古事記(國史大系版・中卷28・應神4歌謠)


底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)

・底本奥書云、

明治三十一年七月三十日印刷

同年八月六日發行

發行者合名會社經濟雜誌社

・底本凡例云、

古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり

且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり



(傳卅三)

又吉野之國主等瞻大雀命之所佩御刀歌曰

 本牟多能 比能美古

 意富佐邪岐 意富佐邪岐

 波加勢流多知 母登都流藝

 須惠布由 布由紀能須

 加良賀志多紀能 佐夜佐夜

 又〔また〕吉野〔えしぬ〕の國主等〔くずども〕

 大雀〔おほさざき〕の命〔みこと〕の所佩〔はかせる〕御刀〔たち〕を瞻〔みて〕歌曰〔うたひけらく〕

  本牟多能〔ほむたの〕

  比能美古〔ひのみこ〕

  意富佐邪岐〔おほさざき〕

  意富佐邪岐〔おほさざき〕

  波加勢流多知〔はかせるたち〕

  母登都流藝〔もとつるぎ〕

  須惠布由〔すゑふゆ〕

  布由紀能須〔ふゆきのす〕

  加良賀志多紀能〔かつらがしたの〕

  佐夜佐夜〔さやさや〕

   誉田の 日の御子

   大雀 大雀

   佩かせる太刀 本劔

   末振ゆ 冬木の如

   枯らが下木の

   淸淸


又於吉野之‘白檮上作横臼而(白檮、中本作甘檮、寛本作日檮。上、宣長云據下歌恐當作生、或穗字下説生字乎)

於其横臼‘釀大御酒獻其大御酒之時(釀、賀本此上有作字)

擊口鼓爲伎而歌曰

 加志能布邇 余久須袁都久理

 余久須邇 ‘迦美斯意富美岐

 宇麻良爾 岐許志母知袁勢

 麻呂賀知

 此歌者、國主等獻大贄之時時、恒至于今詠之歌者也。

 又〔また〕吉野〔えしぬ〕の白檮上〔かしのきに〕横臼〔よこうす〕を作〔つくり〕て

 其〔そ〕の横臼〔よこうす〕に大御酒〔おほみき〕を釀〔かみ〕て

 其〔そ〕の大御酒〔おほみき〕を獻〔たてまつる〕時〔とき〕に

 口鼓〔くちつづみ〕を擊〔うち〕伎〔わざ/まひ〕を爲〔なし〕て歌曰〔うたひけらく〕

  加志能布邇〔かしのふに〕

  余久須袁都久理〔よくすをつくり〕

  余久須邇〔よくすに〕

  迦美斯意富美岐〔かみしおほみき〕

  宇麻良爾〔うまらに〕

  岐許志母知袁勢〔きこしもちをせ〕

  麻呂賀知〔まろがち〕

   白檮の生に 横臼を作り

   横臼に 釀みし大御酒

   美味らに 聞こしもち飮せ

   まろがち(吾君)

 此〔こ〕の歌〔うた〕は國主等〔くずども〕大贄〔おほにへ〕獻〔たてまつる〕時時〔ときどき/よりより〕

 恒〔つね〕に至于今〔いまにいたるまで〕詠〔うたふ〕歌〔うた〕なり。


此之御世定賜

海部

山部

山守部

伊勢部也

亦作劒池

亦新羅人參‘渡來(渡來、寛寫本作度來)

是以建内宿禰命引率爲‘役之堤池而作百濟池(役之、宣長云諸本作渡之、恐非、今從延本、高津宮段可合攷)

亦百濟國主照古王以牡馬壹‘疋牝馬壹疋付阿知吉師以貢上(疋、卜本釋紀十一作返、即匹字の訛、下同)

[此阿知吉師者阿直史等之祖]

亦貢上横刀及大鏡

又科賜百濟國

 若有賢人者貢上

故受命以貢上人名‘和邇吉師即論語十卷千字文一卷幷十一卷付是人即貢進

(和邇吉師、宣長云眞本延本无吉字、但眞本下細註有吉字、恐脱)

