古事記(國史大系版・中卷15・景行1)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
(景行)
(傳廿六)
大帶日子淤斯呂和氣天皇坐纒向之日代宮治天下也
大帶〔おほたらし〕日子〔ひこ〕淤〔オ〕斯〔シ〕呂〔ロ〕和〔ワ〕氣〔ケ〕の天皇〔すめらみこと〕。
纒向〔まきむく〕の日代〔ひしろ〕の宮〔みや〕に在〔ましまし〕て
天下〔あめのした〕治〔しろしめしき〕。
此天皇娶吉備臣等之祖若建吉備津日子之女名針間之‘伊那毘能大郎女生御子
(伊、眞本此下有[上]字、按上聲之意、閣本爲傍書)
櫛角別王
次大碓命
次小碓命
亦名倭男具那命[具那二字以音]
次倭根子命
次神櫛王[五柱]
此〔こ〕の天皇〔すめらみこと〕
吉〔キ〕備〔ビ〕の臣等〔おみら〕が祖〔おや〕
若〔わか〕建〔たけ〕吉〔キ〕備〔ビ〕津〔つ〕日子〔ひこ〕の女〔むすめ〕
名〔な〕は針間〔はりま〕の伊〔イ〕那〔ナ〕毘〔ビ〕能〔ノ〕大郎女〔おほいらつめ〕に娶〔みあひ〕まして
生〔うみませる〕御子〔みこ〕
櫛角〔くしつぬ〕の別〔わけ〕の王〔みこ〕。
次〔つぎ〕に大碓〔おほうす〕の命〔みこと〕。
次〔つぎ〕に小碓〔をうす〕の命〔みこと〕。
亦〔また〕の名〔みな〕は倭〔やまと〕男〔を〕具〔グ〕那〔ナ〕の命〔みこと〕[具那二字以(レ)音。]
次〔つぎ〕に倭〔やまと〕根子〔ねこ〕の命〔みこと〕。
次〔つぎ〕に神〔かむ〕櫛〔くし〕の王〔みこ〕。[五柱。]
又娶‘八尺入日子命之女八坂之入日賣命生御子(八尺入日子、山本八尺下有之字)
若帶日子命
次五百木之入日子命
次押別命
次五百木之入日賣命
又〔また〕八尺〔やさか〕の入日子〔いりびこ〕の命〔みこと〕の女〔むすめ〕
八坂〔やさか〕の入日〔いりび〕賣〔メ〕の命〔みこと〕に娶〔みあひ〕まして
生〔うみませる〕御子〔みこ〕
若〔わか〕帶〔たらし〕日子〔ひこ〕の命〔みこと〕。
次〔つぎ〕に五百木〔いほき〕の入日子〔いりびこ〕の命〔みこと〕。
次〔つぎ〕に押〔おし〕の別〔わけ〕の命〔みこと〕。
次〔つぎ〕に五百木〔いほき〕の入日〔いりび〕賣〔メ〕の命〔みこと〕。
又妾之子
豐戸別王
次沼代郎女
又妾之子
沼名木郎女
次香余理比賣命
次若木之入日子王
次吉備之兄日子王
次高木比賣命
次弟比賣命
又〔また〕の妾〔みめ〕の子〔みこ〕
豐戸別〔とよとわけ〕の王〔みこ〕。
次〔つぎ〕に沼代〔ぬのしろ/ぬなしろ〕の郎女〔いらつめ〕。
又〔また〕の妾〔みめ〕の子〔みこ〕
沼名木〔ぬなき〕の郎女〔いらつめ〕。
次〔つぎ〕に香〔カ〕余〔ヨ〕理〔リ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕。
次〔つぎ〕に若木〔わかぎ〕の入日子〔いりひこ〕の王〔みこ〕。
次〔つぎ〕に吉〔キ〕備〔ビ〕の兄〔に〕日子〔ひこ〕の王〔みこ〕。
次〔つぎ〕に高木〔たかぎ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕。
次〔つぎ〕に弟〔おと〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕。
又娶日向之美波迦斯毘賣生御子
豐國別王
