古事記(國史大系版・下卷14・淸寧・歌謠)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
(傳四十三)
(淸寧)
‘白髮大倭根子命坐伊波禮之甕栗宮治天下也(白髮、眞本此上有御子二字)
白髮〔しらかみ〕の大倭〔おほやまと〕根子〔ねこ〕の命〔みこと〕。
伊〔イ〕波〔ハ〕禮〔レ〕の甕栗〔みかくり〕の宮〔みや〕に坐〔ましまし〕て
天下〔あめのした〕治〔しろしめしき〕。
此天皇無皇后‘亦無御子(亦無、諸本无無字、宣長云今從眞本)
故御名代定白髮部
故天皇崩後無可治天下之王也
於是問日繼‘所知之王也市邊忍齒別王之妹(所知之王也、眞本无王字)
忍海郎女
亦名飯豐王
坐葛城忍海之高木角刺宮也
此〔こ〕の天皇〔すめらみこと〕皇后〔おほきさき〕無〔ましまさず〕。
亦無御子〔みこもましまさざりき〕。
故〔かれ〕御名代〔みなしろ〕として白髮部〔しらかべ〕を定〔さだめ〕たまひき。
故〔かれ〕天皇〔すめらみこと〕崩〔かむあがり〕まして後〔のち〕
天下〔あめのした〕可治〔しらすべき〕王〔みこ〕無〔ましまさず〕。
於是〔ここに〕日繼〔ひつぎ〕所知〔しろしめさむ〕王〔みこ〕を問〔とふ〕に
市邊〔いちベ〕の忍齒別〔おしはわけ〕の王〔みこ〕の妹〔いも〕
忍海〔おしぬみ〕の郎女〔いらつめ〕
亦〔また〕の名〔みな〕は飯豐〔いひとよ〕の王〔みこ〕
葛城〔かづらき〕の忍海〔おしぬみ〕の高木〔たかき〕の角刺〔つぬさし〕の宮〔みや〕に坐〔ましまし〕き。
爾山部連小楯任針間國之宰時
到其國之人民名志自牟之新室樂
於是盛樂酒酣以次第皆儛
故‘燒火少子二口居竈傍令儛其少子等(燒火少子、諸本少作小、宣長云今從延本)
爾其一少子曰
汝兄先儛
其兄亦曰
汝弟先儛
如此相讓‘之時其會人等咲其相讓之狀(之時、眞本无時字)
爾遂兄儛訖
次弟將儛時爲詠曰
物部之 我夫子之
取佩 於大刀之手上
丹畫著 其緖者
‘載赤幡 立赤幡(載、眞淵云今意補)
見者五十隱 山三尾之
竹矣 「‘本」訶岐[此二字以音]苅(本、宣長云今意補)
末押縻‘魚簀 如調八絃琴(魚簀、宣長云此上下恐有誤脱)
所治賜天下 伊邪本和氣
天皇之御子 市邊之
押齒王之 奴末
爾即小楯連聞驚而自床墮轉而追出其室人等
其二柱王子坐左右膝上泣悲而集人民作假宮
坐置其假宮而貢上驛使
於是其姨飯豐王聞歡而令上於宮
爾〔ここ〕に山部〔やまべ〕の連〔むらじ〕小楯〔をたて〕
針間〔はりま〕の國〔くに〕の宰〔みこともち〕に任〔まかれる〕時〔とき〕に
其〔そ〕の國〔くに〕の人民〔おほみたから〕
名〔な〕は志〔シ〕自〔ジ〕牟〔ム〕が新室〔にひむろ〕に到〔いたり〕て樂〔うたげ〕す。
於是〔ここに〕盛〔さかり〕に樂〔うたげ〕て酒酣〔なかばなるとき〕