[此和‘爾‘吉師者文首等祖]

([和爾]、宣長云一本作[和邇]、上文同然今從諸本。[吉師]、宣長云延本无[吉]字、恐妄削、諸本皆有)

又貢上‘手人韓鍛名卓素亦吳服西素二人也(手人、宣長云諸本作人手、今意改)

又秦造之祖

漢直之祖

及知釀酒人名仁番

 亦名須須許理等

‘參渡來也(參渡、寛寫本作參度)

故是須須許理釀大御酒以獻

 此〔こ〕の御世〔みよ〕に

 海部〔あまべ〕、

 山部〔やまべ〕、

 山守部〔やまもりべ〕、

 伊勢部〔いせべ〕を定賜〔さだめたまふ〕。

 亦〔また〕劔〔つるぎ〕の池〔いけ〕を作〔つくる〕。

 亦〔また〕新羅人〔しらぎびと〕參〔まゐ〕渡〔わたり〕來〔きつ〕。

 是以〔ここをもて〕建〔たけし〕内〔うち〕の宿禰〔すくね〕の命〔みこと〕引率〔ひきゐ〕て

 堤池〔つつみいけ〕に爲役〔えだたせ〕て百濟〔くだら〕の池〔いけ〕を作〔つくる〕。

 亦〔また〕百濟〔くだら〕の國主〔こにきし/こきし〕照古王〔せうこわう〕

 以〔‐〕牡馬〔をま〕壹疋〔ひとつ〕、牝馬〔めま〕壹疋〔ひとつ〕を

 阿〔ア〕知〔チ〕吉〔キ〕師〔シ〕に付〔つけて〕以〔‐〕貢上〔たてまつり〕き。

 [此〔こ〕阿〔ア〕知〔チ〕吉〔キ〕師〔シ〕は

  阿〔ア〕直〔ヂキ〕の史等〔ふみひとら〕が祖〔おや〕。]

 亦〔また〕横刀〔たち〕及〔と〕大鏡〔おほかがみ〕とを貢上〔たてまつり〕き。

 又〔また〕科賜百濟〔くだら〕の國〔くに〕に

  若〔もし〕賢人〔さかしびと〕有〔あら〕ば

  貢上〔たてまつれ〕。

 とおほせたまふ。

 故〔かれ〕命〔みこと〕を受〔うけ〕て以〔‐〕貢上〔たてまつれる〕人〔ひと〕

 名〔な〕は和〔ワ〕邇〔ニ〕吉〔キ〕師〔シ〕

 即〔すなはち〕論語〔ろむご〕十卷〔とまき〕、

 千字文〔せむじもむ〕一卷〔ひとまき〕、幷〔あはせ〕て十一卷〔とをまりひとまき〕

 是〔こ〕の人〔ひと〕に付〔つけ〕て即〔‐〕貢進〔たてまつり〕き。

 [此〔こ〕の和〔ワ〕邇〔ニ〕吉〔キ〕師〔シ〕は

  文〔ふみ〕の首等〔おびとら〕が祖〔おや〕。]

 又〔また〕手人〔てびと〕韓鍛〔からかぬさ〕

 名〔な〕は卓〔タク〕素〔ソ〕

 亦〔また〕吳服〔くれはとり〕西〔サイ〕素〔ソ〕二人〔ふたり〕貢上〔たてまつり〕き。

 又〔また〕秦〔はた〕の造〔みやつこ〕の祖〔おや〕

 漢〔あや〕の直〔あたへ〕の祖〔おや〕

 及〔また〕酒〔みき〕釀〔かむ〕ことを知〔しれる〕人〔ひと〕

 名〔な〕は仁〔ニ〕番〔ホ〕

  亦〔また〕の名〔な〕は須〔ス〕須〔ス〕許〔コ〕理〔リ〕等〔ら〕

 參渡來〔まゐわたりき〕つ。

 故〔かれ〕是〔こ〕の須〔ス〕須〔ス〕許〔コ〕理〔リ〕

 大御酒〔おほみき〕を釀〔かみ〕て以〔‐〕獻〔たてまつり〕き。


於是天皇宇羅宜是所獻之大御酒而[宇羅宜三字以音]

