修羅ら沙羅さら。——小説。76
以下、一部に暴力的な描写を含みます。
ご了承の上、お読みすすめください。
修羅ら沙羅さら
一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部
夷族第四
ゴックが両腕を広げた儘、不意に壬生を抱きしめようとしたのを壬生は見た。壬生の目は見ていた。ゴックの唇がすでに口附けを準備して擴げられかゝっていたのを、そして、壬生は事態を認識する前にはすでに笑っていた。聲を立てゝ壬生は躰をかわした。あやうくすれちがったゴックは、飛び上がりさえしない出來損ないの鳥か蝶かの羽根か翅かをも想わせてその手を、——何してるの?
壬生は云った。笑いながら、
——なに?
返り見たゴックの目に表情はなかった。唇はなにかの言葉をさゝやきかけてすでに忘れて仕舞っていたに違いなく壬生には想われた。たゞ薄く、唇はひらかれていた。須臾に眉間を顰めさせ、ゴックは壬生の目に泣きそうな壬生の顏を見せた。
——なに?
壬生が、もはや嘲るように大聲に云い、
——何してるの?
逃げまどい、立ち盡くして茫然としたゴックを取り圍むようにその周囲を廻った。ゴックは壬生にもはや知性のかけらだにも感じさせなかった眼差しを剝いて、自分を廻る壬生を見、見、頸を巡らして見、見、反對を振り向いて見、見、のけぞるようにして見、見、あわてて躰をひっくり返そうとしてよろめいたさなかに返り見て見、見、つまづきかけて見、見、壬生にすがろうとして見、見、壬生は身をのけぞらして數步だけ逃げ、聲に笑い、あくまでからかうように笑い、何度目かに逃げ、又遁れ、ゴックの眉がわなゝいたのを見た。それ、左右別々にわなゝくのを壬生は久生さえ、と。
久生さえ今のあなたのように
あなたのように——久生さえ、と
知性の欠片だにないものたち。その瞬間、その瞬間ら
壬生は、おいつめられたように、久生さえ、と
今のあなたのように、追い詰めらえた、と
知性の欠片だにないものたち。その瞬間、そのもろもろの瞬間ら
久生さえ、——まなざしを、と
おいつめられた眼差しを、と、久生さえ、と
さらさなかった、久生さえ、と、あなたのように
知性の欠片だにないものたち。その瞬間、そのさまざまの瞬間ら
いまの、久生さえ、と、おいつめられた、あなたのように、と叫ぶように大声で一度笑った壬生は部屋から逃げ出し、…知らない。
想う。
あなたは。と
誰も知らない、と
知性とは?
笑ってるんだよ
泣いてないよ、と
知性とは?
笑ってるんだよ
ゴックは、哀しんでないよ、と
笑ってるんだよ
知性とは?
苦しんでないよ、と、ゴックは、…笑ってるんだよ
いま、わたしは。
と
…知らないの?
心にさゝやく。かくて偈に頌して曰く
知りたいの?
土砂降りの中に
雪菜は云った
激怒しながら
わたしがどんなふうに
…激怒?
わたしがどこで
眼差しにだけ
どんなふうに
わたしはひとりで
どんなふうで
忿怒しながら
どんなふうだったか
雨の中で
知りたいの?
その雨、なつかしい
わたしのそれを
土の匂いを、土など何も
店の客にするように
どこにも土などありもしないアスファルトに
自分からして
なつかしい土の
途中で飽きて
雨に濡れた匂いがしたのを
離した唇が唾液を引く
私の鼻は
敎えない
感じ取っていたのだった
雪菜は云って
殴った
ひとりで笑った
どしゃぶりの雨の中で
問いかけも、なにも
久生を
何も聞きたゞしもしなかったその時に
わたしの激怒
ひとりで雪菜は私を拒絶した
激怒?
敎えてあげる
ひとりでむしろ
海の近くで生まれた
あめつぶのあたたかい温度を
教えてあげる
恠しみながら?
父親と母親が居た
代々木の町で
教えてあげる
逃げ出した久生
十三歳から家出した
その雨の日に
敎えてあげる
逃げ出すなど?
何度も捉まって、家に戻された
渚がその
教えてあげる
春休みの日に
仕方ないから、もっと遠くに
私に云った
敎えてあげる
十二歳の私に
ハイビスカスの花…十五歳の時に
代々木へきて、まだ
教えてあげる
一か月もたたないときに
家出した。…んだ。…よ、…ね?