以次第〔ついでのまにまに〕皆〔みな〕儛〔まひ〕ぬ。
故〔かれ〕火〔ひ〕燒〔たき〕少子〔わらは〕二口〔ふたり〕
竈〔かま〕の傍〔へ〕に居〔ゐたる〕其〔そ〕の少子等〔わらはども〕にも令儛〔まはしむる〕に
爾〔‐〕其〔そ〕の一〔ひとり〕の少子〔わらは〕
汝兄〔なせ〕先〔まづ〕儛〔まひ〕たまへ。
と曰〔いへば〕
其〔そ〕の兄〔あに〕亦〔も〕
汝弟〔なおと〕先〔まづ〕儛〔まひ〕たまへ。
と曰〔いふ〕。
如此〔かく〕相〔あひ〕讓〔ゆづる〕時〔とき〕に
其〔そ〕の會人等〔つどへるひとども〕
其〔そ〕の相讓〔ゆづらふ〕狀〔さま〕を咲〔わらひ〕き。
爾〔かれ〕遂〔つひ〕に兄〔あに〕まづ儛〔まひ〕訖〔をはり〕て
次〔つぎ〕に弟〔おと〕將儛〔まはむとする〕時〔とき〕に詠〔ながめごと〕爲〔し〕つ曰〔らく〕
物部〔ものふ〕の
我〔わ〕が夫子〔せこ〕が
取佩〔とりはける〕
大刀〔たち〕の手上〔たかみ〕に
丹畫著〔えかきつけ〕
其〔そ〕の緖〔を〕には
赤幡〔あかはた〕載〔たて〕
赤幡〔あかはた〕立〔たて〕て
見〔みゆれ〕ば五十隱〔いそかくる〕
山〔みやま〕の三尾〔みを〕の
竹〔たけ〕を
本〔もと〕訶〔カ〕岐〔キ〕[此二字以(レ)音]苅〔かり〕
末押〔すゑおし〕縻魚簀〔なびかすなす〕
八絃〔やつを〕の琴〔こと〕調〔しらべたる〕如〔ごと〕
天下〔あめのした〕所治〔をさめ〕賜〔たまひし〕
伊〔イ〕邪〔ザ〕本〔ホ〕和〔ワ〕氣〔ケ〕の天皇〔すめらみこと〕の御子〔みこ〕
市邊〔いちべ〕の押齒〔おしは〕の王〔みこ〕
奴〔やつこ〕末〔みすゑ〕。
とのりたまへ爾〔ば〕
即〔すなはち〕小楯〔をたて〕の連〔むらじ〕聞〔きき〕驚〔おどろき〕て
床〔ゆか〕より墮〔おち〕轉〔まろび〕て
其〔そ〕の室〔むろ〕なる人等〔ひとども〕を追出〔おひいだし〕て
其〔そ〕の二柱〔ふたはしら〕の王子〔みこ〕を
左右〔ひだりみぎ〕の膝〔ひざ〕の上〔へ〕に坐〔まつり〕て泣〔なき〕悲〔かなしみ〕て
人民〔たみども〕を集〔つどへ〕て假宮〔かりみや〕を作〔つくり〕て
其〔そ〕の假宮〔かりみや〕に坐置〔ませまつりおき〕て
驛使〔はゆまづかひ〕貢上〔たてまつり〕き。
於是〔ここに〕其〔そ〕の姨〔みをば〕飯豐〔いひとよ〕の王〔みこ〕
聞〔きき〕歡〔よろこばし〕て宮〔みや〕に令上〔のぼらしめ〕たまひき。
故將治天下之間平羣臣之祖名志毘臣立于歌垣
取其袁祁命將婚之美人手
其孃子者菟田首等之女名大魚也
爾袁祁命亦立歌垣
於是志毘臣歌曰
意富美夜能 袁登都波多傳 須美加多夫祁理
如此歌而乞其歌末之時袁祁命歌曰
意富多久美 袁遲那美許曾 須美‘加多夫祁禮(加、諸本作賀、宣長云今從眞本)
爾志毘臣亦歌曰
意富岐美能 許許呂袁由良美 淤美能古能 夜幣能斯婆加岐 伊理多多受阿理
於是王子亦歌曰