御歌曰

 須須許理賀 迦美斯美岐邇

 和禮惠比邇祁理 許登那具志

 惠具志爾 和禮惠比邇祁理

如此‘之歌幸行時(之歌、宣長云之字異于本書文例、或當作歌乍。)

以御杖打‘大坂道中之大石者其石走避(大坂、學本作大阪)

故諺曰

 堅石避醉人也

 於是〔ここに〕天皇〔すめらみこと〕

 是〔こ〕の所獻〔たてまつれる〕大御酒〔おほみき〕に宇〔ウ〕羅〔ラ〕宜〔ゲ〕て[宇羅宜三字以(レ)音]

 御歌曰〔みうたはしけらく〕

  須須許理賀〔すすこりが〕

  迦美斯美岐邇〔かみしもみきに〕

  和禮惠比邇祁理〔われゑひにけり〕

  許登那具志〔ことなぐし〕

  惠具志爾〔ゑぐしに〕

  和禮惠比邇祁理〔われゑひにけり〕

   須須許理が 釀みし御酒に

   我醉ひにけり ことなぐし

   ゑぐしに 我醉ひにけり

 如此〔かく〕歌〔うたはしつつ〕幸行〔いでませる〕時〔とき〕に

 御杖〔みつゑ〕以〔もち〕て大坂〔おほさか〕の道〔みち〕の中〔なか〕なる大石〔おほいし〕を打〔うち〕たまひしかば

 其〔そ〕の石〔いし〕は走避〔はしりさりぬ〕。

 故〔かれ〕諺〔ことわざ〕に

  堅石〔かたしは〕も醉人〔ゑひびと〕を避〔さくる〕。

 とぞ曰〔いふ〕なる。


故天皇崩之後

大雀命者從天皇之命以天下讓宇遲能和紀郎子

於是大山守命者違天皇之命

猶欲獲天下有‘殺其弟皇子之情(殺、卜本作煞)

竊設兵將攻

爾大雀命聞其兄備兵

即遣使者令告宇遲能和紀郎子

故聞驚以兵伏河邊

亦其山之上張絁垣立帷幕

詐以舍人爲王

露坐吳床百官恭敬往來之狀

既如王子之坐所而

更‘爲其兄王渡河之時(爲、寛本脱)

具餝船檝‘者舂[佐那此二字以音]葛之根取其汁滑而(者、宣長云恐亦字、草躰相似)

