古事記(國史大系版・上卷22・火遠理命亦名天津日高日子穗穗手見命2)


底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)

・底本奥書云、

明治三十一年七月三十日印刷

同年八月六日發行

發行者合名會社經濟雜誌社

・底本凡例云、

古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり

且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり



爾見其璵問婢曰

 若人有門外哉

‘答曰(答曰、イ本作答白)

 有人坐我井上香木之上甚麗壯夫也

 益我王而甚貴

 故其人乞水故奉水者不飮水

 唾入此璵

 是不得離故任入將來而獻

爾豐玉毘賣命思奇出‘見乃見感目合‘而(見、神本寛本无而白、宣長云延本又一本无而字、舊印本无白而、今從眞本又一本)

白其父曰

 吾門有麗人

爾海神自出見云

 此人者天津日高之御子虛空津日高矣

卽於内率入而美智皮之疊敷八重

亦絁疊八重‘敷其上坐其上而(敷其、寛本酉本作敷具)

具百取机代物爲御饗即令婚其女豐玉毘賣

故至三年住其國

 爾〔かれ〕其〔そ〕の璵〔たま〕を見〔み〕て問婢曰〔まかたちに〕

  若〔もし〕門〔かど〕の外〔と〕に人〔ひと〕有〔ありや〕。

 ととひたまへば

  坐我〔あ〕が井〔ゐ〕の上〔べ〕香木〔かつら〕の上〔うへ〕に人〔ひと〕有〔い〕坐〔ます〕。

  甚〔いと〕麗〔うるはしき〕壯夫〔をとこ〕にます。

  我〔あ〕が王〔きみ〕にも益〔まさり〕て甚〔いと〕貴〔たふとし〕。

  故〔かれ〕其〔そ〕の人〔ひと〕水〔みづ〕乞〔こはせる〕故〔ゆゑ〕に

  奉水者〔たてまつりしかば〕水〔みづ〕不飮〔のまさず〕て

  此〔こ〕の璵〔たま〕をなも唾入〔つばきいれ〕たまへる。

  是〔かれ〕不得離〔えはなたぬ〕故〔ゆゑ〕に

  任入〔いれながら〕もち將來〔まゐきて〕獻〔たてまつりぬ〕。

 と答曰〔まをし〕き。

 爾〔かれ〕豐玉〔とよたま〕毘〔ビ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕

 奇〔あやし〕と思〔おもほし〕て出〔いで〕見〔み〕て乃〔すなはち〕見〔み〕感〔めで〕

 目合〔まぐはひ〕して其〔そ〕の父〔ちち〕に曰〔‐〕

  吾〔あ〕が門〔かど〕に麗〔うるはしき〕人〔ひと〕有〔います〕。

 と白〔まをし〕たまひき。

 爾〔ここ〕に海〔わた〕の神〔かみ〕自〔みづから〕出〔いで〕見〔み〕て

  此〔こ〕の人〔ひと〕は天津〔あまつ〕日高〔ひだか〕の御子〔みこ〕

  虛空津〔そらつ〕日高〔ひだか〕にませり。

 と云〔いひ〕て即〔すなはち〕内〔うち〕に率〔ゐ〕て入〔いれ〕て

 美〔ミ〕智〔チ〕の皮〔かは〕の疊〔たたみ〕八重〔やへ〕を敷〔しき〕

 亦〔また〕絁〔きぬ〕が疊〔たたみ〕八重〔やへ〕其〔そ〕の上〔うへ〕に敷〔しき〕て

 其〔そ〕の上〔うへ〕に坐〔ませ〕まつりて

 百取〔ももとり〕の机代〔つくゑしろ〕の物〔もの〕を具〔そなへ〕て御饗〔みあへ〕爲〔し〕て

 即〔すなはち〕其〔そ〕の女〔みむすめ〕

 豐玉〔とよたま〕毘〔ビ〕賣〔メ〕を令婚〔あはせ〕まつりき。

 故〔かれ〕三年〔みとせ〕といふ至〔まで〕其〔そ〕の國〔くに〕に住〔すみ〕たまひき。


於是火遠理命思其初事而大一歎

故豐玉毘賣命聞其歎以白其父言

 三年雖住恒無歎

 今夜‘爲大一歎(爲、イ本无)