斯本勢能 那袁理袁美禮婆 阿蘇毘久流 志毘賀波多傳爾 都麻多弖理美由
爾志毘臣愈‘忿歌曰(忿、眞本作怒、學本作怨)
意富岐美能 美古能志婆加岐
夜布士麻理 斯麻理母登本斯
岐禮牟志婆加‘岐 ‘夜氣牟志婆加岐(岐、諸本作氣、宣長云今從眞本。夜上山イ本有夜乎志婆加岐六字)
爾王子亦歌曰
意布袁余志 斯毘都久阿麻余 斯賀阿禮婆 宇良胡本斯祁牟 志毘都久志毘
如此歌而‘鬪明各退(鬪明、卜本寛本作開明〔あけぼのに〕宣長云今從一本又一本)
故〔かれ〕天下〔あめのした〕將治〔しろしめさむとせし〕間〔ほど〕
平羣〔へぐり〕の臣〔おみ〕の祖〔おや〕
名〔な〕は志〔シ〕毘〔ビ〕の臣〔おみ〕
歌垣〔うたがき〕に立〔たち〕て
其〔そ〕の袁〔ヲ〕祁〔ケ〕の命〔みこと〕の將婚〔めさむとする〕美人〔をとめ〕の手〔て〕を取〔とれり〕。
其〔そ〕の孃子〔をとめ〕は菟田〔うだ〕の首等〔おびとら〕が女〔むすめ〕
名〔な〕は大魚〔おほふな〕といへり。
爾〔かれ〕袁〔ヲ〕祁〔ケ〕の命〔みこと〕亦〔また〕歌垣〔うたがき〕に立〔たたし〕き。
於是〔ここに〕志〔シ〕毘〔ビ〕の臣〔おみ〕歌曰〔うたひけらく〕
意富美夜能〔おほみやの〕
袁登都波多傳〔をとつはたで〕
須美加多夫祁理〔すみかたぶけり〕
大宮の おとつ端手 隅傾けり
如此〔かく〕歌〔うたひ〕て其〔そ〕の歌〔うた〕の末〔すゑ〕を乞〔こふ〕時〔とき〕に
袁〔ヲ〕祁〔ケ〕の命〔みこと〕歌曰〔うたひたまはく〕
意富多久美〔おほたくみ〕
袁遲那美許曾〔おぢなみこそ〕
須美加多夫祁禮〔すみかたぶけれ〕
大匠 劣みこそ 隅傾けれ
爾〔かれ〕志〔シ〕毘〔ビ〕の臣〔おみ〕亦〔また〕歌曰〔うたひけらく〕
意富岐美能〔おほきみの〕
許許呂袁由良美〔こころをゆらみ〕
淤美能古能〔おみのこの〕
夜幣能斯婆加岐〔やへのしばがき〕
伊理多多受阿理〔いりたたずあり〕
大君の 心を緩み 臣の子の 八重の柴垣 入り立たずあり
於是〔ここに〕王子〔みこ〕亦〔また〕歌曰〔うたひたまはく〕
斯本勢能〔しほせの〕
那袁理袁美禮婆〔なをりをみれば〕
阿蘇毘久流〔あそびくる〕
志毘賀波多傳爾〔しびがはたでに〕
都麻多弖理美由〔つまたてりみゆ〕
潮瀨の 波折りを見れば 遊び來る 鮪が端手に 妻立てり見ゆ
爾〔かれ〕志〔シ〕毘〔ビ〕の臣〔おみ〕愈〔いよいよ〕忿〔いかり〕て歌曰〔うたひけらく〕
意富岐美能〔おほきみ〕の
美古能志婆加岐〔みこのしばがき〕
夜布士麻理〔よふじまり〕
斯麻理母登本斯〔しまりもとほし〕
岐禮牟志婆加岐〔きれむしばかき〕
夜氣牟志婆加岐〔やけむしばかき〕
大君の 御子の柴垣
八節縛り 縛り廻し
切れむ柴垣 焼けむ柴垣
爾〔ここ〕に王子〔みこ〕亦〔また〕歌曰〔うたひたまはく〕
意布袁余志〔おふをよし〕
