多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説8
以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
福山で降りて、そこで茨線というローカル路線に乘れと(アプリのナビ)謂っているのだが、いかにも本數少なそうで。タクシー。運転手曰く、遠いですよ、と。
いいよ、行って。
ドライバーは三十代の女の人。いかにも美人で化粧が濃い。田舎の美人は化粧が濃くなる。あれ、なんで?苦勞してそうな人。額田女史じゃないけれども、子供連れて離婚したタイプだね。公団住まいじゃない?親切な人だった。愛想わるいけども。
質問。茨ってなにか有名な處、あります?
答。ないんじゃない?観光?観光で行くようなところじゃないで。
方言は、このあたりに来ると耳あたり若干柔らかくなる。ぐずつく、ともいう。ぐじゅぐじゅした感じ。
此の時は、額田さん宅に直接行ったのではない。先に眉村が出向いたときにそうだったように、相当の僻地にあるので(失礼)駅前の市民會館の一階の喫茶店で待ち合わせる、ということだった。
フロントガラスの雨の音を聞き、流れる雨の線の無數の向こうに靜かな河を見る。土手を通ったから。低い山のつらなり。つらなる、ともいえない、いいかげんな連續。
二十分くらいか。三十分には至らないくらいで運転手曰く、「ここが駅前」といっても何もない。あるのは只管ひろい道路。それだけ。申し訳程度の駅前ビル。閑靜。過疎。こんなものか。
どこでどうすればこんな町にこんな建物が立つのか不思議な、それなりに立派な鉄筋コンクリ建造物の横で止められて、此處ですよ、と。
昔のコンサートホール風の建物。今日の演目はカラヤン指揮ベルリン・フィルによるブルックナーの…的な。人はいない。
すぐ横のブロックには木造住宅。道は廣い。
運転手が無理やり歩道に乗り上げて無茶な停車しようとするわけ。いいよここでっていうんだけど、血相変えていや濡れるから、濡れるから、と。無茶苦茶で無理やりの親切。笑うしかないね。
場所はすぐに判った。一階のといっても、建物の大通り沿いにガラス窓の店舗スペースが作ってあるだけ。そこに入ると、所謂純喫茶の匂い。むかし新宿にアカシアってあったね。ああいうの。むかしの風鈴会館の廣かったころのパリジェンヌとかね。
中に客がいたのでびっくりする。尤も3、4組くらい。ひとり、ひとり、さんにん、…とか。誰もいないだろうと、思うともなく思ってたので、別の世界に入り込んだような気さえした。それくらい外は人がなかったから。
窓際の席に座って待つことにする。佐伯騰毗が渡したメモに書いてあった時間は11時半。ついたのは11時二三分前…喫茶店の壁時計が遲れてなければね。
暇つぶしの手段は決まってる。古今集。冬。
志賀の山ごえにてよめる 紀あきみね
白雪のところもわかずふりしけば
いはほにもさく花とこそ見れ
いかにも古今風の錯亂。雪は花。花は霞。霞は春。春は花。ふる雪にふる年はふるびた白髪それは雪。白髪なす雪はわかやぐ花こそ雪とまがいて雪は冬で櫻と雪と霞のあたりまえ区別もつかなくなり、春と冬の區別だにもつかない。うつくしい、しかれども結局殘るはただの錯乱、赤裸々なまでの渾沌、と。古今の理知は、いわば狂氣に至らなければ気が濟まない理知とも思えるが如何が?
