古事記(國史大系版・中卷29・應神5)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
(傳卅四)
又‘昔有新羅‘國主之子名謂天之日矛(昔有、宣長云一本作昔者、亦是也。國主、卜本作國王、恐非、上下文據與此同)
是人參渡來也
所以參渡來者新羅國有一沼名謂阿具奴摩[自阿下四字以音]
此沼之邊一賤女晝寢於是日耀如虹指其陰上
亦有一賤夫思異其狀恒伺其女人之行
故是女人自其晝寢時妊身生赤玉
爾其所伺賤夫乞取其玉恒裹著腰
此人營田於山谷之間
故耕人等之飮食負一牛而入山谷之中
遇逢其‘國主之子天之日矛(國主、寛本脱國字、諸本皆有)
爾問其人曰
何汝飮食負牛入山谷
汝必‘殺食是牛(殺、卜本作煞、下同)
即捕其人將入獄‘囚(囚、賀本神本寫本作因、釋紀十作因、屬下句、宣長云恐非)
其人答曰
吾非殺牛
唯送田人之食耳
然猶不赦
爾解其腰之玉‘幣其國主之子(幣、釋紀十作與、同寫本與此同)
故赦其賤夫
將來其玉置於床邊即化美麗孃子仍婚爲嫡妻
爾其孃子常設種種之珍味恒食其夫
故其‘國主之子心奢詈妻(國主、賀本作國王、恐非)
其女人言
凡吾者非應爲汝妻之女
將行吾祖之國
即竊乘小船逃遁‘渡來畱于難波[此者坐難波之比賣碁曾社謂阿加流比賣神者也](渡、賀本釋紀十作度)
於是天之日矛聞其妻遁乃追渡來
將到難波之間其渡之神塞以不入
又〔また〕昔〔むかし〕新羅〔しらぎ〕の國主〔こにきし〕の子〔こ〕
名〔な〕は天〔あめ〕の日矛〔ひぼこ〕と謂〔いふ〕有〔あり〕。
是〔こ〕の人〔ひと〕參渡來〔まゐわたりけり(儘)〕。
參渡來〔まゐわたりける〕所以〔ゆゑ〕は
新羅〔しらぎ〕の國〔くに〕に一沼〔ひとつぬま〕有〔あり〕。
名〔な〕を阿〔ア〕具〔グ〕奴〔ヌ〕摩〔マ〕[自(レ)阿下四字以(レ)音。]と謂〔いふ〕。
此〔こ〕の沼〔ぬま〕の邊〔ほとり〕に
一〔ある〕賤〔しづ〕の女〔め〕晝寢〔ひるね〕したりき。
於是〔ここに〕日〔ひ〕の耀〔ひかり〕虹〔ぬじ〕の如〔ごと〕
其〔そ〕の陰上〔ほと〕を指〔さし〕たるを
亦〔また〕有〔‐〕一〔ある〕賤〔しづ〕の夫〔を〕
其〔そ〕の狀〔さま〕異〔あやし〕と思〔おもひ〕て
恒〔つね〕に其〔そ〕の女人〔をみな〕の行〔おこなひ/ふるまひ〕を伺〔うかがひ〕けり。
故〔かれ〕是〔こ〕の女人〔をみな〕
其〔そ〕の晝寢〔ひるね〕したりし時〔とき〕より妊身〔はらみ〕て
赤玉〔あかだま〕なも生〔うみ〕ける。
爾〔ここ〕に其〔そ〕の所伺〔うかがへる〕賤夫〔しづのを〕
其〔そ〕の玉〔たま〕を乞〔こひ〕取〔とり〕て
恒〔つね〕は裹〔つつみ〕て腰〔こし〕に著〔つけ〕たりき。
此〔こ〕の人〔ひと〕山谷〔たにへ〕に田〔た〕營〔つくり〕間〔‐〕けれ故〔ば〕
耕人等〔たびとども〕の飮食〔くらひもの〕を一牛〔うし〕に負〔おほせ〕て
