古事記(國史大系版・上卷21・火遠理命亦名天津日高日子穗穗手見命1)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
(火遠理命亦名天津日高日子穗穗手見命)
(傳十七)
故火照命者爲海佐知毘古[此四字以音下效此]而取鰭廣物鰭狹物
火遠理命者爲山佐知毘古而取毛麤物毛柔物
爾火遠理命謂其兄火照命
各相易佐知‘欲用(欲用、宣長云舊印本无欲字、非是、今從眞本延本)
三度雖乞不許
然遂纔得相易
爾火遠理命以海佐知釣魚都不得‘一魚(一魚、イ本作魚一)
亦其鉤失海
於是其兄火照命乞其鉤曰
山佐知母
己之佐知佐知
海佐知母
已之佐知佐知
今各謂返佐知
之時[佐知二字以音]其弟火遠理命答曰
汝鉤者釣魚不得一魚
遂失海
然其兄強乞徵
故其弟
破御佩之十拳劒作五百鉤雖償不取
亦作一千鉤雖償不受
云
猶欲得其正本鉤
故〔かれ〕火照〔ほでり〕の命〔みこと〕は
海〔うみ〕佐〔サ〕知〔チ〕毘〔ビ〕古〔コ〕[此四字以(レ)音、下效此]と爲〔し〕て
鰭〔はた〕の廣物〔ひろもの〕
鰭〔はた〕の狹物〔さもの〕取〔とり〕たまひ
火〔ほ〕遠〔ヲ〕理〔リ〕の命〔みこと〕は
山〔やま〕佐〔サ〕知〔チ〕毘〔ビ〕古〔コ〕と爲〔し〕て
毛〔け〕の麤物〔あらもの〕
毛〔け〕の柔物〔にこもの〕取〔とり〕たまひき。
爾〔ここ〕に火〔ほ〕遠〔ヲ〕理〔リ〕の命〔みこと〕
其〔そ〕の兄〔いろせ〕火照〔ほでり〕の命〔みこと〕に
各〔かたに〕易佐〔サ〕知〔チ〕相易〔かへて〕欲用〔もちひてむ〕。
と謂〔いひ〕て三度〔みたび〕雖乞〔こはししかども〕不許〔ゆるさざりき〕。
然〔しかれども〕遂〔つひ〕に纔〔わづか〕に得相易〔えかへ〕たまひき。
爾〔かれ〕火〔ほ〕遠〔ヲ〕理〔リ〕の命〔みこと〕
海〔うみ〕の佐〔サ〕知〔チ〕以〔もち〕て釣魚〔なつらす〕に都〔かつて〕一魚〔ひとつ〕も不得〔えたまはず〕。
亦〔また〕其〔そ〕の鉤〔つりばり〕をさへ海〔うみ〕に失〔うしなひ〕たまひき。
於是〔ここに〕其〔そ〕の兄〔いとせ〕火照〔ほでり〕の命〔みこと〕曰〔‐〕
其〔そ〕の鉤〔はり〕を乞〔こひ〕て
山〔やま〕佐〔サ〕知〔チ〕母〔モ〕
己〔おの〕が佐〔サ〕知〔チ〕佐〔サ〕知〔チ〕
海〔うみ〕佐〔サ〕知〔チ〕母〔モ〕
已〔おの〕が佐〔サ〕知〔チ〕佐〔サ〕知〔チ〕
今〔いま〕は各〔おのおの〕佐〔サ〕知〔チ〕返〔かへさむ〕
と謂〔いふ〕時〔とき〕に[佐知二字以(レ)音]
其〔そ〕の弟〔いろと〕火〔ほ〕遠〔ヲ〕理〔リ〕の命〔みこと〕答曰〔のりたまはく〕
汝〔みまし〕の鉤〔つりばり〕は釣魚〔なつりし〕に一魚〔ひとつ〕も不得〔えず〕て
遂〔つひ〕に海〔うみ〕に失〔うしなひ〕き。
とのりたまへ然〔ども〕
其〔そ〕の兄〔いろせ〕强〔あながち〕に乞〔こひ〕徵〔はたり〕き。
故〔かれ〕其〔そ〕の弟〔いろと〕
御佩〔みはかし〕の十拳釼〔とつかつるぎ〕を破〔やぶり〕て
五百鉤〔いほはり〕を作〔つくり〕て
雖償〔つぐなひたまへども〕不取〔とらず〕。
亦〔また〕一千鉤〔ちはり〕を作〔つくり〕て雖償〔つぐなひたまへども〕不受〔うけず〕て
猶〔なほ〕其〔そ〕の正本〔もと〕の鉤〔はり〕を欲得〔えむ〕。
と云〔いふ〕なり。
於是其弟泣患居海邊之時
鹽椎神來問曰
何虛空津日高之泣患所由
答言
我與兄易鉤而失其鉤
是乞其鉤故雖償多鉤不受
云猶欲得其本鉤
故泣患之
爾鹽椎神云
我爲汝命作善議
即造无間勝間之小船載其船以敎曰
我押流其船者差暫往
將有味御路
乃乘其道往者如魚鱗所造之宮室其綿津見神之宮者也
到其神御‘門者傍之井上有湯津香木(門者、イ本作門右)
故坐其木上者其海神之女見相議者也[訓香木云加都良]
於是〔ここに〕其〔そ〕の弟〔いろと〕
海邊〔うみばた〕に泣〔なき〕患〔うれひ〕て居〔い(儘)ます〕時〔とき〕に
鹽椎〔しほつち〕の神〔かみ〕來〔き〕て問曰〔とひけらく〕
