古事記(國史大系版・中卷18・景行4・小碓命3歌謠)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
自其入幸渡走水海之時其渡神興浪廻船不得進渡
爾其后名弟橘比賣命白之
妾易御子而入‘海中(海中、一本无中字)
御子者‘所遣之政遂應覆奏(所遣、眞本寛寫本山本作所遺)
將入海時以菅疊八重
皮疊八重
‘絁疊八重敷于波上而下坐其上(絁、寛本延本作絹、他諸本皆與此同)
於是其暴浪自伏御船得進
爾其后歌曰
佐泥佐斯 佐賀牟能袁怒邇 毛由流肥能 本那迦邇多知弖 斗比斯岐美波母
故七日之後其后御櫛依于海邊
乃取其櫛作御陵而治置也
其〔それ〕より入〔いり〕幸〔いでまし〕て
走水〔はしりみづ〕の海〔うみ〕を渡〔わたり〕ます時〔とき〕に
其〔そ〕の渡〔わたり〕の神〔かみ〕
浪〔なみ〕を興〔たて〕て、船〔みふね〕廻〔たゆたひ〕て不得進渡〔えすすみわたりまさず〕。
爾〔ここ〕に其〔そ〕の后〔きさき〕
名〔みな〕は弟〔おと〕橘〔たちばな〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕
白之〔まをしたまはく〕
妾〔あれ〕御子〔みこ〕に易〔かはり〕て海中〔うみ〕に入〔いりなむ〕。
御子〔みこ〕は所遣〔まけ〕の政〔まつりごと〕遂〔とげ〕て
應覆奏〔かへりことまをしたまふべし〕。
とまをして
將入海〔うみにいりまさむとする〕時〔とき〕に
以〔‐〕菅疊〔すがたたみ〕八重〔やへ〕
皮疊〔かはたたみ〕八重〔やへ〕
絁疊〔きぬたたみ〕八重〔やへ〕を波〔なみ〕の上〔うへ〕に敷〔しき〕て
其〔そ〕の上〔うへ〕に下坐〔おりまし〕き。
於是〔ここに〕其〔そ〕の暴浪〔あらなみ〕自〔おのづから〕伏〔なぎ〕て
御船〔みふね〕得進〔えすすみ〕き。
爾〔かれ〕其〔そ〕の后〔きさき〕の歌曰〔うたはせるみうた〕
佐泥佐斯〔さねさし〕
佐賀牟能袁怒邇〔さがむのをずに〕
毛由流肥能〔もゆるひの〕
本那迦邇多知弖〔ほなかにたちて〕
斗比斯岐美波母〔とひしきみはも〕
さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
故〔かれ〕七日〔なぬか〕ありて後〔のち〕に
其〔そ〕の后〔きさき〕の御櫛〔みくし〕海邊〔うみべた〕に依〔より〕たりき。
乃〔すなはち〕其〔そ〕の櫛〔くし〕を取〔とり〕て
御陵〔みはか〕作〔つくり〕て治置〔をさめおき〕き。
自其入幸悉言向荒夫琉蝦夷等
亦平和山河荒神等而還上幸時
到足柄之坂本於食御粮處
其坂神化白鹿而來立
爾即以其咋遺之蒜片端
‘待打者中其目乃打殺也(待、山本作持)
故登立其坂三歎詔云
阿豆麻波夜[自阿下五字以音也]
故號其國謂阿豆麻也
其〔それ〕より入〔いり〕幸〔いでまし〕て
悉〔ことごと〕に荒〔あら〕夫〔ブ〕琉〔ル〕蝦夷等〔えみしども〕言向〔ことむけ〕て
亦〔また〕山河〔やまかは〕の荒神等〔あらぶるかみども〕を平和〔やはし〕て
還上幸〔かへりのぼります〕時〔とき〕に
足柄〔あしがら〕の坂本〔さかもと〕に到〔いたり〕まして
御粮〔みかれひ〕食〔きこしめす/をしする〕處〔ところ〕に
其〔そ〕の坂〔さか〕の神〔かみ〕
白〔しろき〕鹿〔しか〕に化〔なり〕て來立〔きたち〕き。
爾〔かれ〕即〔‐〕其〔そ〕の咋〔みをし〕遺〔のこり〕の蒜〔ひる〕の片端〔かたはし〕以〔も〕て
待打〔まちうけ〕たまひしかば
其〔そ〕の目〔め〕に中〔あたり〕て打殺〔うちころしえたり〕き。
故〔かれ〕其〔そ〕の坂〔さか〕に登立〔のぼりたち〕て
三〔ねもこころに/みたび〕歎〔なげかし〕て
詔云
阿〔ア〕豆〔ヅ〕麻〔マ〕波〔ハ〕夜〔ヤ〕。[自(レ)阿下五字以(レ)音也。]
と詔云〔のりたまひき〕。
故〔かれ〕號〔‐〕其〔そ〕の國〔きに〕を阿〔ア〕豆〔ヅ〕麻〔マ〕と謂う〔いふ〕なり。
卽自其國越出甲斐坐酒折宮之時
歌曰
邇比婆理 都久波袁須疑弖 伊久用加泥都流
即〔すなはち〕其〔そ〕の國〔くに〕より越〔こえ〕て甲斐〔かひ〕に出〔いで〕て
酒折〔さかをり〕の宮〔みや〕に坐〔ましまし〕ける時〔とき〕に
歌曰〔うたひたまはく〕
邇比婆理〔にひばり〕
都久波袁須疑弖〔つくはをすぎて〕
伊久用加泥都流〔いくよかねつる〕
新治 筑波を過ぎて 幾夜か寢つる
爾其御火燒之老人續御歌以歌曰
迦賀那倍弖 用邇波許許能用 比邇波登袁加袁
是以譽其老人卽給東國造也
爾〔ここ〕に其〔そ〕の御火燒〔みひたき〕の老人〔おきな〕
續御歌以歌〔みうたつぎて〕