山谷〔たに〕の中〔なか〕に入〔いり〕ける。
其〔そ〕の國主〔こにきし〕の子〔こ〕天〔あめ〕の日矛〔ひぼこ〕に遇逢〔あへり〕。
爾〔かれ〕問其人曰〔そのひとにとへひけらく〕
何〔なぞ〕汝〔いまし〕
飮食〔くらひもの〕を牛〔うし〕に負〔おほせ〕て山谷〔たに〕へ入〔いる〕ぞ。
汝〔いまし〕必〔かならず〕是〔こ〕の牛〔うし〕を殺〔ころし〕て食〔くらふ〕ならむ。
といひて即〔すなはち〕其〔そ〕の人〔ひと〕を捕〔とらへ〕て
獄囚〔ひとや〕に將入〔いれむとすれ〕ば
其〔そ〕の人〔ひと〕答曰〔こたへけらく〕
吾〔あれ〕牛〔うし〕を殺〔ころさむ〕とにはあらず。
唯〔ただ〕田人〔たびと〕の食〔くらひもの〕を送〔おくる〕に耳〔こそ〕あれ。
といふ。
然〔しかれ〕ども猶〔なほ〕不赦〔ゆるさざれば〕
爾〔‐〕其〔そ〕の腰〔こし〕なる玉〔たま〕を解〔とき〕て
其〔そ〕の國主〔こにきし〕の子〔こ〕に幣〔まひ〕しつ。
故〔かれ〕其〔そ〕の賤夫〔しづのを〕を赦〔ゆるし〕て
其〔そ〕の玉〔たま〕を將來〔もちき〕て
床〔とこ〕の邊〔へ〕に置〔おけり〕しかば
即〔すなはち〕美麗〔かほよき〕孃子〔おとめ〕に化〔なり〕ぬ。
仍〔かれ〕婚〔まぐはひ〕して嫡妻〔むかひめ〕と爲〔し〕たまひき。
爾〔ここ〕に其〔そ〕の孃子〔をとめ〕
常〔つね〕に種種〔くさぐさ〕の珍味〔ためつもの〕を設〔まけ〕て
恒〔いつもいつも〕其〔そ〕の夫〔ひこぢ〕に食〔すすめ〕き。
故〔かれ〕其〔そ〕の國主〔こにきし〕の子〔こ〕
心〔こころ〕に奢〔おごり〕て妻〔め〕を詈〔のれ〕ば
其〔そ〕の女人〔をみな〕
凡〔おほかた〕吾〔われ〕は汝〔いまし〕の妻〔め〕に應爲〔なるべき〕女〔をみな〕にあらず。
吾〔わ〕が祖〔おや〕の國〔くに〕に將行〔いなむとす〕。
と言〔いひ〕て即〔‐〕竊〔しぬび〕て小舩〔をぶね〕に乘〔のり〕て
逃遁〔にげ〕渡來〔わたりき〕て難波〔なには〕になも畱〔とどまり〕ける。
[此〔こ〕は難波〔なには〕の比〔ヒ〕賣〔メ〕碁〔コ〕曾〔ソ〕の社〔やしろ〕に坐〔ます〕
阿〔ア〕加〔カ〕流〔ル〕比〔ヒ〕賣〔メ〕と謂〔まをす〕神〔かみ〕なり。]
於是〔ここに〕天〔あめ〕の日矛〔ひぼこ〕
其〔そ〕の妻〔め〕の遁〔のがれしこと〕を聞〔きき〕て
乃〔すなはち〕追〔おひ〕渡來〔わたりき〕て難波〔なには〕に將到〔いたらむとする〕間〔ほど〕に
其〔そ〕の渡〔わたり〕の神〔かみ〕塞〔さへて〕以〔‐〕不入〔いれざりき〕。
故更還泊多遲摩國即畱其國而娶多遲摩之俣尾之女名前津見生子
多遲摩母呂須玖
此之子
多遲摩斐泥
此之子
多遲摩比那良岐
此之子
多遲麻毛理
次多遲摩比多訶
次淸日子[三柱]
此淸日子娶當摩之咩斐生子
酢鹿之諸男
次妹菅竈[上]‘由良度美[此四字以音](由良、宣長云諸本由作申、非也、今依眞本延本)
