古事記(國史大系版・上卷19・邇邇藝命1)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
(邇邇藝命)
(傳十五)
爾天照大御神
高木神之命以詔太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命
今平訖葦原中國之白
故隨言依賜降坐而‘知看(知看、山本此上有可字、卜本酉本神本イ本看作者)
爾其太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命答白
僕者將降裝束之間子生出
名天邇岐志國邇岐志[自邇至志以音]天津日高日子番能邇邇藝命
此子應降也
此御子者御合高木神之女萬幡豐秋津師比賣命生子
天火明命
次日子番能邇邇藝命[二柱]也
是以隨白之科詔日子番能邇邇藝命
此豐葦原水穗國者汝將知國言依賜
故隨命以可天降
爾〔ここ〕に天照大御神〔あまてらすおほみかみ〕
高木〔たかぎ〕の神〔かみ〕の命〔みこと〕以〔もち〕て
太子〔ひつぎのみこ〕正勝〔まさか〕吾勝〔あかつ〕勝速日〔かちはやひ〕天〔あめ〕の忍穗耳〔おしほみみ〕の命〔みこと〕に
詔〔のりたまはく〕
今〔いま〕葦原〔あしはら〕の中國〔なかつくに〕
平訖〔ことむけをへぬ〕と白〔まをす〕。
故〔かれ〕言依賜〔ことよさしたまへる〕隨〔まにまに〕
降坐〔くだりまし〕て知看〔しろしめせ〕。
とのりたまひき。
爾〔ここ〕に其〔そ〕の太子〔ひつぎのみこ〕
正勝〔まさか〕吾勝〔あかつ〕勝速日〔かちはやひ〕天〔あめ〕の忍穗耳〔おしほみみ〕の命〔みこと〕の
答白〔まをしたまはく〕
僕〔あれ〕は將降〔くだりなむ〕裝束〔よそひせし〕間〔ほど〕に
子〔みこ〕生出〔あれましつ〕。
名〔みな〕は
天〔あめ〕邇〔ニ〕岐〔ギ〕志〔シ〕國〔くに〕邇〔ニ〕岐〔ギ〕志〔シ〕[自(レ)邇至(レ)志以(レ)音]
天津〔あまつ〕日高日子〔ひだかひこ〕番〔ホ〕能〔ノ〕邇〔ニ〕邇〔ニ〕藝〔ギ〕の命〔みこと〕。
此〔こ〕の子〔みこ〕應降〔くだすべし〕。
とまをしたまひき。
此〔こ〕の御子〔みこ〕は
高木〔たかぎ〕の神〔かみ〕の女〔むすめ〕
萬幡〔よろづはた〕豐〔とよ〕秋津〔あきづ〕師〔シ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕に御合〔みあひ〕まして
生〔うみませる〕子〔みこ〕
天〔あめ〕の火明〔ほあかり〕の命〔みこ〕。
次〔つぎ〕に日子〔ひこ〕番〔ホ〕能〔ノ〕邇〔ニ〕邇〔ニ〕藝〔ギ〕の命〔みこと〕[二柱。]にます。
是以〔ここをもて〕隨白之〔まをしたまふまにまに〕
日子〔ひこ〕番〔ホ〕能〔ノ〕邇〔ニ〕邇〔ニ〕藝〔ギ〕の命〔みこと〕に科詔〔をほせて〕
此〔こ〕の豐葦原〔とよあしはら〕の水穗〔みづほ〕の國〔くに〕は
汝〔みまし〕將知〔しらさむ〕國〔くに〕なりと言依賜〔ことよさしたまふ〕。
