古事記(國史大系版・中卷26・應神2歌謠)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
於是天皇問大山守命與大雀命詔
汝等者孰愛兄子與弟子
天皇所以發是問者宇遲能和紀郎子有令治天下之心也
爾大山守命白
愛兄子
次大雀命知天皇所問賜之大御情而白
兄子者既成人是無悒
弟子者未成人是愛
爾天皇詔
佐邪岐阿藝之言[自(レ)佐至(レ)藝五字以(レ)音]
如我所思
即詔別者
大山守命爲山海之政
大雀命執食國之政以白賜
宇遲能和紀郎子所知天津日繼也
故大雀命者勿違天皇之命也
於是〔ここに〕天皇〔すめらみこと〕
大山守〔おほやまもり〕の命〔みこと〕と大雀〔おほさざき〕の命〔みこと〕とに
詔〔‐〕
汝等〔みましたち〕は
兄〔あに〕なる子〔こ〕と弟〔おと〕なる子〔こ〕と
孰〔いづれ〕か愛〔はしき〕。
と問〔とはしたまひき〕。
[天皇〔すめらみこと〕の發是問〔かくとはしける〕所以〔ゆゑ〕は
宇〔ウ〕遲〔ヂ〕能〔ノ〕和〔ワ〕紀〔キ〕郎子〔いらつこ〕に
令治天下〔あめのしたしろしめさむ〕の心〔みこころ〕有〔ましければなり〕。]
爾〔ここ〕に大山守〔おほやまもり〕の命〔みこと〕
兄〔あに〕なる子〔こ〕ぞ愛〔はしき〕。
と白〔まをし〕たまひき。
次〔つぎ〕に大雀〔おほさざき〕の命〔みこと〕は
天皇〔すめらみこと〕の所問賜〔とはしめたまふ〕大御情〔おほみこころ〕を知〔しらし〕て
白〔まをしたまはく〕
兄〔あに〕なる子〔こ〕は既〔すで〕に成人〔ひととなり〕つれば
是〔‐〕悒〔いぶせきこと/いきどをり〕無〔なき〕を、
弟〔おと〕なる子〔こ〕はぞ未成人〔いまだわかければ/いとけなきは〕
是〔‐〕愛〔はしき〕。
とまをしたまひき。
爾〔ここ〕に天皇〔すめらみこと〕詔〔のりたまはく〕
佐〔さ〕邪〔ザ〕岐〔キ〕、
阿〔ア〕藝〔ギ〕の言〔こと〕ぞ[自(レ)佐至(レ)藝五字以(レ)音]
我〔あ〕が所思〔おもほす〕が如〔ごとく〕なり。
とのりたまひて
即〔すなはち〕詔〔のり〕別〔わけ〕たまへらくは
大山守〔おほやまもり〕の命〔みこと〕は
山海〔うみやま(儘)〕の政〔まつりごと〕を爲〔まをしたまへ〕。
大雀〔おほさざき〕の命〔みこと〕は
食國〔をすくに〕の政〔まつりごと〕を執〔とり〕以〔も〕て白〔まをし〕賜〔たまへ〕。
宇〔ウ〕遲〔ヂ〕能〔ノ〕和〔ワ〕紀〔キ〕郎子〔いらつこ〕は
天津〔あまつ〕日繼〔ひつぎ〕を所知〔しらせ〕。
とのりわけたまひき。
故〔かれ〕大雀〔おほさざき〕の命〔みこと〕は
天皇〔おほきみ〕の命〔みこと〕に勿違〔たがひまつらざり〕き。
一時天皇越幸近淡海國之時
御立宇遲野上望葛野歌曰
知婆能 加豆怒袁美禮婆 毛毛知陀流 夜邇波母美由 久爾能富母美由
故‘到坐木幡村之時麗美孃子‘遇其道衢
(到坐、宣長校本及寛本作引坐、據諸本及古事記傳改。遇、一本作過)
一時〔あるとき〕天皇〔すめらみこと〕
近〔ちかつ〕淡海〔あふみ〕の國〔くに〕に越幸〔こえいでます〕時〔とき〕