塗其舩中之簀椅設蹈應仆而

其王子者服布衣褌既爲賤人之形執檝立船

 故〔かれ〕天皇〔すめらみこと〕崩〔かむあがり〕まして後〔のち〕に

 大雀〔おほさざき〕の命〔みこと〕は

 さきの天皇之命〔おほみこと〕の從〔まにまに〕

 以〔‐〕天下〔あめのした〕を

 宇〔ウ〕遲〔ヂ〕能〔ノ〕和〔ワ〕紀〔キ〕郎子〔いらつめ〕に讓〔ゆづり〕たまひき。

 於是〔ここに〕大山守〔おほやまもり〕の命〔みこと〕は天皇之命〔おほみこと〕に違〔たがひ〕て

 猶〔なほ〕天下〔あめのした〕を欲獲〔えむ〕として

 其〔そ〕の弟〔おと〕皇子〔みこ〕を殺〔ころさむ〕の情〔こころ〕有〔あり〕て

 竊〔しぬび/ひそか〕に兵〔いくさびと〕を設〔まけ〕て將攻〔せめむとし〕たまひき。

 爾〔ここ〕に大雀〔おほさざき〕の命〔みこと〕

 其〔そ〕の兄〔あにのみこ〕の兵〔いくさ〕を備〔そなへ〕たまふことを聞〔きかし〕て

 即〔すなはち〕使者〔つかひ〕を遣〔やり〕て

 宇〔ウ〕遲〔ヂ〕能〔ノ〕和〔ワ〕紀〔キ〕郎子〔いらつこ〕に令告〔つげしめ〕たまひき。

 故〔かれ〕聞〔きき〕驚〔おどろかし〕て

 以〔‐〕兵〔いくさびと〕を河〔かは〕の邊〔べ〕に伏〔かくし〕、

 亦〔また〕其〔そ〕の山〔やま〕の上〔うへ〕に絁垣〔きぬがき〕を張〔はり〕帷幕〔あげはり〕を立〔たて〕て

 詐〔いつはり〕て以〔‐〕舍人〔とねり〕を王〔みこ〕に爲〔なし〕て

 露〔あらは〕に吳床〔あぐら〕を坐〔ませ〕て

 百官〔つかさつかさ〕恭敬〔ゐやび〕往來〔ゆきかふ〕狀〔さま〕

 既〔すで〕に王子〔みこ〕の坐〔ます〕所〔ところ〕の如〔ごとく〕して

 更〔さら〕に其〔そ〕の兄王〔あにみこ〕の河〔かは〕を渡〔わたり〕まさむ時〔とき〕の爲〔ため〕に

 船檝〔ふねかぢ〕を具〔そなへ〕餝〔かざり〕

 また佐〔サ〕那〔ナ〕[此二字以(レ)音]葛〔かづら〕の根〔ね〕を舂〔うすにつき〕

 其〔そ〕の汁〔しる〕の滑〔なめ〕を取〔とり〕て

 其〔そ〕の舩〔ふね〕の中〔なか〕の簀椅〔すばし〕に塗〔ぬり〕て

 蹈〔ふみ〕て應仆〔たふるべく〕設〔まけ〕て

 其〔そ〕の王子〔みこ〕は

 布〔ぬの〕衣〔きぬ〕褌〔はかま〕を服〔き〕て

 既〔すで〕に賤人〔やつ〕こ形〔かたち〕と爲〔なり〕て

 檝〔かぢ〕を執〔とり〕て舩〔ふね〕に立〔たち〕ませり。


於是其兄王隱伏兵士衣中服鎧到於河邊

將乘船時望其嚴餝之處以爲弟王坐其吳床

都不知執檝而立舩即問其執檝者曰

 傳聞茲山有忿怒之大猪

 吾欲取其猪

 若獲其猪乎

爾執檝者‘答曰(答曰、宣長云諸本作答白、今從眞本)

 不能也

亦問曰

 何由

答曰

 時時也往往也雖爲取而不得

 是以白不能也

渡到河中之時令傾其船墮入水中

‘爾乃浮出隨水流下(爾、宣長云諸本此下有今字、恐衍、今從延本無)

