短編小説。修羅ら沙羅さら。綺羅らぎの淨土5


新型コロナ・ヴィルスを背景にした神話あるいは私小説。

雜篇。

以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上、お読みすすめください。



かくに記憶する。わたしたちは巨大な病院——十二階建て?おそらくは。その四棟並び?おそらくは。…の、相応しく広大な敷地の広すぎるエントランス・スペースの一番端の駐車場からの日影から、二百メートル先の病院ビルまで直射するだけの日差しの中を歩いた。都市封鎖明けのいまだ大通りにさえまともに人通りのない町の中で、それにしてもダナン市に未だこれほどの『普通の』患者たちが、ないし、『普通の』入院者にかかわるものたち、乃至いずれにせよ病院に不要不急ではない用がある人々がいたものだと違和感を目が訴えたほどに、敷地の中だけは人々であふれかえっていた。背後の駐車場はバイクで埋め尽くされた。日差しの中にわたしたちは肌の灼かれる儘にまかせた。グイン・ヴァン・ナムはあくまで陽気だった。彼の爲にわたしは笑んだ。妻が知ったら発狂するに違いかった。自分が、乃至親族が明日死ぬというわけでもなくに、用もなく病院などに行って危険に身を曝した暗愚を知れば。わたしはすでに妻には秘密にするつもりだった。今敢えて頌に顯かせば綺羅らゝら

  さまざまな匂い

 きら綺羅きらと

  ナムの髪の毛

 綺羅めく葉色

  肌の汗の?

 植栽の

  さまざまな

 樹木の茂らす葉ゝの色ら

  匂い、生地の

 綺羅きらと

  人に着られたその

 白濁し綺羅めき

  生地の

 綺羅らゝら

  さまざまな色の

 綺羅きらに

  ふいに嗅いだ

 綠り煙らし

  我を忘れた

 繁茂の匂いの

  晴れ上がる日の下

 上には空が

  薰る匂い、雨の日の

 綺羅らゝら

  土の匂いの立つ一瞬に

 青く青くてひたすらに

  わたしは我を

かくに記憶する。病院の中に薄暗い、そして翳りの涼しさのある館内を通り、中庭の植栽の色めきの傍らを二つ通り抜けて、終にはエレベーターに乘る。エレベーターの人ごみの中で唐突にグイン・ヴァン・ナムはマスクの上から手で口を覆ったままに身をよじり、わたしの耳に至近に聲する。曰く、彼は私の大学時代のクラスメートだった、そしてHim、彼の、Sun、子供は今テリブルな病気をGet、得ている、と。それは英語だった。誤り以外の正確な文は忘れた。今や意味しか記憶しなかった。そして記憶された意味はいつでも所詮は耳にしもしなかった日本語なのだった。十一階で降りた。エレベーター乗り場の前の広間の窓に、広くどこまでもつづく平地と、時折の突然の小山の垂直なもりあがりが、そして空はあかさらまにも明るく、靑かった。今敢えて頌に顯かせばそこにわたしは見たのだった

