古事記(國史大系版・上卷15・天忍穗耳命、天菩比神、天若日子)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
(天降之一天忍穗耳命)
(傳十三)
天照大御神之命以
豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者
我御子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國
言因賜而天降也
於是天忍穗耳命於天浮橋多多志[此三字以音]而詔之
豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者
伊多久佐夜藝弖[此七字以音]有‘祁理[此二字以音下效此](祁、酉本イ本作那、恐非)
告而更還上請于天照大御神
天照大御神〔あまてらすおほみかみ〕の命〔みこと〕を以〔もち〕て
豐〔とよ〕葦原〔あしはら〕の千秋〔ちあき〕の長五百〔ながいほ〕秋〔あき〕の水穗〔みづほ〕の國〔くに〕は
我〔あ〕が御子〔みこ〕
正勝〔まさか〕吾勝〔あかつ〕勝速日〔かちはやひ〕天〔あめ〕の忍穗耳〔おしほみみ/おしほに〕の命〔みこと〕の
所知〔しらす〕國〔くに〕。
と言〔こと〕因〔よさし〕賜〔たまひ〕て天降〔あまくだし〕ましき。
於是〔ここに〕天〔あめ〕の忍穗耳〔おしほみみ〕の命〔みこと〕
天〔あま〕の浮橋〔うきはし〕に多〔タ〕多〔タ〕志〔シ〕[此三字以(レ)音]て
詔之〔のりたまはく〕
豐〔とよ〕葦原〔あしはら〕の千秋〔ちあき〕の長五百〔ながいほ〕秋〔あき〕の水穗〔みづほ〕の國〔くに〕は
伊〔イ〕多〔タ〕久〔ク〕佐〔サ〕夜〔ヤ〕藝〔ギ〕弖〔テ〕[此七字以(レ)音]
有〔あり〕祁〔ケ〕理〔リ〕[此二字以(レ)音、下效(レ)此。]
と告〔のり〕たまひて更〔さら〕に還上〔かへりのぼらし〕て
天照大御神〔あまてらすおほみかみ〕に請〔まをし〕たまひき。
(天降之二天菩比神)
爾高御產巢日神
天照大御神之命以於天安河之河原神集八百萬神集而
思金神令思而詔
此葦原中國者我御子之所知國言依所賜之國也
故以爲於此國道速振荒振‘國神等之多在(國神、イ本无國字)
是使何神而將言趣
爾思金神及八百萬神議白之
天菩比神是可遣
故遣天菩比神者乃媚附大國主神至于三年不復奏
爾〔かれ〕高御產巢日〔たかみむすび〕の神〔かみ〕
天照大御神〔あまてらすおほみかみ〕の命〔みこと〕以〔もち〕て
天〔あめ〕の安〔やす〕の河〔かは〕の河原〔かはら〕に
八百萬〔やほよろづ〕の神〔かみ〕を神集〔かむ‐つどへ/つどひ〕に集〔つどへ〕て
思金〔おもひかね〕の神〔かみ〕に令思〔おもはしめ〕て詔〔のりたまはく〕
此〔こ〕の葦原〔あしはら〕の中國〔なかつくに〕は
我〔あ〕が御子〔みこ〕の所知〔しらさむ〕國〔くに〕と
言依〔ことよさし〕所賜〔たまへる〕國〔くに〕なり。
故〔かれ〕此〔こ〕の國〔くに〕に
