古事記(國史大系版・上卷16・阿遲志貴高日子根神、高比賣命、歌謠)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
此時阿遲志貴高日子根神[自阿下四字以音]到而
‘弔天若日子之喪時(弔、イ本作即)
自天降到天若日子之父亦其妻皆哭云
我子者不死有祁理[‘此二字以音下效此]([此二字]以下分註、宣長云已見上文宜前)
我君者不死坐祁理
云取懸手足而哭悲也
其過所以者此二柱神之容姿甚能相似故是以過也
於是阿遲志貴高日子根神大怒曰
我者‘愛友故弔來耳(愛友、眞本伊本此上有有字、恐是)
何吾比穢死人
云而拔所御佩之十掬劔切伏其喪屋以足蹶離遣
此者在美濃國‘藍見河之河上喪山之者也(藍見河、口訣云美濃國厚見郡也)
其持所切大刀名謂大量
亦名謂神度劔[度字以音]
故阿治志貴高日子根神者忿而飛去之時
其伊呂妹高比賣命思顯其御名
故歌曰
阿米那流夜 淤登多那婆多能
宇那賀世流 多麻能美須麻流
美須麻流邇 ‘阿那陀麻波夜(阿那陀麻、宣長云或阿加陀麻之誤)
美多邇 布多和多良須
阿治志貴 多迦比古泥能
迦微曾也
此歌者夷振也
此〔こ〕の時〔とき〕
阿〔ア〕遲〔ヂ〕志〔シ〕貴〔キ〕高日子根〔たかひこね〕の神〔かみ〕[自(レ)阿下四字以(レ)音]到〔き〕まして
天若日子〔あめわかひこ〕が喪〔も〕を弔〔とぶらひ〕たまふ時〔とき〕
天〔あめ〕より降到〔くだりき〕つる天若日子〔あめわかひこ〕が父〔ちち〕
亦〔また〕其〔そ〕の妻〔め〕
皆〔みな〕哭〔なき〕て云〔‐〕
我子〔あがこ〕は不死〔しなず〕有〔あり〕祁〔ケ〕理〔リ〕。[此二字以(レ)音、下效(レ)此。]
我君〔あがきみ〕は不死〔しなず〕坐〔まし〕祁〔ケ〕理〔リ〕。
と云〔いひ〕て
手足〔てあし〕取懸〔とりかかり〕て哭悲〔なきかなしみ〕き。
其〔そ〕の過〔あやまてる〕所以〔ゆゑ〕は
此〔こ〕の二柱〔ふたはしら〕の神〔かみ〕の容姿〔かほ/みすがた〕甚〔いと〕能〔よく〕相似〔にたり〕。
故〔かれ〕是以〔ここをもちて〕過〔あやまつる〕なりけり。
於是〔ここに〕阿〔ア〕遲〔ヂ〕志〔シ〕貴〔キ〕高日子根〔たかひこね〕の神〔かみ〕
大〔いたく〕怒〔いかり〕て曰〔いひけらく〕
我〔あ〕は愛〔うるはしき〕友〔とも〕故〔なれ〕耳〔こそ〕弔〔とぶらひ〕來〔き〕つれ。
何〔なに〕とかも吾〔あれ〕を穢〔きたなき〕死人〔しにびと〕に比〔なぞふる〕。
と云〔いひ〕て所御佩〔みはかせる〕十掬劔〔とつかつるぎ〕拔〔ぬき〕て
其〔そ〕の喪屋〔もや〕を切伏〔きりふせ〕足〔あし〕以〔も〕て蹶〔くゑ〕離〔はなち〕遣〔やり〕き。
此〔こ〕は美〔ミ〕濃〔ヌ〕の國〔くに〕の藍見〔あゐみ〕河〔がは〕の河上〔かはかみ〕在〔なる〕
喪山〔もやま〕といふやまなり。
其〔そ〕の持〔もち〕所切〔きれる〕大刀〔たち〕の名〔な〕は謂大量〔おほばかり〕と謂〔いふ〕。
亦〔また〕の名〔な〕は神〔かむ〕度〔ド〕の劔〔つるぎ〕と謂〔いふ〕。[度字以(レ)音。]
故〔かれ〕阿〔ア〕遲〔ヂ〕志〔シ〕貴〔キ〕高日子根〔たかひこね〕の神〔かみ〕は
忿〔おもほでり〕て飛〔とび〕去〔さり〕たまふ時〔とき〕に
其〔そ〕の伊〔イ〕呂〔ロ〕妹〔も〕高〔たか〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の命〔みこと〕
其〔そ〕の御名〔みな〕を顯〔あらはさむ〕と思〔おもひ〕て故〔‐〕歌曰〔うたひけらく〕
阿米那流夜〔あめなるや〕
淤登多那婆多能〔おとたちばたの〕
宇那賀世流〔うながせる〕
多麻能美須麻流〔たまのみすまる〕
美須麻流邇〔みすまるに〕
阿那陀麻波夜〔あなだまはや〕
美多邇〔みたに〕
布多和多良須〔ふたわたらす〕
阿治志貴〔あぢしき〕
多迦比古泥能〔たかひこねの〕
迦微曾也〔かみぞや〕
天なるや 弟棚機の
うながせる 玉の御統
御統に 孔玉はや
み谷 二渡らす
阿遲志貴 高日子根の
神ぞや
此〔こ〕の歌〔うた〕は夷振〔ひなぶり〕なり。
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