修羅ら沙羅さら。——小説。67


以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上、お読みすすめください。


修羅ら沙羅さら

一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部

夷族第四



ゴックが一歩、前に進み、そして狹いベランダに、すぐそこのベランダ、その花と葉と蔦の飾りをかたちづくった鐵のもろもろにまさにその肌、胸先から下の肌を触れさせてしまいそうになったので、——まるで、と。

まるであなたは今、

眼が

その目隱しされた目が、まさに

見えているように

と、壬生は

あなたは今、蔽われ、まさに目隠しされた儘に、と壬生は想い、ゴックは唇をかすかに開いていた。壬生は、そして花

或は葉。

或は蔦。

それらが鐵の固く未だ錆びない儘にさび付くそれらの未來を眼差しの中にだけ予期させた、そして白。

塗られた白。

その色。

ペンキを塗られた、と、壬生は、そしてひらかれた唇にゴックは息を吸い込み、その胸の下に、かすかに正面からは右に傾いた脇腹が鐵の、そのせり出した葉の突起の一つにふれそうになった時に、…痛み。

と、壬生は、…痛み。

突き刺さり、あなたは背筋をのけぞらせるだろう、と、思い、壬生は、痛み。

その尖った、しかし

なぜ?

丸みを帯びた

なぜ?

丸みを帯びた葉の突起に

經年のせいで?

吹き出すもの、と、壬生は、…なぜ?

日に刺されて?

思った。壬生は、…例えば血、と、…なぜ?

日に刺されて、例えば

プラスティックが打ち捨てられた儘で

その色をは終に失い得無い儘に

色あせていくように?

痛み、と。

壬生は、そしてゴックがもう一歩危うく踏み出しかけたときにゴックは一度のけぞって、目を、と。

壬生は心に、その須臾に心にだけさゝやいた、目を剝く、と。

聲をかさねて、あなたは眼を

剝き、眼を、あなたは、と、剝き、その、と

目隠しの、剝き、隠され、眼を、覆われた、と、剝き、あなたは、隠されたその、と

眼を剝きながら、目隠しの

下で、と、眼を、と、あなたは、

剝き、その、と。一度さかむきにのけぞったゴックは青空の逆光に肌、背中の白。

なめらかなおうとつのかすかを曝す。

ゴックの肌にいくつもの翳りが靑みを以て、そしてそれは這うように。

自在に。

自由に。

むしろなににも捕らわれなかった一瞬を其の時にすでに獲得していたかのように。壬生の眼には見えた。須臾の停滞の、のけぞったまゝの一瞬のあとにゴックはいきなり前のめりに身をへし折って、そして吐いた。

壬生は見ていた。

ゴックがベランダの向こうに、激しく腹部を極度にもへこませながら嘔吐してなにも出し得ないでえづくのを、…あなたは、と。

壬生は思った。いま、まさに

その胎のなかに宿したものさえ口から

軈て

吐いて…吐き、吐き出して吐いて…吐き、吐き出してしまうに違いない、と。ゴックはベランダにもたれ手摺に胸をこすりつけながら、つぶれた胸の息苦しささ感じもせずに、たゞ純粋に自分が吐いている自分の息の、喉の、腹の、太ももと二の腕の、もはや全身の息吹の熱氣のふたゝびを感じた。かくて偈に頌して曰く

   目隠ししたまま暗闇で

    ゴックの

     ゴックの爲だけの

      ゴックの固有の暗闇で

   その逆光を盡きた

    光の洪水

     光の氾濫

      光の下に

   さらされ盡しながら

    ゴックは吐いた

     目隠ししたまま暗闇で

      ゴックの

   ゴックの爲だけの

    ゴックの固有の暗闇で

     わたしは思った

      まるで久生のように?

   目隠ししたまま暗闇で

    ゴックの

     ゴックの爲だけの

      ゴックの固有の暗闇で

   まるで久生のように?

