修羅ら沙羅さら。——小説。60
以下、一部に暴力的な描写を含みます。
ご了承の上、お読みすすめください。
修羅ら沙羅さら
一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部
夷族第四
壬生は不意に聲をして笑い、そしてバスルームのドアを開けた。その半ばたたきつけるような音に、ゴックは立ち尽くした儘身を固め、強張るゴックを振り向いた壬生の眼差しは見た。もはやゴックはひとりで足っていた。便器の正面に、そして撰洗面所の蛇口は時に、水滴を落とした。十秒に一滴。壬生は、気付かない心の向こう、耳にあきらかにその音にふれ、それを聞いた。壬生は笑っていた。知らない、と。
思う。あなたは、…と
ゴックは未だに、自分が自分で立っている事さえ知らない。
壬生はそう思った。あからさまなまでに怯え、かならずにも壬生に怯えるというでもなくに、鮮明に、殊更にも壬生を見続けながら怯えたゴックはいきなりその手を引いた壬生の邪気も無い笑い聲に——傷つけないで
ごめんね。…と
傷つけないで
ごめんね。…と、ゴックは
今日はいい天気だよ
わたしの言ったのは全部嘘だよ。——傷つけないで
ごめんね。…と
傷つけないで
ごめんね。…と、ゴックは心にだけさゝやき、——だめだよ。
ゴックはみずからすがりついた壬生の耳に、かみつくように唇を近づけて、
——だめだよ。
心にさゝやき、壬生がゴックを連れ出そうとしていたのはあきらかだった。ゴックは何度も…なんで?
——だめだよ。
と。まばたき、…まだ、
よ。ゴックは、まだ、と。
濡れてるよ
と、裸の肌は、まだ
と、裸のままで
と、ゴックは、濡れてるよ、と、濡れたガラスのように
濡れたプラスティックの椅子のように
濡れた犬の耳の立った先のように
濡れたお皿の洗われた乾かない水滴塗れのように、と。——関係ないよ。
壬生は耳にさゝやいた。ゴックの爲に?
ゴックにさゝやく。壬生はそう思った。バスルームを連れ出し、轉げるように壬生にすがり、ゴックの目は外廊下にすでに周圍を見ていなかった。壬生は、…がっかり?今だれも見ていない事を知り…がっかり?
思う。…がっかり?
ないし…
ほっと?
むしろ、ほっと?壬生はわざとゆっくり、ゴックの部屋に抱きかかえたゴックを、…風はない。
かならずしも
風と呼ばれるべき程の
風はない。…さゝやく。心に、或いは羽交い絞めにするように、と、今、あなたは羽交い絞めにされたように、と——嬲っていると、誰も。嬲られているように、…誰も見ていない空間で。
あけ広げられた空間、例えばブエノスアイレスまでもあけ廣げられた空間の、遮りの無い中で。
と。
壬生は、見れば誰もが暴力の内に、…と、壬生は
嬲っていると?
下の道路を通りすぎた一臺のバイクの音にゴックが身を固まらせたのを知り、壬生は、それでも聲を立てゝ笑うともなくに、かくて偈に頌して曰く
ドアを開いた瞬間に
覺えていた
それは閉められ切ってはいなかった
二十年以上も
最初から、一度も
時を隔てて
半ば開かれた儘に
なぜ?
ドアを開いた瞬間に…流れ込む外氣?——むしろ光り
なぜ?
暗くはなかった(…ひかりのむれ)
殊更にも
室内は(かたまりをなしてきょだいなむれをなし)元からまどに
彼女を愛したわけでもなかった(…皮膚を掻き毟る女)
とぶ蝶をもあそばせ
殊更にも(…齒を)
ドアを開いた瞬間に
彼女に(齒を食いしばる女)愛されたわけでもなかった
洪水なした光り(その群れた群れら)
おそらくは
外の
何人目かの
赤裸々な光
そして最後の(…皮膚を掻き毟る)男として
ドアを開いた瞬間に
結果的に?
溢れ孵った、そして、それ
ふれあった(…皮膚を掻き毟る女)わたしに
外氣?
雪菜は(…齒を)ささやく
もとからあけられていた窓(——蝶は?)
やばい
壁の(——もはや蝶は?)高みの窓は
かゆい
好き放題に風を入れ
咬む
外氣?
齒を咬みしめはじめながら
すでに溢れ返り
その(…褐色の肌が)十六の
噎せ孵るほどに
雪菜は
入り亂れていた
私と(…皮膚を掻き毟る女)肌を
外気?