故‘上云多遲摩比多訶娶其姪由良度美生子(上云、宣長云諸本作上之、今依眞本延本)
葛城之高額比賣命[此者息長帶比賣命之御祖]
故其天之日矛持渡來物者玉津寶云而
珠二貫
又振浪比禮[比禮二字以音下效此]
切浪比禮
振風比禮
切風比禮
又奧津鏡
邊津鏡幷八種也[此者伊豆志之八前大神也]
故〔かれ〕更〔さら〕に還〔かへり〕て多〔タ〕遲〔ヂ〕摩〔マ〕の國〔くに〕に泊〔はて〕つ。
即〔すなはち〕其〔そ〕の國〔くに〕に畱〔とどまり〕て
多〔タ〕遲〔ヂ〕摩〔マ〕の俣尾〔またを/またのを〕が女〔むすめ〕
名〔な〕は前津見〔まへつみ/さきつみ〕に娶〔みあひ〕て生〔うみませる〕子〔みこ〕
多〔タ〕遲〔ヂ〕摩〔マ〕母〔モ〕呂〔ロ〕須〔ス〕玖〔ク〕。
此〔これ〕が子〔こ〕
多〔タ〕遲〔ヂ〕摩〔マ〕斐〔ヒ〕泥〔メ〕。
此〔これ〕が子〔こ〕
多〔タ〕遲〔ヂ〕摩〔マ〕比〔ヒ〕那〔ナ〕良〔ラ〕岐〔き〕。
此〔これ〕が子〔こ〕
多〔タ〕遲〔ヂ〕麻〔マ〕毛〔モ〕理〔リ〕。
次〔つぎ〕に多〔タ〕遲〔ヂ〕摩〔マ〕比〔ヒ〕多〔タ〕訶〔カ〕。
次〔つぎ〕に淸〔きよ/すが〕日子〔ひこ〕。[三柱。]
此〔こ〕の淸日子〔きよひこ〕
當〔たぎ〕摩〔マ〕の咩〔メ〕斐〔ヒ〕に娶〔みあひ〕て
生〔うみませる〕子〔みこ〕
酢鹿〔すが〕の諸男〔もろを〕。
次〔つぎ〕に妹〔いも〕菅竈〔すがかま〕[上]由〔ユ〕良〔ラ〕度〔ド〕美〔ミ〕。[此四字以(レ)音。]
故〔かれ〕上〔かみ〕に云〔いへる〕多〔タ〕遲〔ヂ〕摩〔マ〕比〔ヒ〕多〔タ〕訶〔カ〕
其〔そ〕の姪〔めひ〕由〔ユ〕良〔ラ〕度〔ド〕美〔ミ〕に娶〔みあひ〕て
生〔うみませる〕子〔みこ〕
葛城〔かづらき〕の高額〔たかぬひ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕。
[此〔こ〕は息長〔おきなが〕帶〔たらし〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕の御祖〔みおや〕。]
故〔かれ〕其〔そ〕の天〔あめ〕の日矛〔ひぼこ〕の持渡來〔もちわたりきつる〕物〔もの〕は
玉津寶〔たまつたから〕と云〔いひ〕て珠〔たま〕二貫〔ふたつら〕。
又〔また〕浪〔なみ〕振〔ふる〕比〔ヒ〕禮〔レ〕。[比禮二字以(レ)音、下效(レ)此]
浪〔なみ〕切〔きる〕比〔ヒ〕禮〔レ〕。
風〔かぜ〕振〔ふる〕比〔ヒ〕禮〔レ〕。
風〔かぜ〕切〔きる〕比〔ヒ〕禮〔レ〕。
又〔また〕奧津鏡〔おきつかがみ〕。
邊津鏡〔へつかがみ〕。幷〔あはせ〕て八種〔やくさ〕なり。
[此〔こ〕は伊〔イ〕豆〔ヅ〕志〔シ〕の八前〔やまへ〕の大神〔おほかみ〕なり。]
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