古事記(國史大系版・下卷15・顯宗・歌謠)


底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)

・底本奥書云、

明治三十一年七月三十日印刷

同年八月六日發行

發行者合名會社經濟雜誌社

・底本凡例云、

古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり

且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり



(顯宗)

‘袁祁之石巢別命坐近飛鳥宮治天下捌歲也

(袁祁、眞本此上有裝束別王御子市邊忍齒王御子十三字、宣長云裝束恐伊弉本三字之誤)

 袁〔ヲ〕祁〔ケ〕の石巢別〔いはすわけ〕の命〔みこと〕

 近〔ちかつ〕飛鳥〔あすか〕の宮〔みや〕に坐〔ましまし〕て

 捌歲〔やとせ〕天下〔あめのした〕治〔しろしめしき〕。


天皇娶石木王之女難波王

无子也

 この天皇〔すめらみこと〕石木〔いはき〕の王〔みこ〕の女〔むすめ〕

 難波〔なには〕の王〔みこ〕に娶〔みあひ〕ましき。

 无子也〔みこはまさざりき〕。


此天皇求其父王市邊王之御骨時

在淡海國賤老媼參出白

 王子御骨所埋者專吾能知

 亦以其御齒可知[御齒者如三技押齒坐也]

爾起民掘土求其御骨卽獲其御骨而

於其蚊屋野之東山作御陵‘葬(葬、延本作墓、非是)

以韓帒之子等令守其陵

 此〔こ〕の天皇〔すめらみこと〕

 求其〔そ〕の父王〔ちちみこ〕市邊〔いちべ〕の王〔みこ〕の御骨〔みかばね〕を求〔まぎ〕たまふ時〔とき〕に

 淡海〔あふみ〕の國〔くに〕なる賤〔いやしき〕老媼〔おみな〕參出〔まゐで〕て白〔まをしつらく〕

  王子〔みこ〕の御骨〔かばね〕埋〔うづみたりし〕所〔ところ〕は

  專〔もはら〕吾〔あれ〕能〔よく〕知〔しれり〕。

  亦〔また〕其〔そ〕の御齒〔みは〕以〔も〕て可知〔しるべし〕。

  [御齒〔みは〕は三技〔さきくさ〕如〔なす〕押齒〔おしは〕坐〔ませり〕き。]

 とまをしき。

 爾〔かれ〕民〔たみ〕を起〔たて〕て土〔つち〕掘〔ほり〕て

 其〔そ〕の御骨〔みかばね〕を求〔まぎ〕て卽〔すなはち〕其〔そ〕の御骨〔みかばね〕を獲〔え〕たまひて

 其〔そ〕の蚊屋野〔かやぬ〕の東〔ひむかし〕の山〔やま〕に

 御陵〔みはか〕作〔つくり〕て葬〔をさめ〕まつりて

 以〔‐〕韓帒〔からふくろ〕が子等〔こども〕に其〔そ〕の陵〔みはか〕を令守〔まもらしめ〕たまひき。


然後持上其御骨也

故還上坐而召其老媼

譽其不失‘見置知其地以賜名號置目老媼(見置、一本置作眞、眞本卜本作貞、宣長云今從延本又一本)

仍召入宮内敦廣慈賜

故其老媼所住屋者近作宮邊毎日必召

故鐸懸大殿戸欲召其老媼之時必引鳴其鐸

爾作御歌其歌曰

 阿佐遲波良 袁陀爾袁須疑弖 毛毛豆多布 奴弖由良‘久母 淤岐米久良斯母

(久母、延本此下有夜字、宣長云今從諸本)

 然後持(二)‐上其御骨(一)也。(底本訓无、しかるのちにそのみかばねをもちてたてまつりき)

