古事記(國史大系版・中卷23・仲哀/神功3)


底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)

・底本奥書云、

明治三十一年七月三十日印刷

同年八月六日發行

發行者合名會社經濟雜誌社

・底本凡例云、

古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり

且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり


傳卅一)

於是息長帶日賣命於倭還上之時

‘因疑人心一具喪船御子載其喪船(因疑、眞本作固疑)

先令言漏之

 御子既崩

如此上幸之時

香坂王

忍熊王聞而思將‘待取進出於斗賀野爲宇氣比獦也(待、學本无)

爾香坂王騰坐歷木而見

大怒猪出堀其歷木即咋食其香坂王

其弟忍熊王不畏其態

興軍待向之時赴喪船將攻空船

爾自其喪船下軍相戰

 於是〔ここに〕息長帶〔おきながたらし〕日〔ひ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕

 倭〔やまと〕に還上〔かへりのぼり〕ます時〔とき〕に

 人心〔ことのこころ/ひとのこころ〕因疑〔うたがはしきによりて/うたがひおもほせば〕

 喪船〔もふね〕を一〔ふとつ〕具〔そなへ〕て

 御子〔みこ〕を其〔そ〕の喪船〔もふね〕に載〔のせ〕まつりて、

 先〔まづ〕

  御子〔みこ〕は既〔はやく〕崩〔かむさりましぬ〕。

 と令言漏之〔いひもらさしめたまひき〕。

 如此〔かく〕して上幸〔のぼりいでます〕時〔とき〕に

 香坂〔かごさか〕の王〔みこ〕、

 忍熊〔おしくま〕の王〔みこ〕

 聞〔きき〕て將待取〔まちとらむ〕と思〔おもほし〕て

 斗〔ト〕賀〔ガ〕野〔ぬ〕に進出〔すすみで〕て

 宇〔ウ〕氣〔ケ〕比〔ヒ〕獦〔がり〕爲〔したまひき〕。

 爾〔ここ〕に香坂〔かごさか〕の王〔みこ〕

 歷木〔くにぎ〕に騰坐〔のぼりいまし〕て見〔み〕たまふに

 大〔おほき〕なる怒猪〔いかりゐ〕出〔いで〕て

 其〔そ〕の歷木〔くぬぎ〕を堀〔ほり〕て

 即〔すなはち〕其〔そ〕の香坂〔かごさか〕の王〔みこ〕を咋食〔くひ〕つ。

 其〔そ〕の弟〔おと〕忍熊〔おしくま〕の王〔みこ〕

 其〔そ〕の態〔しわざ〕を不畏〔かしいこまず〕して

 軍〔いくさ〕を興〔おこし〕待向〔まちむかへむ〕とする時〔とき〕に

 喪船〔もふね〕に赴〔むかひ〕て

 空船〔むなしふね〕を將攻〔せめたまはむとす〕。

 爾〔かれ〕其〔そ〕の喪船〔もふね〕より軍〔いくさ〕を下〔おろし〕て相戰〔たたかひ〕き。


此時忍熊王以難波吉師部之祖伊佐比宿禰爲將軍

太子御方者以丸邇臣之祖難波根子建振熊命爲將軍

故追退到山代之時還立各不退相戰

爾建振熊命權而令云

 息長帶日賣命者‘既崩(既、寛本作帥非是)

 故無可更戰

即絕弓絃欺陽歸服

於是其將軍既信詐弭弓藏兵

爾自頂髮中採出設弦[‘一名云宇佐由豆留]更張追擊([一名]云々、眞本无此八字分註)

 此〔こ〕の時〔とき〕忍熊〔おしくま〕の王〔みこ〕は

 以〔‐〕難波〔なには〕の吉〔キ〕師〔シ〕部〔べ〕の祖〔おや〕

 伊〔イ〕佐〔サ〕比〔ヒ〕宿禰〔すくね〕を將軍〔いくさのきみ〕と爲〔したまひ〕、

 太子〔みつぎのみこ〕の御方〔みかた〕には以丸〔わ〕邇〔ニ〕の臣〔おみ〕の祖〔おや〕

 難波〔なには〕根子〔ねこ〕の建〔たけ〕振熊〔ふるくま〕の命〔みこと〕を

 將軍〔いくさのきみ〕と爲〔したまひ〕ける。

 故〔かれ〕追退〔おひのけ〕て山代〔やましろ〕に到〔いたれる〕時〔とき〕に

 還立〔かへりたち〕て各〔おのもおのも〕不退〔しりぞかず〕て相〔あひ〕戰〔たたかひ〕き。

 爾〔ここ〕に建〔たけ〕振熊〔ふるくま〕の命〔みこと〕

 權〔たばかり/はかり〕て令云〔/のりごちて〕

  息長帶〔おきながたらし〕日〔ひ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕は

  既〔はやく〕崩〔かむさりまし〕ぬれ故〔ば〕

  更〔さら〕に戰〔たたかふ〕可〔べき〕ことは無〔なし〕。

 と令云〔いはしめて〕

 即〔‐〕弓絃〔ゆつ〕を絕〔たち〕て欺陽〔いつはり〕て歸服〔まつろひ〕ぬ。

 於是〔ここに〕其〔そ〕の將軍〔いくさのきみたち〕

 既〔すで〕に詐〔いつはり〕を信〔たのみ〕て

 弓〔ゆみ〕を弭〔はづし〕兵〔つはもの〕を藏〔をさめ〕き。

 爾〔ここ〕に頂髮〔たたきぶさ/いたたき〕の中〔なか〕より

 設〔まけたる〕弦〔つる〕を採出〔とりいで〕て[一名云宇〔ウ〕佐〔サ〕由〔ユ〕豆〔ヅ〕留〔ル〕]

