古事記(國史大系版・中卷20・景行6・小碓命5歌謠)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
(傳廿九)
於是坐倭后等及御子等諸下到而作御陵
即匍匐廻其地之那豆岐田[自那下三字以音]而
哭爲歌曰
那豆岐能多能 伊那賀良邇 伊那賀良爾 波比母登富呂布 ‘登許呂豆良(登許呂豆良、宣長云此下恐脱末一句)
於是化八尋白智鳥翔天而向濱飛行[智字以音]
爾其后及御子等‘於其小竹之苅杙雖足䠊破‘忘其痛以哭追
(於其、宣長云此下恐脱地或野字、眞本延本作於是疑非。
忘、卜本山本寛本閣本作忍、而閣本傍書與此同、宣長云今從延本又一本)
此時歌曰
阿佐士怒波良 許斯那豆牟 蘇良波由賀受 阿斯用由久那
又入其海鹽而[那豆美此三字以音]行時歌曰
宇美賀由氣婆 許斯那豆牟
意富迦波良能 宇惠具佐
宇美賀波 伊佐用布
又飛居其礒之時歌曰
波麻都知登理 ‘波麻用波由迦受 伊蘇豆多布
(波麻用波由迦受、宣長云諸本脱由字、眞本无波字、延本无用字、今考定焉)
是四歌者皆歌其御葬也
故至今其歌者歌天皇之大御葬也
故自其國飛翔行留河内國之志幾
故於其地作御陵鎭坐也
即號其御陵謂白鳥御陵也
然亦自其地更翔天以飛行
於是〔ここに〕倭〔やまと〕に坐〔ます〕后等〔きさきたち〕及〔また〕御子等〔みこたち〕
諸〔もろもろ〕に下到〔くだりき〕まして御陵〔みはか〕を作〔つくり〕て
即〔‐〕其地〔そこ〕の那〔ナ〕豆〔ヅ〕岐〔キ〕田〔だ〕[自(レ)那下三字以(レ)音]に
匍匐〔はらばひ〕廻〔もとほり〕て
哭爲〔みねなかしつつ〕歌曰〔つたひたまはく〕
那豆岐能〔なづきの〕
多能伊那賀良邇〔たのいながらに〕
伊那賀良爾〔いながらに〕
波比母登富呂布〔はひもとほろふ〕
登許呂豆良〔ところづら〕
那豆岐の 田の稲殻に 稲殻に 這ひ廻ろふ ところ鬘
於是〔ここに〕八尋〔やひろ〕白〔しろ〕智〔チ〕鳥〔どり〕と化〔なり〕て
天〔あめ〕に翔〔かけり〕て濱〔はま〕に向〔むき〕て飛行〔とびいまし〕ぬ。[智字以(レ)音]
爾〔かれ〕其〔そ〕の后〔きさきたち〕及〔‐〕御子等〔みこたち〕
其〔そこ〕なる小竹〔しぬ〕の苅杙〔かりくひ〕に
足〔みあし〕䠊〔きり〕破〔やぶるれ〕雖〔ども〕
其〔そ〕の痛〔いたき〕をも忘〔わすれ〕て以哭〔なくなく〕追〔おひいで〕ましき。
此〔こ〕の時〔とき〕の歌曰〔みうた〕
阿佐士怒波良〔あさじぬはら〕
許斯那豆牟〔こしなづむ〕
蘇良波由賀受〔そらはゆかず〕
阿斯用由久那〔あしよゆくな〕
淺小竹原 願煩む 虛空は行かず 足從行くな
又〔また〕其〔そ〕の海鹽〔うしほ〕に入〔いり〕て
那〔ナ〕豆〔ヅ〕美〔ミ〕[此三字以(レ)音]行〔ゆき〕ましし時〔とき〕の歌曰〔みうた〕
宇美賀由氣婆〔うみがゆけば〕
許斯那豆牟〔こしなづむ〕
意富迦波良能〔おほかはらの〕
宇惠具佐〔うゑぐさ〕
宇美賀波〔うみがは〕
伊佐用布〔いさよふ〕
海が行けば 腰なづむ
大河原の 植ゑ草
海がは いさよふ
又〔また〕飛〔とび〕て居其〔こ〕の礒〔いそ〕に居〔いたまへる〕時〔とき〕の歌曰〔みうた〕
波麻都知登理〔はまつちどり〕
波麻用波由迦受〔はまよはゆかず〕
伊蘇豆多布〔いそづたふ〕
濱千鳥 濱從は行かず 磯傳ふ