名目だけの卒業
教えてあげる
転校し
両親のお金、…咲き乱れた植栽の、ハイビスカスの。——お金、結構盗んじゃって
場所を変え
教えてあげる
名前は替えはしなかった
財布から
恵美子はもはや
敎えてあげる
鳴きもせずに
お母さんの、あんま金ない財布の中からだけだよ(…あいつらがめついから。)
大丈夫だ、と
教えてあげる
その唇に
新幹線に乘ったんだよ
ひとりで何度も繰り返したのだった
教えてあげる
おののくように
富士山は見なかった…かな?
おびえるように
教えてあげる
渚は云った
何処にあるか(…あれ、静岡?)知らなかったから(…あれ、右?左?)
わたしの耳元に
敎えてあげる
その無辜に
東京に(…パラダイス・シティ的な)來た
自分の高揚した眼差しの熱を
教えてあげる
擦り付けて仕舞うかのように
知ってた…もう
泣き声で?
教えてあげる
いないんだよ
わたし、すでに、もう、(きれいじゃない?…わたし)…裸になれば…さ
おかあさん、…ね
教えてあげる
いないの…どこ?
知ってた
知ってる?
教えてあげる
どこ?
飢えて死にはしない。(…わたし)…じゃない?——それ
知ってる?
聞きたくない、と
どこにいるの?
言った不意の私に、雪菜は
久生がわたしたちに
自分が今こそ罵られ
与えられた部屋を出て行ったことは知っていた
自分が今こそ虐げられ
今日は病院へ行く日ではない
自分が今こそ折檻された
東京の病院はいいと
その事實をまさに知った
隆俊はいった
そんなおいつめられた眼差しでわたしを
久生がひとりで
見た
部屋を出たのは知っていた
敎えたげるよ
どこへ?
わたしは見た
この雨に?
出口も、入り口も
どこ?
わかんなくて…どこに
此の雨の日
どこにあるんか…
降りしきる雨の、春の
じゃない?
雨の日に
どこにあるのか判らない駅の中を、さ
郁美も和美も
わたしは聞いた
まるで自分が
忍び込むように
なにもしらないような顏で見ていた
忍び込んで
わたしと渚を
忍び込むように
事実なにも見なかった
入った駅のトイレで
事實なにも知らなかった
わたしは聞いた
郁美も和美も
女ふたり
なにも、すこしも、なにもしらない顏をした
聲…ね?
渚の聲に
女ふたり
追い立てられるように
聲…ね?
久生を案じた
連れ立って入ったらしいんだけど。(たぶんね)——年上。(あきらかにね)
一途な聲に
すっごい、年上
追い立てられるように
若いけど(…わたし的に年增じゃん?)
苛まれるように
聲…ね?
突き刺され
おんなふたりの聲
差しぬかれ
聞いた。わたし、…
生きた儘に附けられた
その聲が、なにを
炎に焼かれるかのように
なに?
わたしはとびだし雨に打たれた
もうなにを
一瞬だけ
なに?
久生をさがし
はなしてたのか、それってさ
失踪の
その聲がなにを
母を探し、さがしもとめて
それってさ
わたしはひとり土砂降りの雨に
なに?
雨に打たれた
忘れるじゃん
一瞬だけ
忘れちゃったけど
久生はマンションの
聲…ね?
オートロックの向こうに胡坐をかいて座っていた
わたしは聞いた
雨の中で
その聲だけ、はっきり擴えてるよ
ふりしきる
聲、…ね?(ひゞく)
透明な、白い
わたしね、(いまでもみゝに…)わたしね、わたしったらね?
白濁の雨の
覺えてるよ
雨の中に
忘れられない——忘れようとしても、(いまもなおも…)忘れたいのに…忘れらない、ん、じゃ、なくてさ
どこへも行けるはずはなかった
…ね?
轟音の中で
なんか忘れてない忘れられない何かって
どこへも行けるはずはなかった
聲…ね?
轟音の中で
綺麗な聲だったな
雨の、叩きつける
年増だけど
春の轟音の中で
すっごく澄んでゝ
花散らし?
年增だけど
櫻は蕾み
なんか、きれえ…
声をたてて
性格惡そう
わたしはわらった
きれーで、きれえー…
ただ
年增だけどさ
私の心の
綺麗な…穢れの無い…若干莫迦そうな?
心の中でだけ
二十歳越えたくらい?
聲を立てた
聲…ね?
喉が
大學生じゃない?
嘆息?
