古事記(國史大系版・中卷14・垂仁3)


底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)

・底本奥書云、

明治三十一年七月三十日印刷

同年八月六日發行

發行者合名會社經濟雜誌社

・底本凡例云、

古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり

且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり



(傳廿五)

故率遊其御子之狀者

在於尾張之相津二俣榲作二俣小舟而持上來

以浮倭之市師池輕池率遊其御子

然是御子八拳鬚至于心前眞事登波受[此三字以音]

故今聞高往鵠之音始爲阿藝登比[自阿下四字以音]

爾遣山邊之大鶙[此者人名]令取其鳥

故是人追尋其鵠自木國到針間國亦追越稻羽國

即到旦波國多遲麻國追廻東方到近淡海國

乃越三野國自尾張國傳以追‘科野國(科野、山本云一本此上有越字)

遂追到‘高志國而於和那美之‘水門張網取其鳥而持上獻

(高志、宣長云諸本作但馬、今從眞本延本。水門、宣長云諸本作水河非是、今從一本)

故號其水門謂和那美之水門也

亦見其鳥者‘於思物言‘而如思爾勿言事

(於思、諸本无宣長云今從眞本又一本又一本。而如思爾勿言事、諸本作如思爾而勿言事、宣長云而字從眞本、如而從延本)

 故〔かれ〕其〔そ〕の御子〔みこ〕を率〔ゐ〕て遊〔あそべる〕狀〔さま〕は

 尾張〔をはり〕の相津〔あひづ〕在〔なる〕二俣榲〔ふたまたすぎ〕を

 二俣小舟〔ふたまをぶね〕に作〔つくり〕て持上來〔もちのぼりき〕て、

 以〔‐〕倭〔やまと〕の市〔いち〕師〔シ〕の池〔いけ〕輕〔かる〕の池〔いけ〕に浮〔うかべ〕て

 其〔そ〕の御子〔みこ〕を率〔ゐ〕て遊〔あそび〕き。

 然〔しかる〕に是〔こ〕の御子〔みこ〕

 八拳鬚〔やつかひげ〕心前〔むなさき〕に至〔いたる〕まで

 眞事〔まごと〕登〔ト〕波〔ハ〕受〔ズ〕。[此三字以(レ)音。]

 故〔かれ〕今〔ここに〕高往〔たかゆく〕鵠〔たづ〕が音〔ね〕聞〔きかし〕て

 始〔はじめ〕て阿〔ア〕藝〔ギ〕登〔ト〕比〔ヒ〕爲〔したまひ〕き。[自(レ)阿下四字以(レ)音。]

