修羅ら沙羅さら。——小説。58


以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上、お読みすすめください。


修羅ら沙羅さら

一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部

夷族第四



放尿し、そして放尿し終わった後で壬生は思わず振り向き、振り向きかけたまさにその時に、そこに、…と。思った。壬生は、ゴックはいる、と。そこに、と、壬生は、大股を、と、——いつも蟹股で、蟹のように、こゝの外の女たちと同じように、蟹股で、すり足で、そのくせ足の裏をたたきつけるように、步く。…背後のゴックは、と。

大股を広げて、と、壬生は、…首をのけぞらせて。

步く。…いつでもゴックは、と。

むしろ茫然とした眼差しで。

唇をさえかすかにひらきながら、と、いまだに全身を濡らしたまゝで。

壬生は振り向いた正面の壁に散った…白。壁の色はペンキを塗られた白。飛沫の粒のきらめく無色を見、そして一瞬すべるように落ちかけた眼差しに、そこに、…と。思った。壬生は、ゴックはいる、と。そこに、と、壬生は、大股を、と、——いつも蟹股で、蟹のように、ここの外の女たちと同じように、蟹股で、すり足で、そのくせ足の裏をたたきつけるように、步く。…背後のゴックは、と。

大股を広げて、と、壬生は、…首をのけぞらせて。

步く。…いつでもゴックは、と。

むしろ茫然とした眼差しで。

唇をさえかすかにひらきながら、と、いまだに全身を濡らしたまゝで。爪にネイル。ラメ入りのネイル。足の爪にだけ。もはや剝げかけた、…ゴックはさゝやいた。

——なに?

壬生は自らの放尿の臭気がたちのぼって、鼻にまでふれ、…生きている。

壬生は思った。

今も猶も。

今こそ顯らかに、…と、壬生は、——どうしたの?

さゝやくゴックの聲は殊更にもやさしく、そして茫然とした色を以て壬生には感じられ、一思いに流した尿の、その引きずり込まれる水流の音をいまさらに感じる。鳴り響く、と、そう言う以外には手だての無い轟音が小さく、あどけないくらいに粗雑に。容赦もなく赤裸々に、空間の下の方の一か所にだけ。音響…判りますか?

さゝやくように

あなたに、と。

そしてあくまでさゝやくように

判りますか?

ゴックは

…躰内に目を覺ましていた

さゝやく。むしろ

…私たちの知らない間に

と、自分の爲にだけ

…體内に目を覺ましていた

と、もはや自分の爲にだけとも思わずに

…私たちに予測もさせずに

ゴックは

いたぶるように

そしてかの女は

嘔吐させ

さいなむように

その心に

胃液をなめさす

さゝやき一度だけまばたき、…泣いてるように見える。

壬生はそう思った。

いまゝさにあなたは

と、壬生は、そして——泣いてるの?

ひとりで

と、心に、そして壬生は

むしろ恍惚として?

さゝやく、——ね?

泣いているように見えた。

壬生は

むしろ恍惚として?

——泣いてるの?

…嘘。ただ

と。心にさゝやき、唇に

それが、

——ね

冷水に

一気に冷やされその果てに

と、そして泣いてるの?と、三度目に唇がさゝやいたときに

むしろ上気させられた肌の血の温度の

と。…正気付いた。

もたらした泣いているような赤らみ

ゴックは不意に我に返り

頬、…目

——え?

眼の下

眼の白い…

ゴックはさゝやき

鼻のあたま

まるで

そのまわり

自分の爲にだけひとり言散たように

赤らみ

——なに?

…嘘

壬生は、

むしろ(ひかりよ)恍惚として?(ひかりよむしろせきらゝすぎるほどに)

と。思い、心に

泣いているように見えた(…雪解け)

そして(…魂の崩壊)唇に

水浸しの(そして)

もはや(瓦解する氷山よ鳴れ)なにもさゝやかなかった。むしろ

かわかない儘の眼

ゴックをただやさしく

眼、そして眉、あるいは

微笑むまゝに

眉、そして睫毛、あるいは

さゝやいた。聞く。

睫毛、そして唇。鼻

ゴックの唇の、ようやくにさゝやいた

鼻のあな、ふるえた瞼…なぜ?

聲を、

唇の、五秒に一度のかすかな痙攣、まさに

——泣いてないよ

あなたはまさに

——嘘

むしろ恍惚として?

——泣いてない

泣いているように

——泣いてる。

と。壬生はさゝやき、聲にして笑い、一度だけまばたく。かくて偈に頌して曰く

   淚の

    雪菜のように

   その温度の

    誰もが

   どうしようもない穢らしさを

    誰も

   何度も感じた

    誰一人として

   女たち

    雪菜のようには

   歌舞伎町に…まるでわたしが、いつのまにか

    泣かなかった

   流れついたかのように(家出した、十六歳の…)

    泣いているわけでは無くて

   そこを(…楽園?)目指して(…樂園の町)辿り着いて(…俺に差し出せ。どこでも、)

    ひたすらにえづく

   女たち(…俺がふれれば、そこは)

    えづくように

   わたしに(…いつでも樂園になって仕舞う)焦がれた女たち

    齒をくいしばる

   時に(好きって言ってごらん?)泣く

    汗を

   淚と共に(…恥ずかしがらないで)

    その肌に

   その(もう、)温度の(人格さえ保てないくら)

    くまなく汗を

   どうしようもない(あなたの家畜状態、いやむしろ)穢らしさを

    迸らせて

   その(あなたに寄生虫状態でむしろ)双眇と(あなただけが)

    埀れ、したたり

   鼻。その(好きなんですって、言ってごらん)下の

    流れ落ちても猶も

   唇までの(…樂になれるよ)

    その肌に

   淚の穢れた通い路

    ふれ続けた汗の

   時に泣く

    停滞がさらに汗を

   なぜ?

