古事記(國史大系版・上卷23・火遠理命亦名天津日高日子穗穗手見命3)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
於是海神之女豐玉毘賣命自參出白之
妾已妊身今臨產時
此念天神之御子不可生海原
故參出到也
爾即於其海邊波限以鵜羽爲葺草造產殿
於是其產殿未葺合不忍御腹之急
故入坐產殿
‘爾將方產之時白其日子言(爾將方產、宣長云舊印本又一本无、今從眞本延本一本)
凡佗國人者臨產時以本國之形產生
故妾今以本身爲產
願勿見妾
於是思奇其言竊伺其方‘產者化八尋和邇而匍匐委蛇(產、寛本此下有時字、恐傍訓攙入)
即見驚畏而遁退
爾豐玉毘賣命知其伺見之事以爲心耻
乃生置其御子而白
妾恒通海道欲往來然伺見吾形
是甚‘怍之(怍、宣長云諸本作作、眞本作恠、共非、今從眞淵説)
即塞‘海坂而返入(海坂、酉本作海道)
是以名其所產之御子
謂天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命[訓波限云那藝佐訓葺草云加夜]
於是〔ここに〕海〔わた〕の神〔かみ〕の女〔むすめ〕
豐玉〔とよたま〕毘〔ビ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕
自〔みづから〕參出〔まゐいで〕て白之〔まをしたまはく〕
妾〔あれ〕已〔はやく〕妊身〔はらめる〕を
今〔いま〕產〔みこうむべき〕時〔とき〕に臨〔なり〕て
此〔こ〕を念〔おもふ〕に天神〔あまつかみ〕の御子〔みこ〕を
海原〔うなばら〕に不可生〔うみまつるべきにあらず〕。
故〔かれ〕參出〔まゐいで〕到〔きつ〕。
とまをしたまひき。
爾〔かれ〕即〔すなはち〕其〔そ〕の海邊〔うみばた〕の波限〔なぎさ〕に
以〔‐〕鵜〔う〕の羽〔は〕を葺草〔かや〕に爲〔し〕て產殿〔うぶや〕造〔つくり〕き。
於是〔ここに〕其〔そ〕の產殿〔うぶや〕の未〔いまだ〕葺合〔ふきあへぬ〕に
不忍御腹急〔みはら‐たへがたくなり〕たまひけれ故〔ば〕
產殿〔うぶや〕に入坐〔いりまし〕き。
爾〔ここ〕に將方產〔みこ‐うみまさむとする〕時〔とき〕に
其〔そ〕の日子〔ひこぢ〕に白言〔まをしたまはく〕
凡〔すべて〕佗國〔あだしくに〕の人〔ひと〕は臨產時〔こうむをり〕なれば
以〔‐〕本國〔もとつくに〕の形〔かたち〕になりてなも產生〔うむ〕なる。
故〔かれ〕妾〔あれ〕今〔いま〕以〔‐〕本身〔もとのみ〕になりて爲產〔うみ〕なむ。
願勿見妾〔あを‐な‐みたまひそ〕。
とまをしたまひき。
於是〔ここに〕其〔そ〕の言〔こと〕奇〔あやし〕と思〔おもほし〕て
其〔そ〕の方產〔まさかりに御子みこ生うみたまふを/みさかりに〕竊伺〔かきまみたれ〕ば
八尋〔やひろ〕和〔ワ〕邇〔ニ〕に化〔なり〕て匍匐〔はひ〕委蛇〔もこよひ〕き。
即〔かれ〕見〔み〕驚畏〔おどろき〕て遁退〔にげ〕たまひき。
爾〔ここ〕に豐玉〔とよたま〕毘〔ビ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕
其〔そ〕の伺見〔かきみ〕たまひし事〔こと〕を知〔しらし〕て
心耻〔うらはづかし〕と以爲〔おもほし〕て
乃〔‐〕其〔そ〕の御子〔みこ〕を生置〔うみおき〕て
妾〔あれ〕恒〔つね〕は海道〔うみつぢ〕を通〔とほし〕て
欲往來〔かよはむ〕とこそおもひしを
然〔‐〕吾〔あ〕が形〔かたち〕伺見〔かきまみたまひし〕が是〔‐〕甚〔いと〕怍之〔はづかし〕。
とまをして
即〔すなはち〕海坂〔うなさか〕を塞〔せき〕て返入〔かへりいり〕ましき。
是以〔ここをもて〕其〔そ〕の所產〔うみませる〕御子〔みこ〕の名〔みな〕を