 爾〔かれ〕山邊〔やまのべ〕の大鶙〔おほたか〕[此者人名]を遣〔つかはし〕て

 其〔そ〕の鳥〔とり〕を令取〔とらしめ〕き。

 故〔かれ〕是〔こ〕の人〔ひと〕其〔そ〕の鵠〔たづ〕を追〔おひ〕尋〔たづね〕て

 木〔き〕の國〔くに〕より針間〔はりま〕の國〔くに〕に到〔いたり〕、

 亦〔また〕追〔おひ〕て稻羽〔いなば〕の國〔くに〕に越〔こえ〕、

 即〔すなはち〕旦〔タニ〕波〔ハ〕の國〔くに〕多〔タ〕遲〔ヂ〕麻〔マ〕の國〔くに〕に到〔いたり〕、

 東方〔ひむかしのかた〕に追〔おひ〕廻〔めぐり〕て

 近淡海〔あふみ〕の國〔くに〕に到〔いたり〕、

 乃〔すなはち〕三野〔みぬ〕の國〔くに〕に越〔こえ〕、

 尾張〔をはり〕の國〔くに〕より傳以〔つたひて〕

 科野〔しなぬ〕の國〔くに〕に追〔おひ〕、

 遂〔つひ〕に高〔コ〕志〔シ〕の國〔くに〕に追〔おひ〕到〔いたり〕て、

 和〔ワ〕那〔ナ〕美〔ミ〕の水門〔みなと〕に網〔あみ〕張〔はり〕て

 其〔そ〕の鳥〔とり〕を取〔とり〕て持上〔もちのぼり〕獻〔たてまつり〕き。

 故〔かれ〕號〔‐〕其〔そ〕の水門〔みなと〕を和〔ワ〕那〔ナ〕美〔ミ〕の水門〔みなと〕とは謂〔いふ〕なり。

 亦〔また〕其〔そ〕の鳥〔とり〕を見〔み〕たまへば

 物言〔もにいはむ〕と思〔おもほし〕て

 思〔おもほす〕が如〔ごと〕爾〔‐〕言事〔いふたまふこと〕勿〔なかりき〕。


於是天皇患賜而御寢之時

覺于御夢曰

 修理我宮如天皇之御舍者

 御子必眞事登波牟[自登下三字以音]

如此覺時布斗摩邇邇占相而求何神之心

爾祟出雲大神之御心

故其御子令拜其大神宮將遣之時

令副誰人者吉爾曙立王食ト

故科曙立王令宇氣比白[宇氣比三字以音]

 因拜此大神誠有驗者

 住是鷺巢池之樹鷺乎宇氣比‘落(落、諸本作給、宣長云ふ今從眞本延本)

如此詔之時「‘宇氣比」其鷺墮地死(宇氣比、衍文、卜本宇氣比活傍書宇氣比三字无イ本、是盖本條之傍書)

又詔之

 宇氣比活爾

者更活

又在甜白檮之前葉廣熊白檮令宇氣比枯

‘亦令宇氣比生(亦、眞本與此同、諸本作忽)

爾名賜曙立王謂‘倭者師木登美豐朝倉曙立王[登美二字以音](倭者、宣長云恐倭老之誤寫)

即曙立王菟上王二王副其御子遣時

自那良戸遇跛盲自大坂戸亦遇跛盲

唯木戸是‘腋月之吉戸ト而出行之時毎到坐地定品遲部也(腋月、諸本作掖月、眞淵云月恐戸字)

 於是〔ここに〕天皇〔すめらみこと〕患賜〔うれひたまひ〕て

 御寢〔みねませる〕時〔とき〕に

 御夢〔みいめ〕に覺〔さとり〕し曰〔たまはく〕

  我〔あ〕が宮〔みや〕を

  天皇〔おほきみ〕の御舍〔みあらか〕の如〔ごと〕

  修理〔つくりたまへ/つくりまさ〕ば、

  御子〔みこ〕必〔かならず〕眞事〔まごと〕登〔ト〕波〔ハ〕牟〔ム〕。[自(レ)登下三字以(レ)音。]

 とさとしたまひき。

 如此〔かく〕覺〔さとしたまふ〕時〔とき〕に、

 布〔フ〕斗〔ト〕摩〔マ〕邇〔ニ〕邇〔ニ〕占相〔うらへ〕て

 何〔いづれ〕の神〔かみ〕の心〔みこころ〕ぞと求〔もとむる〕に、

 爾〔そ〕の祟〔たたり〕は出雲〔いづも〕の大神〔おもかみ〕の御心〔みこころ〕なりき。

 故〔かれ〕其〔そ〕の御子〔みこ〕をして

 其〔そ〕の大神〔おほかみ〕の宮〔みや〕を令拜〔をろがしめ〕に將遣〔やりたまはんとする〕時〔とき〕に

 誰人〔たれ〕を令副〔そはしめ〕ば吉〔えけんとうらなふ〕に

 爾〔‐〕曙立〔あけたつ〕の王〔みこ〕食ト〔うらにあへり〕。

 故〔かれ〕曙立〔あけたつ〕の王〔みこ〕に科〔おほせて〕

 宇〔ウ〕氣〔ケ〕比〔ヒ〕令〔まをさしむらく〕[白宇氣比三字以(レ)音]