梅の花に雪のふれるをよめる
小野たかむらの朝臣
花の色は雪にまじりて見えずとも
香をだににほへ人の知るべく
この歌について、全く緣もゆかりもないのだけれども俺は思いだす、書紀。古天地未剖、陰陽不分。渾沌如鶏子、溟涬而含牙。淮南子の引用には違いなくとも、見てる風景は違うよね。有始者、有未始有有始者、有未始有夫未始有有始者。有有者、有無者、有未始有有無者、有未始有夫未始有有無者。渾沌どころか、理知的に割り切れてる風景でしょ?論理的な風景。ところが、書紀の方は、——典拠をぱくりながら、飽く迄渾沌は渾沌に過ぎない。
ただ、キザシが含まれ、綺羅めくのを見たような氣がする、と。それだけ。書紀の風景は篁の歌に近い。そんな気がする。ことごとに白い。けれども、そこには梅が匂いさえせずに含まれていたのだ、と。故、渾沌の純白のうちにせめて匂え、花よ!と。
賀。
題しらす よみ人しらす
わたつうみの濱の眞砂を數へつゝ
君が千歳のありかずにせん
濱の沙の數、とくる。佛敎風にいうと恒河沙の數までも、かね。厖大な時間には違いない。厖大な。轉生の眞夜羽はこの哥をどう読むだろうね。理解できれば、ね。もし彼の謂うのが妄想や狂氣でなければ、彼は恒河の沙、濱の眞沙よりも厖大な時間を貪ってきたことになる。未來までも、ね。
このあたりで、女の匂いがした。
すぐ頭の上に。誘惑的とは言えない。ただ、鼻について、嗅ぐのをさえ忌ま忌ましくおもうような。乃至、恥て思われるような。なにを羞じたとも言えない儘に。うまく言えないけどね。見るとそこに思い切った短髮の(眞夜羽ほどではなくとも、所謂スポーツ刈りの長め)小柄な女が立っていた。色は白い。全躰として透明感があるタイプ。故、色氣はない。整った顏、スタイル、そして目を閉じたらどんな顏だったか思い出せない。思うに、すごい美人の顏ってよくよく見ると化け物じみてる。たとえば、昔の映画の原節子とか京マチ子とかそうでしょ?グレタ・ガルボもディートリッヒも。そういうのとちがって、整ってて、それで終わり。ともかく、生き物の發情乃至平伏を喚起しない顏。それが、その綺麗きれいなお顏を殘念なできそこないっぽく見せる。あと一つ大切なものが足りてないよ、つけわすれてるよって。何も性欲繁殖欲ないし支配欲被支配欲がすべてだなんて言ってないよ。あくまで印象の話、ね。
女。工藤先生?
私。工藤?…違いますよ。
女。…そうですか(笑って)すみません。…まちがいでした…
聲は甲髙い。額から出るような聲。向こう向いて立ち去ろうとしたときに、私は氣付く。云、クムラ先生、じゃなくて?
女。クムラ?
私。クドウじゃなくて。待ち合わせてるの、クムラ先生。東京の、…宮島。嚴島の、佐伯さん。眉村さん…
その時に女は訝し氣な眼つきそのままに俺を見て、それからいきなり聲を立てて笑った。まさに、周圍をはばかることなく。
曰く、そうです。佐伯のお母さんの紹介の(と女は云った)。じゃ、クムラ先生、なんですね。
私。ヒサムラってふうにはいつも間違われるんだけど、工藤さんって間違えられたの初めてだから。(ふたり笑って、)いや、だれそれって思っちゃって。…早くないですか?
女。10時半じゃなかったでしたっけ?
私。いや、11時半でしょ?
いずれによせ、即ち、それが額田比呂子その人だった。
会話の最初は初對面の挨拶的なものだよ。女の人だから、男同士でそれやってるときみたいな、本筋の話きりだす頃合い見て窺って探って除き見て、っていう、例のいやらしさはなかった。女のほうが素直だよね。乃至、こなれてるのか。東京にも二三回來たことがあるらしい。理由は聞かなかった。俺の仕事の話とかもしつつ、ね。嚴島のいまの生活(この二週間くらいの)の話になった時に、比呂子曰く、すみません。お呼びたてして。
私。いや、ぜんぜん構いませんよ。
比呂子。ちょっと、これからどうしようかと思って。
私。どうしようって?
と、比呂子もちょっといきなり人生相談じゃないだろって思ったんじゃない。比呂子が一人語りに話してくれたのは以下の如。
・比呂斗の出産等について。
13歳の時(中学一年)妊娠し、明けて14歳(中学二年)の時出産した。出産は二月。場所は茨市市民病院、相当な難産だったという。
この当時の家族構成、母親額田朱美、父親額田洋一郎、兄額田比呂斗
但し、洋一郎は筋無力症で入院していた(2001年、比呂子9歳)。
兄比呂斗は一こ上、同じ中学に通う。陸上部。
最初母親朱美は墮胎をすすめた。比呂子拒否。
私問う、なんで?生みたかった?
比呂子答え、考えられなかった。墮ろすこと。だってあれ、スプーンでがりがりひっかくんですよ(是はあくまで比呂子の認識である)。考えられない。(比呂子の答えは基本方言。ふし廻しが標準語に若干近い)
問。育てる自信あった?
答。ない。というか、考えられないんですよ。そこまで。ただ、墮ろすはない。消去法というか、墮ろしのがないっていうことだったら、抛っとけば生まれて來るわけじゃないですか。
問。お父さんは?
