短編小説。修羅ら沙羅さら。綺羅らぎの淨土3


新型コロナ・ヴィルスを背景にした神話あるいは私小説。

雜篇。

以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上、お読みすすめください。



かくに記憶する。先に糖尿病と尿結石を合併した義父が出た。名前はコイ。偏屈故に友達は居ない。その喚き散らし、笑いながら罵り合うような聲の過剰な親しみにわたしはナムの来訪を知った。わたしはいまだ日翳の寝室の翳りの中にいた。妻はわたしの傍らで寝ていた。日曜日の九時だった。いつものことだった。わたしは寝室を出て居間に出向いた。押し開かれた木戸の向こうの極彩色の光沢の中に光に噎せ返ったナムが手を振った。彼のまなざしに、私の姿は翳りの中にかすむちいさな色彩にすぎないはずだった。わたしは彼に手を振った。義父の聲がしていたはずだった。彼の姿はすでに見当たらなかった。恠しみもしなかった。事実、わたしは彼の存在などその時すでにわすれていた。いきなり背後で、そのベトナム語が——ナム。…と。Nam、グイン・ヴァン・ナムの名を一度口にした以外、わたしには一切理解できなかったベトナム語が、叩き込むように聞こえるまで、わたしは彼が見当たらないこと自体意識していなかった。振り返らなかった。今は荘厳なる電飾の、けばけばしい伝統的な佛壇の佛像の、そのかたわらの翳りにでも立っているに違いなかった。中央の居間は佛間を兼ねた。念佛がいつもi-podで再生された。ナムは光の中で笑っていた。彼の癖の強い英語は、近くもない距離に決して聞き取れはしなかったが、いずれにしても彼がわたしを誘ってることは判った。ナムに笑いかけた。しばし待て、と。兩手と口でジェスチャーしてわたしは寝室にかえった。妻にわたしの外出を誥げるつもりだった。一瞬、我に返った。彼女がいまだに寝息のうちにあるのを見た。起こすまでも無かった。妻の、髪の毛と肌の匂いが籠っていた。肌は褐色の色をさらした。夜の儘にいまだに着衣はなかった。髙い通風孔の横殴りの光が頭の上に髪だけを照らした。褐色は翳りに濃く黑み今敢えて頌に顯かせばいつでもわたしたちは