  此〔こ〕の大神〔おほがみ〕を拜〔をろがむ〕に因〔より〕て、

  誠〔まこと〕驗〔しるし〕有〔あら〕ば

  是〔こ〕の鷺巢〔さぎす〕の池〔いけ〕の樹〔き〕に住〔すめる〕鷺〔さぎ〕や、

  宇〔ウ〕氣〔ケ〕比〔ヒ〕落〔おちよ〕。

 如此〔かく〕詔〔のりたまふ〕時〔とき〕に

 宇氣比〔‐〕其〔そ〕の鷺〔さぎ〕地〔つち〕に墮〔おち〕て死〔し〕にき。

 又〔また〕詔之

  「宇〔ウ〕氣〔ケ〕比〔ヒ〕活〔いきよ〕爾〔‐〕。

 とのたまへ者〔ば〕更〔さら〕に活〔いきぬ〕。

 又〔また〕甜白檮〔あまかし〕の前〔さき〕在〔なる〕葉廣熊白檮〔はびろくまかし〕を令宇氣比枯〔ウケヒからし〕、

 亦〔また〕令宇氣比生〔ウケヒいかし〕き。

 爾〔かれ〕その曙立〔あけたつ〕の王〔みこ〕に

 倭〔やまと〕者〔おゆ〕師〔シ〕木〔き〕登〔ト〕美〔ミ〕豐朝倉〔とよあさくら〕曙立〔あけたつ〕の王〔みこ〕と謂〔いふ〕名〔みな〕を賜〔たまひき〕。[登美二字以(レ)音。]

 即〔すなはち〕曙立〔あけたつ〕の王〔みこ〕

 菟上〔うなかみ〕の王〔みこ〕二王〔ふたはしら〕を

 其〔そ〕の御子〔みこ〕に副〔そへ〕て遣〔つかはす〕時〔とき〕に

 那〔ナ〕良〔ラ〕戸〔ど〕より、跛〔あしなへ〕盲〔めしひ〕遇〔あはむ〕。

 大坂戸〔おほさかど〕よりも亦〔‐〕跛〔あしなへ〕盲〔めしひ〕遇〔あはむ〕。

 唯〔ただ〕木戸〔きど〕ぞ是〔‐〕腋月〔わきど〕の吉戸〔よきと〕とト〔うらへ〕て出行〔いでゆかす〕時〔とき〕に

 到坐〔いたります〕地〔ところ〕毎〔ごと〕に品〔ホム〕遲〔ヂ〕部〔べ〕を定〔さだめ〕き。


故到於出雲拜訖大神還上之時

肥河之中作黑巢橋仕奉假宮而坐

爾出雲國造之祖名岐比佐都美餝靑葉山而立其河下將獻大御食之時

其御子詔言

 是於河下如靑葉山者見山非山

 若坐出雲之岩隈之曾宮

 葦原色許男大神以伊都玖之祝‘大廷乎(大廷、眞本作大庭)

