古事記(國史大系版・上卷20・邇邇藝命2石長比賣、木花佐久夜毘賣)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
(傳十六)
故爾詔天宇受賣命
此立御前所仕奉猨田毘古大神者
專所顯申之汝送奉
亦其神御名者汝負仕奉
是以猨女君等負其猨田毘古之男神名而女呼猨女君之事是也
故〔かれ〕爾〔ここ〕に
天〔あめ〕の宇〔ウ〕受〔ズ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕に詔〔のりたまはく〕
此〔こ〕の御前〔みさき〕に立〔たち〕て所仕奉〔つかへまつりれりし〕
猨田〔さるた〕毘〔ビ〕古〔コ〕の大神〔おほかみ〕をば
專〔もはら〕所顯申〔あらはしまをせる〕汝〔いまし〕送奉〔おくりまつれ〕。
亦〔また〕其〔そ〕の神〔かみ〕の御名〔みな〕は汝〔いまし〕負〔おひ〕て仕奉〔つかへまつれ〕。
とのりたまひき。
是以〔ここをもて〕猨女〔さるめ〕の君等〔きみら〕
其〔そ〕の猨田〔さるた〕毘〔ビ〕古〔コ〕の男神〔をがみ〕の名〔みな〕を負〔おひ〕て
女〔をみな〕を猨女〔さるめ〕の君〔きみ〕と呼〔よぶ〕事〔こと〕是〔これ〕なり。
故其猨田毘古神坐阿邪訶[此三字以音地名]時([地名]、宣長云恐後人所加)
爲漁而於比良夫貝[自比至夫以音]其手見咋合而沈溺海鹽
故其沈居底之時名謂底度久御魂[度久二字以音]
其海水之都夫多都時名謂都夫多都御魂[自都下四字以音]
其阿和佐久時名‘謂阿和佐久御魂[自阿至久以音](謂阿和、宣長云諸本无阿和二字、今意補)
故〔かれ〕其〔そ〕の猨田〔さるた〕毘〔ビ〕古〔コ〕の神〔かみ〕
阿〔ア〕邪〔ザ〕訶〔カ〕[此三字以(レ)音。地名]に坐〔いましける〕時〔とき〕に
爲漁〔すなどりして〕
比〔ヒ〕良〔ラ〕夫〔ブ〕貝〔かひ〕[自(レ)比至(レ)夫以(レ)音]に其〔そ〕の手〔て〕を見咋合〔くひあはさえ〕て
海鹽〔うしほ〕に沈溺〔おぼれ〕たまひき。
故〔かれ〕其〔そ〕の底〔そこ〕に沈居〔しづみゐ〕たまふ時〔とき〕の名〔みな〕を
底〔そこ〕度〔ド〕久〔ク〕御魂〔みたま〕[度久二字以(レ)音]と謂〔まをし〕
其〔そ〕の海水〔うしほ〕の都〔ツ〕夫〔ブ〕多〔タ〕都〔ツ〕時〔とき〕の名〔みな〕を
都〔ツ〕夫〔ブ〕多〔タ〕都〔ツ〕御魂〔みたま〕[自(レ)都下四字以(レ)音]と謂〔まをし〕
其〔そ〕の阿〔ア〕和〔ワ〕佐〔サ〕久〔ク〕時〔とき〕の名〔みな〕を
阿〔ア〕和〔ワ〕佐〔サ〕久〔ク〕御魂〔みたま〕[自(レ)阿至(レ)久以(レ)音]と謂〔まをす〕。
於是送猨田毘古神而還到
乃悉追聚鰭廣物鰭狹物以問言
汝者天神御子仕奉耶
之時諸魚皆
仕奉
白之中海鼠不白
爾天宇受賣命謂海鼠云
此口乎不答之口
而以‘紐小刀拆其口(紐、宣長云諸本作細、眞本作劔、今從延本)
