修羅ら沙羅さら。——小説。70


以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上、お読みすすめください。


修羅ら沙羅さら

一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部

夷族第四



壬生は窓のサッシュに背を預け、むしろ目を閉じていた。或いはなにをも、もう、みたくもないと思ったわけでもなくに背を伸   ばす。ゴックは背を伸ばし、自分がすでに吐き終えた、ないし、つわりの発作を一時終えたことには気づいていた。ゴックは感じた。自分の唇が、あるいは口の中が、いまだ吐き出そうと時に發作的に嘔吐の味を感じはじめる、その微弱にざわめく、さざめくような、何も見ないわけじゃない。

壬生はそう思った。何も見ようとしないわけじゃない、と、ただ、あまりにも光が、と、あまりに光こそが、と、あふれ、あふれかえり、横溢し、氾濫し、赤裸々に、もはや恥知らずなほどにも赤裸々に、と。そして眩む。光の中で、まさに昏む、と、息遣い。ゴックはゆっくりと、呼吸を整えるように息づかい、自分の耳に、軈て整うととのいかけの呼吸の音を聞き、聞き取りながら、うれしい?…と。

わたしは嬉しい?…と、ゴックは今、喜びも無く

誰の喜びも無くて

誰も生まれ出てはいけない。それは

かなしいから。誰の

誰の祝福

誰の歓喜

誰の待望もなくて

誰も生まれ出てはいけない。それは

悲しいから、と、ゴックは、ト殺しろと?

のぞまれなければト殺しろと?と、ゴックはうれしい?…と。

わたしは嬉しい?…と、ゴックは今、喜びも無く

誰の喜びも無くて

誰も生まれ出てはいけない。それは

かなしいから。誰の

誰の祝福

誰の歓喜

誰の待望もなくて

誰も生まれ出てはいけない。それは、と、ゴックは

うれしい?と、誰が?

誰が?と、むしろ、と、眩む目が目を閉じたところで、と壬生は

眩みもしない。なにも

ひかりの痕跡なした

そのオレンジの筋

黄色の

朱の

筋以外には、と、眩む目が目を閉じたところで、と壬生は

眩みもしない。なにも

ひかりの痕跡なした

そのオレンジの筋

黄色の

朱の

筋以外には、と、歓喜しよう、と、ささやいた。

ゴックは、その心にだけ、歓喜しようと、ささやくように、まさにささやき聲もてささやき、その聲、喉の知らぬ、喉にふれて感じられた聲の、耳に知らぬ、そのままに耳にあきらかに聞こえて感じられた時に、不意に、思いがけずに振り向いたそこに、ゴックは壬生が自分をひそかに案じる眼差しに見つめていたのを見、壬生はようやく、息を吐いた。かくて偈に頌して曰く

   思い出す

    あきらかに

     思い出したところで

      思い出す

   一体何が

    あきらかに

     わたしはあきらかに

      単なる無意味

   思い出す

    単なる憐憫

     庭につれだした久生

      恥を知れ

   それは母

    恥を知れ

     知っていた

      恥を知れ

   わたしは慥かに

    恥を知れ

     その胎に生まれた

      恥を知れ

   それは母

    恥を知れ

     知っていた

      恥を知れ

   わたしは慥かに

    恥を知れ

     その髪をつかみ

      恥を知れ

   ひきずるように

    恥を知れ

     なぎたおすように

      恥を知れ

   砂に

    恥を知れ

     砂利に

      恥を知れ

   土にその

    恥を知れ

     ひきずる体をなするようにして

      恥を知れ

   蹴り飛ばした尻

    恥を知れ

     まえのめりに倒れ

      恥を知れ

   骨は?

    恥を知れ

     崩れ

      恥を知れ

   骨はないの?

    恥を知れ

     自分でくずれおれるように

      恥を知れ

   あたまから庭の真ん中に倒れた

    恥を知れ

     洗い流せ

      恥を知れ

   穢れたものは

    恥を知れ

     洗い流せ

      恥を知れ

   穢いものは

    恥を知れ

     迸った

      恥を知れ

   ホースの水流

    恥を知れ

     その飛沫

      恥を知れ

   わたしは洗った

    恥を知れ

     久生を、その肉体、魂、いや。…精神?、そのすべてをこそ

      恥を知れ

   洗い、洗い流そうとした

    恥を知れ

     久生を、その肉体、魂、いや。…精神?、そのすべてをこそ

      恥を知れ

   洗い、洗い流し、吐きしようとした、

    恥を知れ

     私を?——むしろ私をは保存し通して

      恥を知れ

   かならずしも

    恥を知れ

     固執し愛したわけでもなくて

      恥を知れ

   飛ぶ飛沫、飛び

    恥を

     散る飛沫、散り

      恥を

   飛び散る飛沫、飛び散り

    恥を

     玉散る飛沫、玉散る

      恥を

   聲など

    恥を

     なにも、なにも聲など

      恥を

   久生の孤絶

    恥を

     なにも、なにも聲など

      恥を

   久生もわたしもおなじように沈黙し

    恥を

     同じように水浸しに、飛ぶ飛沫、飛び

      恥を

   散る飛沫、散り

    恥を

     飛び散る飛沫、飛び散り

      恥を

   玉散る飛沫、玉散り

    恥を

     まばたく目は見た

      恥

   自分の表情をは見なかった

    恥、恥辱

     空

      恥

   晴れた秋の

    恥、絶望?