    あるいは美恵子の

     あるいは大津寄稚彦の

      あるいはその家族たちの

   あるいは彼と私をとりまいた幼い友人たちの

    あるいは彼と彼等をとりまいたおとなたちの

     今知る

      彼等、その十二歳

   ないし

    その十一歳

     ないし

      その十歳のときの

   眼差しの見た不遜で

    傲慢な

     おとなたち

      かれらはすでに私の年下だった。

   今は知る彼等の幼さ

    彼等の無残な迄の

     幼稚さ、稚拙さ、目隠しゝたまま暗闇で

      ゴックの

   ゴックの爲だけの

    ゴックの固有の暗闇で

     まるで久生のように

      あるいは私の

   久生は時にわたしを抱いた

    その宮島の

     神社が見えた。島の西の

      山なりの土の

   林だった

    樹木の向こうに。その

     家で、恵美子がひとりで

      わたしと久生を育てた

   家で

    祖父はすでに死んでいた

     戦争で?

      遺影があった

   軍服の

    若くして?

     あまりも若い遺影の儘に

      若くして?

   私には何も語らなかった

    私には何も語られなかった

     そのやさしさの傲慢の所爲で

      そのいつくしみの暴力的な無慈悲の所為で

   久生は抱いた

    その居間の

     疊の上に

      今風に敷いたカーペットの上で

   時には唇に

    久生以外の口からはかつて一度も

     きいたことのない音

      やさしく

   いつくしむ

    眼差しにわたしを

     知っていたの?

      見つめながら

   知っていたの?

    わたしがあなたの子供だと?

     せめて愛さなければならない子供だと?

      犀の角のように

   唇に聲

    犀の角のように

     あまりにも孤絶した

      犀の角のように

   聲

    犀の角のように

     濁音の

      犀の角のように

   叫び聲?

    犀の角のように

     ときにはまさに

      犀の角のように

   聞く耳が

    犀の角のように

     張り裂けるような

      犀の角のように

   跫音で

    犀の角のように

     語りかえるように?

      犀の角のように

   耳鳴りのする跫音で

    犀の角のように

     弱音

      犀の角のように

   葉の

    犀の角のように

     ひとつの葉が

      犀の角のように

   葉陰に

    犀の角のように

     ひとつだけこすれたような微弱の音で

      犀の角のように

   ささやくような

    犀の角のように

     のゝしるような

      犀の角のように

   わめくような

    犀の角のように

     つぶやくような

      犀の角のように

   そっと

    犀の角のように

     耳に

      犀の角のように

   語りかけたような

    犀の角のように

     人の言葉だと

      犀の角のように

   久生はそう思っていたに違いない

    犀の角のように

     自分の唇の知る音響を

      犀の角のように

   孤絶した音響

    まさに、久生の口から以外に

     まさか雲雀は。まさか

      まさか揚げ羽は。まさか

   まさか雀は。まさか

    まさか紋白は。まさか

     まさか燕は。まさか

      まさか烏、まさか白鷺、まさか鶯、まさか鶴は。まさか

   まさか蜥蜴は。まさか

    まさか豚は。まさか

     まさか猫は。まさか

      まさか鼠は。まさか

   まさか牛は。まさか

    まさか野犬は。まさか

     まさか猨は。まさか

      まさか百足は。まさか

   まさか狛犬は。まさか

    まさか地蔵は。まさか

     まさか木彫りの仁王は。まさか

      まさか陳列された阿修羅は。まさか

   まさか人は。まさか、久生以外に

    久生の唇

     その喉以外に終に知らず

      その歯いがいに

   終に咬まなかった音響を

    わたしは彼女の爲にだけ

     胸に抱かれて遣りながら

      ひとりで耳を

   すましたままで

    わたしはひとりで聞いていた。時に

     すでに忘れたすでに

      不在のものを想いだす

   その腕の匂い







Seno-Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Seno-Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキス、北一輝、など。 三島由紀夫もちょっと好き。そんな感じ。

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