古事記（國史大系版・上卷12・大國主神４八千矛神・高志國之沼河比賣、歌謠）

底本國史大系第七卷（古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀）

・底本奥書云、

明治三十一年七月三十日印刷

同年八月六日發行

發行者合名會社經濟雜誌社

・底本凡例云、

古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記（宣長校本）に標注訂正を加へたり

且つ古事記傳（宣長記）の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり

（傳十一）

‘此八千矛神將婚高志國之沼河比賣幸行之時（此、寛本无）

到其沼河比賣之家歌曰

　夜知富許能　迦微能美許登波

　夜斯麻久爾　都麻麻岐迦泥弖

　‘登富登富斯　故志能久邇邇（登富登富斯、宣長云諸本作登々富々斯、是古之書躰也）

　佐加志賣遠　阿理登岐加志弖

　久波志賣遠　阿理登伎許志弖

　佐用婆比爾　阿理多多斯

　用婆比邇　阿理加用婆勢

　多知賀遠母　伊麻陀登加受弖

　淤須比遠母　伊麻陀登加泥婆

　‘遠登賣能　‘那須夜伊多斗遠（遠登賣、伊本此下有許字。那須、伊本作耶須）

　淤曾夫良比　和何多多勢禮婆

　比許豆良比　和何多多勢禮婆

　阿遠夜麻邇　奴延波‘那伎（那伎、眞本此下有奴字）

　佐怒都登理　岐藝斯波登與牟

　爾波都登理　‘迦祁波那久（迦祁波、宣長云諸本作迦祁婆、今從眞本）

　宇禮多久母　那久那留登理加

　許能登理母　宇知夜米許世泥

　伊斯多布夜　阿麻波勢豆加比

　許登能　加多理‘其登母（其、恐當作碁）

　許遠婆

　此〔こ〕の八千矛〔やちほこ〕の神〔かみ〕

　高〔コ〕志〔シ〕の國〔くに〕の沼河〔ぬなか〕比〔ヒ〕賣〔メ〕を將婚〔よばひ〕に幸行〔いでましし〕時〔とき〕に

　其〔‐〕沼河〔ぬなか〕比〔ヒ〕賣〔メ〕の家〔いへ〕に到〔いたり〕て歌曰〔うたひたまはく〕

　　夜知富許能〔やちほこの〕

　　迦微能美許登波〔かみのみことは〕

　　夜斯麻久爾〔やしまくに〕

　　都麻麻岐迦泥弖〔つままぎかねて〕

　　登富登富斯〔とほとほし〕

　　故志能久邇邇〔こしのくにに〕

　　佐加志賣遠〔さかしめを〕

　　阿理登岐加志弖〔ありときかして〕

　　久波志賣遠〔くはしめを〕

　　阿理登伎許志弖〔ありときこして〕

　　佐用婆比爾〔さよばひに〕

　　阿理多多斯〔ありたたし〕

　　用婆比邇〔よばひに〕

　　阿理加用婆勢〔ありかよはせ〕

　　多知賀遠母〔たちがをも〕

　　伊麻陀登加受弖〔いまだとかずて〕

　　淤須比遠母〔おすひをも〕

　　伊麻陀登加泥婆〔いまだとかねば〕

　　遠登賣能〔をとめの〕

　　那須夜伊多斗遠〔なすやいたとを〕

　　淤曾夫良比〔おすふらひ〕

　　和何多多勢禮婆〔わがたたせれば〕

　　比許豆良比〔ひこづらひ〕

　　和何多多勢禮婆〔わがたたせれば〕

　　阿遠夜麻邇〔あをやまに〕

　　奴延波那伎〔ぬえはなき〕

　　佐怒都登理〔さぬつとり〕

　　岐藝斯波登與牟〔きぎしはとよむ〕

　　爾波都登理〔にはつとり〕

　　迦祁波那久〔かけはなく〕

　　宇禮多久母〔うれたくも〕

　　那久那留登理加〔なくなるとりか〕

　　許能登理母〔このとりも〕

　　宇知夜米許世泥〔うちやめこせね〕

　　伊斯多布夜〔いしたふや〕

　　阿麻波勢豆加比〔あまはせづかひ〕

　　許登能〔ことの〕

　　加多理其登母〔かたりごとも〕

　　許遠婆〔こをば〕

　　　八千矛の　神の命は

　　　八島國　妻枕きかねて

　　　遠遠し　高志の國に

　　　賢し女を　有りと聞かして

　　　麗し女を　有りと聞こして

　　　さ呼ばひに　在り立たし

　　　呼ばひに　在り通はせ

　　　大刀が緒も　いまだ解かずて