  いま、すべて

 病院の

  すべてはいまこそ

 エレベーターホールの二面窓の

  かがやくよ

 横殴りの光り、向こうには

  まどのむこうに

 河の綺羅めき、泥色の河

  きらゝきらきら

 水面はもはや白濁の綺羅

  ひかりのなかで

 その老人が

  きらゝきらきら

 我を忘れて立ち尽くし

  きたないものも

 青に入院服の儘

  きれいなものも

 五体損傷ないままに

  かたちあるもの

 ただ我を忘れて立ち尽くし

  ひかりにこそ

 わたしの傍らを通り抜け

  いろづけされた

 わたしにほゝ笑むグイン・ヴァン・ナムを

  ひかりのいろさえうばわれて

 彼をだけを

  きらゝきらきら

 その双渺は凝視した

  きらゝきらきら

 その双眇は凝視した

  かがやくよ

 目を剝きかけて

  きらゝきらきら

 グイン・ヴァン・ナムには気づかれない儘

  きらゝきらきら

 その双渺は凝視した

  日が溶けて

 その双眇は凝視した

  失せる前なら

かくに記憶する。病室の中に入った。窓は無い。隔離された個室で、エアコンが寒い程に効いた。四人の患者と病室を共有した。他の患者には目もくれないでグイン・ヴァン・ナムは一番奥のベッドに向かった。女がひとり、いやがうえにも若い。娘なのだろうか。そのとなりに背を向けた男が居た。スーツを着た。色は白かった。短い髪は清潔で、アジア風に七三に分けられていた。彼はベッドの上の患者を立ったまま見つめ、話しかけていて、わたしたちには背を向けつゞけた。グイン・ヴァン・ナムと同じ年頃だった。病室の眼には、わたしだけが若く見ていたにちがいなかった。わたしは外国人で、顏だちが違い、そもそもわかく見られた。異質なひとりの男をむしろ病室の人々がその目に追っているのは知れた。…トイ!と。至近に、喉から絞り出すようにグイン・ヴァン・ナムがその名を呼んだ時に、初めて男は七三の音は振り向いた。…ナム!と。男は再会を喚起する聲をあげはしなかった。ただ、澄んだ目でグイン・ヴァン・ナムを見詰め、そして、彼だけを見つめて微笑んでいたのだった。端正な顏だちの男だとわたしは思った。今敢えて頌に顯かせば入口ちかくの寝台にすれちがい

 そのかたわらにすれちがった付き添いの

 皴を知る 肌をくすませ

 老婆にも 見得た女は

 もゝ色の 夭く甘やぐ

 もゝ衣 返り見すれば

 こと葉なく 目を細め見て

 異国人 その男だけを

 咎め見て こと葉もなくに

 目の前を 通り過ぐまま

 もゝ色に 華やぎの色か

 もゝ衣 返り見すれば

 目を細め こと葉もなくに

 ひとりして 思いもさらさず

 寝台に 片手つきあげ

 ひとりして その手ふるわす

 夫なる 老人に見得た

 褐色の 色濃い男の

 皴を知る くすみの肌は

 乾き切り こと葉もなくに

 うるおいの 夭やぎの色は

 すでに消き いまもゝ色の

 もゝ衣 妻もはやそれ

 こと葉もなくに 思いもなくに

 その男 やつれるままに

 見開いた まなこにもはや

 うつゝには 見得ざるなにか

 ものゝかげ かたちを追うか

 かげろうの まぼろしを追うか

 泡沫の 夢の色にも

 さまよい出 見開くまなこ

 かすかにも 揺れてゆらゝと

 ふるえる目 眼玉ゆらゝと

 淀む色 ゆらゝゆらゝと

 ぬば玉の 黑目をついばむ

 深き夜の 明けの野原に

 茜さす 綺羅めく野邊に

 野の鳥の 羽根のゆらめき

 羽根の色 ゆらぎ羽搏く

 音もせで 彼死に懸けの

 男はひとり 鳥ら飛び

 かがやいて 野の綺羅めきの

 高光る 綺羅ゝの野にも

 遊べども 野にこそさわぎ

 歌えども 淡き闇か

 翳りの中の かたわらに

 妻は添えども 淡き闇か

 心もなくに憩えども

 わたしはその夫婦がおそらくはわたしと大して年齢を異にしないことは見て知り

 年よりはるかに老いてかれらはだれとも睦みもせずに

 開かれた男の口はすでに渇く

    吐く息の香は

       蠅の音を聞き

 死期がすでに近いことは見て知れて

 まぼろしに鳴り響くそれさ蠅らの

    繁茂の羽音

       善きやゆたかな

 思い出す。わたしは

 鳥らは死にかけの馬の横たわった目をついばむという

 人の目も?

 あるいはもちろん

 野に棄てよむしろかばねは野に豊饒

    鳥らついばみ

       啼き騒ぐままに








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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