問賜也

 故〔かれ〕出雲〔いづも〕に到〔いたりまして

 大神〔おほかみ〕を拜〔をろがみ〕訖〔をえ〕て還上〔かへりのぼり〕ます時〔とき〕に

 肥〔ひ〕の河〔かは〕の中〔なか〕に

 黑〔くろぎぬ〕の巢橋〔すばし〕を作〔つく〕り

 假宮〔かりみや〕を仕奉〔つかへまつり〕て坐〔まさしめ〕き。

 爾〔ここ〕に出雲〔いづも〕の國造〔くにのみやつこ〕の祖〔おや〕

 名〔な〕は岐〔キ〕比〔ヒ〕佐〔サ〕都〔ツ〕美〔ミ〕

 靑葉〔あをば〕の山〔やま〕を餝〔かざり〕て

 其〔そ〕の河下〔かはしも〕に立〔たて〕て

 大御食〔おほみけ〕將獻〔たてまつらむとする〕時〔とき〕に、

 其〔そ〕の御子〔みこ〕の詔言〔のりたまひつらく〕

  是〔こ〕の河下〔かはしも〕に

  如靑葉山者〔あをばのやまなせるは〕

  山〔やま〕と見〔みえ〕て山〔やま〕にあらず。

  若〔もし〕出雲〔いづも〕の石隈〔いはくま〕の曾〔ソ〕の宮〔みや〕に坐〔ます〕

  葦原〔あしはら〕色〔シ〕許〔コ〕男〔を〕の大神〔おほかみ〕

  以〔も〕て伊〔イ〕都〔ツ〕玖〔ク〕祝〔はふり〕が大廷〔おほには〕か。

 と問〔とひ〕賜〔たまひ〕き。


爾所遣御伴王等聞歡見喜而

御子者坐檳榔之長穗宮而貢上驛使

爾其御子一宿婚肥長比賣

故竊伺其美人者蛇也即見畏遁逃

爾其肥長比賣患光海原自船追來

故益見畏以自山多和[此二字以音]引越御船逃上‘行也(行也、諸本无也字、宣長云今從眞本)

於是覆奏言

 因拜大神大御子物詔

 故參上來

故天皇歡喜即返菟上王令造神宮

於是天皇因其御子定鳥取部

‘鳥甘部(鳥甘部、諸本无、宣長云今從延本)

品遲部

大湯坐

若湯坐

 爾〔かれ〕御伴〔みとも〕に所遣〔つかはさえたる〕王等〔みこたち〕

 聞〔きき〕歡〔よろこび〕見〔み〕喜〔よろこび〕て

 御子〔みこ〕をば檳榔〔あぢまさ〕も長穗〔ながほ〕の宮〔みや〕に坐〔ませ〕まつりて

 驛使〔はつまづかひ〕を貢上〔たてまつり〕き。

 爾〔ここ〕に其〔そ〕の御子〔みこ〕

 一宿〔ひとよ〕肥長〔ひなが〕比〔ヒ〕賣〔メ〕に婚〔みあひ〕ましき。

 故〔かれ〕其〔そ〕の美人〔をとめ〕を竊伺〔かきまみれば〕蛇〔をろち〕なりき。

 即〔すなはち〕見〔み〕畏〔かしこみ〕て遁逃〔にげたまひき〕。

 爾〔ここ〕の其〔そ〕の肥長〔ひなが〕比〔ヒ〕賣〔メ〕患〔うれたみ〕て、

 海原〔うなはら〕を光〔てらし〕て、船〔ふね〕より追來故〔おひくれば〕

 益〔ますます〕見畏以〔みかしこみて〕

 山〔やま〕の多〔タ〕和〔ワ〕[此二字以(レ)音]より

 御船〔みふね〕を引越〔ひきこし〕て逃上〔にげのぼり〕行〔いでまし〕つ。

 於是〔ここに〕覆奏言〔かへりことまをさく〕

  大神〔をほかみ〕を拜〔をろがみ〕たまへるに因〔より〕て

  大御子〔おほみこ〕物詔〔もののりたまへる〕が故〔ゆゑ〕に

  參上來〔まゐのぼりきつ〕。

 とまをす。

 故〔かれ〕天皇〔すめらみこと〕歡喜〔こころばし〕て

 即〔すなはち〕菟上〔うなかみ〕の王〔みこ〕を返〔かへし〕て

 神〔かみ〕の宮〔みや〕令造〔つくらしめ〕たまひき。

 於是〔ここに〕天皇〔すめらみこと〕

 其〔そ〕の御子〔みこ〕に因〔より〕て

 鳥取部〔ととりべ〕、

 鳥甘部〔とりかひべ〕、

 品〔ホム〕遲〔ヂ〕部〔べ〕、

 大湯坐〔おほゆゑ〕、

 若湯坐〔わかゆゑ〕を定〔さだめ〕たまひき。


又隨其后之白喚上美知能宇斯王之女等

比婆須比賣命

次弟比賣命

次‘歌凝比賣命(歌凝比賣命、宣長云恐圓野比賣命之一名、誤爲別一柱者)

