古事記(國史大系版・上卷4・伊邪那岐命及び伊邪那美命3)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
故爾伊邪那岐命詔之
愛我那邇妹命乎[那邇二字以音下效此]
謂
易子之一木乎
乃匍匐御枕方匍匐御足方而哭時
於御淚所成神坐香山之畝尾木本
名泣澤女神
故其所神避之伊邪那‘美神者葬出雲國與伯伎國堺比美‘婆之山也(美神、釋紀卷六神作命。婆、寛本作波)
故〔かれ〕爾〔こゝ〕に伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕岐〔ギ〕の命〔みこと〕
詔之〔のりたまはく〕
愛〔うつくしき/めぐしきとおもふ/うるはしき〕
我〔あ〕が那〔ナ〕邇〔ニ〕妹〔も〕の命〔みこと〕をや[那邇二字以(レ)音、下效(レ)此]
謂〔‐〕
子〔こ〕の木〔ひとつ‐け/き)に易〔かへつる〕かも。
とのりたまひて
乃〔‐〕御枕方〔みまくらべ〕に匍匐〔はらばひ〕御足方〔みあとべ〕に匍匐はらばひ〕て
哭〔なき/いざち〕たまふ時〔とき〕御淚〔みなみだ〕に所成〔なりませる〕神〔かみ〕は
香山〔かぐやま〕の畝尾〔うねを〕の木〔こ〕の本〔もと〕に坐〔ます〕
名〔みな〕は泣澤女〔なきさはめ〕の神〔かみ〕。
故〔かれ〕其〔そ〕の所神避〔かむさりましし〕伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕美〔ミ〕の神〔かみ〕は
出雲〔いづも〕の國〔くに〕と伯伎〔ははき〕の國〔くに〕との堺〔さかひ〕
比〔ヒ〕婆〔バ〕の山〔やま〕に葬〔かくし〕まつりき。
於是伊邪那岐命
拔所御佩之十拳劔斬其子迦具土神之頸
爾著其御刀前之血走就湯津石村所成神名
石拆神
次根拆神
次石筒之男神[三神]
於是〔ここに〕伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕岐〔ギ〕の命〔みこと〕所御佩〔みはかせる〕十拳劔〔とつかつるぎ〕を拔〔ぬき〕て
其〔そ〕の子〔みこ〕迦〔カ〕具〔グ〕土〔つち〕の神〔かみ〕の頸〔みくび〕を斬〔きり〕たまふ。
爾〔ここ〕に其〔そ〕の御刀〔みはかし〕の前〔さき〕に著〔つける〕血〔ち〕
湯津石村〔ゆついはむら〕に走〔たばしり〕就〔つき〕て所成〔なりませる〕神〔かみ〕の名〔みな〕は
石拆〔いはさく/いはさか〕の神〔かみ〕。
次〔つぎ〕に根拆〔ねさく〕の神〔かみ〕。
次〔つぎ〕に石筒〔いはつつ〕の男〔を〕の神〔かみ〕。[三神]
次著御刀本血亦走就湯津石村所‘成神名(成、伊本作生)
甕速日神
次樋速日神
次建御雷之男神
亦名建布都神[布都二字以音下效此]
亦名豐布都神[三神]
次〔つぎ〕に御刀〔みはかし〕の本〔もと〕に著〔つける〕血〔ち〕亦〔も〕
湯津石村〔ゆついはむら〕に走〔たばしり〕就〔つき〕て所成〔なりませる〕神〔かみ〕の名〔みな〕は
甕速日〔みかはやび/みかのはやひ〕の神〔かみ〕。
次〔つぎ〕に樋速日〔ひはやび〕の神〔かみ〕。
次〔つぎ〕に建〔たけ〕御雷〔みかづち〕の男〔を〕の神〔かみ〕。
亦〔また〕の名〔みな〕は建〔たけ〕布〔フ〕都〔ツ〕の神〔かみ〕。[布都二字以(レ)音、下效此]
亦〔また〕の名〔みな〕は豐〔とよ〕布〔フ〕都〔ツ〕の神〔かみ〕。[三神]
次集御刀之手上血自手俣漏出所成神名[訓漏云久伎]