又〔また〕日向〔ひむか〕の美〔ミ〕波〔ハ〕迦〔カ〕斯〔シ〕毘〔ビ〕賣〔メ〕を娶〔めし〕て
生〔うみませる〕御子〔みこ〕
豐國別〔とよくにわけ〕の王〔みこ〕。
又娶伊那毘能大郎女之弟伊那毘能若郎女[自伊下四字以音]生御子
眞若王
次日子人之大兄王
又〔また〕伊〔イ〕那〔ナ〕毘〔ビ〕能〔ノ〕大郎女〔おほいらつめ〕の弟〔おと〕
伊〔イ〕那〔ナ〕毘〔ビ〕能〔ノ〕若郎女〔わかいらつめ〕[自(レ)伊下四字以(レ)音]を娶〔めし〕て
生〔うみませる〕御子〔みこ〕
眞若〔まわか〕の王〔みこ〕。
次〔つぎ〕に日子人〔ひこひと〕の大兄〔おほえ〕の王〔みこ〕。
又娶倭建命之曾孫名須賣伊呂大中日子王[自須至呂四字以音]之女訶具漏比賣生御子
大枝王
又〔また〕倭〔やまと〕建〔たける〕の命〔みこと〕の曾孫〔みひひこ〕
名〔な〕は須〔ス〕賣〔メ〕伊〔イ〕呂〔ロ〕大中〔おほなかつ〕日子〔ひこ〕の王〔みこ〕[自(レ)須至(レ)呂四字以(レ)音]の女〔むすめ〕
訶〔カ〕具〔グ〕漏〔ロ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕を娶〔めし〕て
生〔うみませる〕御子〔みこ〕
大枝〔おほえ〕の王〔みこ〕。
凡此大帶日子天皇之御子等
所錄廿一王不入記五十九王幷八十王之中
若帶日子命與倭建命亦五百木之入日子命此三王負太子之名
自其餘七十七王者悉別賜國國之國造亦和氣及稻置縣主也
故若帶日子命者治天下也
小碓命者平東西之荒神及不伏人等也
次櫛角別王者
[‘茨田下連等之祖]([茨田下連]、宣長云恐有誤)
次大碓命「者」(者、諸本及古事記傳本文无、據延本補)
[守君
大田君
島田君之祖]
次神櫛王者
[木國之酒部阿‘比古([比]、宣長云當作[毘])
宇陀酒部之祖]
次豐國別王者
[日向國造之祖]
凡〔すべて〕此〔こ〕の大帶〔おほたらし〕日子〔ひこ〕の天皇〔すめらみこと〕の御子等〔みこたち〕
所錄〔ふみにしるせる〕廿一王〔はたちまりひとはしら〕。
不入記〔しるさざる〕五十九王〔いぞぢまりここのはしら〕。
幷〔あはせ〕て八十王〔やそはしら〕ませる中〔なか〕に
若帶〔わかたらし〕日子〔ひこ〕の命〔みこと〕と
倭〔やまと〕建〔たける〕の命〔みこと〕
亦〔また〕五百木〔いほき〕の入日子〔いりびこ〕の命〔みこと〕
此〔こ〕の三王〔みはしら〕をぞ太子〔ひつぎのみこ〕とまをす名〔な〕を負〔おはし〕て
其〔それ〕より餘〔ほか〕七十七〔ななつまりななはしら〕の王〔みこたち〕は、
悉〔ことごと〕に國國〔くにぐに〕の國造〔くにのみやつこ〕、
亦〔また〕和〔ワ〕氣〔ケ〕、
及〔‐〕稻置〔いなき〕、縣主〔あがたぬし〕に別賜〔わけたまひ〕き。
故〔かれ〕若帶〔わかたらし〕日子〔ひこ〕の命〔みこと〕は
天下〔あめのした〕治〔しろしめしき〕。
小碓〔をうす〕の命〔みこと〕は
東西〔にしひむかし(儘)の〕荒神〔あらぶるかみ〕
及〔‐〕不伏〔まつろはぬ〕人等〔ひとども〕を平〔ことむけ〕たまひき。
次〔つぎ〕に櫛角別〔くしつぬわけ〕の王〔みこ〕は
[茨田下〔まむた〕の連等〔むらじら〕が祖〔おや〕。
次〔つぎ〕に大碓〔おほうす〕の命〔みこと〕は
[守〔もり〕の君〔きみ〕、
大田〔おほた〕の君〔きみ〕、