即流歌曰

 知波夜夫流 宇遲能和多理邇 佐袁斗理邇 波夜祁牟比登斯 和賀毛古邇許牟

 於是〔ここに〕其〔そ〕の兄王〔あにみこ〕

 兵士〔いくさびと〕を隱伏〔かくし〕

 鎧〔よろひ〕を衣〔ころも〕の中〔にち〕に服〔きせ〕て

 河〔かは〕の邊〔べ〕に到〔いたり〕て

 將乘舩〔ふねにのりまさむとする〕時〔とき〕に

 其〔か〕の嚴〔いかめしく〕餝〔かざれる〕處〔ところ〕を望〔みやり〕て

 弟王〔おとみこ〕を坐其〔そ〕の吳床〔あぐら〕に坐〔います〕と以爲〔おもほし〕て

 不知檝〔かぢ〕を執〔とり〕て舩〔ふね〕に立〔たち〕ませることをば都不知〔かつてしらずて〕

 即〔すなはち〕問其〔そ〕の

 檝〔かぢ〕執〔とれる〕者〔もの〕に問〔とひ〕たまはく曰〔‐〕

  茲〔こ〕の山〔やま〕に忿怒〔いかれる〕大猪〔おほゐ〕有〔あり〕と傳〔つて〕に聞〔きけり〕。

  吾〔われ〕其〔そ〕の猪〔ゐ〕を欲取〔とらむとおもふ〕を

  若〔もし〕其〔そ〕の猪〔ゐ〕獲〔えてむ〕。

 ととひたまへば

 爾〔‐〕檝〔かぢ〕執〔とれる〕者〔もの〕

  不能也〔ええたまはじ〕。

 と答曰〔いへば〕

 亦〔また〕

  何由〔いかなれば〕。

 と問曰〔とひたまへば〕

  時時也〔よりより〕往往也〔ところどころ〕にして

  爲取〔とらむとすれ〕雖〔ども〕不得〔ええず〕。

  是以〔ここをもて〕不能〔ええたまはじ〕と白〔まをす〕なり。

 と答曰〔いひき〕。

 渡〔わたり〕て河中〔かはなか〕に到〔いたれる〕時〔とき〕に

 其〔そ〕に船〔ふね〕を令傾〔かたぶけしめ〕て

 水〔みづ〕の中〔なか〕に墮入〔おとしいれ〕き。

 爾〔ここ〕に乃〔すなはち〕浮出〔うきいで〕て

 水〔みづ〕の隨〔まにまに〕流下〔ながれくだり〕たまひき。

 即〔すなはち〕流〔ながれ〕つつ歌曰〔うたひたまはく〕

  知波夜夫流〔ちはやぶる〕

  宇遲能和多理邇〔うぢのわたりに〕

  佐袁斗理邇〔さをとりに〕

  波夜祁牟比登斯〔はやけむひとし〕

  和賀毛古邇許牟〔わがもこにこむ〕

   ちはやぶる 宇治の渡りに 棹取りに 速けむ人し 我が許に來む


於是伏隱河邊之兵

彼廂此廂、一時共興、矢刺而流。故、到訶和羅之前而沈入。訶和羅三以以音。故、以鉤探其沈處者、繋其衣中甲而、訶和羅鳴、故號其地謂訶和羅前也。

於是〔ここに〕河邊〔かはのべ〕に伏隱〔かくれいたる〕兵〔くさびと〕

彼廂〔かなた〕此廂〔こなた〕一時共〔もろともに〕興〔おこり〕て

矢〔や〕刺〔さし〕て流〔ながし〕き。

故〔かれ〕訶〔カ〕和〔ワ〕羅〔ラ〕の前〔さき〕に到〔いたり〕て沈入〔しづみいり〕たまひぬ。[訶和羅三以(レ)音。]

故〔かれ〕鈎〔かぎ〕を以〔もち〕て

其〔そ〕の沈〔しづみ〕たまひし處〔ところ〕を探〔さぐり〕しかば

其〔そ〕の衣〔ころも〕の中〔うち〕なる甲〔よろひ〕に繋〔かかり〕て

訶〔カ〕和〔ワ〕羅〔ラ〕と鳴〔なり〕き。

故〔かれ〕號〔‐〕其〔そこ〕の地〔ち〕を謂訶〔カ〕和〔ワ〕羅〔ラ〕の前〔さき〕とは謂〔いふ〕なり。


爾掛出其骨之時弟王歌曰(骨、神本作體、卜本傍書有[體カ]二字)

 知波夜比登 宇遲能和多理邇

 和多理是邇 多弖流

 阿豆佐由 美麻由美

 伊岐良牟登 許許呂波母閇杼

 伊斗良牟登 許許呂波母閇杼

 母登幣波 岐美袁淤母比傳

 須惠幣波 伊毛袁淤母比傳

 伊良那祁久 曾許爾淤母比傳

 加那志祁久 許許爾淤母比傳

 伊岐良受曾久流 阿豆佐由美

 麻由美

故其大山守命之骨者葬于那良山也

是大山守命者

[土形君

 弊岐君

 榛原君等之祖]