故〔かれ〕命〔みこと〕の隨〔まにまに〕以〔‐〕可天降〔あもりすべし〕。
とのりたまひき。
爾日子番能邇邇藝命將天降之時
居天之八衢而上光高天原下光葦原中國之神於是有
故爾天照大御神
高木神之命以詔天宇受賣神
汝者雖有手弱女人與伊牟迦布神[自伊至布以音]面勝神
故專汝往將問者
吾御子爲天降之道
誰如此而居
故問賜之時答白
僕者國神
名猨田毘古神也
所以出居者
聞天神御子天降坐故仕奉御前而參向之‘侍(侍、イ本作時、屬于下句)
爾〔ここ〕に日子〔ひこ〕番〔ホ〕能〔ノ〕邇〔ニ〕邇〔ニ〕藝〔ギ〕の命〔みこと〕
將天降〔あもりまさむとする〕時〔とき〕に
天〔あめ〕の八衢〔やまた〕に居〔ゐ〕て
上〔かみ〕は高天原〔たかまのはら〕を光〔てらし〕
下〔しも〕は葦原〔あしはら〕の中國〔なかつくに〕を光〔てらす〕神〔かみ〕
是〔ここ〕に有〔あり〕。
故〔かれ〕爾〔‐〕天照大御神〔あまてらすおほみかみ〕
高木〔たかぎ〕の神〔かみ〕の命〔みこと〕以〔もち〕て
天〔あめ〕の宇〔ウ〕受〔ズ〕賣〔メ〕の神〔かみ〕に詔〔のりたまはく〕
汝〔いまし〕は手弱女人〔たわやめ〕有〔なれ〕雖〔ども〕
伊〔イ〕牟〔ム〕迦〔カ〕布〔フ〕神〔かみ〕[自(レ)伊至(レ)布以(レ)音]と
面勝〔おもかつ〕神〔かみ〕なり。
故〔かれ〕專〔もはら〕汝〔いまし〕往〔ゆき〕て將問〔とはむ〕は
吾〔あ〕が御子〔みこ〕の爲天降〔あもりまさむとする〕道〔みち〕を
誰〔たれ〕ぞ如此〔かく〕て居〔をる〕。
ととへ。
とのりたまひき。
故〔かれ〕問賜〔とはせたまふ〕時〔とき〕に答白〔こたへまをさく〕
僕〔あれ〕は國神〔くにつかみ〕
名〔な〕は猨田〔さるた〕毘〔ビ〕古〔コ〕の神〔かみ〕なり。
出居〔いでをる〕所以〔ゆゑ〕は
天神〔あまつかみ〕の御子〔みこ〕天降坐〔あもります〕と聞〔ききつる〕故〔ゆゑ〕
御前〔みさき〕に仕奉〔つかまつらむ〕として參向〔まゐむかひ〕侍〔さもらふ〕。
とまをしたまひき。
爾天兒屋命
布刀玉命
天宇受賣命
伊斯許理度賣命
玉祖命幷五伴緖矣
支加而天降也
於是副賜其遠岐斯[此三字以音]八尺勾璁
鏡
及草那藝劒
亦常世思金神
手力男神
天石門別神而詔者
此之鏡者專爲我御魂而如拜吾前伊都岐奉
次思金神者取持前事爲政
爾〔ここ〕に
天〔あめ〕の兒屋〔こやね〕の命〔みこと〕
布刀玉〔ふとたま〕の命〔みこと〕
天〔あめ〕の宇〔ウ〕受〔ズ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕
伊〔イ〕斯〔シ〕許〔コ〕理〔リ〕度〔ド〕賣〔メ〕の命〔みこと〕
玉〔たま〕の祖〔や〕の命〔みこと〕
幷〔あはせ〕て五〔いつ〕伴〔とも〕の緖〔を〕を支〔くまり/あてそへて/さし〕加〔くはへ〕て
天降〔あまくだり〕まさしめたまひき。
於是〔ここに〕其〔か〕の
遠〔ヲ〕岐〔キ〕斯〔シ〕[此三字以(レ)音〕八尺〔やさか〕の勾璁〔まがたま〕
鏡〔かがみ〕
及〔また〕草那藝〔くさなぎ〕の劔〔つるぎ〕