宇〔ウ〕遲〔ヂ〕野〔ぬ〕の上〔うへ〕に御立〔みたたし〕て
葛野〔かづぬ〕を望〔みさけ〕まして歌曰〔うたはしけらく〕
知婆能〔ちばの〕
加豆怒袁美禮婆〔かづぬをみれば〕
毛毛知陀流〔ももちだる〕
夜邇波母美由〔やにはもみゆ〕
久爾能富母美由〔くにのほもみゆ〕
千葉の 葛野を見れば 百千足る 家庭も見ゆ 國の穗も見ゆ
故〔かれ〕木幡〔こはた〕の村〔むら〕に到坐〔いたりませる〕時〔とき〕に
其〔そ〕の道衢〔ちまた〕に麗美〔かほよき〕孃子〔をとめ〕遇〔あへり〕。
爾天皇問其孃子曰
汝者誰子
答白
丸邇之比布禮能意富美之女
名宮主矢河枝比賣
天皇即詔其孃子
吾明日還幸之時入坐汝家
故矢河枝比賣委曲語其父
於是父答曰
是者天皇坐‘那理[此二字以音](那理、寛寫本作祁理、恐是)
恐之我子仕奉
云而嚴餝其家候待者明日入坐
故獻大御饗之時其女矢河枝比賣「‘命」令取大御酒盞而獻(命、宣長云恐與下文令字相涉而衍者)
爾〔ここ〕に天皇〔すめらみこと〕問〔‐〕
其〔そ〕の孃子〔をとめ〕に
汝〔いまし〕は誰〔た〕が子〔こ〕ぞ。
と問〔とはしければ〕
答白〔こたへまをさく〕
丸〔わ〕邇〔ニ〕の比〔ヒ〕布〔フ〕禮〔レ〕能〔ノ〕意〔オ〕富〔ホ〕美〔ミ〕が女〔むすめ〕
名〔な〕は宮主〔みやぬし〕矢河枝〔やかはえ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕。
とまをしき。
天皇〔すめらみこと〕即〔‐〕其〔そ〕の孃子〔をとめ〕に
吾〔あれ〕明日〔あす〕還幸〔かへりまさむ〕時〔とき〕
汝〔いまし〕の家〔いへ〕に入坐〔いりまさむ〕。
と詔〔のりたまひき〕。
故〔かれ〕矢河枝〔やかはえ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕
其〔そ〕の父〔ちち〕に委曲〔つぶさ〕に語〔かたり〕き。
於是〔ここに〕父〔ちち〕が答曰〔いひけらく〕
是〔こ〕は天皇〔おほきみ〕に坐〔まし〕那〔ケ〕理〔リ〕。[此二字以(レ)音。]
恐之〔かしこし〕。
我〔あ〕が子〔こ〕仕奉〔つかまつれ〕。
と云〔いひ〕て其〔そ〕の家〔いへ〕を嚴〔いかめしく〕餝〔かざり〕て候待〔さもらはば〕
明日〔またのひ〕入坐〔いりまし〕ぬ。
故〔かれ〕大御饗〔おほみあへ〕を獻〔たてまつる〕時〔とき〕に
其〔そ〕の女〔むすめ〕矢河枝〔やかはえ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕「命」に
大御酒盞〔おほみさかづち〕令取〔とらしめ〕て獻〔たてまつり〕き。
於是天皇任令取其大御酒盞而
御歌曰
許能迦邇夜 伊豆久能迦邇
毛毛豆多布 都奴賀能迦邇
余許佐良布 伊豆久邇伊多流
伊知遲志麻 美志麻邇斗岐
美本杼理能 迦豆伎伊岐豆岐
志那陀由布 佐佐那美遲袁
‘須久須久登 和賀伊麻勢婆夜(須久須久、卜本酉本作酒久酒久)
許波多能美知邇 阿波志斯袁登賣
宇斯呂傳波 袁陀弖呂迦母
波那美波志 ‘比斯那須(比斯、諸本此間有比字、伊知之下此字无、延本與此同)