是〔こ〕の四歌〔ようた〕は皆〔みな〕歌其〔そ〕の御葬〔はぶり〕に歌〔うたひ〕たりき。
故〔かれ〕至今〔いまに〕其〔そ〕の歌〔うた〕は
天皇〔すめらみこと〕の大御葬〔おほみはぶり〕に歌〔うたふ〕なり。
故〔かれ〕其〔そ〕の國〔くに〕より飛〔とび〕翔〔かけり〕行〔いまし〕て
留河内〔かふち〕の國〔くに〕の志〔シ〕幾〔キ〕に留〔とどまり〕ましき
故〔かれ〕其地〔そこ〕に御陵〔みはか〕作〔つくり〕て鎭坐〔しづまりまさしめ〕き。
即〔‐〕號〔‐〕其〔そ〕の御陵〔みはか〕を白鳥〔しらとり〕の御陵〔みささき〕とぞ謂〔いふ〕。
然〔しかれ〕ども亦〔また〕其地〔そこ〕より更〔さら〕に天〔あま〕翔〔がけり〕て
以〔‐〕飛行〔とびいまし〕ぬ。
凡此倭建命平國廻行之時
久米直之祖名七拳脛恒爲膳夫以從仕奉也
凡〔すべて〕此〔こ〕の倭〔やまと〕建〔たける〕の命〔みこと〕
國〔くに〕平〔むけ〕に廻行〔めぐり〕ましし時〔とき〕
久〔ク〕米〔メ〕の直〔あたへ〕の祖〔おや〕
名〔な〕は七拳脛〔ななつかはぎ〕
恒〔いつも〕膳夫〔かしはで〕爲〔として〕以〔‐〕從仕奉〔みともつかへまつりき〕。
此倭建命娶伊玖米天皇之女布多遲能伊理毘賣命[自布下八字以音]生御子
帶中津日子命[一柱]
又娶其入海弟橘比賣命生御子
若建王[一柱]
又娶近淡海之安國造之祖意富多牟和氣之女布多遲比賣生御子
稻依別王[一柱]
又娶吉備臣建日子之妹大吉備建比賣生御子
建貝兒王[一柱]
又娶山代之玖玖麻毛理比賣生御子
足鏡別王[一柱]
又一妻之子息長田別王
凡是倭建命之御子等幷六柱
此〔こ〕の倭〔やまと〕建〔たける〕の命〔みこと〕
伊〔イ〕玖〔ク〕米〔メ〕の天皇〔すめらみこと〕の女〔ひめみこ〕
布〔フ〕多〔タ〕遲〔ヂ〕能〔ノ〕伊〔イ〕理〔リ〕毘〔ビ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕[自(レ)布下八字以(レ)音]に娶〔みあひ〕まして
御子〔みこ〕帶〔たらし〕中津〔なかつ〕日子〔ひこ〕の命〔みこと〕を生〔うみ〕ましき。[一柱。]
又〔また〕其〔か〕の海〔うみ〕に入〔いり〕ましし
弟〔おと〕橘〔たちばな〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕に娶〔みあひ〕まして
生〔うみませる〕御子〔みこ〕若〔わか〕建〔たけ〕の王〔みこ〕。[一柱。]
又〔また〕近〔ちかつ〕淡海〔あふみ〕の安〔やす〕の國造〔くにのみやつこ〕の祖〔おや〕
意〔オ〕富〔ホ〕多〔タ〕牟〔ム〕和〔ワ〕氣〔ケ〕が女〔むすめ〕
布〔フ〕多〔タ〕遲〔ヂ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕を娶〔めし〕て
生〔うみませる〕御子〔みこ〕
稻依別〔いなよりわけ〕の王〔みこ〕。[一柱。]
又〔また〕吉〔キ〕備〔ビ〕の臣〔おみ〕建〔たけ〕日子〔ひこ〕の妹〔いも〕
大〔おほ〕吉〔キ〕備〔ビ〕建〔たけ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕を娶〔めし〕て
生〔うみませる〕御子〔みこ〕
建貝兒〔たけかひこ〕の王〔みこ〕。[一柱。]