闇淤加美神[淤以下三字以音下效此]
次闇御津羽神
上件自石拆神以下闇御津羽神以前幷八神者
因御刀所生之神者也
次〔つぎ〕に御刀〔みはかし〕の手上〔たがみ〕に集〔あつまる〕血〔ち〕
手俣〔たなまた〕より漏出〔くきで〕て所成〔なりませる〕神〔かみ〕の名〔みな〕は[訓(レ)漏云(二)久伎(一)]
闇〔くら〕淤〔オ〕加〔カ〕美〔ミ〕の神〔かみ〕。[淤以下三字以(レ)音、下效此]
次〔つぎ〕に闇〔くら〕御〔ミ〕津〔ツ〕羽〔ハ〕の神〔かみ〕。
上〔かみ〕の件〔くだり〕石拆〔いはさく〕の神〔かみ〕より以下〔しも〕
闇〔くら〕御〔ミ〕津〔ツ〕羽〔ハ〕の神〔かみ〕以前〔まで〕幷〔あはせ〕て八神〔やはしら〕は
御刀〔みはかし〕に因〔より〕て所生〔なりませる〕神〔かみ〕なり。
所殺迦具土神之於頭所成神名正鹿山[上]津見神
次於胸所成神名淤‘縢山津見神[淤縢二字以音](縢、曼本作騰)
次於腹所成神名奧山[上]津見神
次於陰所成神名闇山津見神
次於左手所成神名志藝山津見神[志藝二字以音]
次於右手所成神名羽山津見神
次於左足所成神名原山津見神
次於右足所成神名戸山津見神[自正鹿山津見神至戸山津見神幷八神]
故所斬之刀名謂天之尾羽張
亦名謂伊都之尾羽張[伊都二字以音]
所殺〔ころされましし/しせらるる〕迦〔カ〕具〔グ〕土〔つち〕の神〔かみ〕の
頭〔みかしら〕に所成〔なりませる〕神〔かみ〕の名〔みな〕は
正鹿山〔上〕津見神〔まさかやまつみのかみ〕。
次〔つぎ〕に胸〔みむね〕にに所成〔なりませる〕神〔かみ〕の名〔みな〕は
淤〔オ〕縢〔ド/ト〕山津見〔やまつみ〕の神〔かみ〕。[淤縢二字以(レ)音]
次〔つぎ〕に腹〔みはら〕に所成〔なりませる〕神〔かみ〕の名〔みな〕は
奧山〔おくやま〕[上]津見〔つみ〕の神〔かみ〕。
次〔つぎ〕に陰〔みほ‐ど/と〕に所成〔なりませる〕神〔かみ〕の名〔みな〕は
闇山津見〔くらやまつみ〕の神〔かみ〕。
次〔つぎ〕に左〔ひだり〕の手〔みて〕に所成〔なりませる〕神〔かみ〕の名〔みな〕は
志〔シ〕藝〔ギ〕山津見〔やまつみ〕の神〔かみ〕。[志藝二字以(レ)音]
次〔つぎ〕に右〔みぎ〕の手〔みて〕に所成〔なりませる〕神〔かみ〕の名〔みな〕は
羽山津見〔はやまつみ〕の神〔かみ〕。
次〔つぎ〕に左〔ひだり〕の足〔みあし〕に所成〔なりませる〕神〔かみ〕の名〔みな〕は
原山津見〔はらやまつみ〕の神〔かみ〕。
次〔つぎ〕に右〔みぎ〕の足〔みあし〕に所成〔なりませる〕神〔かみ〕の名〔みな〕は
戸山津見〔とやまつみ〕の神〔かみ〕。
[正鹿山津見〔まさかやまつみ〕の神〔かみ〕より
戸山津見〔とやまつみ〕の神〔かみ〕至〔まで〕幷〔あはせ〕て八神〔やはしら〕。]
故〔かれ〕所斬〔きりたまへる〕刀〔みはかし〕の名〔みな〕は
天〔あめ〕の尾羽張〔をはばり〕と謂〔いふ〕。
亦〔また〕の名〔な〕は伊〔イ〕都〔ツ〕の尾羽張〔をはばり〕と謂〔いふ〕。[伊都二字以(レ)音]
(傳六)
於是欲相見其妹伊邪那美命追往黃泉國
爾自殿騰戸出向之時
伊邪那岐命語詔之
愛我那邇妹命
吾與汝所作之國未作竟故
可還
爾伊邪那美命答‘白(白、伊本作曰)
悔哉不速來
吾者爲黃泉戸喫
然愛我那勢命[那勢二字以音下效此]入來坐之事恐故
欲還
‘旦‘具與黃泉神相論莫視我(旦、閣本神本作且、舊紀作具。具、諸本无)
