修羅ら沙羅さら。——小説。66
以下、一部に暴力的な描写を含みます。
ご了承の上、お読みすすめください。
修羅ら沙羅さら
一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部
夷族第四
ゴックは不意に自分の名前を思い出した、その名前、グイン・ヴァン・アイン・ゴック。莫迦、と。ゴック、馬鹿なやつ、という意味の名前、…日本で、「ゴックさんて、意味、何?」ホテルの専務が云った、その日本人…バイト先の、ビジネスホテルの、三十代の…結婚してもいい。此の人と…
此の人となら?「…馬鹿」
上目に笑ったゴックを、——なに?
咎めるような、「莫迦っていう、意味です。」
「馬鹿?」なんで?と。言いかけて専務は口ごもった。此の人なら。
此の人となら?思った、おそらくは、触れてはいけない、複雜な家庭の複雑な親子関係の…或は捨て子?ベトナムでは一般的に、いい名前は付けない。運を、名前が吸い取って貪ってしまうから…と、「莫迦。」
ささやくゴックの上目づかいの目に、「…馬鹿です。」その男、田村専務——グイン・ヴァン・アイン・ゴック。莫迦、と。ゴック、馬鹿なやつ、という意味の名前、ゴックは自分の名前を唐突に想いだし、その、さらされた外気。外の大気にそのままにさらされた、あくまでもさらされた大気、まるで、と、ゴックは、
どうしてわたしは濡れているの?
と。
思う、ゴックは、背後の壬生の息づかう存在だにもすでに忘れ、ひとりで、——どうして?
雨の中を
土砂降りの雨の中を
と、ひとりでこころに
なにも着ないで?
素肌をさらし
と、こころにひとりで
ずぶぬれになったように
と、ゴックは
どうして?
と。
ゴックは心にささやき、そのささやきさえ壬生は知らずにかくて偈に頌して曰く
髪の匂いが鼻の先にあった
水浸しだった
濡れた
なにもかも(…今だに)
いまだに乾かない儘の
瞼も(…猶も)
ゴックの
眉毛(…猶もいまだに)
髪の
そして(…今でも)
匂い?
睫毛さえ(…今に至っても)
髪の毛の匂い?
その毛先さえ(…猶も)
ゴックの?
水浸しだった(…まだ)
あるいは
雨の中から(…まだ、今も)
水の匂い
ふいに(…ずっと?)晴れた
人の躰に
空の下に(…もう、)
もっとも無機的な
いきなりさまよいでたように
勝手に伸長するそれ
水浸しだった(…もう、ずっと?)
髪にふれて
ゆびさきが(…これからも)
みずからを匂い立たせた
爪の先さえ(…したたる)
匂い
ふれるものさえ(…したたりおちる)
こんなにも
濡らして仕舞う程に
と、わたしは
水浸しだった(…今も猶)
こんなにも晴れ上がった
知っていた(…したたる)
無慈悲な迄の、と
水の(…したたりおちる)臭気
わたしは
透明な(…その前の)
空の下に、わたしたちは
色の無い(…一瞬)水の
わたしたちだけで
不可解なもの…
肌をぬらし
色の無いみずは
濡れた肌は
その一粒の(…ふるえた)水滴としてさえ
と、わたしは
その存在を(…一瞬だけ)
水滴を
隱さない(…それはふるえた)
と、思う
透明に(…なぜ?)