 爾〔ここ〕に其〔そ〕の骨〔かばね〕を掛出〔かきいでたる〕時〔とき〕に

 弟王〔おとみこ〕の歌曰〔みうた〕

  知波夜比登〔ちはやひと〕

  宇遲能和多理邇〔うぢのわたりに〕

  和多理是邇〔わたりぜに〕

  多弖流〔たてる〕

  阿豆佐由美〔あづさゆみ〕

  麻由美〔まゆみ〕

  伊岐良牟登〔いきらむと〕

  許許呂波母閇杼〔こころはもへど〕

  伊斗良牟登〔いとらむと〕

  許許呂波母閇杼〔こころはもへど〕

  母登幣波〔もとへは〕

  岐美袁淤母比傳〔きみをおもひで〕

  須惠幣波〔すゑへは〕

  伊毛袁淤母比傳〔いもをおもひで〕

  伊良那祁久〔いらなけく〕

  曾許爾淤母比傳〔そこにおもひで〕

  加那志祁久〔かなしけく〕

  許許爾淤母比傳〔ここにおもひで〕

  伊岐良受曾久流〔いきらずぞくる〕

  阿豆佐由美〔あづさゆみ〕

  麻由美〔まゆみ〕

   ちはや人 宇治の渡りに

   渡り瀨に 立てる

   梓弓 眞弓

   い伐らむと 心は思へど

   い取らむと 心は思へど

   本方は 君を思ひ出

   末方は 妹を思ひ出

   苛けく 其處に思ひ出

   悲しけく 此處に思ひ出

   い伐らずぞ來る 梓弓

   眞弓

 故〔かれ〕其〔そ〕の大山守〔おほやまもり〕の命〔みこと〕の骨〔みかばね〕をば

 那〔ナ〕良〔ラ〕山〔やま〕に葬〔かくし〕ましき。

 是〔こ〕の大山守〔おほやまもり〕の命〔みこと〕は

 [土形〔ひぢかた〕の君〔きみ〕、

  弊岐〔へき〕の君〔きみ〕、

  榛原〔はりはら〕の君等〔きみら〕が祖〔おや〕なり。]


於是、大雀命與宇遲能和紀郎子二柱、各讓天下之間、海人貢大贄。爾兄辭令貢於弟、弟辭令貢於兄、相讓之間、既經多日。如此相讓、非一二時。故、海人既疲往還而泣也、故諺曰「海人乎、因己物而泣」也。然、宇遲能和紀郎子者早崩、故大雀命治天下也。

於是〔ここに〕大雀〔おほさざき〕の命〔みこと〕と

宇〔ウ〕遲〔ヂ〕能〔ノ〕和〔ワ〕紀〔キ〕郎子〔いらつこ〕二柱〔ふたはしら〕

天下〔あめのした〕各〔あひ〕讓〔ゆづり〕たまふ間〔ほど〕に

海人〔あま〕大贄〔いおほにへ〕を貢〔たてまつり〕き。

爾〔かれ〕兄〔あにみこ〕は辭〔いなみ〕て

弟〔おとみこ〕に令貢〔たてまつらしめ〕たまひ、

弟〔おとみこ〕はまた辭〔‐〕兄〔あにみこ〕に令貢〔たてまつらしめ〕て

相〔あひ〕讓〔ゆづり〕したまふ間〔あひだ〕に

既〔すで〕に多〔あまた〕日〔ひ〕經〔へ〕ぬ。

如此〔かく〕相〔あひ〕讓〔ゆづり〕たまふこと

非一二時故〔ひとたびふたたびにあらざれば〕

海人〔あま〕は既〔すで〕に往還〔ゆきき〕に疲〔つかれ〕て泣〔なき〕けり。

故〔かれ〕諺〔ことわざ〕に

 海人〔あま〕なれや、因己〔おの〕が物〔もの〕因から泣〔ねなき〕。

とぞ曰〔いふ〕。

然〔しかる〕に

宇〔ウ〕遲〔ヂ〕能〔ノ〕和〔ワ〕紀〔キ〕郎子〔いらつこ〕は

早〔はや〕く崩〔かむさりまし〕ぬ。

故〔かれ〕大雀〔おほさざき〕の命〔みこと〕ぞ天下〔あめのした〕治〔しろしめし〕ける。









Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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