故於今海鼠口拆也
是以御世「‘御世」島之速贄獻之時給猨女君等也(御世、宣長校本无、據舊紀及伊本傍書補)
於是〔ここに〕猨田〔さるた〕毘〔ビ〕古〔コ〕の神〔かみ〕送〔おくり〕て還到〔まかりいたり〕て
乃〔すなはち〕悉〔ことごとに〕鰭〔はた〕の廣物〔ひろもの〕
鰭〔はた〕の狹物〔さもの〕追聚〔おひあつめ〕以〔て〕
汝〔いまし〕は天神〔あまつかみ〕の御子〔みこ〕に仕奉〔つかへまつらむや〕。
と問言〔とふ〕時〔とき〕に
諸〔もろもろ〕の魚〔うをども〕皆〔みな〕
仕奉〔つかへまつらむ〕。
と白〔まをす〕中〔なか〕に海鼠〔こ〕不白〔まをさず〕。
爾〔かれ〕天〔あめ〕の宇〔ウ〕受〔ズ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕海鼠〔こ〕に謂云〔いひけらく〕
此〔こ〕の口〔くち〕や。
不答〔こたへせぬ〕口〔くち〕。
といひ而〔て〕紐小刀〔ひもがたな〕以〔もち〕て其〔そ〕の口〔くち〕を拆〔さき〕き。
故〔かれ〕今〔いま〕に海鼠〔こ〕の口〔くち〕拆〔さけ〕たり。
是以〔ここをもちて〕御世〔みよ〕「御世〔みよ〕」
島〔しま〕の速贄〔はやにへ〕獻〔たてまつれる〕時〔とき〕に
猨女〔さるめ〕の君等〔きみら〕獻〔たてまつる〕なり。
於是天津日高日子番能邇邇藝能命
於笠紗御前遇麗美人
爾問
誰女
答白之
大山津見神之女
名神阿多都比賣[此神名以音]
亦名謂木花之佐久夜毘賣[此五字以音]
又問
有汝之兄弟乎
答‘白(白、宣長云諸本作曰今從眞本)
我姉石長比賣‘在也(在也、イ本作在之)
爾詔
吾欲目合汝奈何
答白
僕不得白僕父大山津見神將白
故乞遣其父大山津見神之時大歡喜而
副其姉石長比賣令持百取机代之物奉出
故爾其姉者因‘甚凶醜見畏而返送(甚、寛本酉本作其)
唯留其弟木花之佐久夜毘賣以一宿爲婚
於是〔ここに〕天津〔あまつ〕日高日子〔ひだかひこ〕番〔ホ〕能〔ノ〕邇〔ニ〕邇〔ニ〕藝〔ギ〕能〔ノ〕命〔みこと〕
笠〔かさ〕紗〔サ〕の御前〔みさき〕に麗美〔かほよき〕人〔をとめ〕の遇〔あへる〕に
爾〔‐〕
誰〔た〕が女〔むすめ〕ぞ。
と問〔とひ〕たまひき。
答白之〔こおたへまをしたまはく〕
大山津見〔おほやまつみ〕の神〔かみ〕の女〔むすめ〕
名〔な〕は神〔かむ〕阿〔ア〕多〔タ〕都〔ツ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕[此神名以(レ)音]
亦〔また〕の名〔な〕は謂〔‐〕木〔こ〕の花〔はな〕の佐〔サ〕久〔ク〕夜〔ヤ〕毘〔ビ〕賣〔メ〕[此五字以(レ)音]
とまをしたまひき。
又〔また〕
汝〔いまし〕が兄弟〔はらから〕有〔ありや〕。
と問〔とひ〕たまへば
我〔あ〕が姉〔あね〕石長〔いはなが〕比〔ヒ〕賣〔メ〕在〔あり〕。
