それでもわたしたちはせかいをいやしたがった、あいかわらずに猶も/修羅ら沙羅さら——小説ふたつ
以下のふたつは20年の新型コロナのパンデミックを記録しようとして書き始めたもの。
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これは断片の集積。
未完成。
思うに、散文作品に於て完成されていることに一切意味はない。なぜなら世界は完成されていないから。世界を解析しようとするなら未完成でなければおかしい。常に中断され破棄されなければならない。又、世界が終われば僕たちも存在しない。故、結局は放棄されるしかない。
完成され得るのは詩だけだ。そう思う。詩は、世界を解析しようとし得るのだろうか?
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これはいくつかの仏典に影響されたもの。内容ではなく飽く迄その書式に。
又これはごくごく単純に物語が中断してる。本来主人公は日本に返って父に再会する筈だった。途中で言葉が消えた。消えれば書くことができない。もう言葉はないから。
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