古事記(國史大系版・上卷17・大國主神7天鳥船神及び建御雷神)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
(天降之四天鳥船神及建御雷神)
(傳十四)
於是天照大御神詔之
亦遣曷神者吉
爾思金神及諸神白之
坐天安河河上之天石‘屋(屋、宣長云舊印本作室、今從延本又一本)
名‘伊都之尾羽張神‘是可遣[伊都二字以音](伊都、イ本作伊豆。是可遣、イ本无)
若亦非此神者其神之子
建御雷之男神此應遣
且其天尾羽張神者逆塞上天安河之水而塞道居故
他神不得行
故‘別遣天迦久神可問(別、イ本无)
故爾‘使天迦久神問天尾羽張神之時(使、寛本中本作便)
答白
恐之仕奉
然於此道者僕子建御雷神可遣
乃貢進爾天鳥船神副建御雷神而遣
於是〔ここに〕天照大御神〔あまてらすおほみかみ〕詔之〔のりたまはく〕
亦〔また〕曷〔いづれ〕の神〔かみ〕を遣〔つかはし〕てば吉〔えけむ〕。
爾〔かれ〕思金〔おもひかね〕の神〔かみ〕
及〔また〕諸神〔もろもろのかみたち〕白之〔まをしけらく〕
天〔あめ〕の安〔やす〕の河〔かは〕の河上〔かはかみ〕の天〔あめ〕の石屋〔いはや/いはむら〕に坐〔ます〕
名〔な〕は伊〔イ〕都〔ツ〕の尾羽張〔をはばり〕の神〔かみ〕
是〔これ〕可遣〔つかはすべし〕。[伊都二字以(レ)音。]
若〔もし〕亦〔また〕此〔こ〕の神〔かみ〕非〔ならず〕は
其〔そ〕の神〔かみ〕の子〔こ〕建御雷〔たけみかづち〕の男〔を〕の神〔かみ〕
此〔これ〕を應遣〔つかはすべし〕。
且〔まづ〕其〔そ〕の天〔あめ〕の尾羽張〔をはばり〕の神〔かみ〕は
天〔あめ〕の安〔やす〕の河〔かは〕の水〔みづ〕を逆〔さかさま〕に塞上〔せきあげ〕て
道〔みち〕を塞〔せき〕居〔をれ〕故〔ば〕他神〔あだしかみ〕は不得行〔えゆかじ〕。
故〔かれ〕別〔こと〕に天〔あめ〕の迦〔カ〕久〔ク〕の神〔かみ〕遣〔つかはし〕て可問〔とふべし〕。
とまをしき。
故〔かれ〕爾〔ここ〕に天〔あめ〕の迦〔カ〕久〔ク〕の神〔かみ〕を使〔つかはし〕て
天〔あめ〕の尾羽張〔をはばり〕の神〔かみ〕に問〔とふ〕時〔とき〕に
恐之〔かしこし〕。
仕奉〔つかへまつらむ〕。
然〔しかれ〕ども此〔こ〕の道〔みち〕には僕〔あ〕が子〔こ〕
建御雷〔たけみかづち〕の神〔かみ〕可遣〔つかはすべし〕。
と答白〔まをし〕て乃〔すなはち〕貢進〔たてまつり〕き。
爾〔かれ〕天〔あめ〕の鳥船〔とりふね〕の神〔かみ〕
建御雷〔たけみかづち〕の神〔かみ〕に副〔そへ〕て遣〔つかはし〕き。
是以此二神降到出雲國伊那佐之小濱而
伊那佐[三字以音]拔十掬劒逆刺立于浪穗趺坐其劔前
問其大國主神言
天照大御神
高木神之命以問‘使之(使之、山本云一本之作也)
汝之宇志波祁流[此五字以音]葦原中國者我御子之所知國
言依賜故汝心奈何
爾答白之
僕者不得白
我子八重言代主神是可白
然爲鳥遊取魚而往御大之前
未還來
故爾遣天鳥船神徵來八重事代主神而問賜之時
語其‘父大神言(父、イ本作見、恐非)
恐之此國者立奉天神之御子
即蹈傾其船而天逆手矣
於青柴垣打成而隱也[訓柴云布斯]
是以〔ここをもちて〕此〔こ〕の二神〔ふたはしらのかみ〕
出雲〔いづも〕の國〔くに〕の伊〔イ〕那〔ナ〕佐〔サ〕の小濱〔をばま〕に降到〔くだりつき〕て[伊那佐三字以(レ)音]
十掬劔〔とつかつるぎ〕を拔〔ぬき〕て浪〔なみ〕の穗〔ほ〕に逆〔さかさま〕に刺立〔さしたて〕て
其〔そ〕の劔〔つるぎ〕の前〔さき〕に趺坐〔あぐみゐ/しりうたげ〕て
其〔そ〕の大國主〔おほくにぬし〕の神〔かみ〕に問〔とひ〕言〔たまはく〕
天照大御神〔あまてらすおほみかみ〕
高木〔たかぎ/たかみむすび〕の神〔かみ〕の命〔みこと〕以〔もち〕て
問〔とひ〕使之〔つかはせり〕。
汝〔な〕が宇〔ウ〕志〔シ〕波〔ハ〕祁〔ケ〕流〔ル〕[此五字以(レ)音]葦原〔あしはら〕の中國〔なかつくに〕は
我〔あ〕が御子〔みこ〕の所知〔しらさむ〕國〔くに〕
と言依賜〔ことよさしたまへり〕。
故〔かれ〕汝〔な〕が心〔こころ〕奈何〔いかにぞ〕。
ととひたまふときに爾〔‐〕答白之〔こたへまつらく〕
僕〔あ〕は不得白〔えまをさじ〕。