     わたしは?

      恥

   知らない

    恥、なつかしさ

     むしろ泣いて、泣きじゃくりながら?

      恥

   知らない

    恥、かなしみ

     むしろ嗔り、忿怒しながら?

      恥

   知らない

    恥、さいなむような

     むしろ笑い、わらいとばしながら?

      恥、いとおしい

   知らない

    恥

     自分の顏をは見ないままに飛ぶ飛沫、飛び

      恥を

   散る飛沫、散り

    恥を

     飛び散る飛沫、飛び散り

      恥を

   玉散る飛沫、玉散り

    恥を

     見た

      恥を

   そのはだけた腹部

    恥を

     着衣のはだけた腹部に

      恥を

   母の

    恥を

     縱に斬った長い手術跡を

      恥を

   そこから?

    恥を

     わたしは?

      恥を

   知らない

    むしろ泣いて、泣きじゃくりながら?

     知らない

      むしろ嗔り、忿怒しながら?

   知らない

    むしろ笑い、わらいとばしながら?

     知らない

      あなたは、と

   わたしは知った

    あなたは慥かにわたしの見る、と

     わたしは知った

      あなたに變らないそのままに、と

   わたしは知った

    生んだのだった、と

     わたしは知った

      切り裂かれながら、と

   わたしは知った

    生んだのだった、と

     わたしは知った

      私を

   背後に怒号が立っていたのだった

    恵美子だった

     はじめて目の当たりにした

      おさない——と

   彼女の双渺はそう思っていた。まさに

    見開かれた

     叡智を宿し

      なにもかも知り尽くしている自分を

   知っていた幼いわたしの

    幼い知性を

     なにをしとるんなら、と

      それ

   なにをしとるんなら、と

    恵美子の怒号

     なにをしとるんなら、と

      わたしをはがいじめにし

   なにをしとるんなら、と

    諫め

     なにをしとるんなら、と

      殴りつけるように

   なにをしとるんなら、と

    私を抱きしめ

     なにをしとるんなら、と

      何故?

   なにをしとるんなら、と

    なぜ涙声

     なにをしとるんなら、と

      聲だけ泣き叫ばせて?

   なにをしとるんなら、と

    乾ききった瞳で

     なにをしとるんなら、と

      あくまでも

   なにをしとるんなら、と

    ごめん…違う

     と、ちがう、と、わたしは

      ごめん…違う、と

   なに?…あれ、と

    なにをしとるんなら、と

     わたしはささやく

      なにをしとるんなら、と

   なに?…あれ、と

    なにをしとるんなら、と

     風呂場に連れ込んだ私を

      シャワーで一度洗った後に

   拭きとる恵美子に

    そしてささやく

     恵美子はわたしを

      見あげてむしろ

   あれって?

    戸惑いながら

     なにや?…なにや、あれって

      笑みかけながら

   なに?

    窺いながら

     あれって?

      いぶかりながら

   なにや?

    恠しみながら

     なにいうてんるん?

      深く

   あれって

    ひたすら深く案じながら?

     なんや、あれって

      指

   わたしが裸の肌をさらし

    自分の腹部に指を這わせた一直線の、…なに?

     なにや?それ…それ

      縱の

   なにや?

    指の

     なに?

      上から下へ

   それ…

    落とす

     それなに?

      指の

   あんた、なに

    無言の儘で

     なにいうてるん?

      彼女を

   なに?…なにを?

    恵美子だけを見詰めて

     おかあさんか

      唐突に恵美子は気付いた

   知っていた、——お母さんのお腹の傷、なに?

    そう謂えばいいのだった

     不可能だった

      その人を

   お母さんと名指したことは

    学校の教師相手以外にない

     教師の哀れむ眼差しを予測しながら

      彼又彼女たちの爲に

   すこしの悲しみをにじませて

    姑息にそうささやいた以外には

     病院で生まれたんよ、と

      そして恵美子は飲み込むように云った。あそこから

   と、あそこ切ってな、…と

    あんた、難しかったから

     生むのな(——生まれるのな?)

      難しかったから、と

   大変な思いして、あんた

    生まれて來たんで

     恵美子は云った。…知らなかった

      だれも

   わたしも

    恵美子も

     自分たちが

      二人そろってその人

   久生を

    その存在を

     忘れてさえいた事には

      祖母は台所に返って言った

   悲鳴を立てた

    忘れていた

     煮物を焦げ付かせていたのを見て

      私は島の

   木造の

    緣の向こうに

     居間の果てた

      向こうの庭の

   光の中に

    わたしは見た

     久生がひとり

      あおむけて

   兩手をついて身を投げ出し

    失神したように顎をだけ

     つきだして

      何を?

   なにを見てたの?

    上を見た眼が

     ひらいていたのか

      とじていたのか

   それさえもわたしに知らせないまま

    ひかりのなかで

     蝶は憩う

      二羽

   白と黄色

    濡れた久生の

     ひとつは黄色。それは肩

      右の肩。その

   水滴の横に

    ひとつは白。それは頭

     濡れた髪。その

      光沢の上

   濡れて光る

    白濁の上に

     蝶よ!

      蝶よ!

   蝶。…その、それら。蝶ら!







Seno-Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Seno-Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキス、北一輝、など。 三島由紀夫もちょっと好き。そんな感じ。

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