修羅ら沙羅さら。——小説。71
以下、一部に暴力的な描写を含みます。
ご了承の上、お読みすすめください。
修羅ら沙羅さら
一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部
夷族第四
ベランダで、ゴックは不意に思い出す、吐いた…と、どこへ?
その目。
壬生の、自分を見て、あるいは案じ、あるいは愛おしみ、あるいはなつくしみさえし、あるいは鮮明にも恠しみ、いぶかり、危ぶんだ、その目を、と、まさにその時にゴックは不意に思い出した、吐いた…と、どこへ?…と、手摺りの向こう、身をのぞきこませた向こうに、…と。
思いだしていた。触れていた、と、
その先端が
葉の、と
鐵の
かたちづくった葉
その葉
葉が太ももに
こすれるようにふれていた、と、
その先端が
蔦の、と
鐵の
たれるおちるような曲線の蔦
その温度
蔦の日の光の熱のある表の温度
裏の翳の、冷たい、と
蔦が太ももと脇腹
まさに脇腹にも
おしつけるように触れていた、と、
その先端が
花の、と
鐵の
描き出した花…何の?
蓮?
その蓮華?
花が太ももに、脇腹に、時にのけぞり、時におしつけた胸に、腹の正面にも
こすれるように、おしつけ
なでるように
なぶるように
つきさすようにも、と、その向こうへ
どこへ?
と、ゴックが思わずに空の方、ベランダの手すりのその葉、葉と蔦、蔦、蔦と花、花、花と葉、まさに鐵の葉、蔦、花ゆゑに鐵の葉ら蔦ら花らのほうに踵をすべらせるように返り向きかけたときに失った、と。
壬生は思った。あなたは、と。
いまゝさに
氣を失い失神した。
いま、まさに、と、壬生は思っていた、そのうしろ向きに倒れ掛かったゴックを腕に抱き止めながら、——わたし、と。
ゴックは
Em…
と
ベトナム語で。日本語でささやいたあとに我に返ってEm…と、そして言い直す——わたし、と。
その時にゴックはすでに自分が、唇になにをささやこうとしていたのかさえも忘れ壬生は嗅いだ。その髪の匂い。胸に押し付けられた頭の重さの、その上に、頸と顎にまでへばりついたその濡れた髪の、かくて偈に頌して曰く
そのかたち
あるいは彼こそは
匂いさえ
ともだち?
腐った
大津寄こそは
肉の腐った
わたしの?
匂いさえ
あるいはもっとも親しい友達だったに違いなかった
骨
知恵遅れ、と
骨髓さえ
当時の言葉で彼は謂われた
それさえ腐ったような
今やその音にして五字、それ
その匂い
音にしてひとつの無聲音を含む五字、それ
その匂いさえ
それは差別用語として
その色
忌まれていたに違いない
そのかたちに
あの遠い北の島國
あざやかな色
その言語の本拠地で
かれら
幼い時
死者たち
十二歳のころまで
その翳り
知惠遅れの少年と少女は
翳りの死者たち
だれにも慈しまれるの倫理だった
肉と肉の
だれもが
隙間にも吹き出し
その幼い目で
零れだす様に
決して自分と同じくは感じず
内臓の色
決して自分と等しくは區分しない彼等を
その匂い
故に慈しんだ
翳りの死者たち
後に知る
鉄の葉に
その同じ少女が
鐵の花、鉄の
中學に入った同じ十二歳の時に
葉と蔦に
あるいは一部十三になった冬の後の春に
その投げ落とした
誰もが見た
コンクリートの翳りにも
その同じ少女が
その死者たち
同じわたしたちに排斥されるのを
翳りの死者たち
まるでそれが
貪るように
あるべき倫理か作法のように
貪りの影も
ふたりいた
その匂いも
ひとりは少女
その気配だになく
ひとりは少年
赤裸々に
ひとりは後藤霞見と名づけられ
貪るものたち
一人は大津寄稚彦と名づけられた
翳りの未生者たち
義務敎育の中学に
玉散る血が
あくまで別枠で籍を置きながら
空中に泳いだ
霞見は昨日までと違う少年たちと
翳りの現生者たち
少女と少女達と
久生に違いなかった
少女達と少年のまなざしを
いままさに
見ていたに違いない
目の迄
まるで倫理のように
見たことも無い幼兒に
まるで作法のように
咬まれ
あなたはわたしと同じではないと
喰い千切られた
あなたはわたしに交わる權利はないと
腸が舞う
まるで倫理のように
翳りの死者たち
まるで作法のように
死んで猶
あなたはむしろあやういと
滅び盡きもしない
あなたはむしろなにをしでかすかもわからないと
翳りの死者たち
まるで倫理のように
あなたに話そう
まるで作法のように
まさにあなたの爲に話そう
稚彦はその目に觸れなかった
喰う
すでに
わたしは食った
十二歳で彼は死んでいたから
ベランダの鐵
なぜ親しんだのだろう?