 故〔かれ〕還上坐〔かへりのぼりまし〕て

 其〔か〕の老媼〔おみな〕を召〔めし〕て

 其〔‐〕其〔そ〕の地〔ところ〕を不失〔わすれず〕見置〔みおき〕て知〔しれりし〕ことを譽〔ほめ〕以〔て〕

 置目〔おきめ〕の老媼〔おみな〕と名號〔いふなを〕賜〔たまひ〕き。

 仍〔かくて〕宮〔みや〕の内〔うち〕に召入〔めしいれ〕て敦〔あつく〕廣〔ひろく〕慈〔めぐみ〕賜〔たまひ〕き。

 故〔かれ〕其〔そ〕の老媼〔おみな〕の所住〔すめる〕屋〔や〕をば

 宮〔みや〕の邊〔べ〕近〔ちかく〕作〔つくり〕て毎日〔ひごとに〕必〔かならず〕召〔めし〕き。

 故〔かれ〕大殿〔おほとの〕の戸〔と〕に鐸〔ぬりで〕を懸〔かけ〕て

 其〔そ〕の老媼〔おみな〕を欲召〔めさむ〕とする時〔とき〕は

 必〔かならず〕其〔そ〕の鐸〔ぬりで〕を引鳴〔ひきならし〕たまひき。

 爾〔かれ〕作御歌〔みうたよみしたまへる〕其〔そ〕の歌曰〔みうた〕

  阿佐遲波良〔あさちはら〕

  袁陀爾袁須疑弖〔をたにをすぎて〕

  毛毛豆多布〔ももつたふ〕

  奴弖由良久母〔ゆてゆらくも〕

  淤岐米久良斯母〔おきめくらしも〕

   淺茅原 小谷を過ぎて 百傳ふ 鐸ゆらくも 置目來らしも


於是置目老媼白

 僕甚耆老

 欲退本國

故隨白退時天皇見送歌曰

 意岐米母夜 阿布美能於岐米 阿須用理波 美夜麻賀久理弖 美延受加母阿良牟

 於是〔ここに〕置目〔おきめ〕老媼〔おみな〕

  僕〔あれ〕甚〔いたく〕耆老〔おい〕にければ

  本國〔もとつくに〕に欲退〔まからまほし〕。

 と白〔まをし〕き。

 故〔かれ〕白〔まをせる〕隨〔まにまに〕退〔やり〕たまふ時〔とき〕に

 天皇〔すめらみこと〕見送〔みおくらし〕て歌曰〔うたひたまはく〕

  意岐米母夜〔おきめもや〕

  阿布美能於岐米〔あふみのおきめ〕

  阿須用理波〔あすよりは〕

  美夜麻賀久理弖〔みやまがくりて〕

  美延受加母阿良牟〔みえずかもあらむ〕

   置目もや 淡海の置目 明日よりは 深山隱りて 見えずかもあらむ


初天皇逢難逃時求奪其御粮猪甘老人

是得求喚上而斬於飛鳥河之河原

皆斷其族之膝筋

‘是以‘至今其子孫上於倭之日必自跛也(是以、宣長校本作以是、今從眞本及古事記傳。至、眞本此下有于字)

故能見志米岐其老所在[志米岐三字以音]

故其地謂志米須也

 初〔はじめ〕天皇〔すめらみこと〕難〔わざわひ〕に逢〔あひ〕て逃〔にげ〕ましし時〔とき〕に

 其〔そ〕の御粮〔みかれひ〕を奪〔とりし〕猪甘〔ゐかひ〕の老人〔おきな〕を求〔まぎ〕たまひき。

 是〔ここ〕に求〔まぎ〕得〔えたる〕を喚上〔よびあげ〕て

 飛鳥河〔あすかがは〕の河原〔かはら〕に斬〔きり〕て

 皆〔みな〕其〔そ〕の族〔うがらども〕の膝〔ひざ〕の筋〔すぢ〕を斷〔たち〕たまひき。

 是以〔ここをもて〕今〔いま〕に至〔いたる〕まで其〔そ〕の子孫〔こども〕

 倭〔やまと〕に上〔のぼる〕日〔ひ〕必〔かならず〕自〔おのづから〕跛〔あしなへく〕なり。

 故〔かれ〕其〔そ〕の老〔おきな〕の所在〔ありか〕を

 能〔よく〕見〔み〕志〔シ〕米〔メ〕岐〔キ〕。[志米岐三字以(レ)音。]

 故〔かれ〕其地〔そこ〕を志〔シ〕米〔メ〕須〔ス〕と謂〔いふ〕。


天皇深怨殺其父王之大長谷天皇欲報其靈

故欲毀其大長谷天皇之御陵而遣人之時

其伊呂兄意富祁命奏言

 破壞是御陵

 不可遣他人專僕自行

 如天皇之御心破壞以參出

爾天皇詔

 然隨命宜幸行

是以意祁命自下幸‘而少掘其御陵之傍(而、諸本无、宣長云今從眞本延本)

還上復奏言

 既掘壞也

爾天皇異其早還上而詔

 如何破壞

答白

 少掘其陵之傍土

天皇詔之

 欲報父王之仇必悉破壞其陵

 何少掘乎

‘答曰(答曰、眞淵云、恐當作答白)

