古事記(國史大系版・下卷4・仁德4歌謠)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
天皇‘聞看大后自山代上幸而使舍人名謂鳥山人送御歌曰
(聞看、宣長云看舊印本又一本作者其二字、今從眞本延本)
夜麻斯呂邇 伊斯祁登理夜麻 伊斯祁伊斯祁 阿賀波斯豆麻邇 伊斯岐阿波牟加母
天皇〔すめらみこと〕
大后〔おほきさき〕山代〔やましろ〕より上幸〔のぼりいでましぬ〕と聞看〔きこしめし〕て
舍人〔とねり〕名〔な〕は鳥山〔とりやま〕といふ人〔ひと〕を使〔つか〕はしけるときに、
送御歌曰〔おくりたまへるみうた〕
夜麻斯呂邇〔やましろに〕
伊斯祁〔いしけ〕登理夜麻〔とりやま〕
伊斯祁〔いしけ〕伊斯祁〔いしけ〕
阿賀波斯豆麻邇〔あがはしづまに〕
伊斯岐阿波牟加母〔いしきあはむかも〕
山代に い及け鳥山 い及けい及け 吾が愛し妻に い及き逢はむかも
又續遣丸邇臣‘口子而歌曰(口子、宣長云舊印本又一本作日子、非是、今從眞本延本、下皆同)
美母呂能 曾能多迦紀那流
‘意富韋古賀波良 意富韋古賀(意富韋古賀波良、宣長云舊印本又一本无、今從眞本延本)
波良邇阿流 岐毛牟加布
‘許許呂袁陀邇迦 阿比淤母波受阿良牟(許許呂、諸本无呂字、今從契沖説)
又〔また〕續〔つぎ〕を丸〔わ〕邇〔ニ〕の臣〔おみ〕口子〔くちこ〕を遣〔つかはし〕て
歌曰〔うたひたまはく〕
美母呂能〔みもろの〕
曾能多迦紀那流〔そのたかきなる〕
意富韋古賀波良〔おほゐこがはら〕
意富韋古賀〔おほゐこが〕
波良邇阿流〔はらにある〕
岐毛牟加布〔きもむかふ〕
許許呂袁陀邇迦〔こころをだにか〕
阿比淤母波受阿良牟〔あひおもはずあらむ〕
三諸の 其の高城なる
大猪子が腹 大猪子が
腹にある 肝向う
心をだにか 相ひ思はずあらむ
又歌曰
都藝泥布 夜麻志呂賣能
許久波母知 宇知斯淤富泥
泥士漏能 斯漏多陀牟岐
麻迦受祁婆許曾 斯良受登母伊波米
又歌曰〔また〕
都藝泥布〔つぎねふ〕
夜麻志呂賣能〔やましろめの〕
許久波母知〔こくはもち〕
宇知斯淤富泥〔うちしおほね〕
泥士漏能〔ねじろの〕
斯漏多陀牟岐〔しろただむき〕
麻迦受祁婆許曾〔まかずけばこそ〕
斯良受登母伊波米〔しらずともいはめ〕
つぎねふ 山代女の
木鍬持ち 打ちし大根
根白の 白腕
枕かずけばこそ 知らずとも言はめ
故是口子臣白此御歌之時大雨
爾不避其雨參伏前殿戸者違出後戸
參伏後殿戸者違出前戸
爾匍匐進‘赴跪于庭中時水潦至腰(赴、宣長云恐當作退。時、宣長云舊印本又一本作將非是、今從眞本延本)
其臣服著紅紐靑摺衣故水潦拂紅紐‘靑皆變紅色(靑皆、宣長云諸本作无靑字、今從眞本)
爾口子臣之妹‘口日賣仕奉大后故是口‘日賣歌曰(口日賣、書紀作國依媛。日賣歌、眞本日作比、或是)
夜麻志呂能 都都紀能美夜邇 母能麻袁須 阿賀勢能岐美波 那美多具麻志母
故〔かれ〕是〔こ〕の口子〔くちこ〕の臣〔おみ〕
此〔こ〕の御歌〔みうた〕白〔まをす〕時〔おりしも〕大雨〔あめいたくふり〕き。
爾〔ここ〕に其〔そ〕の雨〔あめ〕をも避〔さけ〕ず。
前〔まへ〕つ殿〔と〕の戸〔と〕に參伏〔まゐふせ〕ば、
違〔たがひ〕て後〔しり〕つ戸〔と〕に出〔いで〕たまひ
後〔しり〕つ殿〔と〕の戸〔と〕に參伏〔まゐふせ〕ば、
違〔たがひ〕て前〔まへ〕つ戸〔と〕に出〔いで〕たまふ。
爾〔かれ〕匍匐〔はひ〕進赴〔しじまひ〕て、
庭〔には〕中〔なか〕に跪〔ひざまづける〕時〔とき〕に
水潦〔にはたづみ/たまりみづ/さしみづ〕至腰〔こしにつけり〕。
其〔そ〕の臣〔おみ〕紅紐〔あかひも/くれないのくくり〕著〔つけたる〕
靑摺衣〔あをすりのきぬ〕を服〔きたりけれ〕故〔ば〕
水潦〔にはたづみ/さしみづ〕紅紐〔あかひも〕に拂〔ふれ〕て
靑〔あを〕皆〔みな〕紅色〔あけ〕に變〔なり〕ぬ。
爾〔ここ〕に口子〔くちこ〕の臣〔おみ〕の妹〔いも〕