 若有何由

故其父大神問其聟夫曰

 ‘今旦聞我女之語云(今旦、諸本作今且、宣長校本同、今據イ本改)

  三年雖坐恒無歎今夜爲大歎

 若有由哉

 亦到此間之由奈何

爾語其大神備如其兄罸失鉤之狀

是以海神悉召集海之大小魚問曰

 若有取此鉤魚乎

故諸魚白之

 頃者赤海鯽魚

 於喉鯁物不得食愁言

 故必是取

於是探赤海鯽魚之喉者有鉤

即取出而淸洗奉火遠理命之時

其綿津見大神誨曰之

 以此鉤給其兄時言狀者

  此鉤者淤煩鉤須須鉤貧鉤宇流鉤

 云而於後手賜[於煩及須須亦宇流六字以音]然而

 其兄作高田者汝命營下田

 其兄作下田者汝命營高田

 爲然者吾掌水故三年之間必其兄貧窮

 若恨怨其爲然之事而攻戰者出鹽盈珠而溺

 若‘其愁請者出鹽乾珠而活(其愁、イ本作甚一字)

 如此令惚苦

云授鹽盈珠鹽乾珠幷兩箇

即悉召集和邇魚問曰

 今天津日高之御子‘虛空津日高爲將出幸上國(虛、寛本小本及釋紀九作靈〔くし〕)