 更〔さら〕に張〔はり〕て追擊〔おひうち〕き。


故逃退逢坂對立‘亦戰(亦、寛本无)

爾‘追迫敗‘出沙沙那美悉斬其軍(追迫、小本此間有亦字。出、寛本小本神本酉本作於、眞本與此同)

於是其忍熊王與伊佐比宿禰共被追迫

乘船浮海歌曰

 伊奢阿藝 布流玖麻賀

 伊多弖淤波受波 邇本杼理能

 阿布美能宇美邇 迦豆岐勢那和

即入海共死也

 故〔かれ〕逢坂〔あふさか〕に逃退〔にげしりぞき〕て對立〔むきたち〕て亦〔また〕戰〔たたかひ〕けるを

 爾〔‐〕追〔おひ〕迫〔せめ〕敗〔やぶり〕て沙〔サ〕沙〔サ〕那〔ナ〕美〔ミ〕に出〔いで〕てなも

 悉〔ことごと〕に其〔そ〕の軍〔いくさ〕を斬〔きり〕ける。

 於是〔ここに〕其〔そ〕の忍熊〔おしくま〕の王〔みこ〕と

 伊〔イ〕佐〔サ〕比〔ヒ〕宿禰〔すくね〕

 共〔とも〕に被追迫〔おひせめらえ〕て

 船〔ふね〕に乘〔のり〕海〔うみ〕に浮〔うかせ〕て歌曰〔うたひたまはく〕

  伊奢阿藝〔いさあぎ〕

  布流玖麻賀〔ふるくまが〕

  伊多弖淤波受波〔いたておはずば〕

  邇本杼理能〔にほどり〕の

  阿布美能宇美邇〔あふみのうみに〕

  迦豆岐勢那和〔かづきせなわ〕

   いざ吾君 振熊が

   痛手負はずば 鳰鳥の

   淡海の海に 潛きせな吾

 とうたひて即〔すなはち〕海〔うみ〕に入〔いり〕て共〔とも〕に死〔うせ〕たまひぬ。


故建内宿禰命率其太子爲將禊而

經歷淡海及若狹國之時

於‘高志前之角鹿造假宮而‘坐(高志、釋紀十一作古志。坐爾、寛本脱)

爾坐其地伊奢沙和氣大神之命見於夜夢云

 以吾名欲易御子之御名

爾言禱白之

 恐隨命易奉

亦其神詔

 明日之旦應幸於濱

 獻易名之幣

故其旦幸行‘于濱之時毀鼻入鹿魚既依一浦(于濱、卜本无、釋紀有)

於是御子令白于神云

 於我給御食之魚

故亦稱其御名號御食津大神

故於今謂氣比大神也

亦其入鹿魚之鼻血臰

故號其浦謂血浦今謂都奴賀也

 故〔かれ〕建〔たけし〕内〔うち〕の宿禰〔すくね〕の命〔みこと〕

 其〔そ〕の太子〔ひつぎのみこ〕を率〔ゐ〕てまつりて

 爲將禊〔みみそぎせむとし〕て

 淡海〔あふみ〕及〔また〕若狹〔わかさ〕の國〔くに〕を經歷〔へ〕し時〔とき〕に

 高〔コ〕志〔シ〕の前〔みさき〕の角鹿〔つぬが〕に

 假宮〔かりみや〕を造〔つくり〕て坐〔まつり〕き。

 爾〔かれ〕其地〔そこ〕に坐〔ます〕

 伊〔イ〕奢〔ザ〕沙〔サ〕和〔ワ〕氣〔ケ〕の大神〔おほかみ〕の命〔みこと〕

 夜〔よる〕の夢〔いめ〕に見〔みえ〕て

  以〔‐〕吾〔あ〕が名〔な〕を御子〔みこ〕の御名〔みな〕に易〔かへまく〕欲〔ほし〕。

 と云〔のりたまひき〕

 爾〔かれ〕言禱〔ことほぎ〕て

  恐〔かしこし〕。

  命〔みこと〕の隨〔まにまに〕易奉〔かへまつらむ〕。

 と白之〔まをしき〕。

 亦〔また〕其〔そ〕の神〔かみ〕詔〔のりたまはく〕

  明日〔あす〕の旦〔あした〕

  濱〔はま〕に應幸〔いでますべし〕。

  易名〔なかへ〕の幣〔ゐやじり〕獻〔たてまつらむ〕。

 とのりたまひき。

 故〔かれ〕其〔‐〕旦〔つとめて〕濱〔はま〕に幸行〔いでませる〕時〔とき〕に

 鼻〔はな〕毀〔やぶれ〕たる入鹿魚〔いるかうを〕

 既〔すで〕に一浦〔ひとうら〕に依〔よれり〕。

 於是〔ここに〕御子〔みこ〕令白于神云〔かみにまをさしめたまはく〕

  我〔われ〕に御食〔みけ〕の魚〔な儘〕給〔たまへり〕。

 故〔かれ〕亦〔また〕其〔そ〕の御名〔みな〕を稱〔たたへ〕て

 御食津〔みけつ〕大神〔おほかみ〕と號〔まをす〕。

 故〔かれ〕今〔いま〕に氣〔ケ〕比〔ヒ〕の大神〔おほかみ〕となも謂〔まをす〕。

 亦〔また〕其〔そ〕の入鹿魚〔いるかうを〕の鼻〔はな〕の血〔ち〕臰〔くさかり〕き。

 故〔かれ〕號〔‐〕其〔そ〕の浦〔うら〕を謂血浦〔ちうら〕と謂〔いひ〕て

 今〔いま〕は都〔ツ〕奴〔ヌ〕賀〔ガ〕とぞ謂〔いふ〕。








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

0コメント

  • 1000 / 1000