多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説10
以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
私。なに?
比。比呂斗。
私。比呂斗くんを?
比。目が燃えてるの。目が。眞っ赤に。めらめら…
比呂子はそういった(思うに、聞いた眞與羽の話に影響を受けていると思われる…)。
ちなみに此の田中公園というのは、日本近代彫刻の走りの時期の彫刻家平櫛田中という人を記念したものだ。平櫛田中、本名は田中何々(失禮。忘れた)田中姓というのはこのあたりにも多いらしい。その彫刻家の生まれたのが此の町だったということらしい。
なんでこんなことを知ってるのかと謂えば、同じ市民会館の敷地内並びに田中美術館というのがあって、そこを比呂子さんと見に入ったからだ。
さすが田舍の個人美術館で、見ている人は誰もいない。そんな中見て回ったのだが、一体のブロンズ像に出逢った。あれは不動明王なのか阿修羅王なのか閻魔王なのか。いずれにせよ黑光る忿怒の神が舌をだして殘酷な嘲笑と共にらむ。と思ったら舌ではなくて人を咥えているようにも見えた。だったら人喰らう忿怒の神か。そのブロンズ像の表題を曰く轉生、と。
比呂子にいたたまれない気がしたので、それには氣が付かなったふりをして通り過ぎた。
〇久村文書B付錄(北浦峯一氏。吉備ノ繩)
2019年8月27日午後。
茨市立図書館に行く。せっかくなので郷土史等の資料をあさりに。そこの館長の眞鍋文人氏に雅樂師(と、真鍋氏は謂っていたが、要するに笛師。龍笛・神樂笛の製作者)北浦峯一(ホウイチと讀む)を紹介される。居宅は西蠅原町の稻田という所。
念の爲眞鍋氏電話連絡の上、単身伺う。
閑靜な農地。學校(おそらく小学校)の近く。
閑静と言っても、どこもかしこに閑靜なのであって、特に人がいない、というだけだ。
車を止めたらそれで塞がって仕舞う程度の庭。
その奥にいかにも日当たりの惡い山際の家。
山は兜山という。那須の与一が頂上に兜を埋めたので兜山という。是は土地の伝承。
北浦氏は見た處一人住まい。
家族構成云々、気兼ねして聞けなかった。古い家で、わたしの子供のころからそのまま引き繼いだような、そんな木造の家。
日燒けした疊の上にカーペットを敷いて、その上にテーブルを置き、胡坐をかいてお茶を飮む。
作業場を拜見したら篠竹が山と積まれ、それでもまともな竹など一本二本しかないと。文化廢れば竹も廃れると。是は翁おとくいの僻みか。
曰く、
昔吉備ノ繩と云う人がいた。繩は所謂山賊のならず者だったようだ。ある日里から娘を偸んで窖に隱した。その日の眠りのうちに空から桃色の花が降るのを見た。花が疎ましい程に匂う。地に墜ちればすぐさまに色をなくして白く変わる。あやしんで見回すに花にうずもれた数步先にある尊い形が見えた。傍らに香氣のある僧がいて寂滅じゃという。おどろいて一度瞬いた後にみずからの全身に蛇の無數に這うているのに気附いた。叫んで目を覺ますに繩は自分の前世の記憶を取り戻していた。昔は眼昏らの僧、又その昔は穢い虵であったと。今眼明きに生まれ變わったと同時に前世の諸惡忘却の内に眼昏らの闇に再びさ迷うと。