亦〔また〕常世〔とこよ〕の思金〔おもひかね〕の神〔かみ〕
手力〔たぢから〕男〔を〕の神〔かみ〕
天〔あめ〕の石門別〔いはとわけ〕の神〔かみ〕を副賜〔そへたまひ〕て
詔者〔にりたまひつらく〕は
此〔これ〕の鏡〔かがみ〕は
專〔もはら〕爲我〔あ〕が御魂〔みたま〕と爲〔し〕て
吾〔あ〕が前〔みまへ〕を拜〔いつく〕が如〔ごと〕伊〔イ〕都〔ツ〕岐〔キ〕奉〔まつれ〕。
次〔つぎ〕に思金〔おもひかね〕の神〔かみ〕は
前〔みまへ〕の事〔こと〕取持〔とりもち〕て爲政〔まをしたまへ〕。
とのりたまひき。
此二柱神者拜祭佐久久斯‘侶伊須受能宮[自佐至能以音](侶、イ本作呂)
次登‘由宇氣神(由、宣長云恐用之誤、今按神本傍書作用)
此者坐外宮之度相神者也
次天石戸別神
亦名謂櫛石窻神
亦名謂豐石窻神
此神者御門之神也
次手力男神者
坐‘佐那縣也(佐那、イ本此下有之字、神名式伊勢多氣郡佐那神社)
故其天兒屋命者
[中臣連等之祖]
布刀玉命者
[忌部首等之祖]
天宇受賣命者
[猨女君等之祖]
伊斯許理度賣命者
[鏡作連等之祖]
玉祖命者
[‘玉祖連等之祖]([玉祖]、神本作[玉作])
此〔こ〕の二柱〔ふたはしら〕の神〔かみ〕は
佐〔サ〕久〔ク〕久〔ク〕斯〔シ〕侶〔ロ〕伊〔イ〕須〔ス〕受〔ズ〕能〔ノ〕宮〔みや〕に
拜祭〔いつきまつれる〕。[自(レ)佐至(レ)能以(レ)音]
次〔つぎ〕に登〔ト〕由〔ヨ〕宇〔ウ〕氣〔ケ〕の神〔かみ〕
此〔こ〕は外宮〔とつみや〕の度相〔わたらひ〕に坐〔ます〕神〔かみ〕なり。
次〔つぎ〕に天〔あめ〕の石戸別〔いはとわけ〕の神〔かみ〕
亦〔また〕の名〔な〕は櫛〔くし〕石窻〔いはまど〕の神〔かみ〕と謂〔まをし〕
亦〔また〕の名〔な〕は豐〔とよ〕石窻〔いはまど〕の神〔かみ〕と謂〔まをす〕
此〔こ〕の神〔かみ〕は御門〔みかど〕の神〔かみ〕なり。
次〔つぎ〕に手力〔たぢから〕男〔を〕の神〔かみ〕は佐〔サ〕那〔ナ〕縣〔がた〕に坐〔ませり〕。
故〔かれ〕其〔そ〕の天〔あめ〕の兒屋〔こやね〕の命〔みこと〕は
[中臣〔なかとみ〕の連等〔むらじら〕が祖〔おや〕。]
布刀玉〔ふとたま〕の命〔みこと〕は
[忌部〔いむべ〕の首等〔おびとら〕が祖〔おや〕。]
天〔あめ〕の宇〔ウ〕受〔ズ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕は
[猨女〔さるめ〕の君等〔きみら〕が祖〔おや〕。]
伊〔イ〕斯〔シ〕許〔コ〕理〔リ〕度〔ド〕賣〔メ〕の命〔みこと〕は
[鏡作〔かがみつくり〕の連等〔むらじら〕が祖〔おや〕。]
玉〔たま〕の祖〔や〕の命〔みこと〕は
[玉〔たま〕の祖〔や〕の連等〔むらじら〕が祖〔おや〕なり。]
故爾『詔』天津日子番能邇邇藝命『而』
離天之石位
押分天之八重多那[此二字以音]雲而
伊都能知和岐知和岐弖[自伊以下十字以音]
於天浮橋宇岐士摩理
‘蘇理多多斯弖[自(レ)宇以下十一字『‘亦』以(レ)音〕(蘇理、伊本作蘇理蘇理四字。[亦]、山本云古本无、恐衍)