於是〔ここに〕其〔そ〕の妹〔いも〕伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕美〔ミ〕の命〔みこと〕を
相〔あひ〕見〔み〕欲〔まくおもほし〕て黃泉〔よもつ〕國〔くに〕に追〔おひ〕往〔いでまし〕き。
爾〔すなはち〕自殿騰戸〔とのど‐より(/殿おほとの自より戸とを騰あげて〕出向〔いでむかひます/むかはす〕時〔とき〕に
伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕岐〔ギ〕の命〔みこと〕語詔之〔かたらひたまはく〕
愛〔うつくしき/うるはしき〕我〔あ〕が那〔ナ〕邇〔ニ〕妹〔も〕の命〔みこと〕。
吾〔あれ〕汝〔みまし〕と所作〔つくれりし〕國〔くに〕未〔いまだ〕作〔つくり〕竟〔をへず〕あれ故〔ば〕
可還〔かへりまさね〕
とのりたまひき。
爾〔ここ〕に伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕美〔ミ〕の命〔みこと〕の答白〔まをしたまはく〕
悔哉〔くやしきかな〕不速來〔とく‐きまさずて〕吾〔あ〕は黃泉戸〔よもつへ〕喫〔ぐひ〕爲〔し〕つ。
然〔しかれ〕ども愛〔うつくしき/うるはしき〕我〔あ〕が那〔ナ〕勢〔セ〕の命〔みこと〕[那勢二字以(レ)音、下效(レ)此]
入來坐〔いりきませる〕事〔こと〕恐〔かしこけれ〕故〔ば〕欲還〔かへりなむ〕を
旦〔あした〕に具〔つばらか〕に黃泉〔よもつ〕神〔かみ〕と相論〔あげつらはむ〕。
我〔あ〕を莫視〔な‐みたまひそ〕。
如此白而還入其殿内之間甚久難待
故刺左之御美豆良[三字以音下效此]湯津津間櫛之男柱一箇取闕而
燭一火入見之時
宇士多加禮‘斗呂呂岐弖[此十字以音](斗、伊本寛本作許)
於頭者大雷居
於胸者火雷居
於腹者黑雷居
於陰者拆雷居
於左手者若雷居
於右手者土雷居
於左足者鳴雷居
於右足者伏雷居幷八雷神成居
如此〔かく〕白〔まをし〕て其〔そ〕の殿内〔とのうち〕に還〔かへり〕入〔いり〕ませる間〔ほど〕
甚〔いと〕久〔ひさしく〕難待〔まちかね〕たまひき。
故〔かれ〕左〔ひだり〕の御〔み〕美〔ミ〕豆〔ヅ〕良〔ラ〕[三字以(レ)音、下效(レ)此]に刺〔ささせる〕
湯津津間櫛〔ゆつつまぐし〕の男柱〔をばしら〕一箇〔ひとつ〕取闕〔とりかき〕て
一火〔ひとつび〕燭〔ともし〕て入〔いり〕見〔み〕ます時〔とき〕に
宇〔ウ〕士〔ジ〕多〔タ〕加〔カ〕禮〔レ〕斗〔ト〕呂〔ロ〕呂〔ロ〕岐〔ゲ〕弖〔テ〕[此十字以(レ)音]
頭〔みかしら〕には大雷〔おほいかづち〕居〔をり〕
胸〔みむね〕には火雷〔ほのいかづち〕居〔をり〕
腹〔みはら〕には黑雷〔くろいかづち〕居〔をり〕
陰〔みほと〕には拆雷〔さくいかづち〕居〔をり〕
左〔ひだり〕の手〔みて〕には若雷〔わきいかづち〕居〔をり〕
右〔みぎ〕の手〔みて〕には土雷〔つちいかづち〕居〔をり〕
左〔ひだり〕の足〔みあし〕には鳴雷〔なるいかづち〕居〔をり〕
右〔みぎ〕の足〔みあし〕には伏雷〔ふしいかづち〕居〔をり〕
幷〔あはせ〕て八〔やくさ/やつはしら〕の雷神〔いかづちがみ〕成〔なり〕居〔をり〕き。
於是伊邪那岐命見畏而逃還之時其妹伊邪那美命言
令見辱吾
即遣豫母都志許賣[此六字以音]令追
爾伊邪那岐命取黑御鬘投棄乃生蒲子
是摭食之間逃行猶追
亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引闕而投棄乃生笋
是拔食之間逃行
於是〔ここに〕伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕岐〔ギ〕の命〔みこと〕
見〔み〕畏〔かしこみ〕て逃還〔にげかへり〕ます時〔とき〕に其〔そ〕の妹〔いも〕
伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕美〔ミ〕の命〔みこと〕
吾〔あれ〕に令見辱〔はぢみせたまひつ〕。
と言〔まをし〕たまひて
即〔すなはち〕豫〔ヨ〕母〔モ〕都〔ツ〕志〔シ〕許〔コ〕賣〔メ〕[此六字以(レ)音]を遣〔つかはし〕て
令追〔おはしめ〕き。
爾〔かれ〕伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕岐〔ギ〕の命〔みこと〕
黑〔くろ〕御鬘〔みかづら/みづら〕を取とり〕て投棄〔なげうち〕たまひしかば
乃〔すなはち〕蒲子〔えびかづらの‐み/蒲子えび〕生〔なり〕き。
是〔こ〕を摭〔ひりひ〕食〔はむ〕間〔あひだ〕に逃行〔にげいで〕ますを猶〔なほ〕追〔おひ〕しかば
亦〔また〕其〔そ〕の右〔みぎ〕の御〔み〕美〔ミ〕豆〔ヅ〕良〔ラ〕に刺〔さされる〕
湯津津間櫛〔ゆつつまぐし〕を引闕〔ひきかき〕て投棄〔なげうち〕たまへば
乃〔すなはち〕笋〔たかむな〕生〔なりき〕。
是〔こ〕を拔〔ぬき〕食〔はむ〕間〔あひだ〕に逃行〔にげいで〕ましき。
且後者於其八雷神副千五百之黃泉軍令追
爾拔所御佩之十拳劒而
於後手布伎都都[此四字以音]逃來
猶追
‘到黃泉比良[此二字以音]坂之坂本時(到、寛本酉本小本作別、恐非)
取在其坂本桃子三箇‘待擊者悉‘迯返也(待、イ本作持。迯、寛本酉本卜本作坂)
爾伊邪那岐命‘告其桃子(告、中本作誥)
汝如助吾
於葦原中國
所‘有宇都志伎[‘此四字以音]靑人草之落苦瀨而(有、眞本无。[此]、イ本此上有[上]字)
患惚時可助
告賜‘名號意富加牟豆美命[自意至美以音](名號、此下或脱曰字)
且〔また〕後〔のち〕には其〔か〕の八〔やくさ〕の雷神〔いかづちがみ〕に
千五百〔ちいほ〕の黃泉〔よもつ〕軍〔いくさ〕を副〔そへ〕て令追〔おはしめ〕き。
爾〔かれ〕所御佩〔みはかせる〕十拳劒〔とつかのつるぎ〕を拔〔ぬき〕て
後手〔しりへで〕に布〔フ〕伎〔キ〕都〔ツ〕都〔ツ〕[此四字以(レ)音]逃來〔にげき〕ませるを
猶〔なほ〕追〔おひ〕て
黃泉〔よもつ〕比〔ヒ〕良〔ラ〕[此二字以(レ)音]坂〔さか〕の坂本〔さかもと〕に到〔いたる〕時〔とき〕に
其〔そ〕の坂本〔さかもと〕在〔なる〕桃〔もも〕の子〔み〕三箇〔みつ〕取〔とり〕て
待擊〔まちうけ〕たまひしかば悉〔ことごと〕迯返〔にげかへり〕き。
爾〔ここ〕に伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕岐〔ギ〕の命〔みこと〕
其〔‐〕桃子〔もも〕に告〔のりたまはく〕。
汝〔いまし〕吾〔あ〕を助〔たすけし〕が如〔ごと〕
葦原〔あしはら〕の中國〔なかつくに〕に所有〔あらゆる〕宇〔ウ〕都〔ツ〕志〔シ〕伎〔キ〕[此四字以(レ)音]
靑人草〔あを‐ひと‐くさ〕の苦瀨〔うきせ〕に落〔おち〕て