何〔しかに〕して虛空津〔そらつ〕日高〔ひだか〕の泣〔なき〕患〔うれひ〕たまふ所由〔ゆゑ〕は。
ととへば答言〔こたへたまはく〕
我〔われ〕と兄〔いろせ〕鉤〔つりばり〕を易〔かへ〕て
其〔そ〕の鉤〔はり〕を失〔うしなひ〕てき。
是〔かく〕て其〔そ〕の鉤〔はり〕を乞〔こふ〕故〔ゆゑ〕に
多〔あまた〕の鉤〔はり〕を雖償〔つぐのひしかども〕不受〔うけず〕て
猶〔なほ〕其〔そ〕の本〔もと〕の鉤〔はり〕を欲得〔えむ〕と云〔いふ〕なり。
故〔かれ〕泣〔なき〕患〔うれふ〕之〔‐〕。
とのりたまひき。
爾〔ここ〕に鹽椎〔しほつち〕の神〔かみ〕
我〔あれ〕が汝〔な〕が命〔みこ〕の爲〔ため〕に善〔よき〕議〔ことばかり〕作〔せむ〕。
と云〔いひ〕て即〔すなはち〕无間〔まなし〕勝間〔かつ/かた‐ま〕の小船〔をぶね〕を造〔つくり〕て
其〔そ〕の船〔ふね〕に載〔のせまつり〕て以〔‐〕敎曰〔をしへけらく〕
我〔われ〕其〔こ〕の船〔ふね〕押流〔おしながさ〕ば差暫往〔ややましいでませ〕。
味〔うまし〕御路〔みち〕將有〔あらむ〕。
乃〔すなはち〕其〔そ〕の道〔みち〕に乘〔のり〕て往〔いまし〕なば
魚鱗〔いろこ〕の如〔ごとく〕所造〔つくれる〕宮室〔みや〕
其〔それ〕綿津見〔わたつみ〕の神〔かみ〕の宮〔みな〕なり。
其〔そ〕の神〔かみ〕の御門〔かど〕に到〔いたり〕ましなば
傍〔かたへ〕なる井〔ゐ〕の上〔へ〕に湯津香木〔ゆつかつら〕有〔あらむ〕。
故〔かれ〕其〔そ〕の木〔き〕の上〔うへ〕に坐〔ましまさ〕ば
其〔そ〕の海〔わた〕の神〔かみ〕の女〔みむすめ〕に見〔み〕て
相議者〔はからむものぞ〕。[訓(二)香木(一)云(二)加都良(一)。]
とをしへまつりき。
故隨敎‘小行備如其言即登其香木以坐(小行、眞本イ本作少行)
爾海神之女
豐玉毘賣之從婢持玉器將酌水之時於井有光
仰見者有麗壯夫[訓壯夫云遠登古下效此]以爲甚異奇
爾火遠理命見其婢乞欲得水
婢乃酌水入玉器貢進
爾不飮水解御頸之璵含口唾入其玉器
於是其璵著器婢不得離璵
‘故璵任著以進豐玉毘賣命(故璵、眞本无璵字)
故〔かれ〕敎〔をしへし〕隨〔まにまに〕少〔すこし〕行〔いで〕ましけるに
備〔つぶさ〕に其〔そ〕の言〔こと〕の如〔ごとく〕なりしかば
即〔すなはと〕其〔そ〕の香木〔かつら〕に登〔のぼり〕て以〔‐〕坐〔ましまし〕き。
爾〔ここ〕に海〔わた〕の神〔かみ〕の女〔みむすめ〕
豐玉〔とよたま〕毘〔ビ〕賣〔メ〕の從婢〔まかたち〕
玉器〔たまもひ〕を持〔もち〕て水〔みづ〕將酌〔くまむ〕とする時〔とき〕に
井〔ゐ〕に光〔かげ〕有〔あり〕。
仰〔あふぎ〕見〔みれば〕麗〔うるはしき〕壯夫〔をとこ〕有〔あり〕。[訓(二)壯夫(一)云(二)遠登古(一)、下效(レ)此。]
甚〔いと〕異奇〔あやしき〕と以爲〔おもひ〕き。
爾〔かれ〕火〔ほ〕遠〔ヲ〕理〔リ〕の命〔みこと〕
其〔そ〕の婢〔をみな〕を見〔み〕たまひて
水〔みづ〕を欲得〔えしめよ〕
と乞〔こひたまふ〕。
婢〔まかたち〕乃〔すなはち〕水〔みづ〕を酌〔くみ〕て
玉器〔たまもひ〕に入〔いれ〕て貢進〔たてまつり〕き。
爾〔ここ〕に水〔みづ〕をば不飮〔のみたまはず〕して
御頸〔みくび〕の璵〔たま〕を解〔とかし〕て口〔みくち〕に含〔ふふみ〕て
其〔そ〕の玉器〔たまもひ〕に唾〔つばき〕入〔いれ〕たまひき。
於是〔ここに〕其〔そ〕の璵〔たま〕器〔もひ〕に著〔つき〕て
婢〔まかたち〕璵〔たま〕を不得離〔えはなたず〕。
故〔かれ〕璵〔たま〕任著〔つけながら〕
以〔‐〕豐玉〔とよたま〕毘〔ビ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕に進〔たてまつり〕き。
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