と答白〔まをし〕たまひき。
爾〔かれ〕詔〔のりたまはく〕
吾〔あれ〕汝〔いまし〕に目合〔まぐはひ〕を欲〔せむとおもふ〕は奈何〔いかに〕。
とのりたまへば
答白
僕〔あ〕は不得白〔えまをさじ〕。
僕〔あ〕が父〔ちち〕大山津見〔おほやまつみ〕の神〔かみ〕ぞ將白〔まをさむ〕。
とまをしたまひき。
故〔かれ〕其〔そ〕の父〔ちち〕大山津見〔おほやまつみ〕の神〔かみ〕に乞遣〔こひつかはしける〕時〔とき〕に
大〔いたく〕歡喜〔よろこび〕て
其〔そ〕の姉〔あね〕石長〔いはなが〕比〔ヒ〕賣〔メ〕を副〔そへ〕て
百取〔ももとり〕の机代〔つくゑしろ〕の物〔もの〕を令持〔もたしめ〕て奉出〔たてまだしき〕。
故〔かれ〕爾〔ここ〕に其〔そ〕の姉〔あね〕は甚〔いと〕凶醜〔みにくき〕に因〔より〕て
見〔み〕畏〔かしこみ〕て返送〔かへしおくり〕たまひて
唯〔ただ〕其〔そ〕の弟〔おと〕
木〔こ〕の花〔はな〕の佐〔サ〕久〔ク〕夜〔ヤ〕毘〔ビ〕賣〔メ〕をのみ留〔とどめ〕以〔て〕
一宿〔ひとよ〕爲婚〔みとあたはしつ〕。
爾大山津見神因返石長比賣而大恥白送言
我之女二並立奉由者
使石長比賣者天神御子之命
雖‘雪零風吹恒如石而‘常堅不動坐
(雪、宣長云舊印本又一本此下有雨字、雪疑雨字之誤、今從眞本延本。常堅、恐當作常磐堅磐四字)
亦使木花之佐久夜毘賣者
如木花之榮榮坐
宇氣比弖[自宇下四字以音]貢進
此令返石長比賣而獨留木花之佐久夜‘毘賣(毘賣、宣長云諸本作比賣、今從一本)
故天神御子之御壽者木花之阿摩比能微[此五字以音]坐
故是以至于今天皇命等之御命不長也
爾〔ここ〕に大山津見〔おほやまつみ〕の神〔かみ〕
石長〔いはなが〕比〔ヒ〕賣〔メ〕を返〔かへし〕たまへるに因〔より〕て大〔いたく〕恥〔はぢ〕て
白〔まをし〕送〔おくり〕たまひける言〔こと〕は
我〔あ〕が女〔むすめ〕二〔ふたり〕並〔ならべ〕て立奉〔たてまつる〕由〔ゆゑ〕は
石長〔いはなが〕比〔ヒ〕賣〔メ〕を使〔つかはし〕てば
天神〔あまつかみ〕の御子〔みこ〕の命〔いのち〕は
雨〔あめ〕零〔ふり〕風〔かぜ〕吹〔ふけ〕雖〔ども〕
恒〔とこしへなる/つねに〕石〔いは〕の如〔ごとく〕
常〔ときは〕に堅〔かきは〕に不動坐〔ましませ〕
亦〔また〕木〔こ〕の花〔はな〕の佐〔サ〕久〔ク〕夜〔ヤ〕毘〔ビ〕賣〔メ〕を使〔つかはし〕てば
木〔こ〕の花〔はな〕の榮〔さかゆる〕が如〔ごと〕榮坐〔さかへませ〕と
宇〔ウ〕氣〔ケ〕比〔ヒ〕弖〔テ〕[自(レ)宇下四字以(レ)音]貢進〔たてまつり〕き。
此〔かかる〕にいま石長〔いはなが〕比〔ヒ〕賣〔メ〕を令返〔かへし〕て
木〔こ〕の花〔はな〕の佐〔サ〕久〔ク〕夜〔ヤ〕毘〔ビ〕賣〔メ〕獨〔ひとり〕留〔とどめ〕たまひつれ故〔ば〕
天神〔あまつ〕御子〔みこ〕の御壽〔みいのち〕は