はじめて(…褐色の肌が)重ねて
怖がらなくていいよ(…なにも)
かゆい
わたしは(…なにも)謂わなかった
ほてりをもち
敢えて?(…なにもあなたがおそれるべきものはもはやなにもなかった)
触れ合う(…掻き毟られた充血)肌が
自分の濡れた肌
ほてりのうちに
その剥き出しの肌を
ほてりはじめる
怯えるゴックに
汗ばみの(…体液に)刹那に
怖がらなくていいよ
痛いくらい(…あふれ)
わたしはささやきさえしなかった
痛いくらいかゆい
胸をだけ
アレルギーなの
なぜか胸をだけ
雪菜は(溢れ返った体液に)云った
左腕にだけ隱したゴックに(——持ち上げるように)
自分の(その愛さえもが溢れさせる、淚もふくめて、さまざまな生きた生き物の)言葉を(…体液)
髪に(——持ち上げ、つぶれたかたちを矜恃した)口づけた
まるで何も
何の(——驕った女のように、眼差しに)意味も(…怯えた茫然)無く
信じられないと
ゴックの
そういわんばかりに
いまだ濡れた
汗かくと
束なった髮の
汗が出ると
頭の一番上に唇を
汗がさわると
どうせだれも
全身が
誰が見ていたとして
痛いくらいに
どうせだれも
痛いくらいにかゆい
誰かが見ていたとして
全身が赤くなって
どうせだれも
…ね?
なにを云うの?
堪えられない
なにをするの?
堪えられない
大人びた諫めるような目で
アレルギー?
ゴックは
…みたいな。…ね?
怯えただけの子供じみた眼で
なんで?
ゴックは
知らない
剥き出しの肌に
痛い
風を知る。かならずしも(…微細な)
いたいくらい
吹き荒れるでもない(…微妙な)
かゆい
かすかなやさしい(…むしろ、おおきくふきあれさえすれば)
堪えられない
大気の流動(…撫でた?)
堪えられない
せめて誰かの
していいよ
誰かの?
好きなように
剥き出しの肌に
汗まみれにして
誰かの眼差しでもあれば
していいよ
剥き出しの肌に
堪えられない
大気は容赦もない溫度に撫ぜて(…光り)
堪えられない
もはや(…灼熱の)誰も
好きにして
肌に(…すでに)温度を(…すでにして灼熱の)擦り付けるように
気にしないで
せめて誰かの(だれもがいまや)
好きにして
今、(だれもがいまや)何時?
洗って
もはや(だれもがいまやねむりにおちたのだろう)誰も
堪えられない
わたしたちをなど見ない(光りよ)
堪えられない
なぜ?(ただ)
洗って
わたしたちの(ただ、ひたすらにまばゆかいものよ)
子供のころから
これみよがしに曝した肌も
…だから
蝶は?(散る粉末)
ね?
もはや(光の中に)誰も
子供のころから
わたしたちをは捨て置き(散る粉末)
夏の
蝶は?(散る色彩)
クーラーの利いた
もはや(光の中に)誰も
冷たい綺麗な
鳥は?あるいは(舞い散った色彩の、空間の一か所にだけの存在)
きれいな温度が
隣の屋根の上を疾走した猫は?
好きだった
一瞬の、立ち止まった一瞬だけの懐疑的な凝視
冬は嫌
ふれる
コートの下の
なにしてるの?
セーターの下の
ぬれた肌、乃至
下着の下で
なにをしてるの?
肌が濡れる
流れ落ちた水滴
肌が噎せる
そこで
肌がふれる
肌に
自分が流した
なにを喰う氣?(…俺を?)
汗がふれる
あるいは(…まさか俺を?)他人の肌に乘り移った水滴
気にしないで
流れ
やりたいだけ
流れ落ち
抱いていいよ(…海水のような)
ドアを開いた瞬間に
汗まみれになって(…粘り気と)
空、…と
汗まみれにして(…塩分)
ドアを開いた瞬間に
堪えられない
それは何だったのか?見上げられた
堪えられない
色彩?
食いしばる
空
齒が
光の?
くいしばった
その、空
雪菜の歯が
色彩
かの女の耳の中にだけ
雲が流れる形に短く停滞し
食いしばった音を(…聞け)
かたちさえも
立てさせていたに違いなかった
くずさない儘
子供のころ(…聞け)
ドアを開いた瞬間に
と
ゴックが喉に立てたちいさな笑い聲を
雪菜は(…さざ波の音)ささやく
かたちさえも
南極で
聞いた
氷の上で
かたちさえもくずしきらずに
汗さえたちどころに
聞いた
凍り付かせながら
雲、色は(…雲母)
綺麗な肌を
私の喉に立った(巨大な)聲
全部晒して
色は(巨大な、且つ眼差しに縮小されたちいさくうかんだ束の間の綺羅ゝ)白
綺麗な大気に
笑った聲?むしろ
遊ぶ夢を見た
笑ったようにも聞こえた?
子供のころ
聲を?
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