道速振〔ちはやぶる〕荒振〔あらぶる〕國神等〔くにつかみども〕の多〔さは〕在〔なる〕と以爲〔おもほす〕は
是〔‐〕何〔いづれ〕の神〔かみ〕を使〔つかはし〕てか
將言趣〔ことむけまし〕。
とのりたまひき。
爾〔ここ〕に思金〔おもひかね〕の神〔かみ〕
及〔また〕八百萬〔やほよろづ〕の神〔かみたち〕議白之〔はかりて〕
天〔あめ〕の菩〔ホ〕比〔ヒ〕の神〔かみ〕
是〔これ〕可遣〔つかはしてむ〕。
とまをしき。
故〔かれ〕天〔あめ〕の菩〔ホ〕比〔ヒ〕の神〔かみ〕を遣〔つかはし〕つれば
乃〔やがて〕大國主〔おほくにぬし〕の神〔かみ〕に媚附〔こびつき〕て
至于三年〔みとせになるまで〕不復奏〔かへりことまをさざり〕き。
(天降之三天若日子)
是以高御產巢日神
天照大御神
亦問諸神等
所遣葦原中國之天菩比神久不復奏
亦使何神之‘吉(吉、酉本卜本イ本作告)
爾思金神答白
可遣天津國玉神之子天若日子
故爾以天之麻迦‘古弓[自麻下三字以音](古、イ本作士)
天之波波[此二字以音]矢賜天若日子而遣
於是天若日子降到其國即娶大國主神之女下照比賣
亦慮獲其國至于八年不復奏
是以〔ここをもちて〕
高御產巢日〔たかみむすび〕の神〔かみ〕
天照大御神〔あまてらすおほみかみ〕
亦〔また〕諸神等〔もろもろのかみたち〕に問〔とひ〕たまはく
葦原〔あしはら〕の中國〔なかつくに〕に所遣〔つかはせる〕天〔あめ〕の菩〔ホ〕比〔ヒ〕の神〔かみ〕
久〔ひさしく〕不復奏〔かへりことまをさず〕。
亦〔また〕何〔いづれ〕の神〔かみ〕を使〔つかはし〕てば吉〔えけむ〕。
爾〔ここ〕に思金〔おもひかね〕の神〔かみ〕答白〔まをしつらく〕
天津〔あまつ〕國〔くに〕玉〔たま〕の神〔かみ〕の子〔こ〕
天〔あめ〕若日子〔わかひこ〕を可遣〔つかはしてむ〕。
とまをしき。
故〔かれ〕爾〔ここ〕に
以〔‐〕天〔あめ〕の麻〔マ〕迦〔カ〕古〔コ〕弓〔ゆみ〕[自(レ)麻下三字以(レ)音]
天〔あめ〕の波〔ハ〕波〔ハ〕[此二字以音]矢〔や〕を
天若日子〔あめわかひこ〕に賜〔たまひ〕て遣〔つかはし〕き。
於是〔ここに〕天若日子〔あめわかひこ〕其〔そ〕の國〔くに〕に降到〔くだりつき〕て
即〔すなはち〕大國主〔おほくにぬし〕の神〔かみ〕の女〔むすめ〕
下照〔したてる〕比〔ヒ〕賣〔メ〕を娶〔めとし〕
亦〔また〕其〔そ〕の國〔くに〕を獲〔えむ〕と慮〔おもひはかり〕て
至于八年〔やとせになるまで〕不復奏〔かへりことまをさざりき〕。
故爾天照大御神
高御產巢日神
亦問諸神等
天若日子久不復奏
又遣曷神
以問天若日子之淹留所由
於是諸神及思金神答白
可遣雉名鳴女
時詔之
汝行問天若日子狀者
汝所以使葦原中國者
言趣和其國之荒振神等之者也
何至于八年不復奏
故〔かれ〕爾〔ここ〕に
高御產巢日〔たかみむすび〕の神〔かみ〕
天照大御神〔あまてらすおほみかみ〕
亦〔また〕諸神等〔もろもろのかみたち〕に問〔とひ〕たまはく
天若日子〔あめわかひこ〕久〔ひさしく〕不復奏〔かへりことまをさず〕。