  眠る女は

 借り物の

  気づきもしないで、すでに明けた

 他人の言語、その英語で

  壁の向こうの

 わたしたちにだけ理解される

  晴れ上がりの空の

 所詮借り物の

  色綺羅めきの

 独自の言葉でかたり合った

  その時にだに

 互いのよろこび

  いまだに夜を

 互いのかなしみ

  いまだに夜を

 互いのなやまみと

  名殘りさえ

 互いの近況

  眠れるままに

 いまグイン・ヴァン・ナムは

  感じだにせず

 日差しの直射に綺羅めいて

  惜しむ心

 綺羅ら綺羅きら

  眠れる儘に

 白濁し

  心づかずに

 あざやかなまでに

  女は眠った

 笑って見せて

  匂い立つ

 わたしの爲に

  褐色の肌に

 殊更に

  薰る汗の

 笑ってみせて

  汗ばんだ匂いの

 髪の毛の

  その馨り

 すこし上には蠅が飛んだ

  それは朝の匂いだったか

 それには終に

  明けない夜の

 気付かない儘

  匂いだったか

 蠅が飛んだ

  女は知っていた筈だった

 謂わば

  一度さえ

 野生の蠅

  かならずしもわたしに

 三匹?…の、野の水に生まれ

  愛されたことも

 野の大気に飛び

  ありはしなかったことくらい

 野の腐れものに繁殖する

  愛しまれ

 彼らの目は見る

  焦がられたこともなかったことは

 飛び交いながら

  女はすでに

 腐れものゝいびつな奇形の

  知りながら?…みずからに

 化け物らの翳

  気付かせない儘

 わたしたちの

  しあわせでいられた

 臭む肉と

  肌は翳る

 肌の匂いを

  いま、部屋の翳りの

 その周囲を

  すずしさのなかで

 飛び交いながら

  肌はひとりで

 盛り驕れる

  翳り、濃くする

 羽音らを立て

  その色を匂う

かくに記憶する。バイクの上、グイン・ヴァン・ナムの背後でヘルメットをかぶりながら家を出る時、佛間にはすでに義父の姿はなかった。わたしは彼を快くおもっていなかった。もう一週間近く彼と会話して居なかった。尤も、共通言語も無ければ話さんとしても話し得ないのも普通とも言えた。ナムのバイクに乘ってダナンの町を走った。観光都市だった。中国人、白人、インド系、若干の黒人(…奇妙な程目に付かない。)あるいは、なかでも最も多数の韓国人たち。彼等異国の客人の大半が、強烈な日差しにあぶなっかしい肌をショートパンツとタンクトップにさらし、我がもの顏で町を闊歩する。それが普通だった。観光客はいつでも、どこでも、ある種の王様じみた傲慢さを同じようにさらした。さまざまに異なる顏だちが奇妙に俱なって。なぜなのだろう?インド系だけは強烈な日差しの強烈を知って肌を隠した。現地人とおなじように日差しを避け、現地人に自然に笑った。それが普通だった。Covid19、所謂新型コロナ・ヴィルスの年の六月。外国人の姿はなかった。4月までの外出自粛令が緩和されたばかりだった。町のどこでも人気はいまだにまばらだった。客人を抜けば定住者の数などたかが知れていたことをいまさに、ここの誰の目にもさらした。気付くか否かはともかくも。ナムと外人用カフェでコーヒーを飲んだ。スタバのパクリの造作に相場以上の料金をいただく、それだけの話にすぎない。ナムは富裕層とは言えないまでも貧困層では絶対になかった。それなりの店に入るのを常とした。外国人を連れて居れば猶更だった。その大規模なカフェは半分くらい埋めた店内に英語の歌を流した。おそらく五六年前の歌だった筈だ。シンガーの名前は知らない。いかにもカニエ以後のあたりさわりのない音。むかしDJのまねごとをしていた頃なら、詳細に判り、なんらかの趣味的な判定をしたに違いない。いまや、それはあきらかに他人の音楽だった。あのころとほとんど變わりのない音像でありながら。わたしは心は心として、しきりのグイン・ヴァン・ナムの語りかけに相槌ちをくれて今敢えて頌に顯かせば二十年近く

  嗜虐的に?

 渋谷のどこかに住んでいた

  女たち。それらはわたしに

 千駄ヶ谷の

  愛された。あくまでも

 駅のちかくの

  自虐的に?

 不意にひろがる

  女たち。それらはわたしに

 樹木のしげみの

  弄ばれた

 日翳の部屋に

  一度でも

 わたしを愛した女が住んだ

  女を愛したことはなかった。無数にも

 年上の

  愛されながらも、女など

 十歳の差を自分にも

 一度も求めたことなどなかった

 隠し通して女はひとり

  肌は飢え(…そして)

 三十なかばの肌をさらして

  肌は(…心。わたしの)求めた(…まさに、精神は)

 ひざまづくように

  うつくしい

 板ばりの床に

  かけがえのない男たち

 わたしを見上げた

  その筋肉の

 乞うように

  息吹きと骨格

 わたしの素肌を強制して

  なによりも

 その朝にも

  肉体に薰る

 横殴りの日に

  精神の気配?

 窓の向こう

  無き殻のように

 明け終わりの空の

  女の心は肉体ごとに

 輝きの光

  わたしに狂った

 女はいきなり茫然の

  わたしを見つめ

 まなざしに女は瞳孔を

  わたしを見詰めず

 やわらくひらき女は不意に

  あえて逸らした羞じらいと

 なにか言いかけ唇を

  憎しみに、そして息を吐き

 開きかければ唇の

  息を吸い込み

 剝げかけた色に指はふれた

  発情装置

 わたしの指は

  恋愛機械

 かならずしも

  無き殻の

 彼女を愛撫してやるべき

  当然をだけ女たち

 心に思いも無い儘に

  反射だけする無き殻のように

 気付けば指の腹にある

  あなたも?…と

 唇の

  ある同性愛の少女に(——雪菜、と。その名を)想った。あなたにも

 やわらかさ、あるいは

  わたしは見得たはずだった

 かすかなかさつき

  反射だけする無き殻のような

 女の目が

  発情装置

 無機的な

  恋愛機械

 潤いの向こう、開かれた

  男など

 瞳孔のままに

  精神こそが、闕けているのだと

 わたしを見ていた







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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