    噴き出させ

   歡喜?うれしくて

    雪菜は齒を食いしばり(齒に)

   懊惱?ことさらに、とぎほぐせない難しい痛み

    涙ぐみながら(齒に齒がかみつく)

   絶望?もう

    齒を食いしばり

   わたしがかの女のものではないと

    私の腕に

   あるいは

    抱かれた後で

   すでにいつでも

    私の体に

   その女は私をなど

    抱かれるうちに

   所有してはいなかった

    唇をだけ

   苦惱?しっているか?

    貪った抱擁

   見る者のすべてが自分を罵り

    その汗ばんだ

   嘲り

    ないし

   非難し

    あせを流した

   罵倒し

    乃至

   暴力じみて

    汗まみれの

   リンチじみて

    体をふるわせ

   音も聲もないまゝに

    掻きむしり

   明らかに加虐していた風景…女たちのまなざし

    雪菜は肌を…齒を咬み肌を掻き毟り

   哀しみ…女たち

    褐色の女は

   時に泣き

    いよいよその肌を茶色くし

   淚のその温度の

    雪菜は齒を咬み

   どうしようもない穢らしさに

    叫ぶように

   埋没してみせた

    唇にさゝやく

   あなたもなくの?

    唾液をこばさないように

   今

    ひたすらに(…たすけて)

   だれの爲に?

    自分の(…いたい)喉に

   その目の見た

    飲み込みながら(…汗、…)

   自分の爲に?

    叫び聲もて(汗しみて…)

   わたしに捧げられた糾弾の非難を

    雪菜は(…汗)さゝやく

   自分の悲しみの爲に?

    洗って(…いたい)

   赦し、すでに

    ね(…たすけて)

   自分にふれない私の爲に?

    洗い流して(…ね)

   忘れて仕舞ったような

    穢いから(…痛い)

   自分を赦さない私の爲に?

    洗い流して(…汗、しみて)

   強引さで

    わたし(…体中)穢いから(…体中いたい…)

   自分を、思うようには、愛してくれない私の爲に?

    洗い流して(…たすけて)

   なぎ倒す様に

    汗塗れで(…痛い)

   私の爲に?

    穢い(…やばいよ。もう)

   打ちのめす様に

    臭い(…たすけて)

   あなたにないがしろにされた私の爲に?

    汗まみれで(…痛い)

   叩き

    洗い流して(…つっ)

   あなたにふみにじられた私の爲に?

    だから(…ね)

   叩きつけるように

    いますぐ(…たすけて)わたしを

   あなたに愛され、奪い取られた私の爲に?

    洗い流して(…いたすぎる)

   咬み

    取りつかれたように(…かゆっ)

   あなたに愛され、ただ安息した私の爲に?

    洗い流して。(…かゆかゆっ)もう

   噛みつくように

    神憑かれたように(…かかっ)

   あなたに愛され、蹂躙された私の亡骸の爲に?

    体中(…かゆっ)洗い流して。もう

   なぶり、さいなみ

    正気をもはや(…いたいんだよ、すっごい)失ったように

   あなたに愛され、あなたを一瞬たりとも愛しはしなかったどころか心赦しさえしなかった私の爲に?

    体の中まで、(…かゆすぎていたすぎて)もう

   そのあきらかな嗜虐さえ

    皮膚をさえ(…かゆすぎでいたっ)かすかに(…たっ)痙攣させて

   あなたに愛され、もはや棄てられた私の爲に?

    全部、内臓まで、(…いたっ)全部(…ね)

   わすれてしまっていた高揚のなかで

    洗い流して(…つらっ)

   あなたに愛され、なにも得なかった私の爲に?

    二度と(…いたっ)もう

   まるで女は

    あなたには(…たっ)触れないようにしよう

   あなたに愛され、愛される喜びを感じられなかった私の爲に?

    わたしは(…ゆっ)思った

   女たち

    二度と(…うゅっ)もう

   あなたに愛され、愛される痛み、ないし悲しみだに感じられなかった私の爲に?

    ほかの(…いゅっ)女たちに

   被害者のように私に泣いた

    暇つぶしのようにも

   だまされさえしなかった無殘に?

    貪られるままに

   かの女たちに、その

    貪る男を擬態して

   求めるものを与えて遣った

    かの女たちに施したように

   レストランのサービス係が

    あなたをその、溢れかえった

   気の利いた心づかいに

    汗のにおいと

   誰かの眼差しを占領して仕舞うように

    温度の中で

   だましたつもりはなかった

    二度ともう

   眞実?

    あなたにふれないようにしよう

   そんなものを與える気はない

    あなたの爲に

   女たち

    自分の

   わたしを抱いた女たち

    そして

   女たちの、むらがった發情の

    愛されて流した(にじんだ…)その(したたった…)汗が

   いくつもの

    その肌に

   無数から

    ふれた瞬間に(アレルギー?)

   撰ばれた者たち

    赤變させ(免疫異常?)

   女たち

    痛みに(神経疾患?)近い

   淚の

    痒みにむせて

   その温度の

    のけぞるようじ

   どうしようもない穢らしさを

    じだんだをふむ

   時にはさらし

    そんなふうにも

   その特權的な

    掻きむしる雪菜

   少数者の稀有の存在を

    アレルギーの

   髙揚の内に

    その肌は

   気附きもしなかった女たち

    もう二度と

   穢い

    かの女の爲に、と

   とても穢い生き物たち

    かの女の爲だけに、と

   溫度のある

    かの女を抱きながらも

   穢い

    わたしは思った。わなゝく

   とても穢い

    四肢をかきむしる

   イノチあるものたち

    雪菜を抱き汗をなすりつけさえしながら







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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