又〔また〕山代〔やましろ〕の玖〔ク〕玖〔ク〕麻〔マ〕毛〔モ〕理〔リ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕を娶〔めし〕て
生〔うみませる〕御子〔みこ〕
足鏡別〔あしかがみわけ〕の王〔みこ〕。[一柱。]
又〔また〕一妻〔あるみめ〕のうめる子〔みこ〕
息長田別〔おきながたわけ〕の王〔みこ〕。
凡〔すべて〕是〔こ〕の倭〔やまと〕建〔たける〕の命〔みこと〕の御子等〔みこたち〕
幷〔あはせ〕て六柱〔むはしら〕ませり。
故帶中津日子命者治天下也
次稻依別王者
[犬上君
建部君等之祖]
次建貝兒王者
[讚岐綾君
伊勢之別
登袁之別
‘麻佐首([麻佐]、宣長云眞本[麻]作[庶]、未詳孰是)
宮首之別等之祖]
足鏡別王者
[鎌倉之別
‘小津([小津]、此下恐脱[君]字)
石代之別
漁田之別之祖也]
次息長田別王之子
杙俣長日子王
此王之子
飯野眞黑比賣命
次息長眞若中比賣
次弟比賣[‘三柱]([三柱]、諸本作[二柱]、宣長云今從延本)
故上云若建王娶飯野眞黑比賣生子
須賣伊呂大中日子王[自須至呂以音]
此王娶淡海之柴野入杵之女柴野比賣生子
迦具漏比賣命
故大帶日子天皇娶此迦具漏比賣命生子
大江王[一柱]
此王娶庶妹‘銀王生子(銀、宣長云恐有誤、疑當作鐸)
大名方王
次大中比賣命[二柱]
故此之大中比賣命者
香坂王
忍熊王之御祖也
故〔かれ〕帶〔たらし〕中津〔なかつ〕日子〔ひこ〕の命〔みこと〕は
天下〔あめのした〕治〔しろしめしき〕。
次〔つぎ〕に稻依別〔いなよりわけ〕の王〔みこ〕は
[犬上〔いぬかみ〕の君〔きみ〕、
建部〔たけるべ〕の君等〔きみら〕が祖〔おや〕。]
次〔つぎ〕に建貝兒〔たけかひこ〕の王〔みこ〕は
[讚〔サヌ〕岐〔ギ〕の綾〔あや〕の君〔きみ〕、
伊〔イ〕勢〔セ〕の別〔わけ〕、
登〔ト〕袁〔ヲ〕の別〔わけ〕、
麻〔マ〕佐〔サ〕の首〔おびと〕、
宮首〔みやぢ〕の別等〔わけら〕が祖〔おや〕。]
足鏡別〔あしかがみわけ〕の王〔みこ〕は
[鎌倉〔かまくら〕の別〔わけ〕、
小津〔をつ〕のきみ、
石代〔いはしろ〕の別〔わけ〕、
漁田〔ふきた〕の別〔わけ〕の祖〔おや〕なり。]
次〔つぎ〕に息長田別〔おきながたわけ〕の王〔みこ〕の子〔みこ〕
杙〔くひ〕俣長〔またなが〕日子〔ひこ〕の王〔みこ〕。
此〔こ〕の王〔みこ〕の子〔みこ〕
飯野眞〔いひぬま〕黑〔くろ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕。
次〔つぎ〕に息長〔おきなが〕眞若〔まわか〕中〔なかつ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕。
次〔つぎ〕に弟〔おと〕比〔ヒ〕賣〔メ〕。[三柱。]
故〔かれ〕上〔かみ〕に云〔いへる〕若〔わか〕建〔たけ〕の王〔みこ〕
飯野眞〔いひぬま〕の黑〔くろ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕に娶〔みあひ〕て
生〔うみませる〕子〔みこ〕
須〔ス〕賣〔メ〕伊〔イ〕呂〔ロ〕大中〔おほなかつ〕日子〔ひこ〕の王〔みこ〕。[自(レ)須至呂以(レ)音。]
此〔こ〕の王〔みこ〕
淡海〔あふみ〕の柴野〔しばぬ〕入杵〔いりき〕が女〔むすめ〕