斯毘都久阿麻余〔しびつくあまよ〕
斯賀阿禮婆〔しがあれば〕
宇良胡本斯祁牟〔うらこほしけむ〕
志毘都久志毘〔しびつくしび〕
大魚よし 鮪衝く海人よ 其が荒れば 心戀しけむ 鮪突く鮪
如此〔かく〕歌〔うたひ〕て鬪〔かがひ〕明〔あかし〕て各退〔あらけ〕ましぬ。
明旦之時意‘富祁命袁祁命‘二柱議云(富、諸本无、宣長云今從延本下傚此。二柱、諸本爲分注、宣長云今從延本)
凡朝廷人等者旦參赴於朝‘廷晝集於志毘門(廷、眞本作庭)
‘亦今者志毘‘必寢亦其門無人(亦、延喜本无、眞本作弖、同旁書與此同、宣長云恐衍。必宣長校本依舊作亦、今從眞本延本)
故非今者難可謀
卽興軍圍志毘臣之家乃殺也
明旦之時〔つとめて〕意〔オ〕富〔ホ〕祁〔ケ〕の命〔みこと〕
袁〔ヲ〕祁〔ケ〕の命〔みこと〕二柱〔ふたはしら〕
議云〔はかりたまはく〕
凡〔すべて〕朝廷〔みかど〕の人等〔ひとども〕は
旦〔あした〕には朝廷〔みかど〕に參赴〔まゐり〕晝〔ひる〕は志〔シ〕毘〔ビ〕が門〔かど〕に集〔つどふ〕。
亦〔かれ〕今〔いま〕は志〔シ〕毘〔ビ〕必〔かならず〕寢〔いねたらむ〕。
亦〔‐〕其〔そ〕の門〔かど〕に人〔ひと〕も無〔なけむ〕。
故〔かれ〕非今者〔いまならずば〕難可謀〔はかりがたけむ〕。
とはかりて卽〔すなはち〕軍〔いくさ〕を興〔おこし〕て志〔シ〕毘〔ビ〕の臣〔おみ〕が家〔いへ〕を圍〔かくみ〕て
乃殺也〔とりたまひき〕。
於是二柱王子等各相讓天下
意富祁命讓其弟袁祁命曰
住於針間志自牟家時
汝命不顯名者更非‘臨天下之君(非臨、宣長云此間恐爲宇)
是既汝命之功
故吾雖兄猶汝命先治天下
而堅讓
故不得辭而袁祁命先治天下也
於是〔ここに〕二柱〔ふたはしら〕の王子等〔みこたち〕
各〔かたみ〕に天下〔あめのした〕相讓〔ゆづり〕たまひて
意〔オ〕富〔ホ〕祁〔ケ〕の命〔みこと〕
其〔そ〕の弟〔おと〕袁〔ヲ〕祁〔ケ〕の命〔みこと〕に讓〔ゆづり〕曰〔たまはく〕
針間〔はりま〕の志〔シ〕自〔ジ〕牟〔ム〕が家〔いへ〕に住〔すめり〕し時〔とき〕に
汝〔な〕が命〔みこと〕名〔な〕を不顯〔あらはしたまはざらまし〕かば
更〔さら〕に天下〔あめのした〕臨〔しらさむ〕君〔きみ〕とはなら非〔ざらまし〕て
是〔‐〕既〔すで〕に汝〔な〕が命〔みこと〕の功〔いさを〕にぞありける。
故〔かれ〕吾〔われ〕兄〔あに〕にはあれ雖〔ども〕
猶〔なほ〕汝〔な〕が命〔みこと〕先〔まづ〕天下〔あめのした〕治〔しろしめしてよ〕。
といひ而〔て〕堅〔かたく〕讓〔ゆづり〕たまひき。
故〔かれ〕不得辭〔えいなみたまはず〕て袁〔ヲ〕祁〔ケ〕の命〔みこと〕先〔まづ〕
天下〔あめのした〕治〔しろしめしける〕。
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