古事記(國史大系版・中卷5・神武天皇5歌謠)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
(傳廿)
故坐日向時娶阿多之小椅君妹名阿比良比賣[自阿以下五字以音]生子
多藝志美美命
次岐須美美命二柱坐也
故〔かれ〕日向〔ひむか〕に坐〔ましまし〕し時〔とき〕、
阿〔ア〕多〔タ〕の小椅〔をばし〕の君〔きみ〕の妹〔いも〕
名〔な〕は阿〔ア〕比〔ヒ〕良〔ラ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕[自(レ)阿以下五字以(レ)音]
生〔うみませる〕子〔みこ〕
多〔タ〕藝(ギ)志(シ)美(ミ)美(ミの)命〔みこと〕(()内訓底本闕)
次〔つぎ〕に岐〔キ〕須〔ス〕美〔ミ〕美〔ミ〕の命〔みこと〕。二柱〔ふたはしら〕坐〔ませり〕。
然更求爲大后之美人時大久米命‘曰(曰、酉本作白、眞本作問)
此間有媛女是謂神御子
其所以謂神御子者三島湟咋之女名勢夜陀多良比賣
其容姿麗美
故美和之大物主神見感而其美人爲大便之時
化丹塗矢自其爲大便之溝流下突其美人之富登[此二字以音下效此]
爾其美人驚而立走伊須須岐伎[此五字以音]
乃將來其矢置於床邊忽成麗壯夫
即娶其美人生子名謂富登多多良伊須須岐比賣命
亦名謂比賣多多良伊須氣‘余理比賣[是者惡其富登云事後改名者也](余理比賣、寛寫本此下有命字)
故是以謂神御子也
然〔しかれ〕ども更〔さら〕に
大后〔おほきさき〕と爲〔せむ〕美人〔をとめ〕を求〔まぎ〕たまふ時〔とき〕に
大〔おほ〕久〔ク〕米〔メ〕の命〔みこと〕の曰〔まをさく〕
此間〔ここに〕是〔‐〕神〔かみ〕の御子〔みこ〕なりと謂〔まをす〕媛女〔をとめ〕有〔あり〕。
其〔そ〕を神〔かみ〕の御子〔みこ〕なりと謂〔まをす〕所以〔ゆゑ〕は、
三島〔みしま〕の湟咋〔みぞくひ〕の女〔むすめ〕
名〔な〕は勢〔セ〕夜〔ヤ〕陀〔ダ〕多〔タ〕良〔ラ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕
其〔そ〕れ容姿〔かほ〕麗美〔よかり〕けれ故〔ば〕
美〔ミ〕和〔ワ〕の大物主〔おほものぬし〕の神〔かみ〕見〔み〕感〔めで〕て
其〔そ〕の美人〔をとめ〕の爲大便〔かはやいれる/かくしす〕時〔とき〕に
丹塗矢〔ぬりや〕と化〔なり〕て、
其〔そ〕の爲大便之溝流〔かはや〕の下〔した/溝流下みぞのした〕より
其〔そ〕の美人〔をとめ〕の富〔ホ〕登〔ト〕[此二字以(レ)音。下效(レ)此。]を突〔つき〕たまひき。
爾〔かれ〕其〔そ〕の美人〔をとめ〕驚〔おどろき〕て
立〔たち〕走〔はしり〕伊〔イ〕須〔ス〕須〔ス〕岐〔ギ〕伎〔キ〕[此五字以(レ)音]
乃〔かくて〕其〔そ〕の矢〔や〕を將來〔もちき〕て
床〔とこ〕の邊〔べ〕に置〔おき〕しかば
忽〔たちまち〕に麗〔うるはし〕き壯夫〔をとこ〕と成〔なり〕て、
即〔すなはち〕其〔そ〕の美人〔をとめ〕に娶〔みあひ〕て生〔うみませる〕子〔みこ〕
名〔な〕は富〔ホ〕登〔ト〕多〔タ〕多〔タ〕良〔ラ〕伊〔イ〕須〔ス〕須〔ス〕岐〔ギ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕
