多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説14


以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。



 比呂子。あわい…

 髙長。夢の?

 比呂子。ピンク色なの。

(額田朱美)

額田夫婦の許を辭する時(偕楽園でお見舞いに行きますと云った。じゃあ連絡しておきますね、と比呂子)。

髙。これから行かれるんなら、前まで送りましょうか?

私。いや…でも、これから出勤されるんじゃなくて?

髙。方向逆だけれども。

私。いいですよ。タクシー呼んでもらえませんか?

髙。車ないと、不便だから…東京はそうじゃないけどね…むかし、居たから。あっちに。送るよ?

私。図書館に寄っていくんで…

比。図書館?

私。茨市図書館…

髙。そういや、そういうんも在ったな(笑う)

図書館云々は嘘。ひとりで自由にというのが気楽だから。性分。図書館には次の日に寄った(太平洋戰爭の時に茨に疎開した永田公村子爵娘房子という人がいて、その人が寄贈したらしい古寫本一式。それを寫眞に取らせて貰った。婉曲(と書いてある。宴曲の事)秘曲という本三卷一具(以卷、呂卷、波卷…)が特に面白かった。宴曲に秘曲もなにもないだろうが、たぶん、時の体制批判だのなんだの含む故、ということなのだろう。ないし、謀反の画策文、とかね。おそらく。普通に読んだら意味の通らない文が散見(池の面四方によどめば底すずし…とか。川登り走る鱸に鯉の舩、とか。)。奧書なし。假名遣いはだいたい鎌倉の比か。及び、その房子さんの書かれた自筆の日記と…これは戦中史の資料だろうな。永田子爵というのは、終戰直後に自決された方で、まだ讀み込んでないけれどもその父上の最後を聞き知った時の慟哭がなんとも言えない…房子さんは80年代頭まで存命だった方)

偕楽園は小田川という川沿いを上って上がった芳井という山の上の方にある。それほど髙い山ではないがそれでも空は近く感じる。山路を登りながらドライバーが云う、ここらは秋紅葉が綺麗で、と。山間のうねる車道の兩腋はとにかく樹木の密集。その殆どが色づくという。葉の影が更に葉の影にかさなりいやが上にも暗い。木の葉翳りを突っ切れば空が開け、そのあたりから芳井という。閑散とした集落。古びた市場というかホームセンターみたいなのがあって、そこで日用雑貨から食料品までそろえるのだろう、と思った。本当かどうか知らない。それ以外に店らしいものが見當たらなかったから、というだけだ。ドライバーは下の集落の人のようで、ここまで來ると猪出るよと嘲ける。猿もいるからな、と。バナナなんか持ってたら襲われるで、と。今思うに、それは若干卑猥で差別的な冗談だったのか。いずれにせよ靜かところ。

 人も來ぬ奧山木の葉暗がりに

  熟れ紅葉ゞはひとりし散らん

更に小川沿いに(小田川に流れ込む流れなのだろう)登るとそこのだだっ広い平地に偕楽園はある。

偕楽園の周圍は更地だらけ。何に使うというでもない更地がとにかく擴がる。園の前で車を降りた。

比呂子から猪原さん(やはり猪が出るということなのか?)という職員を呼び出せと言われた。云われた儘呼び出しお願いすると猪原氏(年の頃三十前後。長身。若干の肥滿)が出てくる。曰く、比呂子の同級生だったという。

そのせいでなのか、非常に額田家に同情的な雰囲気だった。

猪原氏曰く、遠いからなかなか比呂ちゃんも面會にこれないので、淋しがっている、と。

だれかと逢って話すのがいちばん、お年寄りの藥になるんじゃけぇえなあ…云々。躰格のわりに女性的な性格に見得る(元大学ラグビー選手)。

通された病室にはかの額田朱美女史がましました。見た目、特にやつれた六十後半に見えた(實際には40代半ばで、我々の同年代なのだが…)。それこそが彼女の苦惱の殘した爪痕というものか。

痛々しい老い方。

この介護施設はそもそも單に老人ホームというものではなくて、精神疾患者の収容施設でもあるのだろう。あきらかに、そう見える方が(二十代の方もふくめて)同室に収容されていた。男の方。目を剝いて、口をあけっぴろげて私を見詰める…。

