古事記(國史大系版・下卷3・仁德3歌謠)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
(傳卅六)
自此後時大后爲將豐樂而‘於採御綱柏幸行木國之間天皇婚八田若郎女(於、釋紀十二无)
於是大后御綱柏積盈御船還幸之時
所駈使於水取司吉備國兒島之仕丁是退己國於難波之大渡‘遇所後倉人女之船
(兒島之、眞本酉イ本之作群、宣長云記中无用郡字例、今依舊印本延本又一本。遇、學本作過)
乃語云
天皇者‘皆婚八田若郎女而晝夜戲遊(皆、眞本酉本作比日二字、恐是、中本无)
若大后不聞看此事乎靜遊幸行
此〔これ〕より後時〔のち〕、
大后〔おほきさき〕豐樂〔とよのあかり〕爲將〔したまはむとし〕て
御綱柏〔みつながしは〕を採〔とり〕に木〔きのくに〕國に幸行〔いでませる〕間〔あひだ〕に
天皇〔すめらみこと〕八田〔やた〕の若郎女〔わきいらつめ〕に婚〔みあひ〕ましつ。
於是〔ここに〕大后〔おほきさき〕は
御綱柏〔みつながしは〕を御船〔みふね〕に積〔つみ〕盈〔みて〕て還幸〔かへります〕時〔とき〕に
水取〔もひとり〕の司〔つかさ〕に所駈使〔つかはゆる〕
吉〔キ〕備〔ビ〕の國〔くに〕の兒島〔こしま〕の仕丁〔よぼろ〕、
是〔これ〕己〔おの〕が國〔くに〕に退〔まかる〕に
難波〔なには〕の大渡〔おほわたり〕に所後〔おくれたる〕倉人女〔くらびとめ〕の船〔ふね〕に遇〔あへり〕。
乃〔すなはち〕語云〔かたらひけらく〕
天皇〔すめらみこと〕は
皆〔このごろ〕八田〔やた〕の若郎女〔わきいらつめ〕に婚〔みあひ〕まして
晝夜〔よるひる〕戲遊〔たはれます〕を
若〔も〕し大后〔おひきさき〕は此〔こ〕の事〔こと〕不聞看〔きこしめさね〕かも。
靜〔しづか〕に遊幸行〔あそびいでます〕。
とぞかたりける。
爾其倉人女聞此語言即追近御船白之狀具如仕丁之言
於是大后大恨怒載其御船之御綱柏者悉投棄於海故號其地謂御津前也
即不入坐宮而引避其御船‘泝於堀江隨河而上幸山代(泝、卜本作衍)
此時歌曰
都藝‘泥布夜 夜麻志呂賀波袁(泥布、卜本曼本小本作埿布、中本眞本與此同)
迦波能煩理 和賀能煩禮婆
‘迦波能倍邇 淤斐陀弖流(迦、眞本作賀)
佐斯‘夫袁 佐斯‘夫能紀(夫袁、宣長云延本夫作天、非是。夫能、宣長云舊印本又一本延本作天今從眞本)
斯賀斯多邇 淤斐陀弖流
波毘呂 ‘由都麻都婆岐(由都麻、賀本及諸本麻作婆、宣長云今依眞本又一本)
斯賀波那能 弖理伊麻斯
芝賀波能 比呂理伊麻須波
淤富岐美呂迦母
爾〔かれ〕其〔そ〕の倉人女〔くらびとめ〕
此〔こ〕の語〔かたれる〕言〔こと〕を聞〔きき〕て
即〔すなはち〕御船〔みふね〕に追近〔おひしき〕て
仕丁〔よほろ〕が言〔いひつる〕如〔ごと〕狀〔ありさま〕具〔つぶさ〕に白〔まをし〕き。
於是〔ここに〕大后〔おほきさき〕大恨怒〔いたくうらみ〕まして、
其〔そ〕の御船〔みふね〕に載〔のせたる〕御綱柏〔みつながしは〕をば
悉〔ことごと/ふつく〕に海〔うみ〕に投棄〔なげうち〕たまひき。
故〔かれ〕號〔‐〕其地〔そこ〕を御津〔みつ〕の前〔さき〕とは謂〔いふ〕なり。
即〔すなはち〕宮〔みや〕に不入坐〔いりまさず〕て、
其〔そ〕の御船〔みふね〕を引〔ひき〕避〔よき〕て
堀江〔ほりえ〕に泝〔さかのぼらし〕て河〔かは〕の隨〔まにまに〕山代〔やましろ〕に上幸〔のぼりまし〕き。
此〔こ〕の時〔とき〕に歌曰〔うたひたまはく〕
都藝泥布夜〔つぎねふや〕
夜麻志呂賀波袁〔やましろがはを〕
迦波能煩理〔かはのぼり〕
和賀能煩禮婆〔わがのぼれば〕
迦波能倍邇〔かはのべに〕
淤斐陀弖流〔おひだてる〕
佐斯夫袁〔さしぶを〕
佐斯夫能紀〔さしぶのき〕
斯賀斯多邇〔しがしたに〕
淤斐陀弖流〔おひだてる〕
波毘呂〔はびろ〕
由都麻都婆岐〔ゆつまつばき〕
斯賀波那能〔しがはなの〕
弖理伊麻斯〔てりいまし〕
芝賀波能〔しがはの〕
比呂理伊麻須波〔ひろりいますは〕
淤富岐美呂迦母〔おほきみろかも〕
つぎねふや 山代川を
川上り 我が上れば
河の邊に 生い立てる
烏草樹を 烏草樹の木
其が下に 生い立てる
葉廣 齋(ゆ)つ眞(ま)椿
其が花の 照り坐し
其が葉の 廣り坐すは
大君ろかも
卽自山代廻到坐那良山口歌曰
都藝泥布夜 夜麻志呂賀‘波袁(波、諸本作婆、宣長云今依眞本延本)
美夜能煩理 和賀能煩禮婆
阿袁邇余志 那良袁須疑
‘袁陀弖 夜麻登袁須疑(袁陀弖、諸本此下有夜麻二字、宣長云今依麻本无)
和賀美賀本斯 久邇波
迦豆良紀 多迦美夜
和藝幣能阿多理
如此歌而還、暫入坐筒木韓人・名奴理能美之家也。
卽〔すなはち〕山代〔やましろ〕より廻〔めぐり〕て
那〔ナ〕良〔ラ〕山〔やま〕の口〔くち〕に到坐〔いたりまし〕て
歌曰〔うたひたまはく〕
都藝泥布夜〔つぎふねや〕
夜麻志呂賀波袁〔やましろがはを〕
美夜能煩理〔みやのぼり〕
和賀能煩禮婆〔わがのぼれば〕
阿袁邇余志〔あをによし〕
那良袁須疑〔ならをすぎ〕
袁陀弖〔をだて〕
夜麻登袁須疑〔やまとをすぎ〕
和賀美賀本斯〔わがみがほし〕
久邇波〔くには〕
迦豆良紀〔かづらき〕
多迦美夜〔たかみや〕
和藝幣能阿多理〔わぎへのあたり〕
つぎねふや 山代川を
宮上り 我が上れば
あをによし 奈良を過ぎ
小楯 倭を過ぎ
吾が見がほし 國は
葛城 高宮
吾家の邊
如此〔かく〕歌〔うたひ〕て還〔かへらし〕て
暫〔しまし/しまらく〕筒木〔つつき〕の韓人〔からひと〕
名〔な〕は奴〔ヌ〕理〔リ〕能〔ノ〕美〔ミ〕が家〔いへ〕に入坐〔いりまし〕き。
0コメント