が降る(つきんくににゃああめがふらぁ)。
月には静かに雨が降る(つきにゃあしずかにあめがふらぁ)。
莫迦のお前でも知ってるか(あんごうたれのめぇもしっとん)?
薄くもかかって月は金色(うすくもかかりゃあつかぁきんいろ)。
薄くも霧れて月は金色(うすくもきれりゃぁつかぁこんじき)。
月の淚は金の雫(つきんなみだぁきんのしずくじゃ)。
雫はどこにおちるのか?(しずかぁどけぇにおちるんじゃい)
雫はどこに墜ちられるか?(しずかぁどけぇにおちれんじゃいよ)
蠅子の池は(恐らく蠅子神社の近くに池があるのか?未詳)月ゆらす(はえごんいきゃあつきぃゆらさあ)。
月の落とした金の影(つきんおてぇたきのうかげ)。
ゆられゆられてなにになる(ゆられゆられてなにんならぁ)?
ゆられゆられてなにになる(ゆられゆられてなにんならぁ)?
ふるらふるらとなにになる(ふるらぁふるらぁなにんならぁ)?
私は云った。「何になるの?」朱美は私を見上げ、一瞬の逆光に目をくらませた。はげしくまばたく。その音が聞こえた氣がしたほどに
「羽衣じゃ阿呆。羽衣じゃあんごうだりゃぁ(阿呆)が」
續けて曰く、
羽衣纏うて舞ううちに(はごろもまとうてまようりゃぁ)。
路に迷うて生き惑い(みちんまようていきまよい)。
路を忘れて生き狂い(みちんまようていきくるい)。
狂い狂うて嘆くうち(くるいくるうてなげきょうりゃぁ)。
羽衣舞えば人を喚ぶ(はごろもまやぁひとぉよばぁ)。
ひららひららと舞い舞えば(ひららひららぁまいまやぁ)。
羽衣勝手に人を呼ぶ(はごろもかってんひとぉよばぁ)。
私に戀した男らが(わしにこいしたおとこらぁ)。
みんなしでかす殺し合い(みんなでしまさぁころしやぁ)。
殺し殺され目の玉を(ぶちころころさりぁめんたまのぉ)。
抜かれてなおも殺し合い(ひきんぬかれてまだころさぁ)。
血に染まったのは蠅子池(ちにそまっしわまわぁはえごんいけ)。
眞っ赤に染まった蠅子池(あこうそまらぁはえごんいけ)。
木の葉移るは池の水(このはもうつらぁいけんみず)。
春にいろづく蠅子紅葉(はるんいろつきゃはえごんもみじ)。
死んだことにも気づかずに(しんだことにもきづかなぁ)。
殺し殺され屍山(ぶちころされらぁかばねやま)。
瀨戸内うめた屍らの(せとうちうめらぁかばねらぁ)。
四國に掛けた屍橋(しこくんかけらぁかばねはし)。
拜んで渡れ弘法大師の(おがんでわたりゃぁこうぼうさんの)。
功德の泉飮む爲に(くどくんいずみょうのむためん)。
哀しい哀しい羽衣の(かなしいかなしいはごろもの)。
羽衣の天女悲しくて(はごろもてんのおなごかなしい)。
誰が悲しむ?知ってるか(だれがかなしまぁしっとんか)?
莫迦のお前でも知ってるか(あんごうたれでもしっとんか)?
私は云、その天女がおばあさんなん?