繩は改心し淚をながす。窖の中を見れば娘の姿はなくて無數に蟲に食われ無數に蠅を纏うた屍がただ死臭を放っていた。繩はみずから目をつぶす。繩は山を下りて西に旅しその山際に夥しく羽音をとよませ臭みの匂う土地に出た。同行の者が云う。ここは蠅のむれが騒ぐ、と。繩は謂う、ここに田をひらくと。同行の者は笑う。蠅らのみ飛ぶ荒れ地ではないかと。繩は謂う、蠅ほど死者の上生者の上にも繁茂するものはない。死者の上に生者を重ね其の上にも死者をかさねる。故これまさに豐穣の兆しなりと。繩は迷うことなく田を切り開けば田は安々と稔った。いつかそこに集落が生まれ、これが蠅原村の緣起である、と。
今昔物語卷十四第十九話に云、
今昔備前ノ國ニ有ケル人年シ十二歳ニシテ二ノ目盲ヌ
父母此レヲ歎キ悲ムデ佛神ニ祈請スト云ヘドモ其ノ驗无シ
藥ヲ以テ療治スト云ヘドモ叶ハズ
然レバ比叡ノ山ノ根本中堂ニ將參テ盲人ヲ籠メテ心ヲ至シテ此ノ事ヲ祈請ス
二七日ヲ過テ盲人ノ夢ニ氣髙キ氣色ノ人來テ告テ云ク
汝ヂ宿因ニ依テ此ノ盲目ノ身ヲ得タリ
此ノ生ニハ眼ヲ得ベカラズ
汝ヂ前生ニ毒蛇ノ身ヲ受テ信濃ノ國ノ桑田寺ノ戌亥ノ角ノ榎ノ木ノ中ニ有リキ
而ルニ其ノ寺ニ法華ノ持者住シテ晝夜ニ法花經ヲ讀誦シキ
蛇常ニ此ノ持者ノ誦スル法花經ヲ聞奉リキ
蛇罪深クシテ食無リシニ依テ夜毎ニ其ノ堂ニ入テ佛前ノ常燈ノ油ヲ舐リ失ヒキ
法花經ヲ聞シニ依テ蛇道ヲ棄テテ今人身ヲ受テ佛ニ値奉レリト云ヘドモ燈油ヲ食シ失ヘリシニ依テ兩目盲タリ
此ノ故ニ今生ニ眼ヲ開クベカラズ
汝ヂ只速ニ法花經ヲ受ケ持(タモチ)テ罪業ヲ免レヨト宣フト見テ夢覺ヌ
其ノ後心ニ前生ノ惡業ヲ悔ヒ恥テ本國ニ返テ夢ノ告ヲ信ジテ初テ法花經ヲ受ケ習奉ルニ月來ヲ經テ自然ラ習得ツ
其ノ後ハ盲目也ト云ヘドモ年來心ヲ至シテ法花經ヲ晝夜ニ讀誦ス
而ルニ其ノ驗シ掲焉ニシテ邪氣ノ病ニ惱ム人有ケレバ此ノ盲人ヲ以テ祈ラシムルニ必ズ其ノ驗シ有ケリ
遂ニ最後ニ至マデモ終リ貴クテ失ニケリトナム語リ傳ヘタルトカヤ
これの生まれ代わりだったということか(乃至、後日談…)。北浦氏曰く、故、蠅原と言ってもなにも不吉な名前でもなんでもない、豐饒の意味合いなんですよ、と。
私云、詩經にも蝗を豊穣の喩えに使った詩もありますね、と。
思えば蛆だに豐穣繁榮繁殖乃至、再生の兆しと取られらえないこともない…
掘り出し物としては秘曲(ともえないキワモノというべきか)漢駒(迦牟久と訓)というのを(笛の唱歌で)聞かせてもらった(篳篥と笙のパートも現存するのだろう。笛のほうの、と言っていたので)。東ノ漢ノ駒の事か。とぉーとぉー・とぉひぃーひぃらひぃら・はぁーはぁー…云々。髙麗笛で吹くのだと。呼吸器に問題があるのか。は音のときに喉の奧に聲がかすれる。
〇久村文書B付錄(蠅子神社)
これは2019年8月27日午後五時半のこと。
曇り空の下に、近くまで來る機会があったのでその足で例の蠅子神社に詣でる。みごとに迷う。蠅子神社の名を出しても土地の誰に聞いても判らないというからだ。いっそのことと思って、西蠅原町の小角で年配の男性に通りがかりに(ちいさなシーズー犬の散步。ご本人は柔道の師範でもやってそうな巨體)きく、曰く、このあたりで二十年近く前、中學生が頸吊った神社ありません?
