古事記(國史大系版・上卷11・大國主神3須勢理毘賣)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
於是其妻須世理毘賣者持喪具而哭來
其父大神者思已‘死訖出立其野(死、寛本作所、恐非)
爾持其矢以奉之時
率入家而喚入八田間大室而令取其頭之虱
故爾見其頭者吳公多在
於是‘其妻以牟久木實與赤土授其夫(其妻以、諸本作以作取)
故咋破其木實含赤土唾出者
其大神以爲咋破吳公唾出而於心思愛而寢
於是〔ここに〕其〔そ〕の妻〔みめ〕須〔ス〕世〔セ〕理〔リ〕毘〔ビ〕賣〔メ〕は
喪具〔はぶりつもの〕持〔もち〕て哭〔なきつつ〕來〔きまし〕
其〔そ〕の父〔ちち〕の大神〔おほかみ〕は已〔すで〕に死訖〔うせぬ〕と思〔おもほし〕て
其〔そ〕の野〔ぬ〕に出立〔いでたたせ〕ば
爾〔すなはち〕其〔そ〕の矢〔や〕持〔もち〕て以〔‐〕奉〔たてまつる〕時〔とき〕に
家〔いへ〕に率〔ゐ〕て入〔いり〕て八田間〔やたま〕の大室〔おほむろや〕に喚入〔よびいれ〕て
其〔そ〕の頭〔かしら〕の虱〔しらみ〕を令取〔とらしめ〕たまひき。
故〔かれ〕爾〔‐〕其〔そ〕の頭〔みかしら〕を見〔みれ〕ば吳公〔むかで〕多在〔おほかり〕。
於是〔ここに〕其〔そ〕の妻〔みめ〕以〔‐〕
牟〔ム〕久〔ク〕の木〔き〕の實〔み〕と赤土〔はに〕取〔と〕を其〔そ〕の夫〔ひこぢ〕に授〔さづけ〕たまへ故〔ば〕
其〔そ〕の木〔こ〕の實〔み〕を咋破〔くひやぶり〕
赤土〔はに〕を含〔ふふみ〕て唾〔つばき〕出〔いだし〕たまへば
其〔そ〕の大神〔おほかみ〕吳公〔むかで〕咋破〔くひやぶり〕て唾〔つばき〕出〔いだす〕と以爲〔おもほし〕て
心〔みこころ〕に愛〔はしく〕思〔おもほし〕て寢〔みね〕ましき。
爾握其‘大神之髮其室毎椽結著而(大神之髮、宣長云諸本无大字、今據例補)
五百引石取塞‘其室戶負其妻須世理毘賣(其室、舊紀作於室)
即取持其大神之生大刀與生弓矢及其天詔琴而逃出之時
其天詔琴拂樹而地動鳴
故其所寢大神聞驚而引仆其室
然解結‘椽髮之間遠逃(椽、寛本作緣)
爾〔ここ〕に其〔そ〕の大神〔おほかみ〕の髮〔みかみ〕を握〔とり〕て
其〔そ〕の室〔むろや〕の椽〔たりき〕毎〔ごと〕に結著〔ゆひつけ〕て
五百引石〔いほびきいは〕を其〔そ〕の室〔むろ〕の戶〔と〕に取〔とり〕塞〔さへ〕て
其〔そ〕の妻〔みめ〕須〔ス〕世〔セ〕理〔リ〕毘〔ビ〕賣〔メ〕を負〔おひ〕て
即〔‐〕其〔そ〕の大神〔おほかみ〕の生大刀〔いくだち〕
生弓矢〔いくゆみや〕
及〔また〕其〔そ〕の天〔あめ〕の詔琴〔のりこと〕を取持〔とりもたし〕て逃出〔にげいで〕ます時〔とき〕に
其〔そ〕の天〔あめ〕の詔琴〔のりごと〕樹〔き〕に拂〔ふれ〕て地〔つち〕動鳴〔とどろき〕き。
故〔かれ〕其〔そ〕の所寢〔みねませる〕大神〔おほかみ〕
聞驚〔ききおどろかし〕て其〔そ〕の室〔むろや〕に引仆〔ひきたふし〕たまひき。
然〔しかれ〕ども椽〔たりき〕に結〔ゆへる〕髮〔かみ〕を解〔とかす〕間〔あひだ〕に
遠〔とほく〕逃〔にげ〕たまひき。
故爾追至黃泉比良坂
遙望呼謂大穴牟遲神曰
其汝所持之生大刀生弓矢以而
汝庶兄弟者追伏坂之御尾
亦追撥河之瀨而
意禮[二字以音]爲大國主神