口〔くち〕日〔ヒ〕賣〔メ〕大后〔おほきさき〕に仕奉〔つかへまつれり〕。
故〔かれ〕是〔こ〕の口〔くち〕日〔ヒ〕賣〔メ〕歌曰〔うたひけらく〕
夜麻志呂能〔やましろの〕
都都紀能美夜邇〔つつきのみやに〕
母能麻袁須〔ものまをす〕
阿賀勢能岐美波〔あがせのきみは〕
那美多具麻志母〔なみたぐましも〕
山代の 筒木の宮に 物申す 吾が兄の君は 淚ぐましも
爾‘太后問其所由之時答白(太后、神本卜本作大后)
僕之兄口子臣也
於是口子臣亦其妹口比賣及奴理能美三人議而令奏天皇云
大后幸行所以者奴理能美之所養虫
一度爲匐虫一度爲‘殻一度爲‘飛鳥有變三色之奇虫
(殻、宣長云舊印本又一本作鼓、眞本作皼、延本作毅、皆非、今意改、即卵也。
飛鳥、宣長云舊印本又一本作非虫、延本又一本作蜚一字、今從眞本、按中本又作蜚)
看行此虫而入坐耳更無異心
如此奏時天皇詔
然者吾思奇異故欲‘見行(見行、宣長云舊印本延本作行見、今從眞本又一本。三種虫、眞淵云此上恐脱變字)
自大宮上幸行入坐奴理能美之家時
其奴理能美己‘所養之三種虫獻於大后(所養之、宣長云之諸本无、今依眞本)
爾〔ここ〕に太后〔おほきさき〕、
其〔そ〕の所由〔ゆゑ〕を問〔とひ〕たまふ時〔とき〕に
僕〔あ〕が兄〔せ〕、口子〔くちこ〕の臣〔おみ〕なり。
と答白〔まをし〕き。
於是〔ここに〕口子〔くちこ〕の臣〔おみ〕、
亦〔また〕其〔そ〕の妹〔いも〕口〔くち〕比〔ヒ〕賣〔メ〕、
及〔また〕奴〔ヌ〕理〔リ〕能〔ノ〕美〔ミ〕、
三人〔みたり〕議〔はかり〕て天皇〔すめらみこと〕に令奏〔まをしめらく〕は
大后〔おほきさき〕の幸行〔いでませる〕所以〔ゆゑ〕は
奴〔ヌ〕理〔リ〕能〔ノ〕美〔ミ〕が所養〔かへる〕虫〔むし〕、
一度〔ひとたび〕は匐虫〔はふむし〕に爲〔なり〕、
一度〔ひとたび〕は殻〔かひこ〕に爲〔なり〕、
一度〔ひとたび〕は飛鳥〔とぶとり〕に爲〔なり〕て
三色〔むくさ〕に變〔かはる〕奇〔あやしき/くしびなる〕虫〔むし〕有〔あり〕。
此〔こ〕の虫〔むし〕看行〔みそなはし〕に入坐〔いりませる〕に耳〔こそ〕あれ。
更〔さら〕に無異心〔けしきこころはまさず〕。
如此〔かく〕奏〔まをす〕時〔とき〕に、
天皇〔すめらみこと〕
然〔しから〕ば吾〔あれ〕も奇異〔あやし〕と思〔おもへ〕故〔ば〕、
欲見行〔みにゆかな〕。
と詔〔のり〕たまひて
大宮〔おほみや〕より上幸行〔のぼりいでまし〕て
奴〔ヌ〕理〔リ〕能〔ノ〕美〔ミ〕が家〔いへ〕に入坐〔いりませる〕時〔とき〕に、
其〔そ〕の奴〔ヌ〕理〔リ〕能〔ノ〕美〔ミ〕
己〔おの〕が所養〔かへる〕三種〔みくさ〕の虫〔むし〕、
大后〔おほきさき〕に獻〔たてまつり〕き。
‘爾天皇御立其大后所坐殿戸歌曰(爾、眞本作邇)
都藝泥布 夜麻斯呂賣能
許久波母知 宇知斯意富泥
佐和佐和爾 那賀伊幣勢許曾
宇知和多須 夜賀波延那須
岐伊理麻韋久禮
此天皇與大后所歌之六歌者志都歌之‘返歌也(返歌、眞本作歌返〔うたかへし〕、據仁德天皇記終及諸本亦作歌返、或是)
爾〔かれ〕天皇〔すめらみこと〕
其〔そ〕の大后〔おひきさき〕の所坐〔ませる〕殿〔と〕の戸〔ど〕に御立〔みたたし〕て歌曰〔うたはしけらく〕
都藝泥布〔つげねふ〕
夜麻斯呂賣能〔やましろめの〕
許久波母知〔こくはもち〕
宇知斯意富泥〔うちしおほね〕
佐和佐和爾〔さわさわに〕
那賀伊幣勢許曾〔ながいへせこそ〕
宇知和多須〔うちわたす〕
夜賀波延那須〔やがはえなす〕
岐伊理麻韋久禮〔きいりまゐくれ〕
つぎねふ 山代女の
木鍬持ち 打ちし大根
さわさわに 汝が言へせこそ
打ち渡す 八桑枝なす
來入り參ゐ來れ
此〔こ〕の天皇〔すめらみこと〕と大后〔おほきさき〕と所歌〔みうたはしたる〕六歌〔むうた〕は
志〔シ〕都〔ツ〕歌〔うた〕の返歌〔かへしうた〕なり。
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