亦〔また〕の名〔な〕は
比〔ヒ〕賣〔メ〕多〔タ〕多〔タ〕良〔ラ〕伊〔イ〕須〔ス〕氣〔ケ〕余〔ヨ〕理〔リ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕と謂〔まをす〕。
[是〔こ〕は惡其〔そ〕の富〔ホ〕登〔ト〕と云〔いふ〕事〔こと〕を惡〔にくみ〕て
後〔のち〕に改〔かへつる〕名〔みな〕なり。]
故〔かれ〕是〔ここ〕を以〔もち〕て神〔かみ〕の御子〔みこ〕なりと謂〔まをす〕なり。
とまをしき。
於是七媛女遊行於高佐士野[佐士二字以音]伊須氣余理比賣在其中
爾大久米命見其伊須氣余理比賣而
以歌白於天皇曰
夜麻登能 多加佐士怒袁 那那由久 袁登賣杼母 多禮袁志摩加牟
於是〔ここに〕七媛女〔ななをとめ〕
高〔たか〕佐〔サ〕士〔ジ〕野〔ぬ〕[佐士二字以(レ)音]に遊行〔あそべる〕に
伊〔イ〕須〔ス〕氣〔ケ〕余〔ヨ〕理〔リ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕其〔そ〕の中〔なか〕に在〔あり〕き。
爾〔‐〕大〔おほ〕久〔ク〕米〔メ〕の命〔みこと〕
其〔そ〕の伊〔イ〕須〔ス〕氣〔ケ〕余〔ヨ〕理〔リ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕を見〔み〕て
歌〔うた〕以〔も〕て天皇〔すめらみこと〕に白〔まをし〕曰〔けらく〕
夜麻登能〔やまとの〕
多加佐士怒袁〔たかさじぬを〕
那那由久〔ななゆく〕
袁登賣杼母〔をとめども〕
多禮袁志摩加牟〔たれをしまかむ〕
倭の 高佐士野を 七行く 媛女ども 誰をしまかむ
爾伊須氣余理比賣者、立其媛女等之前。
乃天皇見其媛女等而、御心知伊須氣余理比賣立於最前、
以歌答曰、
加都賀都母 伊夜佐岐陀弖流 延袁斯麻加牟
爾〔ここ〕に伊〔イ〕須〔ス〕氣〔ケ〕余〔ヨ〕理〔リ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕は
其〔そ〕の媛女等〔をとめども〕の前〔さき〕に立〔たてり〕き。
乃〔‐〕天皇〔すめらみこと〕、其〔そ〕の媛女等〔をとめども〕を見〔みそなはし〕て
御心〔みこころ〕に伊〔イ〕須〔ス〕氣〔ケ〕余〔ヨ〕理〔リ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の
最前〔いやさき〕に立〔たてる〕ことを知〔しり〕たまひて、
歌〔みうた〕以〔も〕て答曰〔こたへたまはく〕
加都賀都母〔かつがつも〕
伊夜佐岐陀弖流〔いやさきだてる〕
延袁斯麻加牟〔えをしまかむ〕
かつがつも いや先き立てる 可愛をしまかむ
爾大久米命以天皇之命詔其伊須氣余理比賣之時
見其大久米命‘黥利目而思奇歌曰(黥、宣長云裂之借字、宜訓佐祁流)
阿米都都 知杼理麻斯登登 那杼佐祁流斗米
爾〔ここ〕に大〔おほ〕久〔ク〕米〔メ〕の命〔みこと〕
以〔‐〕天皇〔おほきみ〕の命〔みこと〕を
其〔そ〕の伊〔イ〕須〔ス〕氣〔ケ〕余〔ヨ〕理〔リ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕に詔〔のれる〕時〔とき〕に