柴野〔しばぬ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕に娶〔みあひ〕て
生〔うみませる〕子〔みこ〕
迦〔カ〕具〔グ〕漏〔ロ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕。
故〔かれ〕大帶〔おほたらし〕日子〔ひこ〕の天皇〔すめらみこと〕
此〔こ〕の迦〔カ〕具〔グ〕漏〔ロ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕を娶〔めし〕て
子〔みこ〕大江〔おほえ〕の王〔みこ〕を生〔うみ〕ましき。[一柱。]
此〔こ〕の王〔みこ〕
庶妹〔ままいも〕銀〔しろかね〕の王〔みこ〕に娶〔みあひ〕て
生〔うみませる〕子〔みこ〕
大名方〔おほながた〕の王〔みこ〕。
次〔つぎ〕に大中〔おほなかつ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕。[二柱。]
故〔かれ〕此〔こ〕の大中〔おほなかつ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕は
香坂〔かごさか〕の王〔みこ〕、
忍熊〔おしくま〕の王〔みこ〕の御祖〔おや〕にます。
此大帶日子天皇之御年壹佰參拾漆歲
御陵在山邊之道上也
此〔こ〕の大帶〔おほたらし〕日子〔ひこ〕の天皇〔すめらみこと〕の
御年〔みとし〕壹佰參拾漆歲〔ももちまりみそななつ〕。
御陵〔みはか〕は山〔やま〕の邊〔べ〕の道〔みち〕の上〔へ〕に在〔あり〕。
(成務)
若帶日子天皇坐近淡海之志賀高穴穗宮治天下也
若〔わか〕帶〔たらし〕日子〔ひこ〕の天皇〔すめらみこと〕。
近〔ちかつ〕淡海〔あふみ〕の志〔シ〕賀〔ガ〕の高穴穗〔たかあなほ〕の宮〔みや〕に坐〔ましまし〕て
天下〔あめのした〕治〔しろしめしき〕。
此天皇娶穗積臣等之祖建忍山垂根之女名弟財郎女生御子
和訶奴氣王[一柱]
此〔こ〕の天皇〔すめらみこと〕
穗積〔ほつみ〕の臣等〔おみら〕が祖〔おや〕
建〔たけ〕忍山〔おしやま〕垂根〔たりね〕の女〔むすめ〕
名〔な〕は弟〔おと〕財〔たから〕の郎女〔いらつめ〕を娶〔めし〕て
生〔うみませる〕御子〔みこ〕
和〔ワ〕訶〔カ〕奴〔ヌ〕氣〔ケ〕の王〔みこ〕。[一柱。]
故建内宿禰爲大臣
定賜大國小國之國造
亦定賜國國之堺及大縣小縣之縣主也
故〔かれ〕建〔たけし〕内〔うち〕の宿禰〔すくね〕を大臣〔おほおみ〕と爲〔したまひ〕
大國〔おほくに〕小國〔をくに〕の國造〔くにのみやつこ〕を定賜〔さだめたまひ〕、
亦〔また〕國國〔くにくに〕の堺〔さかひ〕
及〔また〕大縣〔おほあがた〕小縣〔をあがた〕の縣主〔あがたぬし〕を定賜〔さだめたまひき〕。
天皇御年玖拾伍歲「[‘乙卯年三月十五日崩也]」御陵在沙紀之多他那美也
([乙卯]以下十字、據諸本補)
この天皇〔すめらみこと〕の御年〔みとし〕玖拾伍歲〔ここのそぢまりいつ〕。
[乙卯年三月十五日崩也。]
御陵〔みはか〕は沙〔サ〕紀〔キ〕の多〔タ〕他〔タ〕那〔ナ〕美〔ミ〕に在〔あり〕。
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