古事記(國史大系版・中卷19・景行5・小碓命4歌謠)


底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)

・底本奥書云、

明治三十一年七月三十日印刷

同年八月六日發行

發行者合名會社經濟雜誌社

・底本凡例云、

古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり

且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり



於是詔

 茲山神者‘徒手直取(徒手、寛本作從手、恐非)

而騰其山之時白猪逢于山邊其大如牛

爾爲言擧而詔

 是化白猪者其神之使者

 雖今不殺還時將殺

而騰坐

於是零大氷雨打‘惑倭建命(惑、諸本作或、宣長云今從延本下分註同)

[此化白猪者非其神之使者

 當其神之正身

 因言擧見惑也]

故還下坐之到‘玉倉部之淸泉以息坐之時御心稍寤

(玉倉部、倉諸本作食、宣長云非也今從眞本延本、未詳其地、恐美濃國不破郡之地)

故號其淸泉謂居寤淸泉也。

 於是〔ここに〕詔〔のりたまはく〕

  茲〔こ〕の山〔やま〕の神〔かみ〕は徒手〔むなで/たむなで〕に直〔ただ〕に取〔とりてむ〕。

 とのりたまひて

 其〔そ〕の山〔やま〕に騰〔のぼり〕ます時〔とき〕に

 山〔やま〕の邊〔べ〕に白〔しろき〕猪〔ゐ〕逢〔あへり〕。

 其〔そ〕の大〔おほきさ〕牛〔うし〕の如〔ごとく〕なりき。

 爾〔かれ〕言擧〔ことあげ〕して詔〔のりたまはく〕

  是〔こ〕の白〔しろき〕猪〔ゐ〕と化〔なれる〕者〔もの〕は

  其〔そ〕の神〔かみ〕の使〔つかひ〕の者〔もの〕にこそあらめ。

  雖今不殺〔いまとらずとも〕還〔かへらむ〕時〔とき〕に將殺〔とりてむ〕。

 とのりたまひて

 騰〔のぼり〕坐〔まし〕き。

 於是〔ここに〕大氷雨〔おほひさめ〕零〔ふらし〕て

 倭〔やまと〕建〔たける〕の命〔みこと〕を打惑〔うちまどはし〕まつりき。

 [此〔こ〕の白〔しろき〕猪〔ゐ〕に化〔なれる〕者〔もの〕は

  其〔そ〕の神〔かみ〕の使〔つかひ〕の者〔もの〕にあらずて

  當〔‐〕其〔そ〕の神〔かみ〕の正身〔むさね〕にぞありけむを

  言擧〔ことあげ〕したまへるに因〔より〕て見惑〔まどはさえ〕たまへるなり。

 故〔かれ〕還下坐〔かへりくだりまして〕

 到玉倉部〔くらべ〕の淸泉〔しみづ〕に到〔いたり〕て以息坐〔いこひませる〕時〔とき〕に

 御心〔みこころ〕稍〔やや〕寤〔さめ〕ましき。

 故〔かれ〕號〔‐〕其〔そ〕の淸泉〔しみづ〕を居寤〔ゐさめ〕の淸泉〔しみづ〕とぞ謂〔いふ〕。


自其處發到當藝野上之時

詔者

 吾心恒念自虛翔行

 然今吾足不得步

 成當藝斯形[自當下三字以音]

故號其地謂當藝也

 其處〔そこ〕より發〔たたし〕て當〔タ〕藝〔ギ〕野〔ぬ〕の上〔うへ〕に到〔いたり〕ましし時〔とき〕に

 詔者〔のりたまへるは〕

  吾〔あ〕が心〔こころ〕恒〔つねは〕虛〔そら〕より翔行〔かけりゆかむ〕と念〔おもひつる〕を

  然今〔いま〕吾〔あ〕が足〔あし〕不得步〔えあゆまず〕。

  當〔タ〕藝〔ギ〕斯〔シ〕の形〔かた〕[自(レ)當下三字以(レ)音。]に成〔なれり〕。

 とぞのりたまひけりる。

 故〔かれ〕號〔‐〕其地〔そこ〕を謂當〔タ〕藝〔ギ〕と謂〔いふ〕。


自其地差少幸行因甚疲衝御杖稍步

故號其地謂杖衝坂也(自其地至坂也廿字、延本頭注曰恐當在下文謂三重之下乎、宣長云此按可從)

 其地〔そこ〕より差〔やや〕少〔すこし〕幸行〔いでます〕に

 甚〔いたく〕疲〔つかれ〕ませるに因〔より〕て

 御杖〔みつゑ〕を衝〔つかし〕て稍〔やややや/しづか〕に步〔あゆみ〕ましき。

 故〔かれ〕號〔‐〕其地〔そこ〕を謂杖衝坂〔つゑつきざか〕と謂〔いふ〕。


到坐尾津前一松之許先御食‘之時(之時、諸本无之字、宣長云今從眞本延本)

所忘其地御刀不失猶有

爾御歌曰

 袁波理邇 多陀邇牟迦幣流

 袁都能佐岐那流 比登都麻都

 ‘阿勢袁 比登都麻都(阿勢袁、宣長云延本勢改作藝、非也、書紀作阿波禮)

