古事記(國史大系版・上卷2・伊邪那岐命及び伊邪那美命1)
底本國史大系第七卷(古事記、舊事本紀、神道五部書、釋日本紀)
・底本奥書云、
明治三十一年七月三十日印刷
同年八月六日發行
發行者合名會社經濟雜誌社
・底本凡例云、
古事記は故伴信友山田以文山根輝實書大人が尾張國眞福寺本應永年間古寫の伊勢本他諸本を以て比校せしものを谷森善臣翁の更に增補校訂せる手校本二部及秘閣本等に據りて古訓古事記(宣長校本)に標注訂正を加へたり
且つ古事記傳(宣長記)の説を掲け欄外にはその卷數を加へて同書を讀まん人の便に供せり
(伊邪那岐命及伊邪那美命)
(傳五)
於是天神‘諸命以詔伊邪那岐命(諸、酉本寛本作誥)
伊邪那美命二柱神
修理固成是多陀用幣流之國
賜天沼矛而言依賜也
於是〔こゝに〕天神〔あまつかみ〕
諸命〔もろもろのみこと〕以〔も〕て
伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕岐〔ギ〕の命〔みこと〕
伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕美〔ミ〕の命〔みこと〕二柱神〔ふたはしらのかみ〕に
是〔この〕多〔タ〕陀〔ダ〕用〔ヨ〕幣〔へ〕流〔ル〕國〔くに〕を修理〔つくり〕固成〔かため〕なせ
と詔〔のりごち〕て
天沼矛〔あめのぬほこ〕を賜〔たまひ〕て言〔こと〕依〔よさし〕賜〔たまひ〕き。
故二柱神立[訓立云多多志]天浮橋而指下其沼矛以畫者
‘鹽許袁呂許袁呂邇[此七字以音]畫鳴[訓鳴云那志]而(鹽、閣本寛本作堛)
引上時自其矛末垂落‘之鹽累積成嶋(之鹽、宣長云、諸本作鹽之、今從一本)
是淤能‘碁呂嶋[自淤以下四字以音](碁、宣長云諸本作基、從下文及髙津宮段之御歌等作碁)
故〔かれ〕二柱神〔ふたはしらのかみ〕
天浮橋〔あめのうきはし〕に立[訓(レ)立云(二)多多志(一)]〔たゝし〕て
其〔そ〕の沼矛〔ぬほこ〕を指下〔さしおろし〕て以〔‐〕畫〔かき〕たまへば
鹽〔しほ〕許〔コ〕袁〔ヲ〕呂〔ロ〕許〔コ〕袁〔ヲ〕呂〔ロ〕邇〔ニ〕[此七字以(レ)音]
畫〔かき〕鳴〔なし〕[訓(レ)鳴云(二)那志(一)]て引上〔ひきあげ〕たまふ時〔とき〕に
其〔そ〕の矛末〔ほこのさき〕より垂落〔したべる/したりおつる鹽〔しほ〕累積〔つもり/かさなりつもり〕て
嶋〔しま〕と成〔なる〕。
是〔これ〕淤〔オ〕能〔ノ〕碁〔ゴ〕呂〔ロ〕嶋〔しま〕なり。[自(レ)淤以下四字以(レ)音]
於其嶋天降坐而見立天之御柱見立八尋殿
其〔そ〕の嶋〔しま〕に天降坐〔あもりまし〕て
天之御柱〔あめのみはしら〕を見立〔みたて〕
八尋殿〔やひろどの〕を見立〔みたて〕たまひき。
於是問其妹伊邪那美命曰
汝身者如何成
‘答曰(答曰、伊本作答白、下同)
吾身者成成不成合處一處在
爾伊邪那岐命詔
我身者成成而成餘處一處在
故以此吾身成餘處
刺塞汝身不成合處而
以‘爲生成‘國土奈何[訓生云宇牟、下效此]
(爲、宣長云此上眞本有以字、諸本皆旡、今從諸本。國土、諸本此下有生字、恐衍)
伊邪那美命答曰
然善
爾伊邪那岐命詔
然者吾與汝行廻逢是天之御柱而