朱美云、よくわかるね(ようわかるんなぁ)。気ちがいなのに、よくわかるね(きちげぇのにようわかるんねぇ)
朱美曰く、
わたし、月から落ちてきたの(わたしゃつきからおちてきたん)。
小田川、難儀してながれてたの(おだがわなんぎぃしてながりょうたん)。
わたし桃の肌してるからな(わしがももんはだしとったからな)。
だから男の人ら殺し合うから(じゃからおとこんひとらぁぶちころしおうてからに)。
いかんなと謂うて天皇さんが怒ってしまわれてな(あんごうがいゆうててんのうさんおこられなさってな)。
自衛隊派遣されたの(じええたいはけんされたん)。
けども、山の桃の下敷きになってな(しゃあけどやまんももんしたじきんなってしもうてな)。
みんな死んでしまったから(みんなしにくさりよったからな)。
だから天皇さんが馬に乘ってな(しゃあからてんのうさんうまにのられてな)。
空飛んでこられたけれども(そらとんでこられたんじゃけぇどがな)。
もったいないなと思ってな(もったいのうおもおうが)。
なんといっても天皇様だからな(なんじゃぁあててんのうさんじゃけにな)。
わたし隱れようとしたの(わしかくれっしもうたん)。
そうしたら磐の戸しまらないから(したらいわんとしまらんからな)。
鼠が咬んで邪魔してるから(ねずみんこかんでじゃましくさりょうるけぇ)。
天皇さんに見られてな(てんのうさんみられてな)。
天皇さんも人の子だからな(てんのうさんもひとんこじゃけぇな)。
私を見たら戀したの(わしみられたけぇこいされたんじゃが)。
それでも月に返らなければならないからな(せぇでもつきんかえらにゃなるまぁ)。
私歸ると謂ったらな(わたしゃぁかえらぁいゆうたらな)。
穴掘り埋めて、生きながら埋めて(あなほりうめていきながらうめられたん)。
土の下深くに埋められて(つちんしたふこうにうめられてじゃな)。
墜ちて落ちてどこまでも落ちて(おちておちてどこまでもおちてな)。
ふと気づいたら反対の(ふときづきゃあはんてぇがわの)。
地球の反対に墜ちたのよ(ちきゅうのはんてぇえにおちたんよ)。
天皇さんは日の光(てんのうさんはひのひかりじゃから)。
日本で私を呼ぶからな(にほんでわしぉよぶからな)。
その裏側は夜だろう(そのうらのほうはよるじゃろう)?
夜は月が浮くだろう(よるじゃけぇつきゃあうくやじゃろう)?
見下ろす月にそのまま落ちて(みおろしゃぁつきんそのままおちてな)。
わたしは月に歸るのよ(わたしゃぁつきんかえるんじゃ)。
次の滿月に歸るのよ(つぎんまんげつんけぇるんじゃ)。
朱美は何も恍惚の色を眼差しに兆すともない。寧ろ冷たい、腹の内を窺う眼で上目に私を見るのだった。私は此の女に騙されている氣がした。或いは量られているような。故(乃至、思わずに…)私は云った。「次の滿月に?」
「そうじゃ。」
朱美は口元でだけ笑った。
「朱美さん、かぐや比賣なのね。」
「あんごうたれ」(此れは「阿呆たれ」の方言である。)
「あがあなんはしためじゃが」あんなものはハシタメだ、と。又、「腐れ竹の熟れた果てじゃろうが」と。そしてささやく。私は腐れ竹の一番腐れの芯の(眞の?)腐れ比賣だ(わたしゃあくされだけんいちばんぐされのぉしんのぉくされひめじゃけぇな)、と。
謂って、そして聲なく口のかたちで笑った。ややあって不意に不思議な眼附。私をあくまで見つめながらに私の存在を思い出したような。云う、「あれこそ、わたしのいい人。」と、そして私を見つめ続けたまままばたき、「本當の、契ったひと。」と。誰?と。思わず言いかけるものの于時、後ろに車椅子の音がした。返り見ればそこに車椅子を引く猪原がいた。
猪原(私に)。どうですか?額田さん。
私。いや、お元氣で。
朱美。死にかけの、死にぞこないです。(…と、誰に言うともなく私の脇を通り過ぎた向こうに頭を下げるのだった。誰もいないそこに誰か入るかのように——向こうにはただ日影に樹木。花。)
「あれ。あれが、その沙羅の樹」
猪原は謂う。なつじゃから、花、つけとるでしょう、と。
謂われてその眼差しを返り見れば、たしかにそこにその樹木は花をいっぱいに、他人ごとじみて戴いていた。その樹木、大樹と謂う程ではないが大きく、おおらかで、そして威圧的な程に枝を広げる。野生の、野放しの、と。そう呼びたくなるような。枝の根あたりから盛んに異物に寄生されたかの蔓を夥しく埀らしていた。その蔓は又夥しくも無數に蕾ませ、下から這い上がるように花が咲き上っているのだった。だからその薄い桃色の花はあくまで他人事じみて見えて仕舞うのである。