 比登邇阿理勢婆 多知波氣麻斯袁

 岐奴岐勢麻斯袁 比登都麻都

 阿勢袁

 尾津〔をつ〕の前〔さき〕の一松〔ひとつまつ〕の許〔もと〕に到坐〔いたりませる〕に

 先〔さき〕に御食〔みをしせし〕時〔とき〕

 其地〔そこ〕に所忘〔わすらしたらし〕御刀〔みはかし〕不失〔うせず〕て猶〔なほ〕有〔あり〕き。

 爾〔かれ〕御歌曰〔みうたよみしたまはく〕

  袁波理邇〔をはりに〕

  多陀邇牟迦幣流〔ただにむかへる〕

  袁都能佐岐那流〔をつのさきなる〕

  比登都麻都〔ひとつまつ〕

  阿勢袁〔あせを〕

  比登都麻都〔ひとつまつ〕

  比登邇阿理勢婆〔ひとにありせば〕

  多知波氣麻斯袁〔たちはけましを〕

  岐奴岐勢麻斯袁〔きぬきませしを〕

  比登都麻都〔ひとつまつ〕

  阿勢袁〔あせを〕

   尾張に 直に向かへる

   尾津の前なる 一つ松

   吾兄を 一つ松

   人にありせば 太刀佩けましを

   衣着せましを 一つ松

   吾兄を


自其地幸到三重村之時亦詔之

 吾足如三重勾而甚疲

故號其地謂三重

 其地〔そこ〕より幸〔いでまし〕て三重〔みへ〕の村〔むら〕に到〔いたり〕ませる時〔とき〕に

 亦〔また〕

  吾〔あ〕が足〔あし〕如三重勾〔みへのまがりなして〕甚〔いたく〕疲〔つかれ〕たり。

 と詔之〔のりたまひき〕。

 故〔かれ〕號〔‐〕其地〔そこ〕を三重〔みへ〕と謂〔いふ〕。


自其幸行而到能煩野之時

思國以歌曰

 夜麻登波 久爾能麻本呂‘婆(婆、寛本延本作波、宣長云今從眞本一本又一本)

 多多那豆久 阿袁加岐

 夜麻碁母禮流 夜麻登志

 宇流波斯

 其〔そこ〕より幸行〔いでまし〕て能〔ノ〕煩〔ボ〕野〔ぬ〕に到〔いたり〕ませる時〔とき〕に

 國〔くに〕思〔しぬばし〕て以〔‐〕歌曰〔うたひたまはく〕

  夜麻登波〔やまとは〕

  久爾能麻本呂婆〔くにのまほろば〕

  多多那豆久〔たたなづく〕

  阿袁加岐夜麻〔あをかきやま〕

  碁母禮流〔こもれる〕

  夜麻登志〔やまとし〕

  宇流波斯〔うるはし〕

   倭は 國のまほろば

   たたなづく 靑垣山

   こもれる(薦有る) 倭し

   うるはし


又歌曰

 伊能知能 ‘麻多祁牟比登波(麻多祁、閣本傍書多作曾、書紀作曾、意相通)

 多多美許母 幣具理能夜麻能

 久麻加志賀波袁 宇受爾佐勢 曾能古

此歌者思國歌也

 又歌曰〔また〕

  伊能知能〔いのちの〕

  麻多祁牟比登波〔またけむひとは〕

  多多美許母〔たたみこも〕

  幣具理能夜麻能〔へぐりのやまの〕

  久麻加志賀波袁〔くまかしぎはを〕

  宇受爾佐勢〔うづにさせ〕

  曾能古〔そのこ〕

   命の 全けむ人は

   疊薦 平群の山の

   熊樫が葉を 髻華に挿せ

   その子

 此〔こ〕の歌〔うた〕は國〔くに〕思〔しぬび〕歌〔うた〕なり。


又歌曰

 波斯祁夜斯 和岐幣能迦多用 久毛韋多知久母

此者片歌也

 又歌曰(またうたはく)

  波斯祁夜斯〔はしきやし〕

  和岐幣能迦多用〔わぎへのかたよ〕

  久毛韋多知久母〔くもゐたちくも〕

   愛しけやし 吾家の方よ 雲居たち來も

 此〔こ〕は片歌〔かたうた〕なり。


此時御病甚急爾御歌曰

 袁登賣能 登許能辨爾 和賀淤岐斯 都流岐能多知 曾能多知波夜

歌竟即崩

爾貢上驛使

 此〔こ〕の時〔とき〕に御病〔みやまひ〕甚急〔にはかになりぬ〕。

 爾〔ここ〕に御歌曰〔みうたを〕

  袁登賣能〔をとめの〕

  登許能辨爾〔とこのべに〕

  和賀淤岐斯〔わがおきし〕

  都流岐能多知〔つるぎのたち〕

  曾能多知波夜〔そのたちはや〕

   乙女の 床の邊に 吾が置きし 劔の太刀 その太刀はや

 歌〔うたひ〕竟〔をへて〕即〔すなはち〕崩〔かむあがり〕ましぬ。

 爾〔かれ〕驛使〔ゆまづかひ〕貢上〔たてまつり〕き。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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