次圓野比賣命幷四柱

然留比婆須比賣命

弟比賣命二柱而其弟王二柱者因甚凶醜返送‘本土(本土、諸本作本主、中本與此同)

於是圓野比賣慚言

 同兄弟之中

 以姿醜被還之事

 聞於隣里

 是甚慚

而到山代國之相樂時取懸樹枝而欲死

故號其地謂懸木今云相樂

又到弟國之時遂墮峻淵而死

故號其地謂墮國今云弟國也

 又〔また〕其〔か〕の后〔きさき〕の白〔まをしたまひし〕の隨〔まにまに〕

 美〔ミ〕知〔チ〕能〔ノ〕宇〔ウ〕斯〔シ〕の王〔みこ〕の女等〔むすめたち〕

 比〔ヒ〕婆〔バ〕須〔ス〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕、

 次〔つぎ〕に弟〔おと〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕、

 次〔つぎ〕に歌凝〔うたこり〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕、

 次〔つぎ〕に圓野〔まとぬ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕

 幷〔あはせ〕て四柱〔よはしら〕を喚上〔めさげ〕たまひき。

 然〔しかる〕に比〔ヒ〕婆〔バ〕須〔ス〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕、

 弟〔おと〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕二柱〔ふたはしら〕を留〔とどめ〕て

 其〔そ〕の弟王〔おとみこ〕二柱〔ふたはしら〕は

 甚〔いと〕凶醜〔みにくかりし〕に因〔より〕て本土〔もとつくに〕に返送〔かへしおくり〕たまひき。

 於是〔ここに〕圓野〔まとぬ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕

 慚言〔/はぢらひけらく〕

  同〔おなじき〕兄弟〔はらから〕の中〔なか〕に

  姿〔かほ〕醜〔みにくき〕に以〔より〕て被還〔かへさゆる〕事〔こと〕

  隣里〔ちかきさと/となりざと〕に聞〔きこえむ〕は

  是〔‐〕甚慚〔いとはづかし〕。

 と慚言〔いひ〕而〔て〕

 山代〔やましろ〕の國〔くに〕の相樂〔さがら〕に到〔いたり〕ませる時〔とき〕に

 樹〔き〕の枝〔えだ〕に取懸〔とりさがり〕て欲死〔しなむ〕とぞしたまひける。

 故〔かれ〕號〔‐〕其〔そこ〕の地〔ち〕を懸木〔さがりぎ〕と謂〔いひ〕して、

 今〔いま〕は相樂〔さがら〕と云〔いふ〕なり。

 又〔また〕弟國〔おとくに〕に到〔いたり〕ませる時〔とき〕に

 遂〔つひ〕に峻〔ふか〕き淵〔ふち〕に墮〔おちいり〕てぞ死〔うせ〕たまひぬる。

 故〔かれ〕號〔‐〕其〔そこ〕の地〔チ〕を墮國〔おちくに〕と謂〔いひ〕して、

 今〔いま〕は弟國〔おとくに〕と云〔いふ〕なり。


又天皇以三宅連等之祖名多遲摩毛理遣常世國

令求登岐士玖能迦玖能木實[自登下八字以音]

故多遲摩毛理遂到其國採其木實

以縵八縵矛八矛將來之間天皇既崩

爾多遲摩毛理分縵四縵矛四矛獻于大后(縵四縵矛四矛、宣長云諸本皆有脱字誤字、今從延本)

