古事記(國史大系版・中卷3・神武天皇3)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
(傳十九)
故爾於宇陀有兄宇迦斯[自宇以下三字以音下效此也]弟宇迦斯二人
故先遣八咫烏問二人曰
今天神御子幸行
汝等仕奉乎
於是兄宇迦斯以鳴鏑待射返其使
故其鳴鏑所落之地謂訶夫羅前也
將待擊云而聚軍然不得聚軍者
欺陽仕奉而作大殿於其殿内作押機待時
弟宇迦斯先參向‘拜曰(拜曰、神イ本卜本及閣本旁書作拜白)
僕兄兄宇迦斯
射返天神御子之使
將爲待攻而聚軍不得聚者
作殿其内張押機將待取
故參向顯白
故〔かれ〕爾〔ここ〕に宇〔ウ〕陀〔ダ〕に
兄〔え〕宇〔ウ〕迦〔カ〕斯〔シ〕[自(レ)宇以下三字以(レ)音、下效(レ)此也]
弟〔おと〕宇〔ウ〕迦〔カ〕斯〔シ〕二人〔ふたり〕有〔あり〕けり。
故〔かれ〕先〔まづ〕八咫烏〔やたがらす〕を遣〔つかはし〕て
問二人曰〔ふたりにとはしめらく〕
今〔いま〕天神〔あまつかみ〕の御子〔みこ〕幸行〔いでませり〕。
汝等〔いましども〕仕奉乎〔つかへまつらんや〕。
ととはしたまひき。
於是〔ここ〕に兄〔え〕宇〔ウ〕迦〔カ〕斯〔シ〕以鳴鏑〔なりかぶらとりもちて〕
其〔そ〕の使〔つかひ〕を待射返〔まちいかへし〕き。
故〔かれ〕其〔そ〕の鳴鏑〔なりかぶら〕の所落〔おちたりし〕地〔ところ〕を
訶〔カ〕夫〔ブ〕羅〔ラ〕の前〔さき〕と謂〔いふ〕。
將待擊〔まちうたむ〕と云〔いひ〕て軍〔いくさびと〕聚〔あつめ〕然〔しかども〕
不得聚軍者〔えあつめざりしかば〕
仕奉〔つかへまつらむ〕と欺陽〔いつはり〕て
大殿〔おほとの〕作〔つくり〕其〔そ〕の殿〔との〕の内〔うち〕に
押機〔おし〕を作〔はり〕て待〔まちける〕時〔ときに〕
弟〔おと〕宇〔ウ〕迦〔カ〕斯〔シ〕先〔まづ〕參向〔まゐむかひ〕て
拜〔をがみ〕曰〔まをさく〕
僕〔あ〕が兄〔あに〕兄〔え〕宇〔ウ〕迦〔ガ〕斯〔シ〕、
天神〔あまつかみ〕の御子〔みこ〕の使〔みつかひ〕を射返〔いかへし〕
將爲待攻而〔まちせめむとして〕軍〔いくさ〕を聚〔あつめれども〕
不得聚者〔えあつめざれば〕殿〔おほとの〕作〔つくり〕
其〔そ〕の内〔うち〕に押機〔おし〕を張〔はり〕て將待取〔まちとらむとす〕。
故〔かれ〕參向〔まゐむかひ〕て顯白〔あらはしまをす〕。
とまをしき。
爾大伴連等之祖道臣命
久米直等之祖大久米命二人召兄宇迦斯罵詈云
伊賀[此二字以音]所作仕奉於‘大殿内者(大殿内、宣長云殿諸本作麻、今從延本)
意禮[此二字以音]先入明白其將爲仕奉之狀
而即握横刀之手上‘矛由氣[此二字以音]矢刺而追入之時(矛、中本作弓)
乃己所作‘押見打而死(押、寛寫本作押機二字)
爾即控出斬散故其地謂宇陀之血原也
爾〔ここ〕に大伴〔とほとも〕の連等〔むらじら〕が祖〔おや〕道〔みち〕の臣〔おみ〕の命〔みこと〕
久〔ク〕米〔メ〕の直等〔あたへら〕が祖〔おや〕大〔おほ〕久〔ク〕米〔メ〕の命〔みこと〕二人〔ふたり〕
兄〔え〕宇〔ウ〕迦〔カ〕斯〔シ〕を召〔めし〕て罵詈云〔のりていふけらく〕
伊〔イ〕賀〔ガ〕[此二字以(レ)音]所作仕奉〔つくりつかへまつれる〕大殿〔おほとの〕の内〔うち〕には、
意〔オ〕禮〔レ〕[此二字以(レ)音]先〔まづ〕入〔いり〕て
其〔そ〕の將爲仕奉〔つかへまつらむとする〕狀〔さま〕を明〔あかし〕白〔まをせ〕。
といひ而〔て〕
即〔‐〕握横刀〔つるぎ〕の手上〔たかみ〕に握〔とりしばり〕
矛〔ほこ〕由〔ユ〕氣〔ケ〕[此二字以(レ)音]
矢〔や〕刺〔さし〕て
追〔おひ〕入〔いる〕時〔とき〕に
乃〔‐〕己〔おの〕が所作〔はりおける〕押〔おし〕に‘見打〔うたれ〕而死〔しにき〕。(‘見字は受け身)
爾〔‐〕即〔すなはち〕控出〔ひきいだし〕て斬散〔きちはふり〕き。
故〔かれ〕其地〔そこ〕を宇〔ウ〕陀〔ダ〕の血原〔ちはら〕となも謂〔いふ〕。
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