天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣[自(レ)久以下六字以(レ)音]
故爾天忍日命
天津久米命二人
取負天之石靫
取佩頭椎之大刀
取持天之波士弓
手挾天之眞鹿兒矢
立御前而仕奉
故〔かれ〕爾〔ここ〕に
『詔』
天津日子〔あまつひこ〕番〔ホ〕能〔ノ〕邇〔ニ〕邇〔ニ〕藝〔ギ〕の命〔みこと〕
『而』
天〔あま〕の石位〔いはくら〕を離〔はなし〕
天〔あめ〕の八重〔やへ〕多〔タ〕那〔ナ〕[此二字以(レ)音]雲〔ぐも〕を押分〔おしわけ〕
伊〔イ〕都〔ツ〕能〔ノ〕知〔チ〕和〔ワ〕岐〔キ〕
知〔チ〕和〔ワ〕岐〔キ〕弖〔テ〕[自(レ)伊以下十字以(レ)音]
天〔あめ〕の浮橋〔うきはし〕に宇〔ウ〕岐〔キ〕士〔ジ〕摩〔マ〕理〔リ〕
蘇〔ソ〕理〔リ〕多〔タ〕多〔タ〕斯〔シ〕弖〔テ〕[自(レ)宇以下十一字亦以(レ)音]
竺紫〔つくし〕の日向〔ひむか〕の高千穗〔たかちほ〕の
久〔ク〕士〔ジ〕布〔フ〕流〔ル〕多〔タ〕氣〔ケ〕[自(レ)久以下六字以(レ)音]に天降坐〔あもりまし〕き。
故〔かれ〕爾〔ここ〕に
天〔あめ〕の忍日〔おしひ〕の命〔みこと〕
天〔あま〕津〔ツ〕久〔ク〕米〔メ〕の命〔みこと〕二人〔ふたり〕
天〔あめ〕の石靫〔いはゆぎ〕を取負〔とりおひ〕
頭椎〔くぶつち〕の大刀〔たち〕を取佩〔とりはき〕
天〔あめ〕の波〔ハ〕士〔ジ〕弓〔ゆみ〕を取持〔とりもち〕て
天〔あめ〕の眞鹿兒〔まかご〕矢〔や〕を手挾〔たばさみ〕
御前〔みさき〕に立〔たたし〕て仕奉〔つかへまつり〕き。
故其天忍日命
[此者大伴連等之祖]
天津久米命
[此者久米直等之祖也]
故〔かれ〕其〔そ〕の天〔あめ〕の忍日〔おしひ〕の命〔みこと〕
[此〔こ〕は大伴〔おほとも〕の連等〔むらじら〕が祖〔おや〕なり。]
天津〔あまつ〕久〔ク〕米〔メ〕の命〔みこと〕
[此〔こ〕は久〔ク〕米〔メ〕の直等〔あたへら〕が祖〔おや〕なり。]
於是「‘詔之此地者」向韓國眞來通笠紗之御前而(詔之此地者、宣長云宜在下文前而之下)
朝日之‘直刺國(直刺、イ本作眞刺)
夕日之日照國也
故此地甚吉地
詔而於底津石根宮柱布斗斯理
於高天原氷椽多迦斯理而坐也
於是〔ここに〕詔之〔‐〕
此地者〔そじしの〕
向〔‐〕韓國〔からくに〕を笠〔かさ〕紗〔サ〕の御前〔みさき〕に
眞來通〔まぎとほり〕てのりたまはく
朝日〔あさひ〕の直〔ただ〕刺〔さす〕國〔くに〕
夕日〔ゆふひ〕の日〔ひ〕照〔でる〕國〔くに〕なり。
故〔かれ〕此地〔ここ〕ぞ甚〔いと〕吉〔よき〕地〔ところ〕。
と詔〔のりたまひ〕て
底津〔そこつ〕石根〔いはね〕に宮柱〔みやばしら〕布〔フ〕斗〔ト〕斯〔シ〕理〔リ〕
高天原〔たかまのはら〕に氷〔ひ〕椽〔ぎ〕多〔タ〕迦〔カ〕斯〔シ〕理〔リ〕て坐〔ましまし〕き。
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