答。入院してるし。云わなかった。気付いたと思うけど。
問。いや、子供の。
答。それは關係ない話だと思うんですね。あくまでわたしと比呂斗の話なので。
問。じゃ、…でも、知ってたんでしょ?彼は。
答。そうですね。見ればわかりますよね。
問。抛ったらかし?フォローしてくれた?
答。だから、それは關係ない。
問。お母さんって、彼が誰か知ってた?お母さんには、謂ったの?
答。いうわけない。
問。秘密?
答。話す意味がない。
問。聞かれなかった。
答。聞かれますよ。當たり前に。母、先生、…學校の。病院の先生、看護婦のおばさんとか。もう、詰めるみたいに。それとか親戚。
朱美は親族の「笠原のおばさんっていうひと(笠原市のおばさんなのか、名字笠原なのか。是は聞き洩らす)」に相談する。ここで激しい反對と叱咤を受ける。これが逆に朱美をして比呂子の出産を應援さしめる結果になったようだ。
先の「笠原おばさん」の口傳に親族につたわり、親族からのバッシング苛烈。比呂子の恨み言を聞かされた。
妊娠八か月まで學校に通ったという。故、二学期の半ばまで、ということか。
二月に出産、此の時に事件が起こる。即ち兄比呂斗の自殺。理由は明らかに比呂子の妊娠にあった。
比呂子曰く、比呂子の妊娠があかるみに出てから(先生からも呼び出されたし、母親と一緒に呼び出されもしたし、先生と一緒に家で家族會議もさせられたし、云々)兄比呂斗は虐められていた。(尤も、明確な痕跡があるわけではない。遺書曰く、行き場所がない。學校にも。家にも。どこにも云々から比呂子が認識したこと。又、比呂子曰く學校でいじめられている兄を見た、と。どんな?と問うに明確な回答なし。だって、見ればわかる。あきらかによそ者扱いですよ。はれものに手を觸れる状態。云々、これにもさまざまに解釋が可能だろう。加害者(と比呂子が思っている側)に明確な排斥の意図があったか?むしろ未成年の十代半ばの小僧どもがおなじ年頃の少女の妊娠というめったにない体験の中で、理路整然と比呂斗に居心地よく振舞えというほうが無理がある。そうも思える。もちろん、陰湿ないじめがあったとかも知れない…終にはわからないことだろう。
いずれにせよ、ある少年がいて、自分の妹の妊娠事件(妊娠だけではなくて、親族とのいがみあいだの、學校の中の混乱だのなんだの…)に追い詰められ、そして死を選んだのだ、と。その事實だけは存在する。…
出産の経緯。
2月11日。夕方6時陣痛、破水、茨市民病院に救急車で。通報者は兄比呂斗(朱美はパート。スーパーのレジ、サニーマート茨中央店、後の比呂子のバイト先)。
兄比呂斗は家に殘る。時置かず比呂斗朱美に一報。バイト早上がり(遅番、10時半まで勤務)して病院に行く。
2月12日深夜(3時)比呂斗生まれる。同日。母親の携帯電話に電話あり。朱美病院から外出(ちょっと用事でけたからな、ちょっと行ってくるからな、ちょっと待っとれぇな)。そのまま歸ってこなかった(比呂子云、なんか大変なことが起きたことはわかった。問う、なんでそう思ったの?答え、だって、あんなに親身に世話してうれてた人が(と比呂子は云った)子供うまれたら生まれたで、見捨てるみたいに着替えも差し入れもなんにも、抛ったらかしでしょ。關係ない人みたいな。…かんがえられない。だから…)
2月13日朝(たぶん十時ぐらいだ、と比呂子)朱美病室に来て(普通の。普通の顔して、元気だった?って、そういう感じで、ひさしいぶりのお見舞いに來ました、みたいな、そんな感じで…)朱美曰く、お父さんとお兄さんが死んだ、と。
比。死んだって?だれが死んだの?
朱。でもな、さびしくはないから。ふたりだから。だから淋しくはないから。本望よ。
比。だれ?だれ死んだの。
朱。あんたのお父さんと。兄ちゃんとな…
比。なんで?
朱。心配せんでええよ。ええんよ。あの子は、あんたが生んだ子はすくすく生きとるがな。
比。なんでお兄ちゃん死んだんよ。
朱。自殺じゃが。
比。自殺したん?自分で?
朱。首吊って。手首切って。舌咬んだ。
比。何よそれ。いつ死んだん。
朱。知らん。
比。なんで。
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