天津〔あまつ〕日高日子〔ひだかひこ〕波限〔なぎさ〕建〔たけ〕鵜葺〔うがや〕葺不合〔ふきあへず〕の命〔みこと〕と謂〔まをす〕。
[訓(二)波限(一)云(二)那藝佐(一)、訓(二)葺草(一)云(二)加夜(一)。]
然後者雖恨其伺情不忍戀心
因治養其御子之緣附其弟玉依毘賣而獻歌之
其歌曰
阿加陀麻波 袁佐閇比迦禮杼 斯良多麻能 岐美何余曾比斯 多布斗久阿理祁理
然〔しかれ〕ども後〔のち〕は其〔そ〕の伺〔かきまみ〕たまひし情〔こころ〕雖恨〔うらみつつも〕
戀心〔こひしき〕に不忍〔たえたまはず〕て
其〔そ〕の御子〔みこ〕を治養〔ひたし〕まつる緣〔よし〕に因〔より〕て
其〔そ〕の弟〔いろと〕玉依〔たまより〕毘〔ビ〕賣〔メ〕に附〔つけ〕て
歌之〔うた〕をなも獻〔たてまつり〕き。
其歌曰〔そのうた〕
阿加陀麻波〔あかたまは〕
袁佐閇比迦禮杼〔をさへひかれど〕
斯良多麻能〔しらたまの〕
岐美何余曾比斯〔きみがよそひし〕
多布斗久阿理祁理〔あふとくありけり〕
赤珠は 緒さへ光れど 白珠の 君が裝し 貴くありけり
爾其比古遲[三字以音]答歌曰
意岐都登理 加毛度久斯麻邇 和賀韋泥斯 伊毛波和須禮士 余能許登碁登邇
爾〔かれ〕其〔そ〕の比〔ヒ〕古〔コ〕遲〔ヂ〕[三字以音]答歌曰〔こやへたまひけるみうた〕
意岐都登理〔おきつどり〕
加毛度久斯麻邇〔かもどくしましに〕
和賀韋泥斯〔わがゐねし〕
伊毛波和須禮士〔いもはわすれじ〕
余能許登碁登邇〔よのことごとに〕
沖つ鳥 鴨著く島に 我が率寢し 妹は忘れじ 世のことごとに
故日子穗穗手見命者坐高千穗宮伍佰捌拾歲
御陵者即在其高千穗山之西也
故〔かれ〕日子〔ひこ〕穗穗手見〔ほほでみ〕の命〔みこと〕は
高千穗〔たかちほ〕の宮〔みや〕に伍佰捌拾歲〔いほちまりやそとせ〕坐〔ましまし〕き。
御陵〔みはか〕は即〔やがて〕其〔そ〕の高千穗〔たかちほ〕の山〔やま〕の西〔にしのかた〕に在〔あり〕。
是天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
娶其姨玉依毘賣命生御子名
五瀬命
次稻氷命
次御毛沼命
次若御毛沼命
亦名豐御毛沼命
亦名神倭伊波禮毘古命[四柱]
故御毛沼命者‘跳波穗渡坐于常世國(跳、一本作排)
稻氷命者爲妣國而入坐海原也
是〔こ〕の天津〔あまつ〕日高日子〔ひだかひこ〕波限〔なぎさ〕建鵜葺草〔たけうがや〕葺不合〔ふきあへず〕の命〔みこと〕
其〔‐〕姨〔みをば〕玉依〔たまより〕毘〔ビ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕に娶〔みあひ〕まして
生〔うみませる〕御子〔みこ〕の名〔みな〕は
五瀨〔いつせ〕の命〔みこと〕。
次〔つぎ〕に稻氷〔いなひ〕の命〔みこと〕。
次〔つぎ〕に御毛沼〔みけぬ〕の命〔みこと〕。
次〔つぎ〕に若御毛沼〔わかみけぬ〕の命〔みこと〕。
亦〔また〕の名〔みな〕は豐御毛沼〔とよみけぬ〕の命〔みこと〕。
亦〔また〕の名〔みな〕は神〔かむ〕倭〔やまと〕伊〔イ〕波〔ハ〕禮〔レ〕毘〔ビ〕古〔コ〕の命〔みこと〕。[四柱。]
故〔かれ〕御毛沼〔みけぬ〕の命〔みこと〕は
波〔なみ〕の穗〔ほ〕を跳〔ふみ/おしひらき〕て常世〔とこよ〕の國〔くに〕に渡坐〔わたりまし〕き。
稻氷〔いなひ〕の命〔みこと〕は妣〔みはは〕の國〔くに〕と爲〔し〕て海原〔うなはら〕に入坐〔いりまし〕き。
古事記上‘卷[終](卷[終]、神本无)
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