迦賀那倍弖〔かがなべて〕
用邇波許許能用〔よにはここのよ〕
比邇波登袁加袁〔ひにはとをかを〕
日々並べて 夜には九夜 日には十日を
とぞうたひける。
是以〔ここをもちて〕其〔そ〕の老人〔おきな〕を譽〔ほめ〕て
卽〔‐〕東〔あづま〕の國造〔くにみやつこ〕にぞ給〔なしたまひける〕。
(傳廿八)
自其國越科野國乃言向科野之坂神而
還來尾張國入坐先日所期美夜受比賣之許
於是獻大御食之時
其美夜受比賣捧大御酒盞以獻
爾美夜受比賣其於意須比之襴[意須比三字以音]著月經
故見其月經御歌曰
比佐迦多能 阿米能迦具夜麻
斗迦麻邇 佐和多流久毘
比波煩曾 多和夜賀比那袁
麻迦牟登波 阿禮波須禮杼
佐泥牟登波 阿禮波意母閇杼
那賀祁勢流 意須比能須蘇爾
都紀多知邇祁理
其〔そ〕の國〔くに〕より科野〔しなぬ〕の國〔くに〕に越〔こえ〕まして
乃〔‐〕科野〔しなぬ〕の坂〔さか〕の神〔かみ〕を言向〔ことむけ〕て
尾張〔をはり〕の國〔くに〕に還來〔かへりき〕まして
先日〔さき〕に所期〔ちぎりおかし〕し美〔ミ〕夜〔ヤ〕受〔ズ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の許〔もと〕に入坐〔いりまし〕て
於是〔ここに〕大御食〔おほみけ〕獻〔たてまつる〕時〔とき〕に
其〔そ〕の美〔ミ〕夜〔ヤ〕受〔ズ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕
大御酒盞〔おほみかづき〕を捧〔ささげ〕て以〔‐〕獻〔たてまつる〕。
爾〔ここ〕に美〔ミ〕夜〔ヤ〕受〔ズ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕
其〔それ〕意〔オ〕須〔ス〕比〔ヒ〕の襴〔すそ〕に[意須比三字以(レ)音]
月經〔さはりもの〕著〔つき〕たり。
故〔かれ〕其月經〔そ〕を見〔みそなはし〕て御歌曰〔みうたよみしたまはく〕
比佐迦多能〔ひさかたの〕
阿米能迦具夜麻〔あめのかぐやま〕
斗迦麻邇〔とかまに〕
佐和多流久毘〔さわたるくひ〕
比波煩曾〔ひはぼそ〕
多和夜賀比那袁〔たわやがひぢを〕
麻迦牟登波〔まかむとは〕
阿禮波須禮杼〔あれあすれど〕
佐泥牟登波〔さねむとは〕
阿禮波意母閇杼〔あれはおもへど〕
那賀祁勢流〔ながけせる〕
意須比能須蘇爾〔おすひのすそに〕
都紀多知邇祁理〔つきたちにけり〕
ひさかたの 天の香具山
とかまに さ渡る杙
弱細 手弱腕を
枕かむとは 吾はすれど
さ寢むとは 吾は思へど
汝が着せる 襲の裾に
月たちにけり
爾美夜受比賣答御歌曰
多迦比迦流 比能美古
夜須美斯志 和賀意富岐美
阿良多麻能 登斯賀岐布禮婆
阿良多麻能 都紀波岐閇由久
宇倍那宇倍那 岐美麻知賀多爾(宇倍那宇倍那、眞本寛本卜本閣本等此下猶有宇倍那三字、宣長云今從延本又一本)
和賀祁勢流 ‘意須比能須蘇爾(意須比能、寛本卜本御本閣本此下有須比能三字)
都紀多多那牟余
故爾御合而
以其御刀之草那藝劔置其美夜受比賣之許而
取伊服岐能‘山之神幸行(山之、山本卜本无、閣本寛本无山字、宣長云今從延本)
爾〔かれ〕美〔ミ〕夜〔ヤ〕受〔ズ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕
答御歌曰〔みうたにこたへてうたひけらく〕
多迦比迦流〔たかひかる〕
比能美古〔ひのみこ〕
夜須美斯志〔やすみしし〕
和賀意富岐美〔わがおほきみ〕
阿良多麻能〔あらたまの〕
登斯賀岐布禮婆〔としがきふれば〕
阿良多麻能〔あらたまの〕
都紀波岐閇由久〔つきはきえゆく〕
宇倍那宇倍那〔うべなうべな〕
岐美麻知賀多爾〔きみまをがたに〕
和賀祁勢流〔わがけせる〕
意須比能須蘇爾〔おすひのすそに〕
都紀多多那牟余〔つきたたなむよ〕
高光る 日の御子
やすみしし 吾が大君
あらたまの 年が來經れば
あらたまの 月は來經行く
うべなうべな 君待ち難に
吾が着せる 襲の裾に
月立たなむよ
故〔かれ〕爾〔ここ〕に御合〔みあひ〕まして
其〔そ〕の御刀〔みはかし〕の草〔くさ〕那〔ナ〕藝〔ギ〕の劔〔たち〕
其〔そ〕の美〔ミ〕夜〔ヤ〕受〔ズ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の許〔もと〕に置〔おき〕て
伊〔イ〕服〔ブ〕岐〔キ〕能〔ノ〕山〔やま〕の神〔かみ〕取〔とり〕に幸行〔いでまし〕き。
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