伊知比韋能 和邇‘佐能邇袁(佐能邇、眞本此下有佐能邇三字)
波都邇波 波陀阿可良氣美
‘志波邇波 邇具漏岐由惠(志波、眞本作志婆、宣長云恐誤)
美都具理能 ‘曾能那迦都爾袁(曾能、眞本此下有曾能二字)
加夫都久 ‘麻肥邇波阿弖受(麻肥、宣長云記中以肥字爲火假字、以比爲日假字、今作肥者偶生誤者)
麻用賀岐許邇 加岐多禮
阿波志斯袁美那 迦母賀登
和賀美斯古良 迦久母賀登
阿賀美斯古邇 ‘宇多陀氣邇[宇多、宣長云諸本此下有多字、今從延本]
牟迦比袁流迦母 伊蘇比袁流迦母
如此御合生御子宇遲能和紀[自(レ)宇下五字以(レ)音]郎子也
於是〔ここに〕天皇〔すめらみこと〕
其〔そ〕の大御酒盞〔おほみさかづき〕を任令取〔とらしめ〕而〔ながら〕
御歌曰〔みうたよみしたまはく〕
許能迦邇夜〔このかにや〕
伊豆久能迦邇〔いづくのかに〕
毛毛豆多布〔ももづたふ〕
都奴賀能迦邇〔つぬがのかに〕
余許佐良布〔よこさらふ〕
伊豆久邇伊多流〔いづくにいたる〕
伊知遲志麻〔いちぢしま〕
美志麻邇斗岐〔みしまにとき〕
美本杼理能〔みほどりの〕
迦豆伎伊岐豆岐〔かづきいきづき〕
志那陀由布〔しなだゆふ〕
佐佐那美遲袁〔ささなみぢを〕
須久須久登〔すくすくと〕
和賀伊麻勢婆夜〔わがいませばや〕
許波多能美知邇〔こはたのみちに〕
阿波志斯袁登賣〔あはししをとめ〕
宇斯呂傳波〔うしろでは〕
袁陀弖呂迦母〔をだをひろかも〕
波那美波志〔はなみはし〕
比斯那須〔ひしなす〕
伊知比韋能〔いちひゐの〕
和邇佐能邇袁〔わにさのにを〕
波都邇波〔はつには〕
波陀阿可良氣美〔はだあからけみ〕
志波邇波〔しはには〕
邇具漏岐由惠〔にぐろきゆゑ〕
美都具理能〔みつぐりの〕
曾能那迦都爾袁〔そのなかつにを〕
加夫都久〔かぶつく〕
麻肥邇波阿弖受〔まひにはあてず〕
麻用賀岐許邇〔まよがきこに〕
加岐多禮〔かきたれ〕
阿波志斯袁美那〔あはししをみな〕
迦母賀登〔かもがと〕
和賀美斯古良〔わがみしこら〕
迦久母賀登〔かくもがと〕
阿賀美斯古邇〔あがみしこに〕
宇多陀氣邇〔うただけに〕
牟迦比袁流迦母〔むかひをるかも〕
伊蘇比袁流迦母〔いそひをるかも〕
此の蟹や 何處の蟹
百傳ふ 角鹿の蟹
横去らふ 何處に到る
伊知遲島 美島に速來
鳰鳥の 潛き息づき
しなだゆふ さざ浪路を
すくすくと 吾が行坐ばや
木幡の道に 遇はしし嬢子
後方は 小楯ろかも
齒並みはし 菱如す
櫟井の 丸邇坂の土を
初土は 膚赤らけみ
底土は 土黑き故
三つぐりの 其の中つ土を
かぶつく 眞日には當てず
眉書き濃に 書き埀れ
遇はしし女人 かもがと
吾が見し兒ら 斯くもがと
吾が見し兒に うただけに
向かひ居るかも い副ひ居るかも
如此〔かくて〕御合〔みあひ〕まして生〔うみませる〕御子〔みこ〕ぞ
宇〔ウ〕遲〔ヂ〕能〔ノ〕和〔ワ〕紀〔キ〕[自(レ)宇下五字以(レ)音]郎子〔いらつこ〕に坐〔まし〕ける。
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