 所以爲然者

 父王之怨欲報其靈是誠理也

 然其大長谷天皇者雖爲父之怨

 還爲我之從父亦治天下之天皇

 是今單取父仇之志

 悉破治天下之天皇陵者後人必誹謗

 唯父王之仇不可非報

 故少掘其陵邊

 既以是恥足示後世

如此奏者天皇答詔之

 是亦大理如命可也

 天皇〔すめらみこと〕

 其〔そ〕の父王〔ちちみこ〕を殺〔ころし〕またひし大長谷〔はつせ〕の天皇〔すめらみこと〕を

 深〔ふかく〕怨〔うらみ〕まつりて其〔そ〕の靈〔みたま〕に欲報〔むくひむとおもほし〕き。

 故〔かれ〕其〔そ〕の大長谷〔おほはつせ〕の天皇〔すめらみこと〕の御陵〔みはか〕を欲毀〔やぶらむとおもほし〕て

 人〔ひと〕遣〔つかはす〕時〔とき〕に其〔そ〕の伊〔イ〕呂〔ロ〕兄〔セ〕

 意〔オ〕富〔ホ〕祁〔ケ〕の命〔みこと〕の奏言〔まをしたまはく〕

  是〔こ〕の御陵〔みはか〕を破壞〔やぶらむ〕には

  他人〔あだしひと〕不可遣〔つかはすべからず〕。

  專〔もはら〕僕〔あれ〕自〔みづから〕行〔ゆき〕て

  天皇之御心〔おほきみのみこころ〕の如〔ごと〕

  破壞〔やぶり〕て以〔‐〕參出〔まゐでむ〕。

 とまをしたまひき。

 爾〔かれ〕天皇〔すめらみこと〕

  然〔しから〕ば命〔みこと〕の隨〔まにまに〕宜幸行〔いでませ〕。

 と詔〔のりたまひ〕き。

 是以〔ここをもて〕意〔オ〕富〔ホ〕祁〔ケ〕の命〔みこと〕

 自〔みみづから〕下幸〔くだりいで〕まして

 其〔そ〕の御陵〔みはか〕の傍〔かたへ〕を少〔すこし〕掘〔ほり〕て還上〔かへりのぼらし〕て

  既〔すで〕に掘壞〔ほりやぶり〕ぬ。

 と復奏言〔まをしたまひ〕き。

 爾〔ここ〕に天皇〔すめらみこと〕

 其〔そ〕の早〔はやく〕還上〔かへりのぼり〕ませることを異〔あやしみ〕まして

  如何〔いかさま〕に破壞〔やぶりしぞ〕。

 と詔〔のりたまへば〕

  其〔か〕の陵〔みはか〕の傍〔かたへ〕の土〔つち〕を少〔すこし〕掘〔ほりつ〕。

 と答白〔まをしたまひ〕き。

 天皇〔すめらみこと〕詔之〔のりたまはく〕

  父王〔ちちみこ〕の仇〔あだ〕を欲報〔むくひむとおもふ〕なれば

  必〔かならず〕其〔か〕の陵〔みはか〕を悉〔ことごと〕に破壞〔やびりてむ〕を

  何〔なぞ〕少〔すこし〕掘〔ほり〕たまひしぞ。

 とのりたまへば答曰〔まをしたまはく〕

  然〔しか〕爲〔しつる〕所以〔ゆゑ〕は

  父王〔ちちみこ〕の怨〔あだ〕を其〔そ〕の靈〔みたま〕に欲報〔むくひむとおもふ〕は

  是〔‐〕誠〔まこと〕に理〔ことわり〕なり。

  然〔しかれ〕ども其〔か〕の大長谷〔おほはつせ〕の天皇〔すめらみこと〕は

  父〔ちちみこ〕の怨〔あだ〕には爲〔あれ〕雖〔ども〕

  還〔かへり〕て我〔あ〕が從父〔をぢ〕に爲〔まし〕

  亦〔また〕天下〔あめのした〕治〔しろしめし〕し天皇〔すめらみこと〕にますを

  是〔‐〕今〔いま〕單〔ひとへ〕に父〔ちちみこ〕の仇〔あだ〕といふ志〔こころざし〕のみ取〔とり〕て

  天下〔あめのした〕治〔しろしめし〕し天皇〔すめらみこと〕の陵〔みはか〕悉〔ことごと〕に破〔やぶり〕なば

  後〔のち〕の人〔ひと〕必〔かならず〕誹謗〔そしり〕まつりてむ。

  唯〔ただし〕父王〔ちちみこ〕の仇〔あだ〕は不可非報〔むくひずはあるべからず〕。

  故〔かれ〕其〔か〕の陵〔みはか〕の邊〔へ〕を少〔すこし〕掘〔ほり〕つ。

  既〔すで〕に以〔‐〕是〔かく〕恥〔はぢ〕みせまつりてあれば

  後〔のち〕の世〔よ〕に示〔しめす〕にも足〔あへなむ〕。

 如此〔かく〕奏〔まをし〕たまひつれば天皇〔すめらみこと〕

  是〔これ〕も亦〔また〕大〔いと〕理〔ことわり〕なり。

  命〔みこと〕の如〔ごとく〕て可〔よし〕。

 とぞ答詔之〔のりたまひける〕。


故天皇崩卽意富祁命知天津‘日繼(日繼、眞本作日續也三字、下文亦作日續)

天皇御年參拾捌歲治天下八歲

御陵在片岡之石‘坏岡上也(坏岡、寛本卜本无、宣長云今從眞本延本、學本亦无而有之字)

故〔かれ〕天皇〔すめらみこと〕崩〔かむあがりまし〕て

卽〔すなはち〕意〔オ〕富〔ホ〕祁〔ケ〕の命〔みこと〕天津日繼〔あまつひつぎ〕知〔しろしめし〕き。

この天皇〔すめらみこと〕御年〔みとし〕參拾捌歲〔みそぢまりやつ〕。

八歳〔やとせ〕天下〔あめのした〕治〔しろしめしき〕。

御陵〔みはか〕は片岡〔かたをか〕の石坏〔いはつき〕の岡〔をか〕の上〔へ〕に在〔あり〕。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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