我〔あ〕が子〔みこ〕八重〔やへ〕言代主〔ことしろぬし〕の神〔かみ〕
是〔これ〕可白〔まをすべき〕を然〔‐〕
爲鳥〔とり〕の遊〔あそび〕取魚〔すなどり〕爲〔し〕に御大〔みほ〕の前〔さき〕に往〔ゆき〕て
未還來〔いまだかへりこず〕。
とまをしき。
故〔かれ〕爾〔ここ〕に天〔あめ〕の鳥船〔とりふね〕の神〔かみ〕を遣〔つかはし〕て
八重事代主〔やへことしろぬし〕の神〔かみ〕を徵來〔めしき〕て問賜〔とひたまふ〕時〔とき〕に
其〔そ〕の父〔ちち〕の大神〔おほかみ〕に
恐之〔かしこし〕。
此〔こ〕の國〔くに〕は天神〔あまつかみ〕の御子〔みこ〕に立奉〔たてまつりたまへ〕。
と語言〔いひ〕て即〔すなはち〕其〔そ〕の船〔ふね〕蹈傾〔ふみかたぶけ〕て
天逆手〔あまさかで〕を靑柴垣〔あをふしかき〕に打〔うち〕成〔なし〕て隱〔かくり〕ましき。
[訓(レ)柴云(二)布斯(一)。]
故爾問其大國主神
今汝子事代主神如此白訖
亦有可白子乎
於是亦白之
亦我子有建御名方神
除此者無也
如此白之間其建御名方神
千‘引石擎手末而來言(引、卜本酉本神本作烈〔くら〕)
誰來我國而忍忍如此物言
然欲爲力競
故我先欲取其御手
故令取其御手者即取成立氷亦取成劒刄故爾懼而退居
爾欲取其建御名方神之手乞歸而取者如取若葦搤批而投離者
即逃去故追往而
迫到‘科野國之‘洲羽海將殺時
(科野、酉本卜本寛本神本此上有神字、眞淵云神恐於字之誤、宣長云今從延本又一本。
洲羽、宣長云舊印本延本作州羽非也、今從一本)
建御名方神白
恐
莫殺我
除此地者不行他處
亦不違我父大國主神之命
不違八重事代主神之言
此葦原中國者隨天神御子之命獻
故〔かれ〕爾〔ここ〕に其〔そ〕の大國主〔おほくにぬし〕の神〔かみ〕に問〔とひ〕たまはく
今〔いま〕汝〔な〕が子〔こ〕事代主〔ことしろぬし〕の神〔かみ〕
如此〔かく〕白訖〔まをしぬ〕。
亦〔また〕可白〔まをすべき〕子〔こ〕有〔あり〕や。
ととひたまひき。
於是〔ここに〕亦〔また〕白之〔まをしつらく〕
亦〔また〕我〔あ〕が子〔こ〕建〔たけ〕御名方〔みなかた〕の神〔かみ〕有〔あり〕。
此〔これ〕を除〔おき〕ては無〔なし〕。
如此〔かく〕白〔まをし〕たまふ間〔をりしも〕
其〔そ〕の建〔たけ〕御名方〔みなかた〕の神〔かみ〕
千引石〔ちびきいは〕を手末〔たなすゑ〕に擎〔ささげ〕て來〔き〕て
誰〔たれ〕ぞ我〔わ〕が國〔くに〕に來〔き〕て
忍忍〔しぬびしぬび〕如此〔かく〕物言〔ものいふ〕。
然〔しから〕ば力競〔ちからくらべ〕欲爲〔せむ〕。
故〔かれ〕我〔あれ〕先〔まづ〕其〔そ〕の御手〔みて〕を欲取〔とらむ〕。
と言〔いふ〕。
故〔かれ〕其〔そ〕の御手〔みて〕を令取〔とらしむ〕れば
即〔すなはち〕立氷〔たちび〕に取〔とり〕成〔なし〕
亦〔また〕劔刄〔つるぎば〕に取〔とり〕成〔なし〕つ。
故〔かれ〕爾〔‐〕懼〔おそれ〕て退居〔しりぞきを〕り
爾〔ここ〕に其〔そ〕の建〔たけ〕御名方〔みなかた〕の神〔かみ〕の手〔を〕を欲取〔とらむ〕と
乞〔こひ〕歸〔かへし〕て取〔とれ〕ば
若葦〔わかあし〕を取〔とる〕が如〔ごと〕搤〔つかみ〕批〔ひしぎ〕て投離〔なげはなち〕たまへば
即〔すなはち〕逃去〔にげいに〕き。
故〔かれ〕追往〔おひゆき〕て
科野〔しなぬ〕の國〔くに〕の洲羽〔すは〕の海〔うみ〕に迫到〔せめいたり〕て將殺〔ころさむとする〕時〔とき〕に
建〔たけ〕御名方〔みなかた〕の神〔かみ〕白〔まをしつらく〕
恐〔かしこし〕。
我〔あ〕を莫殺〔なころしたまひそ〕。
此〔こ〕の地〔ところ〕を除〔おき〕ては他處〔あだしところ〕に不行〔ゆかじ〕。
亦〔また〕我〔あ〕が父〔ちち〕大國主〔おほくにぬし〕の神〔かみ〕の命〔みこと〕に不違〔たがはじ〕。
八重〔やへ〕事代主〔ことしろぬし〕の神〔かみ〕の言〔こと〕に不違〔たがはじ〕。
此〔こ〕の葦原〔あしはら〕の中國〔なかつくに〕は
天神〔あまつかみ〕の御子〔みこ〕の命〔みこと〕の隨〔まにまに〕獻〔たてまつらむ〕。
とまをしたまひき。
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