短編小説。修羅ら沙羅さら。綺羅らぎの淨土6


新型コロナ・ヴィルスを背景にした神話あるいは私小説。

雜篇。

以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上、お読みすすめください。



かくに記憶する。わたしを殊更に指さしたグイン・ヴァン・ナムのひとしきりの紹介に、いまさらにわたしの存在に気付いたようにミスター・トイはわたしに驚嘆を静かにさらした。その感情の伴わない驚きと讃嘆のまなざしに笑み、そしてかたわらに無口な、怯えた眼の褐色の肌の女を紹介した。その女——少女、と。あらためて見止めたまなざしにその瘦せた女を少女と呼ぶことこそ相応しく想われたが、長い髪は後ろで束ねられていた。二重まぶたがさかんに震えた。此処の女がだれでもそうでもあるように蟹股に足をひろげて、少女は幼児じみて立っていた。眉が片方だけ短く見えた。何かの事故の損傷の名殘りなのだろうか?鼻梁はいやがうえにも高かった。フランス人かアメリカン人かの血でも、四分の一程度にでも入っていたのか。そしてその先端を土地の固い団子鼻が喰いつくように覆った。褐色の肌は、紅の塗られない唇をむしろ黑ずんで色した。わたしには彼女は十八か、せいぜい九。ことによると七か。六はない、そして二十歳ということはそれ以上に考えられない。Shi、Ist、Ma、Whife、…と。She is my wife、わたしの下手な発音に比べても癖のある英語で、彼はそう云った。今敢えて頌に顯かせばなぜ?

  もうすぐ花が

 と

  もうすぐに庭に、あの白い

 こころに

  沙羅の樹の

 雪の色は白いのだろう?

  沙羅の花らはさくだろう

 そんなふうに

  過ぎた三月

 とつぜんに想いついたかにもこころに

  都市封鎖

 なぜ?

  その春の頃

 と

  妻は云った

 こころに

  庭先に

 あなたはなぜそんなにも

  その朝の日に

 殊更に澄んだ目で

  ななめに綺羅めき

 わたしを見たのか

  右の半身だけ

 冷酷なまでに

  きらゝぎ立たせ

 殊更にまさに澄んだめで

  妻は云った

 グイン・ヴァン・ナムをあなたは見たのか

  ささやき聲もて

 もうなにも

  あの花が

 見るべきあらたなものなどないと

  あなたの好きな

 もうなにも

  あの白い

 見出すべきかたちも色も

  ホトケの最後の花らの色が

 なにもかも

  庭にたくさん

 もう燃えつけた

  花ひらき

 すでに焼け落ち

  煙りたつ

 焼尽の

  白の花煙り

 轟音の中に

  かげろわせ

 あとはただ

  綠りの色の

 灰色の水の

  すきますきまに

 うつす月翳

  貪欲なまでに

 顯らかに

  いっぱいに

 うつりもしない

  沙羅の花ら

 灰盡の月

  その黴のような

 そんな目で

  ちいさな白の

 澄み透き通った

  おびただしい密集

 そんな目で

  もうすぐ花が

 なぜ?

  花がひらく

 と

  蝶の耳には

 こころに

  聞こえただろう、その蕾み

 わたしは思って

  ほどける微弱の

 ひとりして

  かすかな音は

かくに記憶する。わたしたちはグイン・ヴァン・ナム曰く親友トイの一人っ子に(only sunと、ナムは子供をそう紹介した)に、言葉を懸けようとして果たせなかった。ベッドの中で、その子供…十二歳くらい、なのだろうか。すくなくとも身体的な頭から足までの長さにはそのくらいに見える彼は異形だった。顔の半分だけまるで肥満の他人に不意に取り憑かれたかのように極端に膨張していた。骨格さえ變形させて?むくみ、乃至、腫れ上がっていた。その腫れはまさに今火に燒かれたとでもいいたげに…むしろ、燃え立つ炎をさえ幻し見させながら、ひたすらに憑かれたかにも眞っ赤だった。皮膚のこまかな皴と亀裂をことさらに拡大し誇張しひび割れとして現じて、それらはところどろこに決壊し血をにじませていたのかガーゼを張り付けられていた。立って歩けないに違いない。肥満した方の足が予想外の曲がり方でベッドに放置され、健康な足の膝を立てた踝には点滴を打たれていた。眞っ赤な肥満の半身の目は健康だった。それしかもう見得ていないのではないか。動くのはいつもそちらの目だけだった。健康な半身の眼球はすさまじかった。カラー・コンタクトなど物の数では無くて、極端に白い、…腐ったように?眞っ白い白目の眞ん中に、ひたすらに赤い赤目が見開いていた。眞ん中は黄色く、そしてその更なる真ん中は白い。外がわと違って、色の消失した色彩にも感じられた澄んだ白。わたしは言葉を失っていた。そして匂いに、薬物の匂いの混雑の向こうに砂糖をまぶしたような執拗な甘い匂いを感じていた。蜜にさらに砂糖と練乳をねじ込み、若干発酵させて常温に腐らせたような。とにかく甘い。今敢えて頌に顯かせばそのひとり子は顯らかに

  噎せかえるほどに

 顯らかにまさに笑おうとした

  蜜の。埀れる蜜

 知性があるに違いなかった

  埀れて絲を

 損傷も無く

  糸をなし埀れ

 わずかの瑕疵だにあるでなく

  埀れる蜜の

 知性はすくすく

  あの甘やかな匂いはもはや

 すこやかに

  華やいで

 そのひとり子は顯らかに

  ゆたかに

 顯らかにはじめて彼が見た

  みだらなまでに

 日本人を見て海の向こう

  色めいて

 噂にのみ聞くその異国の

  艶やいで

 存在を肌に感じたのだった

  華やかに

 灼熱の半身

  鼻にもはや

 眞っ赤の半身

  噎せかえるまでに

 息遣い

  それはなに?

 あららぎあららぎ息を吐き

  体液の?

 吸い、吸いかけて突然

  異形の体液の

 吐かれた息

  變質の馨?

 長い細い息、顯らかに

  それはなに?

 そのひとり子は顯らかに

  爛れた膿の

 顯らかにわたしに気をつかい

  皮膚のしたに

 せめてもの心づくしのつもりだったか

  姿もみせずに

 彼は自由を得たことの無い

  爛れた膿の?

 その異形の頬に

  淀む体液の

 かろうじてのほゝ笑みを

  變質の馨?

 大人らのかたちを自由に

  匂い立つ

 眞似れたことの一度もない

  その匂いは強烈な

 かろうじてのほゝ笑みを

  さまざまな薬物

 その異形の

  つらなって

 当然のゆがみの限界に隨う

  かたまりをなす饐えた悪臭

 かろうじてのほゝ笑みを

  その帶の

 しずかにさらして顯らかに

  むこうに顯らかに

 彼は知的に眼差しに

  隠れることなく

 顯らかにまさにわたしの爲に

  匂い立つ

 わたしにだけに

  蜜

 そっと一瞬

  埀れしたたる蜜

 かれのほゝ笑みをくれたのだった

  金色の馨







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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