嚴島から來たのだと謂うと(どういうつながりなの?と聞くので)猪原氏曰く嚴島にも姉妹施設があるという。この地出生の古藤という方がいて、その方の出資で作った二園なのだとそう。まず50年代末にここ芳井町偕樂園ができた。後、嚴島に祇樹古藤記念園。

嚴島の方はもともと嚴島偕樂園といったそうだ。そこに90年代?(三十年くらい前に、と言っていた)ジーヤ(Jiya?)というインド国籍の方が沙羅の樹を寄贈したらしい。それにちなんで祇(ギと訓、ジーヤ氏のジの訛りである)樹(ジュ)古藤記念園と改名したのだ、と。何故こんなことを謂うのかと思えば、その沙羅の樹が花を咲かせるのだという。本來、日本のような冬のあるところでは咲かない樹なのだが、と。ここにも在るんで、と猪原氏謂う。

ここにも?

沙羅の樹。

これは額田朱美のとこに案内される道すがら。その時廊下の窓越しに二本の樹を指さした。云、「あれ。」

「あれ?」

「あれ、沙羅の樹」

猪原曰く、ただし此の芳井偕樂園のは「本当の沙良の木」ではないのだと。二種類の(…日本固有のも併せれば三種類か)沙羅の樹がある。一つはインドの本等の沙良の木(釋尊入滅の時に散るあれである)。もう一つはタイなどでインド沙羅に代用される「サーラ」の木。それが是なのだ、と。(日本の寺院にたまにある沙羅双樹の木というのは、大抵夏牡丹の木である)

もとから嚴島祇樹古藤園にも「タイ・サーラ」の樹があった。いまもある。何故ならこの二園の象徴の樹だから。所謂釋尊の祇樹給孤独園の須達多(Sudatta)の德業に倣って社会奉仕の爲に作ったのが此の二園だという。故、「タイ・サーラ」の木をそれぞれ二本づつ植えたのだ、と。猪原曰く、古藤氏は時は太平洋戦争末期、所謂特攻隊の一つ人間魚雷回天の發案者とされる大尉黑木博司氏の直接の部下だったか友人だったかだと。回天の設計等にも関わったという。戦後、不動産業で財をなすのだが(岡山市内の土地の買い上げと開発である)、戦後十年ばかりたったころいきなり改心し頭をそったらしい。あとの後半生は是非とも罪滅ぼしのみに生きる、と。よって、作ったのが芳井偕楽園と嚴島偕楽園である、と。

古藤氏の辞世の句に云、

 生きて生き生きむさぼれど生きて暗く

  せめて同じき蓮の葉の露

報われ無かった契りでもあったということか。或はわだつみの底のかつての若者たちに今その同じ蓮の葉の上に生まれ、そこで泣いて詫びようということか。後者であれば、あるいはそれは餘にも蟲のよい寧ろ傲慢と詈る人だにありそうだけれども。いずれにせよ土地の慈善家として名を殘した。

脱線した。

ともかく窓越しに傾いてはいる午後の日の中に、額田朱美は恍惚までいたらない茫然の顏(見慣れない私に驚いただけかもしれない…)を曝し、私を見るのだった。

猪原云、(朱美に)お客さんこられたからね。

朱美(これがはじめて聞く肉聲だった)。はらあ?

猪。お客さんじゃが。

朱。はれあ?

目の焦点が合っていないというのではない。チャンと見ているのだが、私を通り過ぎてしまうのである…

猪。娘さんの…比呂ちゃんの?

朱。死んだが。

猪。死んでない方の比呂よ。娘よ。

朱。だあたん。

猪。比呂ちゃんのオトモダチで。

朱。あいがか?

猪。よかったな。うれしいな。さびしくないで。

朱。だあたん。

猪(わたしに)。ぎょうさん…たくさんな、話したゲテ。淋しいんじゃから。(朱に)なあ?