これを云ったらすぐに通じた。最初はびっくりした顏をしたんだけれども、何?テレビの取材?とかね。心靈番組みたいな?面倒くさいから霊媒師の先生に下調べ賴まれて東京から來ましたって言っといた。
路わかりにくいから案内してくれるとのたまう道すがら打ち解けて、自然いろいろ聞きもしない事を敎えてくれた。
あそこで首吊ったのは額田比呂比斗(…といった。間違えて覚えたんだろうね)という子で、クラスで一番の美少年だった云々。ケツを女がぞろぞろついて回っておったと。
なんでも息子の同級生だったとか。
優秀な子だったんだけれども妹のせいでノイローズになってめったにない悲慘な死に方をした。
あれでもまだ妹はひとりで知らん顔してここに住んでいる。なかなかなものだと。
私。お母さんの方はどうされたんですか?
答。とっくに、頭おかしくなって介護施設にっはいっとるがな。近いよ。偕楽園というてね…と。
場所まで教えてくれた。秘密保持というものは此の人の感性にはないね。
いずれにせよ、額田比呂子が追い詰められるのも道理という氣もする。実際、口にはださずともそんな気配が、ね。
蠅子神社は賀山のふもとにある。というか、小角という地区自体がふもとのゆっくりした隆起の一角、だ。
それなりに大きな山。その上には集落があって、山のつらなりのむこうにも集落がある、と。美星といってたね。美しい星。おもわせぶりな名前だけれども。山の上だから星がきれいだねというだけの話かもしれない。
いずれにしても山の端に細い石段があって、それを上ると樹木の向こうにちいさな平らな場所に出る。そこが蠅子神社。土地の人は神社の名前さえ忘れてる。一応祭りの時に御輿がそこから出るようだ。
昔すぐちかくに住んでゐた老人が毎朝掃除していたらしくて、比呂斗の亡骸の第一發見者もその人のようだ。大聲上げて朝まだき石段を転がり落ちるように叫びながら走って家々の人らを叩き起こして回ったらしい。
たしか此の木だよ、と言われた樹木の下に立つ。神社を正面に見る崖側の樹木。檜だと云った。神社を背にして木を見ると、空は日没も見せずに次第に靑く昏む。東なのだろう。ということは、上る日を見ながら死んだということか。
頸吊った上、手首足首を切って、ね。
なんともむごたらしい氣もする。
〇久村文書B後半
8月28日。この日午前中に額田比呂子と逢う。午後に偕楽園という介護施設で額田朱美と。
(額田比呂子)
比呂子曰く、今週はパートで遲番なのだと。故、27日は二時で別れた。
故、28日は朝の9時に田中公園で待ち合わせて(ここでのホテルはビジネスホテル櫻桃閣という壊れそうなボロいビル。もと結婚式場だったらしい)、比呂子の家にお邪魔する。及び、お墓参り(比呂斗兄と息子比呂斗の)。
その日起きれば朝から雨。
靄靄たる停雲
濛濛たる時雨
八表は同じくに昏く
平路はこれ阻し
ホテルを出れば白濁した風景。白く白みいやになるほど白くただ暗い。身の回りは總て降る雨の音。
田中公園までは歩く。8時半。田舍の喫茶店名物のモーニングでも食べて置こうと思ったら、通りがかりに雨の中さした傘の中に一人噴水を見る比呂子を見止めた。何時に來たと謂うのだろう?その儘彼女に聲を掛けた。振り返って曰く、あれ、早いんですね。
汝(儘)に來ました?
ついさっき(これら、比呂子の發話のすべては方言使用。念の爲)。
比呂子は何も言わずに路上駐車した輕自動車に步きだすのでそれに從う。
運轉は比呂子。当たり前だが。平地に山があるというよりは山間に低地が点々する感じの所。渡った橋の下の川は小田川という名前だそうだ。区画整理など望むべくもない住宅地の細い道を入って山の隆起を崖沿いに上れば池が見える。池の端を通ってだれもいないグラウンド(公園?)らしきものを樹木の向こうに確認しようとしたところ、車は止まった。樹木のかくした小路の向こうに細く細く恐ろしい程狹い道があった。コンクリ舗装。いやに愼重にその道を入る。車一つで猫も通り拔けられないような道。両脇に傾いた木立。その向こうは兩方崖の樣になっている。
これは誰でも気を遣うだろう。ひやひやした。
ほんの十數メートルの先に一気に土地が開けて(だいたい一般的な學校の体育館程度)木立の翳りを抜けたからひたすらに明るく見える(…空の雲は靄靄たる儘なるクセにね)。
庭には犬が駈け廻っていた。レトリバー二匹。人馴れしている(当たり前か)。
住宅は眞新しい木造住宅(鉄骨造、かな?)