 誰者幾日送奉而覆奏

故各隨己身之尋長限日而白之中

一尋和邇白

 僕者一日送即還來

故爾告其一尋和邇

 然者汝送奉

 若渡海中時無令惶畏

即載其和邇之頸送出

故如期一日之内送奉也

其和邇將返之時解所佩之紐小刀著其頸而返

故其一尋和邇者於今謂佐比持神也

 於是〔ここに〕火〔ほ〕遠〔ヲ〕理〔リ〕の命〔みこと〕

 其〔そ〕の初〔はじめ〕の事〔こと〕を思〔おもほし〕て大〔おほきなる〕歎〔なげき〕一〔ひとつ〕したまふ。

 故〔かれ〕豐玉〔とよたま〕毘〔ビ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕

 其〔そ〕の歎〔なげき〕を聞〔きかし〕て以〔‐〕白其父言〔そのちちにまをしたまはく〕

  三年〔みとせ〕雖住〔すみたまへども〕

  恒〔つね〕は歎〔なげかすこと〕も無〔なかりし〕に

  今夜〔こよひ〕大〔おほきなる〕歎〔なげき〕一〔ひとつ〕爲〔し〕たまひつるは

  若〔もし〕何〔なに〕の由〔ゆゑ〕有〔ある〕にか。

 とまをしたまへ故〔ば〕

 其〔そ〕の父〔ちち〕の大神〔おほかみ〕

 問其聟夫曰〔そのみむこのきみにとひまつらく〕

  今旦〔けさ〕我〔あ〕が女〔むすめ〕の語〔かたる〕を聞〔きけ〕ば

   三年〔みとせ〕雖坐〔ましませども〕恒〔つね〕は歎〔なげくこと〕も無〔なかりし〕に

   今夜〔こよひ〕大〔おほきなる〕歎〔なげき〕爲〔し〕たまひつ

  と云〔まをせり〕。

  若〔もし〕由〔ゆゑ〕有〔ありや〕。

  亦〔また〕到此間〔ここ〕に到〔きませる〕由〔ゆゑ〕は奈何〔いかにぞ〕。

 ととひまつりき。

 爾〔かれ〕其〔そ〕の大神〔おほかみ〕に

 備〔つぶさ〕に如〔‐〕其〔そ〕の兄〔いろせ〕の

 失〔うせにし〕鉤〔つりばり〕を罸〔はたれる/せむる〕狀〔さま〕を語〔かたり〕たまひき。

 是以〔ここをもて〕海〔わた〕の神〔かみ〕

 悉〔ことごと〕に海之大小魚〔はたのひろものはたのさもの〕を

 召集〔よびあつめ〕て

  若〔もし〕此〔こ〕の鉤〔つりばり〕取〔とれる〕魚〔うを〕有〔ありや〕。

 と問曰〔とひたまふ〕。

 故〔かれ〕諸〔もろもろ〕の魚〔うをども〕白之〔まをさく〕

  頃〔このごろ〕赤海鯽魚〔たひなも〕

  喉〔のみと〕に鯁〔のぎ〕ありて物〔もの〕不得食〔えくはず〕よ愁言〔うれふ〕故〔なれば〕

  必〔かならず〕是〔これ〕を取〔とり〕つらむ。

 とまをしき。

 於是〔ここに〕赤海鯽魚〔たひ〕の喉〔のみと〕を探〔さぐり〕しかば鉤〔つりばり〕有〔あり〕。

 即〔すなはち〕取出〔とりいで〕て淸洗〔すまし〕て

 火〔ほ〕遠〔ヲ〕理〔リ〕の命〔みこと〕に奉〔たてまつる〕時〔とき〕に

 其〔そ〕の綿津見〔わたつみ〕の大神〔おほかみ〕誨曰之〔をしへまつりけらく〕

  以〔‐〕此〔こ〕の鉤〔はり〕を其〔そ〕の兄〔いろせ〕に給〔たまはむ〕時〔とき〕に

  言〔のり〕たまはむ狀〔さま〕は

   此〔こ〕の鉤〔はり〕は淤〔オ〕煩〔ボ〕鉤〔ち〕

   須〔ス〕須〔ス〕鉤〔ぢ〕

   貧鉤〔まぢち〕

   宇〔ウ〕流〔ル〕鉤〔ぢ〕

  と云〔いひ〕て後手〔しりへで〕に賜〔たまへ〕。[於煩及須須亦宇流六字以(レ)音]