又〔また〕曷〔いづれ〕の神〔かみ〕を遣〔つかはし〕てか
以〔‐〕天若日子〔あめわかひこ〕の淹留〔ひさしくとどまる〕所由〔ゆゑ〕を問〔とはしめむ〕。
ととひたまひき。
於是〔ここに〕諸神〔もろもろのかみたち〕
及〔また〕思金〔おもひかね〕の神〔かみ〕答白〔まをさく〕
雉〔きぎし〕名〔な/なは〕鳴女〔なきめ〕を可遣〔つかはしてむ〕。
とまをす時〔とき〕に詔之〔のりたまはく〕
汝〔いまし〕行〔ゆき〕て天若日子〔あめわかひこ〕に問〔とはむ〕狀〔さま〕は
汝〔いまし〕を葦原〔あしはら〕の中國〔なかつくに〕に使〔つかはせる〕所以〔ゆゑ〕は
其〔そ〕の國〔くに〕の荒振神等〔あらぶるかみども〕を
言〔こと〕趣〔むけ〕和〔やはせ〕となり。
何〔なぞ〕至于八年〔やとせになるまで〕不復奏〔かへりことまをさざる〕。
ととへ。
とのりたまひき。
故爾鳴女自天降到居天若日子之門湯津楓上而
言委曲如天神之詔命
爾天佐具賣[此三字以音]聞此鳥言而語天若日子言
此鳥者‘其鳴音甚惡(其鳴、イ本无)
故可射殺
云進即天若日子持天神所賜天之波士弓天之加久矢射殺其雉
爾其矢自雉胸通而逆射上
逮坐天安河之河原天照大御神高木神之御所
是高木神者高御產巢日神之別名
故〔かれ〕爾〔ここ〕に鳴女〔なきめ〕天〔あめ〕より降到〔くだりつき〕て
天若日子〔あめわかひこ〕が門〔かど〕なる湯津楓〔ゆつかづら〕の上〔うへ〕に居〔ゐ〕て
委曲〔まつぶさ〕に天神之詔命〔かみのおほみごと〕の如〔ごと〕言〔のり〕き。
爾〔ここ〕に天〔あま〕の佐〔サ〕具〔グ〕賣〔メ〕[此三字以(レ)音]
此〔こ〕の鳥〔とり〕の言〔いふこと〕を聞〔きき〕て語〔‐〕天若日子〔あめわかひこ〕に言〔‐〕
此〔こ〕の鳥〔とり〕は其〔‐〕鳴〔なく〕音〔こゑ〕甚〔いと/はなはだ〕惡〔あし/にくし〕。
故〔かれ〕可射殺〔いころしたまひね〕。
と云〔いひ〕進〔すすむ〕れば即〔すなはち〕天若日子〔あめわかひこ〕
天神〔あまつかみ〕の所賜〔たまへる〕天〔あめ〕の波〔ハ〕士〔シ〕弓〔ゆみ〕
天〔あめ〕の加〔カ〕久〔ク〕矢〔や〕持〔もち〕て其〔こ〕の雉〔きぎし〕を射殺〔いころし〕つ。
爾〔ここ〕に其〔そ〕の矢〔や〕雉〔きぎし〕の胸〔むね〕より通〔とほり〕て
逆〔さかさま〕に射上〔いあげらえ〕て
天〔あめ〕の安〔やす〕の河〔かは〕の河原〔かはら〕に坐〔まします〕
天照大御神〔あまてらすおほみかみ〕
高木〔たかぎ〕の神〔かみ〕の御所〔みもと〕に逮〔いたり〕き。
是〔こ〕の高木〔たかぎ〕の神〔かみ〕は高御產巢日〔たかみむすび〕の神〔かみ〕の別〔また〕の名〔みな〕なり。
故高木神取其矢見者血著其矢羽
於是高木神告之
此矢者所賜天若日子之矢
即‘示諸神等詔者(示、宣長云、諸本作爾、今從一本)
或天若日子
不誤命爲射惡神之矢之至者
不中天若日子
或有邪心者
天若日子於此矢麻賀禮[此三字以音]
云而取其矢自其矢穴衝返下者
中天若日子寢‘胡床之高胷坂以死[‘此還矢可恐之本也]