朱。じゃあ。

猪原、車いすを持ち出してお散步でも連れてったげてぇというので、車椅子を引くことにした。猪原は業務に戾る。

朱美と庭に出る。藤棚がひとつ。ただし今はもちろん唯の綠葉の屋根というに過ぎない。日を漏らす。地に日と翳りの斑ら。敷地周囲に柵が張り巡らされているのだが、廣い庭であって隔離感はない。寧ろ外からの防犯用にさえ見えた。話そうとするも何も話すこともない。實際、もうすこししっかりしているものと思っていた。今や亡骸を見るに近い。髙長曰く髙長と比呂子の結婚以後急激に惡化したのだと。入園前はひとりで彷徨い步き、一週間後笠原市で保護されたという。駅前で物乞いしていたのを髙長の会社の從業員が見つけたのだ。比呂子が問い詰めたらお父さんに会いに行った、といったとか。又、その正確な理由は正體を得ないが、電子レンジを叩き壞したという。曰く、レンジがお前を殺すと云ったと。咎める娘に泣いて抗議したという。お前は母を見殺しにするのか。なんとむごい物か。また、あれは爆彈なのだと。空から降ってきたものなのだと。又、風呂の入り方を忘れて一時間程裸で風呂釜の前に突っ立っていたと。又、コンビニのおでんに素手を突っ込んで火傷して帰ってきたとも。その他さまざまなことが在ったのだろうが、いずれにせよ夏の昼、見知らない男に車いすを引かれて彼女は沉默のうちに日なたに目をしばたたかせているのだった。步きながら、それでももてあます暇つぶしに、あるいはひょっとしたらかすかな哀れみの感情故にも、わたしは二言三言話しかけたのだった。

私。朱美さん、元気?

朱。元気かなぁ?

私。元気みたいですね。

朱。じゃろうなあ。

私。娘さん、覺えてる?

朱。比呂か?

私。比呂ちゃん。

朱。どっちもじゃ?

私。娘さんのほう。

朱。ありゃいけんで。

私。どうしたの?

朱。毒もるもんよ。いけるかぁ。

私。毒なんかもらないよ。おばあちゃん(同年代なのだが…)生きてるでしょう?

朱。さっきの、太いのがおろうが?

私。猪原さん?

朱。ありゃいけんど。

私。どうして?

朱。わしに狂え狂えて毒盛って食わすからな。

私。毒盛ってないから。

朱。毎日謂ううんじゃ。わしに狂え狂え謂うてな。

私。心配なんだよ。おばあちゃんが?

朱。あんたも毒もるか?

私。盛ってないから。

朱。狂うてるのはわしの兩足。…手もな。毎晩わしを喰うからな…

と、以下は此の朱美の語った話である。

 御前は知ってるか(おめぇしっとんか)?

 御前は知ってるのか(おめぇしっとるんかよ)?

 右手が私を喰うんだよ(みぎちゃあわしぃくらうんじゃあ)。

 左手も私を喰うんだよ(ひだりもわしぃくらうんじゃあ)。

 なんでかわかるか(なんでかわかるん)?

 お前にわかるか(おめぇにわかるん)?

 右手はむかしな(みぎゃあむかしの)。

 むかしつかんで糞を千切った(むかしつかんでくそちぎったで)。

 左手はむかしな(ひだりゃあなむかし)。

 むかし肛門にぶちこんだ(むかしけつんこぶちこんだった)。

 狂ったふりをしてやろう(くるうたふりしておしえたらぁ)。

 お前らみんな狂え狂えというからな(おめぇらみんなくるぇえくるぇえいゆうからな)。

 せめて狂った振りして遣ろう(せめてくるうたふりしたらぁ)。

 此處にいるのは一体誰だ?(ここにおるなあだれならぁ)。

 此処に話すは一体誰だ?(ここにはなしょぉうるなぁだれならぁ)。

 此処にいるのはかしこくも(ここにおられるなぁわかしこうものぉ)。

 天の若比古の落とし子の(あまのわかひこのぉおとしごんなぁ)。

 捨てられ御子の落とし子の(してられみこおのおとしごんなぁ)。

 殺さる前の落とし子の(ころされるまえのぉおとしごんなぁ)。

 天の蛭子の捨てられ子(あまんひるごのぉしてられごんなぁ)。

 天に棄てられ蛭子の子(あまにしてられたぁひるごんこじゃのぅ)。

 河に流され桃の子の(かわんながされももんこの)。

 吉備眞備の亡くし子の(きびのまきびのなくしごの)。

 淡島食うた辰の神(あわしまくろうとたつんかみ)。

 淡島孕んだ母の腹(あわしまはらんだははんはら)。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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