東京の人って、こんなふうに聲だすんだあって、思ったわたしは
安堵?
見た
憎悪?
ようやくに出たその地上に
怒り?
ようやくに降りたその地上に
歓喜?
新宿の、南口の風景を(おおきい、おおきい、おおきな町)…さがした
失望?
寢るとこないから
絶望?
さがした(みあげる、みあげる、おおきなビルたち)
なんだったのだろう?
どうやって?
濁音付きの
…って
ながい、いの音
べつになんの知識もないし
わたしは聞いた
べつになんの情報もないし
私の喉が
お金だって何もないしさ(マッチはいかゞ?)
たてたその音を
新幹線代、高いから
わたしの耳は
お金だって(きれいな、きれいな、じゃっかん臭い町)何もないしさ
聞いていた。その
綺麗じゃない?
濁音のい音と
わたし(なんか、場違いなとこにいる感じ、125%…)
雨の轟音、いま
びっくりするくらい
わたしは濁音で
夢で見たホントの現実の夢
言葉なき聲で
綺麗じゃない?
ながく
わたしさ、
長く
だから買って。お願い、(マッチはいかが?)だれか…
ささやいた。…と
びっくりするくらい、綺麗じゃない?
そう思った時にはすでに
わたしってさ、
わたしは久生を殴打した
お願い、だれか、(東京って意外に綠り、多いよね?)誰かわたしを
雨の中で
びっくりするくらい、(…普通に草生えてない?笑う…)綺麗じゃない?
誰も人は通らなかった
救って!…わたしを
雨だから?
金ないんだよね(マッチは、…マッチは)
とおりすぎる車
救って!(ぜんぶ、すでに、もえつきた。)…わたしを
引き飛ばした水たまりの
寢るとこ、(じゃっかんだけ臭い町)ないんだよね
濁った水の
救って!…わたしを
飛び散って
なんかもう、(あれ、なんの匂いなの?)やばい
もはや濁った色さえもない
救って!…わたしを
その飛沫の群れ
すでに暇すぎて、もう(…わきがっぽ。)…わたし
わたしは殴った
綺麗じゃない?
久生を
びっくりするくらい、だから救いなさい、わたしを
雨の中で
とりあえず未來がないんです。だから救いなさい、わたしを
蹴った
過去も捨てたんです。さよなら
髪の毛をひっつかみ
さよならクッソつまんない灰色の
わたしは久生を
灰色でさえない苦痛の日常だから救いなさい、(…ひかり)わたしを
足元に
今さえ生きられないわたしをだから(…逆光の中に)救いなさい、わたしを
立つ声がある
金落としてって。せめて(ビルの窓ガラスがいっぱい、いっぱい、反射した)
すべての音に
ちょっとでいいよ、もう、せめて
濁音をつけた
金くらい、せめて
その唇以外
疲れたよ、もう
人の唇が
ずっと歩いて、(もうぜんぶ、マッチさえ)疲れたよ
いちども触れはしなかった
もう
そんな濁音
どこなんだよ
わたしは殴り
なに?
わたしはあららぐ
ここはどこ?
わたしは蹴って
かゆくなる
わたしはあららぐ
ここはどこ?
あららぐ肉体と
肌の下さえかゆくなる
肉体の発熱に
何処へ行くの?
わたしはわたしの
あたまのなかさえ
すさまじい弱小を知った
何處へ行けるの?
雨の飛沫が
かゆくなる。目の内側さえ
顔をふたたび濡らした時に、——なにしてるの?
明日はどこ?
背後に女の声がした
かゆくなる。お腹の中
とおりすがりの、六十代の?
どこにわたしはいるのだろう?
女はわたしを正面に見ていた
内臓の中さえ
母親なんです。わたしはささやき
今日はどこ?…どこで?
鳴いてるじゃない
かゆくなる。汗ばんだ肌が、そして
女は云った。——やめたげなさいよ…
どこで今日は、ねればいゝの?
顧みた
吐く息さえかゆくなった。——その二月
アスファルトの上に
卒業式前の、二月…ね
大股を広げた久生が
遲生まれだからさ…十五になったばかりじゃない?
大口をあけて
でもさ
目を剝いて
雪菜は云った——綺麗じゃない?
降る雨を飲んでいた。…どこに?
わたしってさ、だから、アルタも何も通り過ぎて、なんか変なビルの谷間に入ったなって
鳴いていた?
想ったらお水のひとが
どこに淚が?
スカウトしてくれたわたしのラッキー
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