古事記(國史大系版・中卷24・仲哀/神功4歌謠)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
於是還上坐時
其御祖息長帶日賣命釀‘待酒以獻(待酒、酉本作御酒)
爾其御祖御歌曰
許能美岐波 和賀美岐那良受
久志能加美 登許余邇伊麻須
伊波多多須 須久那美迦微能
加牟菩岐 本岐玖琉本斯
登余本岐 本岐母登本斯
麻都理許斯 美岐叙
阿佐受袁勢佐佐
如此歌而獻大御酒
於是〔ここに〕還上坐〔かへるのぼりませる〕時〔とき〕に
其〔そ〕の御祖〔みおや〕息長帶〔おきながたらし〕日〔ひ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕
待酒〔まちさけ〕を釀〔かみ〕て以獻〔たてまつらしき〕。
爾〔かれ〕其〔そ〕の御祖〔みおや〕の御歌曰〔みうた〕
許能美岐波〔このみきは〕
和賀美岐那良受〔わがみならず〕
久志能加美〔くしのかみ〕
登許余邇伊麻須〔とこよにいます〕
伊波多多須〔いはたたす〕
須久那美迦微能〔すくなみかみの〕
加牟菩岐〔かむほぎ〕
本岐玖琉本斯〔ほぎくるほし〕
登余本岐〔とよほぎ〕
本岐母登本斯〔ほぎもとほし〕
麻都理許斯〔まつりこし〕
美岐叙〔みきぞ〕 阿佐受袁勢佐佐〔あさずをせささ〕
此の御酒は わが御酒ならず
酒の上 常世に坐す
磐立たす 少名御神の
神醸き 壽き令狂令〔くるほし〕
豐壽ぎ 壽き令廻〔もとほし〕
奉り來し 御酒ぞ
飽さず食せささ
如此〔かく〕歌而〔うたはして〕大御酒〔おほみけ〕獻〔たてまつらし〕き。
爾建内宿禰命爲御子答歌曰
許能美岐袁 迦美祁牟比登波
曾能都豆美 宇須邇多弖弖
‘宇多比都都 迦美祁禮迦母(宇多、宣長云諸本脱字多字今依眞本延本、按中本與眞本同)
麻比都都 迦美祁禮加母
許能美岐能 美岐能
阿夜邇 宇多陀怒斯佐佐
此者酒樂之歌也
爾〔ここ〕に建〔たけし〕内〔うち〕の宿禰〔すくね〕の命〔みこと〕
爲御子答歌曰〔みこのみこたへにこたへまつれるうた〕
許能美岐袁〔このみき〕を
迦美祁牟比登波〔かみけむひとは〕
曾能都豆美〔そのつづみ〕
宇須邇多弖弖〔うすにたてて〕
宇多比都都〔うたひつつ〕
迦美祁禮迦母〔かみけれかも〕
麻比都都〔まひつつ〕
迦美祁禮加母〔かみけれかも〕
許能美岐能〔このみきの〕
美岐能〔みきの〕
阿夜邇〔あやに〕
宇多陀怒斯佐佐〔うただぬしささ〕
此の御酒を 釀みけむ人は
その鼓 臼に立てて
歌ひつつ 釀みけれかも
舞ひつつ 釀みけれかも
此の御酒の 御酒の
奇に 歌樂しささ
此〔こ〕は酒樂〔さかほかひ〕の歌〔うた〕なり。
凡帶中津日子天皇之御年伍拾貳歲[‘壬戌年六月十一日崩也]([壬戌]以下十字、分註、據諸本補)
御陵在河内惠賀之長江也
[皇后御年一百歳崩葬于狹城楯列陵也]
(卜本裏書曰兼益案之如古事記者神功皇后不立帝王御代歟
又案之應神天皇御名譽田和氣命云々宇佐使佐(渚乎〔傍書〕)磨卿勅使有申請事、
曼本又有同文而宇佐下有和氣二字、佐麿作沽麿、事作旨〔歟〕二字)
凡〔すべて〕この帶〔たらし〕中津〔なかつ〕日子〔ひこ〕の天皇〔すめらみこと〕の御年〔みとし〕
伍拾貳歲〔いそぢまりふたつ〕。[壬戌年六月十一日崩也。]
御陵〔みはか〕は河内〔かふち〕の惠〔ヱ〕賀〔ガ〕の長江〔ながえ〕に在〔あり〕。
[皇后御年一百歳崩。葬(二)于狹城楯列陵(一)也。]
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