其〔そ〕の大〔おほ〕久〔ク〕米〔メ〕の命〔みこと〕の黥利目〔さけるとめ〕を見〔み〕て、
奇〔あやしき〕と思〔おもひ〕て
阿米都都〔あめつつ〕
知杼理麻斯登登〔ちどりましとと〕
那杼佐祁流斗米〔などさけるとめ〕
あめつつ 千鳥真鵐 など裂ける利目
と歌曰〔うたひければ〕
爾大久米命答歌曰
袁登賣爾 多陀爾阿波牟登 和加佐祁流斗米
爾〔‐〕大〔おほ〕久〔ク〕米〔メ〕の命〔みこと〕、
袁登賣爾〔をとめに〕
多陀爾阿波牟登〔ただにあはむと〕
和加佐祁流斗米〔わがさけるとめ〕
媛女に 直に逢はむと 我が裂ける利目
と答歌曰〔いたひてぞこたへける〕。
故其孃子白之
仕奉也
於是其伊須氣余理比賣命之家在狹井河之上
天皇幸行其伊須氣余理比賣之許一宿御寢坐也
[其河謂佐韋河由者
於其河邊山由理草多在故取其山由理草之名號佐韋河也
山由理草之本名云佐韋也]
故〔かれ〕其〔そ〕の孃子〔をとめ〕
仕奉〔つかへまつらむ〕。
と白之〔まをし〕き。
於是〔ここに〕其〔そ〕の伊〔イ〕須〔ス〕氣〔ケ〕余〔ヨ〕理〔リ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕の家、
狹井河〔さゐがは〕の上〔べ〕に在〔あり〕き。
天皇〔すめらみこと〕
其〔そ〕の伊〔イ〕須〔ス〕氣〔ケ〕余〔ヨ〕理〔リ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕が許〔り〕幸行〔いでまし〕て
一宿御寢坐〔ひとよみねましき〕。
[其〔そ〕の河〔かは〕を佐〔サ〕韋〔井〕河〔がは〕と謂〔いふ〕由〔よし〕は
其〔そ〕の河〔かは〕の邊〔べ〕に山〔やま〕由〔ユ〕理〔リ〕草〔ぐさ〕多在〔おほかり〕き。
故〔かれ〕其〔そ〕の山〔やま〕由〔ユ〕理〔リ〕草〔ぐさ〕の名〔な〕を取〔とり〕て、
佐〔サ〕韋〔井〕河〔がは〕と號〔なづけ〕き。
山〔やま〕由〔ユ〕理〔リ〕草〔ぐさ〕の本〔もとの〕名〔な〕佐〔サ〕韋〔井〕と云〔いひ〕き。]
後其伊須氣余理比賣參入宮内之時
天皇御歌曰
阿斯波良能 志祁志岐袁夜邇 須賀多多美 伊夜佐夜斯岐弖 和賀布多理泥斯
然而阿禮坐之御子名
日子八井命
次神八井耳命
次神沼河耳命[三柱]
後〔のち〕に其〔そ〕の伊〔イ〕須〔ス〕氣〔ケ〕余〔ヨ〕理〔リ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕、
宮内〔おほみやぬち〕に參入〔まゐいれる〕時〔とき〕に
天皇〔すめらみこと〕御歌曰〔みうたよみしたまはく〕
阿斯波良能〔あしはらの〕
志祁志岐袁夜邇〔しけこきをやに〕
須賀多多美〔すがたたみ〕
伊夜佐夜斯岐弖〔いやよさよしきて〕
和賀布多理泥斯〔わがふたりねし〕
葦原の 醜けき小屋に 菅畳 いやさや敷きて 我が二人寢し
然而〔しかりて〕阿〔ア〕禮〔レ〕坐〔ませる〕御子〔みこ〕の名〔みな〕は
日子八井〔ひこやゐ〕の命〔みこと〕。
次〔つぎ〕に神〔かむ〕八井耳〔やゐみみ〕の命〔みこと〕。
次〔つぎ〕に神〔かむ〕沼河耳〔ぬなかはみみ〕の命〔みこと〕。[三柱。]
故天皇崩後其庶兄當藝志美美命娶其嫡后伊須氣余理比賣之時
將殺其三弟而謀之間其御祖伊須氣余理比賣患苦而