最近立て直したのか(結婚した時に?)髙長氏はそれなりに潤っているというこということなのだろう。介護院送りの母を抱えた三十前のパート勤めのひいとりの女だけでは無理だ。
玄関の前に止めた車を降りるのだが、じゃれつく二匹の犬に聲立て笑う比呂子を見れば初めてみた彼女の笑顔のように想う。中に入ると髙長氏が居間で朝の情報番組を見てた。テレビを慌てて消して私に挨拶する。
髙長氏、実際、逢う前にはうだつの上がらないいかにも譯アリ物件の婿養子になるしかない軆の爺を想像していたのだが(失礼)まさか。50代という事前情報が無ければ寧ろ私より年下にも思っていたろう。即ちどう見ても今年40に成る三十代という雰囲気。なかなかの凛々しい美貌である(すっきりと流れた眉、まるで少年漫画の主人公のような、くっきりとした、…ね。若干鷲鼻。窪みのある頬。羸せた印象はない、寧ろ精悍な…縄文人系のはっきりした眼、複雜な二重瞼…)聲は髙い。テナーというよりはアルト、それが風貌と微妙に不釣り合いで兎に角印象的だ。又、比呂子の身の上の話からそのスポーツ刈りの印象もあって(尤も、女がどんな髪型しようが自由な筈なのにね…)金で買われたじゃないが、殺伐とした夫婦を勝手に想像していたのだがさにあらず、二人ならぶと(なにもいきなり抱きあっていちゃいちゃし始めるわけでもないのだが)非常に親密な、他人の入り込めない氣配が漂う(それなりの距離をたもちながらも、ね。纏うオーラがつながりあってる感じ。…わかる?)。惡い意味ではいってないよ。ああ、いい夫婦だなという印象(だったら俺なんか必要ないだろうと思ったが、つまり、全然關係ない他人として「だけ」必要だ、ということなのか)。とまれかくあれ僻みそうなくらいにいい関係を感じさせる夫婦だ。俺は失敗したからね。その點では。
ふと思い出して私。あれ?でも、今日って、水曜日?お仕事は…(仕事でいないものだと思っていたので)
髙長氏曰く、いや、午前中だけ。
比呂子。別にいかなくても、從業員さんたちがちゃんとやるから…
髙長氏苦笑。経営者だからね。
家の中は建築屋の家にして適当な印象を受けた。餘りの素材で片手間にやった感じ。尤も、あくまで他人の家を造のが仕事だということか。醫者の不養生、寝ずにぶっつづけ十時間の大手術をして倒れ込む医者と自分の躰に惡いから途中で休ティーブレイク入れちゃう醫者どっちが名医か?
奧の間に仏壇があって香の匂いが殘っている。柱にも壁にも沁みついて居る、のだ。毎日線香を立てているのだろう。比較的新しい位牌がふたつあった。それから遺影も。比呂子の端正な顏に面影を殘す男の若い頃の寫眞(病気で倒れる前の、ということか)、その右には比呂子とは全く似ていない少年の写真。これが兄比呂斗なのだろう。息子比呂斗の寫眞は見當たらなかった。別に(比呂子の寢室にでも)置かれているということか。なら、位牌もそこにあるということか…
髙長氏曰く。わざわざ東京から來ていただいて…(これは誤解なのだが、面倒くさいので放置した)
わたし。ところで、お母樣は?(シラを切った)
隠すというでもなく普通に介護施設に入っているという(比呂子)。曰く、あの人もいろいろあって、いろいろありすぎたか疲れちゃって…(比呂子)
良くしてもらってるみたいで。安心してます。ぼくら肉親じゃやっぱり肉親ってだけで所詮行き届かないから云々(髙長氏)
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