島田〔しまだ〕の君〔きみ〕の祖〔おや〕。]
次〔つぎ〕に神櫛〔かむくし〕の王〔みこ〕は
[木〔き〕の國〔くに〕の酒部〔さかべ〕の阿〔ア〕比〔ビ〕古〔コ〕、
宇〔ウ〕陀〔ダ〕の酒部〔さかべ〕の祖〔おや〕。]
次〔つぎ〕に豐國別〔とよくにわけ〕の王〔みこ〕は
[日向〔ひむか〕の國造〔くにのみやつこ〕の祖〔おや〕。]
於是天皇‘聞看定三野國造之祖‘神大根王之女(看、諸本作者宣長云今從延本。神、諸本无、宣長云今從延本)
名兄比賣
弟比賣二孃子
其容姿麗美而遣其御子大碓命以喚上
故其所遣大碓命勿召上而
卽己自婚其二孃子更求他女人詐名其孃女而貢上
於是天皇知其他女恒令經‘長眼亦勿婚而‘惚也
(長眼、諸本眼作肥、眞本作服、宣長云今從延本。惚、諸本作惣、非是)
故其大碓命娶兄比賣生子
押黑之兄日子王
[此者三野之宇泥須和氣之祖]
亦娶弟比賣生子
押黑弟日子王
[此者牟宜都君等之祖]
此之御世定田部
又定東之淡水門
又定膳之大伴部
又定倭屯家
又作坂手池
卽竹植其堤也
於是〔ここに〕天皇〔すめらみこと〕
定三野〔みぬ〕の國造〔くにのみやつこ〕の祖〔おや〕
神〔かむ〕大根〔おほね〕の王〔みこ〕の女〔みむすめ〕
名〔な〕は兄〔え〕比〔ヒ〕賣〔メ〕、
弟〔おと〕比〔ヒ〕賣〔メ〕二孃子〔ふたをとめ〕
其〔それ〕が容姿〔かほ〕麗美〔よき〕を聞看〔きこしめ〕定〔さだめ〕て
其〔そ〕の御子〔みこ〕大碓〔おほうす〕の命〔みこと〕を遣〔つかはし〕て
以〔‐〕喚上〔めしあげ〕たまふ。
故〔かれ〕其〔そ〕の所遣〔つかはさえたる〕大碓〔おほうす〕の命〔みこと〕勿召上〔めさげず〕て
卽〔‐〕己〔おのれ〕自〔みづから〕其〔そ〕の二孃子〔ふたをとめ〕に婚〔たはけ〕て
更〔さら〕に他〔あだし〕女人〔をみな〕を求〔まぎ〕て、
其〔そ〕の孃女〔をとめ〕と詐名〔まをし/いつはりなのり〕て貢上〔たてまつり〕き。
於是〔ここ〕に天皇〔すめらみこと〕
其〔それ〕他〔あだし〕女〔をみな〕なることを知〔しろしめし〕て
恒〔つね〕に長眼〔ながめ〕を令經〔へしめ〕、
亦〔また〕勿婚〔めしもせず〕て惚〔ものおもはしめたまひ〕き。
故〔かれ〕其〔そ〕の大碓〔おほうす〕の命〔みこと〕
兄〔え〕比〔ヒ〕賣〔メ〕に娶〔みあひ〕て
生〔うみませる〕子〔みこ〕
押黑〔おしくろ〕の兄〔え〕日子〔ひこ〕の王〔みこ〕。
[此〔こ〕は三野〔みぬ〕の宇〔ウ〕泥〔ネ〕須〔ス〕和〔ワ〕氣〔ケ〕の祖〔おや〕。]
亦〔また〕弟〔おと〕比〔ヒ〕賣〔メ〕に娶〔みあひ〕て
生〔うみませる〕子〔みこ〕
押黑〔おしくろ〕の弟〔おと〕日子〔ひこ〕の王〔みこ〕。
[此〔こ〕は牟〔ム〕宜〔ギ〕都〔ツ〕の君等〔きみら〕が祖〔おや〕なり。]
此〔こ〕の御世〔みよ〕に田部〔たべ〕を定〔さだめ〕たまひ、
又〔また〕東〔あづま〕の淡〔あは〕の水門〔みなと〕を定〔さだめ〕たまひ、
又〔また〕膳〔かしはで〕の大伴部〔おほともべ〕を定〔さだめ〕たまひ、
又〔また〕倭〔やまと〕の屯家〔みやけ〕を定〔さだめ〕たまひ、
又〔また〕坂手〔さかて〕の池〔いけ〕を作〔つくり〕て
卽〔‐〕其〔そ〕の堤〔つつみ〕に竹〔たけ〕を植〔うゑしめ〕たまひき。
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