以歌令知其御子等
歌曰
佐韋賀波‘用 久毛多知和多理 宇泥備夜麻 許能波佐夜藝奴 加是布加牟登須
(用、宣長云延本作由、非)
故〔かれ〕天皇〔すめらみこと〕崩〔かむあがりまし〕て後〔のち〕に
其〔そ〕の庶兄〔まませ〕當〔タ〕藝〔ギ〕志〔シ〕美〔ミ〕美〔ミ〕の命〔みこと〕
其〔そ〕の嫡后〔おほきさき〕伊〔イ〕須〔ス〕氣〔ケ〕余〔ヨ〕理〔リ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕に娶〔たはくる〕時〔とき〕に、
其〔そ〕の三弟〔みはしらのおとみこたち〕を將殺〔しせむ〕として謀〔はかりごつ〕間〔ほど〕に
其〔そ〕の御祖〔みおや〕
伊〔イ〕須〔ス〕氣〔ケ〕余〔ヨ〕理〔リ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕患苦〔うれひ〕まして、
以歌〔うたよみして〕其〔そ〕の御子等〔みこたち〕に令知〔しらしめ〕たまへりし。
歌曰〔そのみうた〕
佐韋賀波用〔さゐがはよ〕
久毛多知和多理〔くもたちわたり〕
宇泥備夜麻〔うねびやま〕
許能波佐夜藝奴〔このはさやぎぬ〕
加是布加牟登須〔かぜふかむとす〕
狹井河よ 雲立ち涉り 畝傍山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす
又歌曰
宇泥備夜麻 比流波久毛登韋 由布佐禮婆 加是布加牟登曾 許能波佐夜牙流
又歌曰〔また〕
宇泥備夜麻〔うねびやま〕
比流波久毛登韋〔ひるはくもとゐ〕
由布佐禮婆〔ゆふされば〕
加是布加牟登曾〔かぜふかむとぞ〕
許能波佐夜牙流〔このはさやげる〕
畝傍山 晝は雲とゐ 夕去れば 風吹かぬとぞ 木の葉さやげる
於是其御子聞知而驚乃爲將殺當藝志美美之時
神沼河耳命‘曰其兄神八井耳命(曰、眞本作白)
那泥[此二字以音]汝命持兵入而殺當藝志美美
故持兵入以將殺之時手足和那那岐弖[此五字以音]不得殺
故‘爾其弟神沼河耳命乞取其兄所持之兵入殺當藝志美美(爾、卜本寛本神本作示)
故亦稱其御名謂建沼河耳命
於是〔ここに〕其〔そ〕の御子〔みこたち〕聞知〔ききしり〕まして驚〔おどろき〕て
乃〔すなはち〕當〔タ〕藝〔ギ〕志〔シ〕美〔ミ〕美〔ミ〕を爲將殺〔しせむ〕としたまふ時〔とき〕に
神〔かむ〕沼河耳〔ぬなかはみみ〕の命〔みこと〕
其〔そ〕の兄神〔いろせかみ〕八井耳〔やゐみみ〕の命〔みこと〕に曰〔まをしたまはく〕
那〔ナ〕泥〔ネ〕[此二字以(レ)音]汝〔な〕が命〔みこと〕、
兵〔つはもの〕を持〔とり〕て入〔いり〕て
當〔タ〕藝〔ギ〕志〔シ〕美〔ミ〕美〔ミ〕を殺〔しせ〕たまへ。
とまをしたまひき。
故〔かれ〕兵〔つはもの〕を持〔とり〕て入〔いり〕て以將殺〔しせむと〕したまふ時〔とき〕に
手足〔てあし〕和〔ワ〕那〔ナ〕那〔ナ〕岐〔キ〕弖〔テ〕[此五字以(レ)音]不得殺〔えしせたまはざりき〕。
故〔かれ〕爾〔ここ〕に其〔そ〕の弟〔いろと〕神〔かむ〕沼河耳〔ぬなかはみみ〕の命〔みこと〕
其〔そ〕の兄〔いろせ〕の所持〔もたせる〕兵〔つはもの〕を乞取〔こひとり〕て、
入〔いり〕て當〔タ〕藝〔ギ〕志〔シ〕美〔ミ〕美〔ミ〕を殺〔しせ〕たまひき。