爲美斗能麻具波比[此七字以音]
於是〔こゝに〕其〔そ〕の妹〔いも〕伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕美〔ミ〕の命〔みこと〕に
汝〔な〕が身〔み〕は如何〔いか〕に成〔なれる〕。
と問曰〔とひ〕たまへば
吾〔あ〕が身〔み〕は成成〔なりなり〕て不成合〔なりあはざる〕處〔ところ〕一處〔ひとところ〕在〔あり〕。
と答曰〔まをし〕たまひき。
爾〔ここ〕に伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕岐〔ギ〕の命〔みこと〕詔〔のりたまひつらく〕
我〔あ〕が身〔み〕は成成〔なりなり〕て成餘〔なりあまれる〕處〔ところ〕一處〔ひとところ〕在〔あり〕。
故〔かれ〕以〔‐〕此〔こ〕の吾身〔あがみ〕の成餘處〔なりあまれるところ〕を
汝身〔ながみ〕の不成合〔なりあはざる〕處〔ところ〕に刺〔さし〕塞〔ふたぎ〕て
以(‐)國土〔くに〕生〔うみ〕成〔なさむ〕と爲〔おもふ〕は奈何〔いかに〕。[訓生云(二)宇牟(一)、下效(レ)此]
とのりたまへば伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕美〔ミ〕の命〔みこと〕
然善〔しかよけむ〕。
と答曰〔まをし〕たまひき。
爾〔こゝに/すなはち〕伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕岐〔ギ〕の命〔みこと〕
然〔しから〕ば吾〔あ〕と汝〔な〕と是〔こ〕の天之御柱〔あめのみはしら〕を行廻逢〔ゆきめぐりあひ〕て
美〔ミ〕斗〔ト〕能〔ノ〕麻〔マ〕具〔グ〕波〔ハ〕比〔ヒ〕[此七字以(レ)音]爲〔せな〕
と詔〔のり〕たまひき。
如此‘云期乃詔(云、宣長云諸本作之、今從延隹説改正)
汝者自右迴逢
我者自左迴逢
‘約竟迴時伊邪那美命先言(約、伊本旡)
阿那邇夜志愛[上]袁登古袁[此十字以音、下效此]
‘後伊邪那岐命言(後以下十八字、伊本眞本闕)
阿那邇夜志愛[上]袁登賣袁
各言竟之後告其妹‘曰(曰、イ本及神祇本源所引作因)
女人先言不良
雖然久美度邇[此四字以音]興而生子水蛭子
此子者入葦船而流去
次生淡嶋
是亦不入子之例
如此〔かく〕云〔いひ〕期〔ちぎり〕て乃〔すなはち〕
汝〔な〕は右〔みぎり〕より迴〔めぐり〕て逢〔あへ〕。
我〔あ〕は左〔ひだり〕より迴〔めぐり〕て逢〔あはむ〕。
と詔〔のり〕たまひ約竟〔ちぎりをへ〕て迴〔めぐり〕ます時〔とき〕に
伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕美〔ミ〕の命〔みこと〕先〔まづ〕
阿〔ア〕那〔ナ〕邇〔ニ〕夜〔ヤ〕志〔シ〕愛〔エ〕[上]袁〔ヲ〕登〔ト〕古〔コ〕袁〔ヲ〕。
[此十字以(レ)音、下效(レ)此]
と言〔のり〕たまひ後〔のち〕に
伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕岐〔ギ〕の命〔みこと〕