(胡床、眞本曼本伊本小本作朝床(万葉十九朝床ニキケハ云々。[此還矢]云々、眞淵云後人所加)
亦‘其雉不還(其雉、イ本无其字)
故於今諺曰雉之頓使本是也
故〔かれ〕高木〔たかぎ〕の神〔かみ〕
其〔そ〕の矢〔や〕を取〔とらし〕て見〔み〕そなはすれば
其〔そ〕の矢〔や〕の羽〔は〕に血〔ち〕著〔つき〕たりき。
於是〔ここに〕高木〔たかぎ〕の神〔かみ〕
此〔こ〕の矢〔や〕は天若日子〔あめわかひこ〕に所賜〔たまへりし〕矢〔や〕ぞかし。
と告之〔のりたまひ〕て即〔‐〕諸神等〔もろもろのかみたち〕に示〔みせ〕て
詔者〔のりたまへらくは〕
或〔もし〕天若日子〔あめわかひこ〕不誤命〔みこととたがへず〕
惡神〔あらぶるかみ〕を爲射〔いたりし〕矢〔や〕の至〔きつる〕ならば
天若日子〔あめわかひこ〕に不中〔あたらざれ〕。
或〔もし〕邪心〔きたなきこころ〕有〔あら〕ば
天若日子〔あめわかひこ〕此〔こ〕の矢〔や〕に麻〔マ〕賀〔ガ〕禮〔レ〕[此三字以(レ)音。]
と云〔のり〕たまひて其〔そ〕の矢〔や〕を取〔とらし〕て
自其〔そ〕の矢〔や〕の穴〔あな〕より衝〔つき〕返〔かへし〕下〔たまひ〕しかば
天若日子〔あめわかひこ〕が寢胡床〔あぐら〕に寢〔ねたる〕高胷坂〔たかむなさか〕に中〔あたり〕て以〔‐〕死〔うせ〕にき。
[此還矢可(レ)恐之本也。]
亦〔また〕其〔そ〕の雉〔きぎし〕不還〔かへらず〕。
故〔かれ〕今〔いま〕に諺〔ことわざ〕に
雉〔きぎし〕に頓使〔ひたづかひ〕
と曰〔いふ〕本〔もと〕是〔これ〕なり。
故天若日子之妻下照比賣之哭聲與風響到天
於是在天天若日子之父
天津國玉神
及其妻子聞而降來哭悲乃於其處作喪屋而
河雁爲岐佐理持[自岐下三字以音]
鷺爲掃持
翠鳥爲御食人
雀爲碓女
雉爲哭女如此行定而日八日夜八夜以遊也
故〔かれ〕天若日子〔あめわかひこ〕が妻〔め〕
下照〔したてる〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の哭〔なかせる〕聲〔こゑ〕
風〔かぜ〕のむた響〔ひびき〕て天〔あめ〕に到〔いたり〕き。
於是〔ここに〕天〔あめ〕在〔なる〕天若日子〔あめわかひこ〕が父〔ちち〕
天津國玉〔あまつくにたま〕の神〔かみ〕
及〔また〕其〔そ〕の妻子〔めこども〕も聞〔きき〕て降來〔くだりき〕て哭悲〔なきかなしみ〕て
乃〔すなはち〕其處〔そこ〕に喪屋〔もや〕を作〔つくり〕て
河鴈〔かはがり〕を岐〔キ〕佐〔サ〕理〔リ〕持〔もち〕と爲〔し〕[自(レ)岐下三字以(レ)音]
鷺〔さぎ〕を掃〔ははき〕持〔もち〕と爲〔し〕
翠鳥〔そに〕を御食人〔みけびと〕と爲〔し〕
雀〔すずめ〕を碓女〔うすめ〕と爲〔し〕
雉〔きぎし〕を哭女〔なきめ〕と爲〔し〕
如此〔かく〕行〔おこなひ〕定〔さだめ〕て
日〔ひ〕八日〔やか〕夜〔よ〕八夜〔やよ〕以〔を〕遊〔あそび〕たりき。
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