亦爲宇都志‘國玉神而(國玉、宣長云諸本玉作主、按書紀作玉、古語拾遺作魂、故今改)
其我之女須世理毘賣爲嫡妻而
於宇迦能[三字以音]山之‘山本(やまもと、舊紀作嶺一字)
於底津石根宮柱布刀斯理[此四字以音]
於高天原冰椽多迦斯理[此四字以音]而居
是奴也
故持其大刀弓追避其八十神之時
毎坂御尾追伏毎河瀬追撥而
始作國也
故〔かれ〕爾〔ここ〕に黃泉〔よもつ〕比〔ヒ〕良〔ラ〕坂〔さか〕まで追至〔いひいで〕まして
遙〔はろばろ〕に望〔みさけ/をせり〕て
大穴〔おほな〕牟〔ム〕遲〔ヂ〕の神〔かみ〕を呼〔よばひ〕て謂曰〔のりたまはく〕
其〔そ〕の汝〔いまし〕が所持〔もたる〕生大刀〔いくだち〕生弓矢〔いくゆみや〕を以〔もち〕て
汝〔いまし〕庶兄弟〔あにおとども〕をば坂〔さか〕の御尾〔みを〕に追伏〔おひふせ〕
亦〔‐〕河〔かは〕の瀨〔せ〕を追撥〔おひはらひ〕て
意〔オ〕禮〔レ〕[二字以(レ)音]大國主〔おほくにぬし〕の神〔かみ〕と爲〔なり〕
亦〔また〕宇〔ウ〕都〔ツ〕志〔シ〕國〔くに〕玉〔たま〕の神〔かみ〕と爲〔なり〕て
其〔そ〕の我〔あ〕が女〔むすめ〕須〔ス〕世〔セ〕理〔リ〕毘〔ビ〕賣〔メ〕を嫡妻〔むかひめ〕と爲〔し〕て
宇〔ウ〕迦〔カ〕能〔ノ〕[三字以(レ)音]山〔やま〕の山本〔やまもと〕に
底津〔そこつ〕石根〔いはね〕に宮柱〔みやばしら〕布〔フ〕刀〔ト〕斯〔シ〕理〔リ〕[此四字以(レ)音]
高天原〔たかまのはら〕に冰椽〔ひぎ〕多〔タ〕迦〔カ〕斯〔シ〕理〔リ〕[此四字以(レ)音]て居〔をれ〕。
是奴〔こやつ〕。
とのりたまひき。
故〔かれ〕其〔そ〕の大刀〔たち〕弓〔ゆみ〕を持〔もち〕て
其〔か〕の八十神〔やそかみ〕追避〔おひさくる〕時〔とき〕に
坂〔さか〕の御尾〔みを〕毎〔ごと〕に追伏〔おひふせ〕
河瀨〔かはせ〕毎〔ごと〕に追撥〔おひはらひ〕て
國〔くに〕作〔つくり〕始〔はじめ〕たまひき。
故其八上比賣者如先期美刀阿多波志都[此七字以音]
故其八上比賣者雖率來
畏其嫡妻須世理毘賣而
其所生子者刺‘挾木俣而返(挾、宣長校本作狹、據眞本寛寫本改)
故名其子云木俣神
亦名謂御井神也
故〔かれ〕其〔か〕の八上〔やかみ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕は
先〔さき〕の期〔ちぎり〕の如〔ごと〕美〔ミ〕刀〔ト〕阿〔ア〕多〔タ〕波〔ハ〕志〔シ〕都〔ツ〕[此七字以(レ)音]
故〔かれ〕其〔そ〕の八上〔やかみ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕は
率〔ゐ〕て來〔き〕ましつれ雖〔ども〕
其〔か〕の嫡妻〔みむかひめ〕須〔ス〕世〔セ〕理〔リ〕毘〔ビ〕賣〔メ〕を畏〔かしこみ〕て
其〔そ〕の所生〔うみませる〕子〔みこ〕をば木〔き〕の俣〔また〕に刺挾〔さしはさみ〕て返〔かへり〕ましき。
故〔かれ〕其〔そ〕の子〔みこ〕の名〔な〕を木〔き〕の俣〔また〕の神〔かみ〕と云〔まをす〕。
亦〔また〕の名〔な〕は御井〔みゐ〕の神〔かみ〕とも謂〔まをす〕。
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