患惚〔くるしまむ〕時〔とき〕に可助〔たすけよ〕。
と告〔のりたまひ〕て
號〔‐〕意〔オ〕富〔ホ〕加〔カ〕牟〔ム〕豆〔ヅ〕美〔ミ〕の命〔みこと〕といふ名〔な〕を
賜〔たまひ〕き。[自(レ)意至(レ)美以(レ)音]
最後其妹伊邪那美命身自追來焉
爾千引石引塞其黃泉比良坂其石置中
各對立而度事戸之時
伊邪那美命言
愛我那勢命
爲如此者
汝國之人草一日絞殺千頭
爾伊邪那岐命詔
愛我那邇妹命
汝爲然者
吾一日立千五百產屋
是以一日必千人死一日必千五百人生也
故號其伊邪‘那美命謂黃泉津大神(那美、眞本閣本卜本寛本此下有神字、伊本旡)
亦云以其追斯伎斯[此三字以音]而‘號道敷大神(號、諸本作号)
亦所塞其黃泉坂之石者‘號道反大神
亦謂塞坐黃泉戸大神
故其所謂黃泉比良坂者今謂出雲國之伊賦夜坂也
最後〔いやはて〕に其〔そ〕の妹〔いも〕伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕美〔ミ〕の命〔みこと〕
身〔み〕自〔みづから〕追來〔おひき〕ましき。
爾〔すなはち〕千引石〔ちびきいは〕を其〔そ〕の黃泉〔よもつ〕比〔ヒ〕良〔ラ〕坂〔さか〕に引〔ひき〕塞〔さへ〕て
其〔そ〕の石〔いは〕を中〔なか〕に置〔おき〕て各對〔あひ‐むき〕立〔たたし〕て事戸〔ことど〕を度〔わたす〕時〔とき〕
伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕美〔ミ〕の命〔みこと〕言〔まをしたまはく〕
愛〔うつくしき/うるはしき〕我〔あ〕が那〔ナ〕勢〔セ〕の命〔みこと〕
如此〔かく〕爲〔したまはば/おぼさば〕
汝〔みまし〕の國〔くに〕の人草〔ひとくさ〕
一日〔ひとひ〕に千頭〔ちかしら〕絞〔くびり〕殺〔ころさん〕。
とまをしたまひき。
爾〔ここ〕に伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕岐〔ギ〕の命〔みこと〕詔〔のりたまはく〕
愛〔うつくしき/うるはしき〕我〔あ〕が那〔ナ〕邇〔ニ〕妹〔も〕の命〔みこと〕
汝〔みまし〕然〔しか〕爲〔し〕たまはば
吾〔あれ〕一日〔ひとひに〕千五百〔ちいほ〕產屋〔うぶや〕を立〔たててむ〕。
とのりたまひき。
是以〔ここをもちて〕一日〔ひとひ〕に必〔かならず〕千人〔ちひと〕死〔し〕に
一日〔ひとひ〕に必〔かならず〕千五百人〔ちいほひと〕をも生〔うまるる〕。
故〔かれ〕號〔‐/なづけたまひて〕其〔そ〕の伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕美〔ミ〕の命〔みこと〕を
黃泉津〔よもつ〕大神〔おほかみ〕と謂〔まをす〕。
亦〔また〕其〔か〕の追〔おひ〕斯〔シ〕伎〔キ〕斯〔シ〕[此三字以(レ)音]に以〔より〕て
道敷〔ちしき〕の大神〔おほかみ〕と號〔まをす〕とも云〔いへり〕。
亦〔また〕其〔そ〕の黃泉〔よも〕の坂〔さか〕に所塞〔さやれりし〕石〔いし〕は
道反〔ちがへし〕の大神〔おほかみ〕と號〔まをし〕
塞〔さやり〕坐〔ます〕黃泉戸〔よみど〕の大神〔おほかみ〕亦謂〔とも‐まをす〕。
故〔かれ〕其〔そ〕の所謂〔いはゆる〕黃泉〔よもつ〕比〔ヒ〕良〔ラ〕坂〔さか〕は
今〔いま〕出雲〔いづも〕の國〔くに〕の伊〔イ〕賦〔フ〕夜〔ヤ〕坂〔ざか〕とも謂〔いふ〕。
0コメント