　　　襲をも　いまだ解かねば

　　　嬢子の　寢すや板戸を

　　　押そふらひ　我が立たせれば

　　　引こづらひ　我が立たせれば

　　　靑山に　鵺は鳴き

　　　さ野つ鳥　雉はとよむ

　　　庭つ鳥　鶏は鳴く

　　　恨れたくも　鳴くなる鳥か

　　　この鳥も　打ち止めこせね

　　　いしたふや　天馳せ使ひ

　　　事の　語り言も

　　　此をば

爾其沼河比賣未開戸自内歌曰

　夜知富許能　迦微能美許等

　‘怒延久佐能　賣邇志阿禮婆（怒、眞本作奴）

　和何許許呂　宇良須能登理叙

　伊麻許曾婆　‘知杼理邇阿良米（知杼、宣長云諸本作和杼、今從延本）

　能知波　那杼理爾阿良牟遠

　伊能知波　那志勢多麻比曾

　伊斯多布夜　阿麻波世豆迦比

　許登能　加多理‘碁登母（碁、寛本酉本作碁）

　許遠婆

　阿遠夜麻邇　比賀‘迦久良婆（迦、一本作加）

　奴婆多麻能　用波伊傳那牟

　阿佐比能　惠美佐加延岐弖

　多久豆怒能　斯路岐多陀牟岐

　阿和由岐能　和加夜流牟泥遠

　曾陀多岐　多多岐麻那賀理

　麻多麻傳　多麻傳佐斯麻岐

　毛毛那賀爾　伊波那佐牟遠

　阿夜爾　那古斐岐許志

　夜知富許能　迦微能美許登

　‘許登能　迦多理碁登母（許登能、伊本无許登二字）

　許遠婆

故其夜者不合而明日夜爲御合也

　爾〔ここ〕に其〔そ〕の沼河〔ぬなかは〕比〔ヒ〕賣〔メ〕

　未〔いまだ〕戸〔と〕を開〔けず〕して内〔うち〕より歌曰〔うたひたまはく〕

　　夜知富許能〔やちほこの〕

　　迦微能美許等〔かみのみこと〕

　　怒延久佐能〔ぬえくさの〕

　　賣邇志阿禮婆〔めにしあれば〕

　　和何許許呂〔わがこころ〕

　　宇良須能登理叙〔うらすのとりぞ〕

　　伊麻許曾婆〔いまこそは〕

　　和［／和］杼理邇阿良米〔ち［／わ］どりにあらめ〕

　　能知波〔のちは〕

　　那杼理爾阿良牟遠〔などりにあらめ〕

　　伊能知波

　　那志勢多麻比曾〔なしせたまひそ〕

　　伊斯多布夜〔いしたふや〕

　　阿麻波世豆迦比〔あまはせづかひ〕

　　許登能〔ことの〕

　　加多理碁登母〔かたりごとも〕

　　許遠婆〔こをば〕

　　　八千矛の　神の命

　　　ぬえ草の　女にしあれば

　　　吾が心　浦渚の鳥ぞ

　　　今こそは　千［我］鳥にあらめ

　　　後は　汝鳥にあらむを

　　　命は　な死せたまひそ

　　　いしたふや　天馳せ使ひ

　　　事の　語り言も

　　　此をば

　　阿遠夜麻邇〔あをやまに〕

　　比賀迦久良婆〔ひがかくらば〕

　　奴婆多麻能〔ぬばたまの〕

　　用波伊傳那牟〔よはいでなむ〕

　　阿佐比能〔あさひの〕

　　惠美佐加延岐弖〔ゑみさかえきて〕

　　多久豆怒能〔たくづぬの〕

　　斯路岐多陀牟岐〔しろきただむき〕

　　阿和由岐能〔あわゆきの〕

　　和加夜流牟泥遠〔わかやるむねを〕

　　曾陀多岐〔そだたき〕

　　多多岐麻那賀理〔たたきまながり〕

　　麻多麻傳〔またまで〕

　　多麻傳佐斯麻岐〔たまぢさしまぎ〕

　　毛毛那賀爾〔ももながに〕

　　伊波那佐牟遠〔いはなさむを〕

　　阿夜爾〔あやに〕

　　那古斐岐許志〔なこひきこし〕

　　夜知富許能〔やちほこの〕

　　迦微能美許登〔かみのみこと〕

　　許登能〔ことの〕

　　迦多理碁登母〔かたりごとも〕

　　許遠婆〔こをば〕

　　　靑山に　日が隱らば

　　　ぬばたまの　夜は出でなむ

　　　朝日の　笑み榮え來て

　　　栲綱の　白き腕

　　　沫雪の　若やる胸を

　　　そだたき　たたきまながり

　　　眞玉手　玉手さし枕き

　　　百長に　寢は寢さむを

　　　あやに　な戀ひ聞こし

　　　八千矛の　神の命

　　　事の　語り言も

　　　此をば

　故〔かれ〕其〔そ〕の夜〔よ〕は不合〔あはさず〕て

　明日〔くるひの／くるつ〕夜〔よ〕御合〔みあひ〕爲〔し〕たまひき。