「近くに行って見られればいい。」
猪原が誘う。故、心つかぬままに私は隨う。あれ、いい人よ。と。猪原にも誰にも聞こえるような聲で朱美は私にだけささやく。「あれ。本當の天子様。今の、紛い物のじゃなくて。あれ、本當の日嗣の皇子樣じゃからな。」云った。
そして終にわたしは目を逸らし續けるのを止めて、猪原のひく車いすの上の人物を見たのだった。——故意に逸らしつづけていた眼がすでに異形と知っていた異形の人を。
三歳兒程度の大きさの肉體。皮膚が薄いのか。靑白い皮膚の下這う血管の夥しく右往左往するのが悉くに透ける。手足は無いように見える。あるいは、小さなそれらはTシャツとショートパンツの生地の下に埋もれているのか。巨大な顏。首はない。あるのかも知れない。胴体が其の儘変形して頭部を作っているように見える。シンメトリーは作らずなめらかに歪む。瑕のように縦に切れた目は雙つ。鼻の穴は無いように見える。口なのだろう。目の中間に女性の陰部を曝し畸形化させたような孔をひくつかせている…「あれ、天照大御神の女神さまのな、本當の皇子さんよ。」此の時ふとひらめいた奇妙な思い付きがあった。日本書紀云、
既而、伊弉諾尊・伊弉冉尊、共議曰「吾已生大八洲國及山川草木。何不生天下之主者歟。」
於是、共生日神、號大日孁貴[(割註)大日孁貴、此云於保比屢咩能武智(オホヒルメノムチ)、孁音力丁反。一書云天照大神、一書云天照大日孁尊]。
此子、光華明彩、照徹於六合之内。
故、二神喜曰「吾息雖多、未有若此靈異之兒。不宜久留此國。自當早送于天而授以天上之事。」
是時、天地、相去未遠、故以天柱舉於天上也。
思うに日本書紀は最も後発の書物であって、先行文書に様々に解釋を加えて樣々につじつまを合わせて出來上がった書物に見える。恐らくは古事記が典拠としたはずの諸文書などを、である。故、矛盾が多い。例えば三貴神は二度生まれている。此の時と、伊弉諾尊黄泉歸った單獨の禊の時とである。日本書紀より典拠が大幅に少ないらしい古事記には一度だけ、禊の時にしか生まれていない。(古事記には一見、此処に矛盾がある。
故、伊邪那岐大御神、詔速須佐之男命「何由以、汝不治所事依之國而、哭伊佐知流。」
爾答白「僕者欲罷妣國根之堅洲國、故哭。」
しかし、須佐之男命は≪千引石引塞其黃泉比良坂、其石置中、各對立而、度事戸之時≫の後の禊の時に生まれているので、例えば母親殺しの火之迦具土神には母が居ても此の須佐之男命には母など居ないのだ。父親しかいなのである。此のおそらくは先行文書の矛盾を修正するために書紀は二度の三貴神生みを描いたのか)いずれにせよ但し書き但し書きの集積の上にしか讀めない只管惱ましい書物である書紀の神名とは言え、日の神の別名は大ヒル女のむちであって、ならばこれに對を成すのは大ヒル兒の神…最初に生まれた流された神…でなければおかしいともいえる。乃至、蛭子の神の轉生が此の神だと?少なくとも出生は三貴子として生まれていても属性としては男(陽)性神ヒルコに對する女(陰)神ヒルメである、と。そう思えばこの神には耀く天つ日神という姿と共に蛭子神と同じき異形のかたちもあるはずで、ならば慥かに車椅子の上の異形の人が日の神のもう片方の姿を繼いだ嫡子であって何が悪い?とも考えられる…
(尤もこれは一瞬の單なる妄想である。私は古事記は神話書ではなくて歷史書だと思っていて…古事記の典拠が何か知らないが、思うに伊弉諾尊、伊弉冉尊というのは先行國家の事なのだろう。伊弉諾國の王子が反抗的である。父王が問う。何故だ?。王子は答える、私はかつてあなたが滅ぼした伊弉冉國の政治をこそ理想とするものだ。故、父王は王子を島流しにする…。神話として読めば矛盾でも、寓話として讀めばここに矛盾はない。ここで須佐之男王子は嘗て詩人が周の文王亡きあとに文王を礼賛する詩を生み出したに近い。彼等は謠うだろう、我等が心の父文王の治世よ、と。須佐之男王子は謂う、我が心の母伊弉冉國の治世よ、と。)息をひそめるように私は異形の人を見た。目を凝らすように盗み見て。
「額田さん、ええじゃろう?(いいでしょう…幸せだね、と)」猪原は云った。「今日は額田さんの戀人に逢えたなぁ」と。
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