ささやくように
向こうを(…今だに)透かして
心に
なぜ?(…今も猶も)
水滴を垂れた、水滴を
それ固有の(…ふるえた)
と、心にささやく聲を
形など無い儘に(…ふるえた)
垂らすと
あきらかに(…ただ一度?)その
わたしは聞いた
存在を(…その時まさに)さらし
かくに聞きゝ8月20日戯レじゃれあヒじゃれテ戲るゝまにマに昼食を用意せんとス壬生ノ調理す裸身ノ儘なる背中にゴック笑ひき居間なるソファにひとり轉がりて仰向けにサらサれタる素肌を壬生が目線ノ無きにも誇り傲レるバかりにも矜恃シてかクて壬生フライパンの立テたる音と音らの音に耳スませかクて肉ノ燒ける匂ひをゴック鼻にかぎテふいに指先にみヅからの鳩尾ヲ撫ぜかくテ指にかスかなル汗ノ汗ばみだる触感を觀ジたるには氣づかズてかくて壬生ハ聞きゝ油撥ねき壬生は聞きゝ粒立つ油にざわメき騒ぎさわギたツまゝ肉は燒かレきかクて頌シて
匂い立つのは油の、そして燒かれる肉の、あるいは
隱れて、わたしは
何度か海を見に行った。たとえば
隱れて、わたしは体臭を嗅いだ。なんども
ユエンとも、ユエンとさえ、日焼けを厭う、病的に
久生の
匂い立つのは油の、そして燒かれる肉の、あるいは
その体臭を
憑かれたかにも、日焼けを厭うユエンとも、何度か
同じ匂いがするようだったら、わたしは死んでしまうつもりだった
何度も海を見に行った。雪菜とは
隱れて、わたしは
匂い立つのは油の、そして燒かれる肉の、あるいは
隱れて、わたしは久生の首を戯れに
一度も海など見なかった。一度も…クーラーの利いた
じゃれついて絞めた。笑みもせず
過剰に冷やんだ乾燥の彼女の部屋…道玄坂の上の
例えば久生が
匂い立つのは油の、そして燒かれる肉の、あるいは
わたしの二の腕を
最上階一階下の、驚くほどに
咬んだ時に
無意味に廣いルーフバルコニー、その部屋で
何の意味が?喰いちぎりもせず
匂い立つのは油の、そして燒かれる肉の、あるいは
何の意味が?しゃぶりつきもせず
肌に冷気に鳥肌立てて、わたしはひたすらその肌に
何の意味が?なぜあなたは
雪菜と共に、戯れ、時に
わたしにばかり咬みついただろう?
匂い立つのは油の、そして燒かれる肉の、あるいは
決してわたしを傷つけないよう
クーラーを切る。…嗜虐?わたしの…クーラーを切り
隱れて、わたしは
だめだよ。ささやく、性急な、…だめだよ
隱れて、わたしは久生の体を折檻した
匂い立つのは油の、そして燒かれる肉の、あるいは
殴打する
雪菜の聲を体の下に、わたしは
なぜ?…あきらかに
だめだよ…わたし、また、…ね?…駄目だよ。むしろ
そうするべきものと、あきらかにそこに見えていたから?
匂い立つのは油の、そして燒かれる肉の、あるいは
二人だけの時
目隠したまま暗闇で
十一歳の
突き出した尻に汗に塗れろ…嗜虐?
わたしは殴った
匂い立つのは油の、そして燒かれる肉の、あるいは
蹴り
わたしの嗜虐?…寒いよ。ささやく
戯れて
寒すぎるから。…もう、と
じゃれつくように
匂い立つのは油の、そして燒かれる肉の、あるいは
笑みもせず
十二月だろ?もう…とクーラーを止めて
隱れて、わたしは
窓でも開け放ってしまえばよかった。むしろ
隱れて、わたしは何度目かに
匂い立つのは油の、そして燒かれる肉の、あるいは
久生の口に指を入れた
わたしは雪菜の両腕のかすかな抗いをつかむ、両手で
一本、二本
そして
咬みつけかけたその口の
匂い立つのは油の、そして燒かれる肉の、あるいは
大きな開口に
時にひっぱたく。時に、…なぜ?
三本、四本
かならずしも、雪菜を愛した事実も無くて
馴らしていけば、たぶん
匂い立つのは油の、そして燒かれる肉の、あるいは
そのまま握りこぶしさえ入るだろうと
雪菜が唇を大きく開き、息を吸い込む。叩かれ
引きずり出してあげよう、あなたの
殴られたときにはかならずいつも、雪菜はひとり
あなたの内臓を
匂い立つのは油の、そして燒かれる肉の、あるいは
手を突っ込んで
大きく空気を、長く吸い込み、…なぜ?…と。心に
喉の奥にまで、腕を突っ込み
ささやく。心にだけわたしは、何故生きてるの?
さかさまに
まだ
引きずり出してあげよう
なぜあなたは生きてるの?
涎を垂らす
まだ
母は口から
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