故〔かれ〕亦〔また〕其〔そ〕の御名〔みな〕を稱〔たたへ〕て
建〔たけ〕沼河耳〔ぬなかはみみ〕の命〔みこと〕と謂〔まをし〕き。
爾神八井命讓弟建沼河耳命曰
吾者不能殺仇汝命既得殺仇
故吾雖兄不宜爲上是以汝命爲上治天下
僕者扶汝命爲忌人而仕奉也
爾〔ここ〕に神〔かむ〕八井耳〔やゐみみ〕の命〔みこと〕
弟〔いろと〕建〔たけ〕沼河耳〔ぬなかはみみ〕の命〔みこと〕に讓〔ゆづり〕て曰〔まをしたまはく〕
吾〔あ〕は仇〔あだ〕を不能殺〔えしせず〕。
汝〔な〕が命〔みこと〕既〔すで〕に得殺仇〔えしせたまひぬ〕。
故〔かれ〕吾〔あ〕は雖兄〔あになれども〕上〔かみ〕と爲〔なる〕不宜〔べからず〕。
是以〔ここもち〕て汝〔な〕が命〔みこと〕爲上〔かみとまして〕天下〔あめのした〕治〔しろしめせ〕。
僕〔あ〕は汝〔な〕が〔みこと〕を扶〔たすけ〕て
忌人〔いはひびと〕と爲〔なり〕て仕奉〔つかへまつらむ〕。
とまをしたまひき。
故其日子八井命者
[茨田連
手嶋連之祖]
神八井耳命者
[意富臣
小子部連
坂合部連
火君([火君]、宣長云火或誤作[大]、或[炊]、今從延本又一本、釋紀作[炊]而古寫本釋紀與此同)
大分君
阿蘇君
筑紫三家連
雀部臣
雀部造
小長谷造
都祁直
伊余國造
科野國造
道奧石城國造
常道仲國造
長狹國造
伊勢船木直
尾張‘丹羽臣([丹羽]、一本作[丹波])
嶋田臣等之祖也]
神沼河耳命者治天下也
故〔かれ〕其〔そ〕の日子八井〔ひこやゐ〕の命〔みこと〕は
[茨田〔まむた〕の連〔むらじ〕、
手嶋〔てしま〕の連〔むらじ〕の祖〔おや〕。]
神〔かむ〕八井耳〔やゐみみ〕の命〔みこと〕は
[意〔オ〕富〔ホ〕の臣〔おみ〕、
小子部〔ちひさこべ〕の連〔むらじ〕、
坂合部〔さかひべ〕の連〔むらじ〕、
火〔ひ〕の君〔きみ〕、
大分〔おほきだ〕の君〔きみ〕、
阿〔ア〕蘇〔ソ〕の君〔きみ〕、
筑紫〔つくし〕の三家〔みやけ〕の連〔むらじ〕、
雀部〔さざきべ〕の臣〔おみ〕、
雀部〔さざきべ〕の造〔みやつこ〕、
小長谷〔をはつせ〕の造〔みやつこ〕、
都〔ツ〕祁〔ゲ〕の直〔あたへ〕、
伊〔イ〕余〔ヨ〕の國造〔くにのみやつこ〕、
科野〔しなぬ〕の國造〔くにのみやつこ〕、
道〔みち〕の奧〔く〕の石城〔いはき〕の國造〔くにのみやつこ〕、
常道〔ひたち〕の仲〔なか〕の國造〔くにのみやつこ〕、
長狹〔ながさ〕の國造〔くにのみやつこ〕、
伊〔イ〕勢〔セ〕の船木〔ふなき〕の直〔あたへ〕、
尾張〔をはり〕の丹羽〔ゆは〕の臣〔おみ〕、
嶋田〔しまだ〕の臣〔おみ〕等〔ら〕が祖〔おや〕なり。]
神〔かむ〕沼河耳〔ぬなかはみみ〕の命〔みこと〕は天下〔あめのした〕治〔しろしめしき〕。
凡此神倭伊波禮毘古天皇御年壹佰參拾漆歲
御陵在畝火山之北方白檮尾上也
凡〔すべて〕此〔こ〕の神〔かむ〕倭〔やまと〕伊〔イ〕波〔ハ〕禮〔レ〕毘〔ビ〕古〔コ〕の天皇〔すめらみこと〕
御年〔みとし〕壹佰參拾漆歲〔ももちまりみそちまりななつ〕。
御陵〔みはか〕は畝火山〔うねびやま〕の北〔きた〕の方〔かた〕の白檮〔かし〕の尾〔を〕の上〔うへ〕に在〔あり〕。
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