木〔こ〕の花〔はな〕の阿〔ア〕摩〔マ〕比〔ヒ〕能〔ノ〕微〔ミ〕[此五字以(レ)音]坐〔ましなむ〕とす。
とまをしたまひき。
故〔かれ〕是以〔ここをもて〕至于今〔いまにいたるまで〕
天皇命等〔すめらみことたち〕の御命〔みいのち〕不長〔ながくはまさざる〕なり。
故後木花之佐久夜毘賣參出白
妾妊身‘今臨產時(今、卜イ本作今日)
是天神之御子私不可產
故請
爾詔
佐久夜毘賣一宿哉妊
是非我子
必國神之子
爾答白
吾妊之子
若國神之子者‘產不幸(產、伊本眞本作產時二字)
若天神之御子者幸
即作無戸八尋殿‘入其殿内以土塗塞而(入其、伊本作入御)
方產時以火著其殿而產也
故其火盛燒時所生之子名
火照命[此者隼人阿多君之祖]
次生子名
火須勢理命[須勢理三字以音]
次生子御名
火遠理命
亦名天津日高日子穗穗手見命[三柱]
故〔かれ〕後〔のち〕に木〔こ〕の花〔はな〕の佐〔サ〕久〔ク〕夜〔ヤ〕毘〔ビ〕賣〔メ〕
參出〔まゐで〕て白〔まをしたまはく〕
妾〔あれ〕妊身〔はらめる〕を今〔いま〕臨產時〔こうむべきときなりぬ〕。
是〔こ〕の天神〔あまつかみ〕の御子〔みこ〕
私〔わたくしに〕不可產〔うみまつるべきにあらず〕。
故〔かれ〕請〔まをす〕。
とまをしたまひき。
爾〔かれ〕詔〔のりたまはく〕
佐〔サ〕久〔ク〕夜〔ヤ〕毘〔ビ〕賣〔メ〕一宿〔ひとよ〕哉〔にや〕妊〔はらめる〕。
是〔そ〕は非我子〔あがみこにあらじ〕。
必〔かならず〕國神〔くにつかみ〕の子〔こ〕にこそあらめ。
とのりたまへば
爾〔‐〕
吾〔あ〕が妊〔はらめる〕子〔みこ〕
若〔もし〕國神〔くにつかみ〕の子〔こ〕ならむには
產〔うむこと〕不幸〔さきからじ〕。
若〔もし〕天神〔あまつかみ〕の御子〔みこ〕にまさば
幸〔あきからむ〕。
と答白〔まをし〕て
即〔‐〕無戸〔と〕無〔なき〕八尋殿〔やひろどの〕を作〔つくり〕て
其〔そ〕の殿内〔とのぬち〕に入〔いり〕まして
土〔はに〕以〔も〕て塗〔ぬり〕塞〔ふたぎ〕て
產〔うます〕時〔とき〕に方〔あたり〕て
以〔‐〕其〔そ〕の殿〔との〕に火〔ひ〕を著〔つけ〕てなも產〔うましける〕。
故〔かれ〕其〔そ〕の火〔ひ〕盛〔さかり〕に燒〔もゆる〕時〔とき〕に
所生〔あれませる〕子〔みこ〕の名〔みな〕は
火照〔ほでり〕の命〔みこと〕[此〔こ〕は隼人〔はやびと〕阿〔ア〕多〔タ〕の君〔きみ〕の祖〔おや〕]
次〔つぎ〕に生〔あれませる〕子〔みこ〕の名〔みな〕は
火〔ほ〕須〔ス〕勢〔セ〕理〔リ〕の命〔みこと〕[須勢理三字以(レ)音]
次〔つぎ〕に生〔あれませる〕子〔みこ〕の御名〔みな〕は
火〔ほ〕遠〔ヲ〕理〔リ〕の命〔みこと〕。
亦〔また〕の名〔みな〕は天津〔あまつ〕日高日子〔ひたかひこ〕穗穗手見〔ほほでみ〕の命〔みこと〕。[三柱。]
0コメント