阿〔ア〕那〔ナ〕邇〔ニ〕夜〔ヤ〕志〔シ〕愛〔エ〕[上]袁〔ヲ〕登〔ト〕賣〔メ〕袁〔ヲ〕。
と言〔のり〕たまひ各〔おのおの〕言竟〔のりたまひをへ〕て後〔のち〕に
其〔そ〕の妹〔いも〕に
女人〔をみな〕先言〔こと‐さきだちて/さいだつこと〕不良〔ふさはず/さがなし〕。
と告曰〔のり〕たまひき。
雖然〔しかれども〕久〔ク〕美〔ミ〕度〔ド〕邇(ニ)[此四字以(レ)音]興〔おこし〕て
子〔みこ〕水蛭子〔ひるご〕を生〔うみ〕たまひき。
此〔こ〕の子〔みこ〕は葦船〔あしぶね〕に入〔いれ〕て流去〔ながし‐すつ/はなちやりき〕。
次〔つぎ〕に淡嶋〔あはしま〕を生〔うみ〕たまひき。
是亦〔こも〕子〔みこ〕の例〔かず〕には不入〔いらず〕。
於是二柱神議云
今吾所生之子不良
猶宜白天神之御所
即共參上請天神之命
爾天神之‘命以布斗麻邇爾[上此五字以音]ト相而詔之(命以、神祇本源作令以)
‘因女先言而不良(因、諸本作曰)
亦還降改言
於是〔ここに〕二柱神〔ふたはしらのかみ〕議云〔はかりたまひつらく〕
今〔いま〕吾〔あ〕が所生〔うめりし/うめる〕子〔みこ〕は不良〔ふさはず〕。
猶〔なほ〕天神之御所〔あまつかみのみもと〕に宣白〔まをすべし〕。
とのりたまひて即〔すなはち〕共參上〔ともにまゐのぼり〕て天神之命〔あまつかみのみこと〕を請〔こひ〕たまひき。
爾〔ここ〕に天神之命〔あまつかみのみこと〕
以〔もち〕て布〔フ〕斗〔ト〕麻〔マ〕邇〔ニ〕爾〔ニ〕[上此五字以(レ)音]ト相〔うらへ〕て
詔之〔のりたまひつらく〕
女〔をみな〕先言〔ことさきだちし〕に因〔より〕て不良〔ふさはず〕。
亦〔また〕還降〔かへりくだり〕て改言〔あらためいへ〕。
とのりたまひき。
(傳五)
故爾‘反降(反、眞本旡、伊本及神祇本源作返)
更往廻其天之御柱如先
於是伊邪那岐命先言
阿那邇夜志愛袁登賣袁
後妹伊邪那美命言
阿那邇夜志愛袁登古袁
如此言竟而御合生子
淡道‘之穗之‘狹別嶋[訓別云和氣下效此](之種、イ本作三穗。狹、伊本无、酉本作使、眞本作俠)
次生伊‘豫之二名嶋
此嶋者身一而有面四毎面有名故
伊‘豫國謂愛[上]比賣[此三字以音下效此也](豫、元々集作與)
讚岐國謂飯依比古
粟國謂大宜都比賣[此四字以音]
土左國謂‘建依別(建依別、舊紀‘建作速)
次生隱伎之三子嶋
‘亦名天之忍許呂別[許呂二字以音](亦名、此下恐脱謂字)
次生筑紫嶋
此嶋亦身一而有面四毎面有名故
筑紫國謂白日別
豐國謂豐日別
‘肥國謂建日向日豐久士比泥別[自久至泥以音]
(肥國云々、賀茂本作肥國謂速日別日向國豐久士比泥別十六字元々集亦肥日向爲二國、恐非是、
今從眞本及神祇本源、按播磨風土記有難波高津宮御宇天皇(仁德)御世日向肥人朝戸君、異本據舊紀爲二國盖亦誤矣)
熊曾國謂建日別[曾字以音]
次生伊伎嶋
亦名謂天比登都柱[自比至都以音訓天如天]
次生津嶋
亦名謂天之狹手依比賣
次生佐度嶋
次生大倭豐秋津嶋
亦名謂天御虛空豐秋津根別
故因此八嶋先所生謂大八嶋國
故〔かれ〕爾〔すなはち〕反降〔かへりくだり〕まして
更〔さら〕に其〔か〕の天之御柱〔あめのみはしら〕を如先〔さきのごと〕往〔ゆき〕廻〔めぐり〕たまひき。