  然〔しか〕して其〔そ〕の兄〔いろせ〕

  高田〔あげた/たかた〕を作〔つくら〕ば汝〔な〕が命〔みこと〕は下田〔くぼた〕を營〔つくり〕たまへ。

  其〔そ〕の兄〔いろせ〕下田〔くぼた〕を作〔つくら〕ば汝〔な〕が命〔みこと〕は高田〔あげた〕を營〔つくり〕たまへ。

  然〔しか〕爲〔し〕たまはば吾〔あれ〕水〔みづ〕を掌〔しれ〕故〔ば〕

  三年〔みとせ〕の間〔あひだ〕必〔かならず〕其〔そ〕の兄〔いろせ〕貧窮〔まづしくなりなむ〕。

  若〔もし〕其〔それ〕然〔しか〕爲〔し〕たまふ事〔こと〕恨怨〔うらみ〕て攻戰〔せめ〕なば

  鹽盈珠〔しほみつたま〕出〔いだし〕て溺〔おぼらし〕

  若〔もし〕其〔それ〕愁〔うれひ〕請〔まをさ〕ば

  鹽乾珠〔しほひるたま〕出〔いだし〕て活〔いかし〕

  如此〔かくし〕て令惚苦〔たしなめ〕たまへ。

 と云〔まをし〕て

 鹽盈珠〔しほみつたま〕鹽乾珠〔しほひるたま〕幷〔あはせ〕て兩箇〔ふたつ〕授〔さづけ〕まつりて

 即〔すなはち〕悉〔ことごと〕に和〔ワ〕邇〔ニ〕魚〔‐〕どもを召集〔よびあつめ〕て

 問曰〔とひたまはく〕

  今〔いま〕天津〔あまつ〕日高〔ひだかの〕御子〔みこ〕

  虛空津〔そらつ〕日高〔ひだか〕

  上國〔うはつくに〕に爲將出幸〔いでまさむとす〕。

  誰〔たれ〕は幾日〔いくか〕に送奉〔おくりまつり〕て覆奏〔かへりことまをさむ〕。

 ととひたまひき。

 故〔かれ〕各〔おのおの〕己身〔み〕の尋長〔ながさ〕の隨〔まにまに〕

 日〔ひ〕を限〔かぎり〕て白〔まをす〕中〔なか〕に

 一尋〔ひとひろ〕和〔ワ〕邇〔ニ〕

  僕〔われ〕は一日〔ひとひ〕に送〔おくり〕まつりて即〔‐〕還來〔かへりき〕なむ。

 と白〔まをす〕。

 故〔かれ〕爾〔‐〕其〔そ〕の一尋〔ひとひろ〕和〔ワ〕邇〔ニ〕に

  然〔しから〕ば汝〔なれ〕送奉〔おくりまつり〕て

  若〔もし〕海〔わた〕中〔なか〕を渡〔わたる〕時〔とき〕に

  無令惶畏〔な‐かしこませ〕まつりそ。

 と告〔のり〕て

 即〔すなはち〕其〔そ〕の和〔ワ〕邇〔ニ〕の頸〔くび〕に載〔のせ〕まつりて

 送出〔おくりだし〕まつりき。

 故〔かれ〕期〔いひし〕が如〔ごと〕一日〔ひとひ〕の内〔うち〕に送奉〔おくりまつり〕き。

 其〔そ〕の和〔ワ〕邇〔ニ〕將返〔かへりなむとせし〕時〔とき〕に

 所佩〔みはかせる〕紐小刀〔ひもがたな〕を解〔とかし〕て

 其〔そ〕の頸〔くび〕に著〔つけ〕てなも返〔かへし〕たまひき。

 故〔かれ〕其〔そ〕の一尋〔ひとひろ〕和〔ワ〕邇〔ニ〕をば

 今〔いま〕に謂佐〔サ〕比〔ヒ〕持〔もち〕の神〔かみ〕とぞ謂〔いふ〕なる。


是以備如海神之敎言與其鉤

故自爾以後稍兪貧更起荒心迫來

將攻之時出鹽盈珠而令溺

其愁請者出鹽乾珠而救

如此令惚苦之時稽‘首白(首、宣長云諸本脱、今從眞本延本)

 僕者自今以後

 爲汝命之晝夜守護人而仕奉

故至今其溺時之種種之態不絕仕奉也

 是以〔ここもて〕備〔つぶさ〕に海〔わた〕の神〔かみ〕の敎言〔をしへし〕如〔ごとく〕して

 其〔か〕の鉤〔つりばり〕を與〔あたへ〕たまひき。

 故〔かれ〕爾〔それ〕より以後〔のち〕稍兪〔いよよ/やうやく〕貧〔まづしく〕なりて

 更〔さら〕に荒心〔あらきこころ〕を起〔おこし〕て迫來〔せめく〕。

 將攻〔せめむとする〕時〔とき〕は

 鹽盈珠〔しほみつたま〕を出〔いだし〕て令溺〔おぼらし〕

 其〔そ〕の愁請〔うれひまをせ〕ば

 鹽乾珠〔しほひるたま〕出〔いだし〕て救〔すくひ〕

 如此〔かく〕して令惚苦〔たしなめ〕たまふ時〔とき〕に

 稽首白〔のみまをさく〕

  僕〔あ〕は今〔いま〕より以後〔ゆくさき〕

  汝〔な〕が命〔みこと〕の晝夜〔ゆるひる(儘)〕の守護人〔まもりびと〕爲〔なり〕てぞ

  仕奉〔つかへまつらむ〕。

 とまをしき。

 故〔かれ〕今〔いま〕に至〔いたるまで〕

 其〔そ〕の溺〔おぼれる〕時〔とき〕の種種〔くさぐさ〕の態〔わざ〕

 不絕〔たえず〕仕奉〔つかへまつる〕なり。








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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