その花、その
まさに、久生と同じだと思っていたから?
葉と蔦、その
わたしにとって
蔦に花…それら
久生の見ている風景の
照る白濁
峻烈さにかれらの風景は
翳る白の
及ばなかった
白い靑み
わたしにとって
翳りの死者たち
久生の見せた風景の
わたしは鉄の花と葉と蔦に
峻烈さに彼等の見せた風景は
かたちをつぶして
及ばなかった
変形された
慰めるように
硬さの欠けたその骨を
誰を?
さらけ出しながら
慰め合うように?
わたしは喰う
彼を?
みずからの
慰めるように
眼球?
どうして?
肛門に?
なにを以て?
頭部の先の不意の開口
何から?
そこに芽生えた
慰めるようにわたしは
十四個目の眼球
十一歳の時にも
喰う
彼を慈しんだ。まさに友人として
見た
家がすぐちかくだったから?
まさに歯に
かけがえも無い、まさに友人として
喰い千切られて
恵美子と稚彦の両親が親しかったから?
咬みつぶされながら
かけがえも無い、まさに友人として
眼球は見た
うまれてはじめて、たぶん、はじめて
あなたに話そう
家の外に見た同じ年頃の生き物だったから?
まさに
かけがえも無い、まさに友人として
あなたの爲に話そう
一人子で、わたしは、そして
奇形にて
彼にはひとりの兄と、ひとりの妹が
奇形に過ぎない
かけがえも無い、まさに友人として
変形のかたち
十一歳の時
肉と肉
わたしの家の庭に遊んだ
骨と骨が
稚彦と
互いに擬態した
その妹
互いの歯で
名前は寶珠、と
喰い千切るたびに
そのままほうじゅと讀む
鼻に立ち
九歳の彼女と
鼻に匂う
わたしの家の庭に遊んだ
その惡臭をかぐ
何をして?
わたしは見ていた
記憶にはなかった
喰い千切られる
何をして?
その眼球を
その記憶の
わたしを見る
途切れめに鮮明に
その眼球を
あざやかな蝶
變形した
色は?
ななめにねじれた
記憶になかった
その眼球は
色は?
押しつぶす
その記憶の
腸のさらした歯の
途切れめに鮮明に
無數に
食べられるかな?
咬みつぶされるまで
寶珠がいった
私を見
戯れて
咬みつぶされても
おそらくは
私を見
こゝろにもないその言葉を
さゝやく
食べらえるかな?
聲も
なに?
ない儘に
蝶、…ね
ささやく
寶珠はまさに私の顏を
あなたに話そう
その目を見て
まさに
彼女は云った
あなたの爲にだけ
蝶って食べれるんだよ
あなたに話そう
さゝやいた?
その花
つぶやいた?
鉄の花
わめいた?
蓮の花?
それともふつうに?
その色
私は云った
ペンキの
おいしいんだよ
日の焼いた
その瞬間に
もはや
寶珠は聲をあらゝげ
黄土色がかった
嘘
その花の白
叫んだ
玉散った
なんで?
腐った血がさまざまに
と
重力をなど
嘘
知らない儘に
と
玉散った
なんで?
まさに漂う
流した目の先に
腐った血
日を翳らせた
轟音
庇のおとした
思いだす
靑みのなかに
私を見る
地のすれすれに
喰い盡された
蝶は飛んだ
久生の翳りの
背後に私は
その眼窩の空洞に
唐突に擧げた
八歳のとき?
稚彦の笑った聲を聞いた
振り向きざまに
そのわたしと
振り返ったそこに
又はその寶珠と
おともなく
又はそのわたしと寶珠もろともに
立っていた久生は
何の關りも無く
聲もたてずに
関わり獲る可能性だに
私を見て
なにもない
あきらかに笑んだ
稚彦の他人の
かすかな微妙な
笑い聲を聞き、うつくしい
ほほえみに
美しい少年
あきらかに笑んだ
だれもがすれちがいざまに
そのときまさに
稀に見る痛々しいほどの美しさの
わたしは彼女を愛して?
少年を
愛?
口を開けば
いずれにせよ
濁音に音にのみわめく
あたたかな
美しい少年を
やさしい思いの中に
だれもが
私を見ていた
おとなたちは
その双渺は
だれもが
その懷いた
彼を振り向き見た。匂っていた
思いの形は
鼻の至近に
なにも
おさない寶珠の
いかにも
乳幼児の肌じみた
兆しさえしないで
粉ミルクめいた臭氣が立って
彼女は笑んだ
鼻は嗅ぎ取り
手を伸ばせば
姿を見せずに
八歳の?
頭のうえで
幼い手さえ
稚彦は笑った
届くその距離に
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