於是〔こゝに〕伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕岐〔ギ〕の命〔みこと〕先〔まづ〕
阿〔ア〕那〔ナ〕邇〔ニ〕夜〔ヤ〕志〔シ〕愛〔エ〕袁〔ヲ〕登〔ト〕賣〔メ〕袁〔ヲ〕
と言〔のり〕たまひ後〔のち〕に
妹〔いも〕伊〔イ〕邪〔ザ〕那〔ナ〕美〔ミ〕の命〔みこと〕言〔‐〕
阿〔ア〕那〔ナ〕邇〔ニ〕夜〔ヤ〕志〔シ〕愛〔エ〕袁〔ヲ〕登〔ト〕古〔コ〕袁〔ヲ〕
如此〔かく〕言竟〔のりたまひをへ〕て御合〔みあひ〕まして
子〔みこ〕淡道〔あはぢ〕の穗〔ほ〕の狹別嶋〔さわけのしま〕を生〔うみ〕たまひき。[訓別云(二)和氣(一)、下效(レ)此]
次〔つぎ〕に伊‘豫〔いよ〕の二名嶋〔ふたなのしま〕を生〔うみ〕たまひき。
此〔こ〕の嶋〔しま〕は身〔み〕一〔ひとつ〕にして面〔おも〕四〔よつ〕有〔あり〕。
毎面〔おもごと〕に名〔な〕有〔あり〕。故〔かれ〕
伊豫國〔いよのくに〕を愛〔エ〕[上]比〔ヒ〕賣〔メ〕[此三字以(レ)音、下效此(レ)也]と謂〔いひ〕
讚岐國〔さぬきのくに〕を飯依〔いひより〕比〔ヒ〕古〔コ〕と謂〔いひ〕
粟國〔あはのくに〕を大〔おほ〕宜〔ゲ〕都〔ツ〕比〔ヒ〕賣〔メ〕[此四字以(レ)音]と謂〔いひ〕
土左國〔とさのくに〕を建依別〔たけよりわけ〕と謂〔いふ〕。
次〔つぎ〕に隱伎〔おき〕の三子嶋〔みつごのしま〕を生〔うみ〕たまふ。
亦〔また〕の名〔な〕は天〔あめ〕の忍〔おし〕許〔コ〕呂〔ロ〕別〔わけ〕。[許呂二字以(レ)音]
次〔つぎ〕に筑紫嶋〔つくしのしま〕を生〔うみ〕たまふ。
此〔こ〕の嶋〔しま〕も亦〔また〕身〔み〕一〔ひとつ〕にして面〔おも〕四〔よつ〕有〔あり〕。
毎面〔おもごと〕に名〔な〕有〔あり〕。故〔かれ〕
筑紫國〔つくしのくに〕を白日別〔しらびわけ〕と謂〔いひ〕
豐國〔とよくに〕を豐日別〔とよびわけ〕と謂〔いひ〕
肥國〔ひのくに〕を建〔たけ〕日向〔ひむか〕日豐〔ひとよ〕久〔ク〕士〔シ〕比〔ヒ〕泥〔ネ〕別〔わけ〕と謂〔いひ〕。
[自(レ)久至(レ)泥以(レ)音]
熊〔くま〕曾〔ソ〕の國〔くに〕を建日別〔たけびわけ〕[曾字以(レ)音]と謂〔いふ〕。
次〔つぎ〕に伊伎嶋〔いきのしま〕を生〔うみ〕たまふ。
亦〔また〕の名〔な〕は天〔あめ〕比〔ヒ〕登〔ト〕都〔ツ〕柱〔ばしら〕[自(レ)比至(レ)都以(レ)音、訓(レ)天如(レ)天]と謂〔いふ〕。
次〔つぎ〕に津嶋〔つしま〕を生〔うみ〕たまふ。
亦〔また〕の名〔な〕は天〔あめ〕の狹手依〔さでより〕比〔ヒ〕賣〔メ〕と謂〔いふ〕。
次〔つぎ〕に佐度嶋〔さどのしま〕を生〔うみ〕たまふ。
次〔つぎ〕に大倭〔おほやまと〕豐〔とよ〕秋津嶋〔あきづしま〕を生〔うみ〕たまふ。
亦〔また〕の名〔な〕は天〔あめ〕の御虛空〔みそら〕豐〔とよ〕秋津根別〔あきづねわけ〕と謂〔いふ〕。
故〔かれ〕此〔こ〕の八嶋〔やしま〕先〔まづ〕所生〔うみませる〕くになるに因〔より〕て
大八嶋國〔おほやしまのくに〕と謂〔いふ〕。
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