以縵四縵矛四矛獻置天皇之御陵戸而擎其木實

叫哭以白

 常世國之登岐士玖能迦玖能木實

 持參上侍

遂叫哭死也

其登岐士玖能迦玖能木實者是今橘者也

 又〔また〕この天皇〔すめらみこと〕

 以〔‐〕三宅〔みやけ〕の連等〔むらじら〕が祖〔おや〕

 名〔な〕は多〔タ〕遲〔ヂ〕摩〔マ〕毛〔モ〕理〔リ〕を

 常世〔とこよ〕の國〔くに〕に遣〔つかはし〕て

 令求登〔ト〕岐〔キ〕士〔ジ〕玖〔ク〕能〔ノ〕迦〔カ〕玖〔ク〕能〔ノ〕木〔こ〕の實〔み〕を[自(レ)登下八字以(レ)音]令求〔もとめしめ〕たまひき。

 故〔かれ〕多〔タ〕遲〔ヂ〕摩〔マ〕毛〔モ〕理〔リ〕

 遂〔つひ〕に其〔そ〕の國〔くに〕に到〔いたり〕て

 其〔そ〕の木〔こ〕の實〔み〕を採〔とり〕て

 縵八縵〔かげやかげ〕矛八矛〔ほこやほこ〕を以〔もち〕て將來〔まゐきつる〕間〔あひだ〕に

 天皇〔すめらみこと〕は既〔はやく〕崩〔かみあがりましぬ〕。

 爾〔ここ〕に多〔タ〕遲〔ヂ〕摩〔マ〕毛〔モ〕理〔リ〕

 縵八縵〔かげやかげ〕矛八矛〔ほこやほこ〕を分〔わけ〕て大后〔おほきさき〕に獻〔たてまつり〕

 以〔‐〕縵八縵〔かげやかげ〕矛八矛〔ほこやほこ〕を

 天皇〔すめらみこと〕の御陵〔みはか〕の戸〔と〕に獻置〔たてまつりおき〕て

 其〔そ〕の木〔こ〕の實〔み〕を擎〔ささげ〕て、

 叫哭以白〔さけびおらびて〕

  常世〔とこよ〕の國〔くに〕の登〔ト〕岐〔キ〕士〔ジ〕玖〔ク〕能〔ノ〕迦〔カ〕玖〔ク〕能〔ノ〕木〔こ〕の實〔み〕を

  持〔もち〕て參〔まゐ〕上〔のぼり〕て侍〔さもらふ〕。

 とまをして

 遂〔つひ〕に叫哭〔おらび〕死〔しに〕き。

 其〔そ〕の登〔ト〕岐〔キ〕士〔ジ〕玖〔ク〕能〔ノ〕迦〔カ〕玖〔ク〕能〔ノ〕木〔こ〕の實〔み〕といふは

 是〔‐〕今〔いま〕の橘〔たちばな〕なり。


此天皇御年壹佰伍拾參歲

御陵在菅原之御立野中也

又其大后比婆須比賣命之時定石‘祝作(祝、眞淵云當作棺、草體相涉而誤者)

又定土師部

此后者葬狹木之寺間陵也

 此〔こ〕の天皇〔すめらみこと〕

 御年〔みとし〕壹佰伍拾參歲〔ももちまりいそぢみつ〕。

 御陵〔みはか〕は菅原〔すがはら〕の御立野〔みたちぬ〕の中〔なか〕に在〔あり〕。

 又〔また〕其〔そ〕の大后〔おほきさき〕

 比〔ヒ〕婆〔バ〕須〔ス〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕の時〔とき〕、

 石祝作〔いしきつくり〕を定〔さだめ〕たまひき。

 又〔また〕土〔はに〕師〔シ〕部〔べ〕を定〔さだめ〕たまひき。

 此〔こ〕の后〔きさき〕は狹木〔さき〕の寺間〔てらま〕の陵〔みさざき〕に葬〔かくしまつり〕き。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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