修羅ら沙羅さら。——小説。56


以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上、お読みすすめください。


修羅ら沙羅さら

一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部

夷族第四



ずぶ濡れのゴックを見て想わずに我に返った一瞬に壬生は、聲を立てずに笑った。壬生は水浸しの床にところどころたまった水を、そのひとつの表面を伸ばした足の先にそっとふれ、…音もなく。そして撫ぜるように蹴ってみ、少しの飛沫さえ散らさずに水の面は揺らいだ。壬生は、そして——違う。

と。

勘違いしないで…と。

想い、ひとり、——違う。あなたを

あなたをあざ笑いはしなかった

さゝやく。心に

あなたの

…聞こえる?

自分の爲だけに、心に

あなたの

さゝやき

狂気?

壬生はさゝやき、そして

狂気を?

さゝやく

——さむくない?

壬生の聲にゴックは応えなかった。壬生はゴックの一瞬の沈黙にさえ気づかない儘に、

——寒いでしょ…

——大丈夫かな?

——風邪ひくよ

——こども…

——服、…着替えたら?

——生きてるかな?

壬生は思わず声を立てゝ笑った。——って…

と、

——というか、まだ、服、着てなかったね

——なんで?

壬生はシャワーのノズルを

——なんでわかったの?

思わず手放し、手放したことに

——なんで、こゝ…

気付かない儘に、その音

——なんで、わたし、…なんで

足元に響いた、ノズルの跳ねた、その

——なんでここって?

壬生はゴックの爲にだけ笑んだ。笑み、見つめ、ゴックは壬生の笑んだのを見、見つめ、——誰?

と。

誰の爲に?

と、ゴックは

誰?

と、

誰の爲に、いま?

…と、ゴックの太ももが便器に割られたように広げられた上を、壬生は跨いで放尿した。聞いたに違いない、と。壬生は思う。その音、放尿の、音。響く、水。水分。その、それら水がさわぎ、震える音、ざわつく、…と、——誰?

と。

誰の爲にあなたは…

と、笑ったの?

誰?…と、ゴックは

だれ?

と、

誰の爲に、いま?かくて偈に頌して曰く

   あなたは違う

    と——違うんで

     あんたはあんひとたあな

      ちごうとるんで

   恵美子がささやく

    あなたの母親とは

     と——違うんで

      くるうとってもあたまんなか

   くるうとるんはうつらんけえな

    ちがうんであんたはあんひとたあ

     ちごうとるんで

      恵美子がさゝやく

   耳元で?

    遠く離れて

     耳から

      わたしの…

   耳から口を

    遠く話して

     狂気は遺伝しないのだと

      狂気そのものは遺伝しないのだと

   狂気?いや

    そもそもの

     みいだされた風景その

      それぞれの風景は絶対に

   お前の見たそれ

    その風景

     ちがうんで

      お前の聞いたそれ

   その音響

    うつらんのんで

     感染することも

      遺伝することも無く

   ふれることさえできない儘に

    あくまでも固有の

     まさにお前が

      お前の見たそれ

   その風景

    ちがうんで

     まさにお前が

      お前の聞いたそれ

   その音響

    うつらんのんで

     あざわらいそうになった

      わたしは——十歳の?

   わたしはすでに

    恵美子はさゝやく

     すでにしてわたしは

      あざわらいそうになった

   だいじょうぶなんで

    お前は久生とはちがう

     久生の見た風景

      まさに久生の

   久生の見たそれ

    その風景

     ちがうんで

      久生の聞いたそれ

   その音響

    うつらんのんで

     哄笑を知るか?

      なんという孤独だったのだろう?

   哄笑をしるか?

    何という赤裸々な

     もはや地獄めいた

      無間の、底さえも無い?

   わたしは恵美子をあざわらった

    あなたはしらない、と

     その底の無い孤独の

      どうしようもない救いがたさを

   あなたは知らない、と。まさにいま

    あなたのわたしを勵したつもりのその言葉に

     わたしは見ていた、まさに

      無限の孤絶

   ちがうんで

    あなたはしらない、と

     そのなすゝべも

      出でるすべもない

   奈落のふかさを

    ちがうんで

     あなたはしらない、と

      あなたがひとり

   救った気でいた少年は——十一歳の

    どうしようもない孤獨の

     理論的に正当な

      奈落の熾烈さだけにおのゝき

   お前は見ろ

    と、あんたはあんたなんで

     お前は見ろ

      お前だけの見るお前の

   固有の

    お前の風景を…と

     あんたはちがうんで

      お前は聞け

   と、きにせんでええ、もう

    お前は聞け

     お前だけの聞くお前の

      固有の

   お前の音響を…と

    もうなんもきにせんと

     わたしは滅ぶ

      一瞬さえも

   わたしの固有の滅びの中に

    わたしを亡ぼし

     私は生きる

      歸るすべもない

   時間の中に

    須臾の滅びのかさなりの無際限なるまでのその果てに

     ひとりであまりに

      あきらかにひとりで

   わたしはひとりで

    わたしを見出す

     それ

      私の見出した風景を

   それ

    私の聞き出した音響を

     極彩色の

      色…さまざまの色ら

   いろいろの

    さまざまな固有の…色

     淡い色の

      いろいろの散乱

   散華せよ

    轟音の

     もはや

      なすゝべもない轟音の

   微弱の音の

    それら無際限なまでのつらなり

     響き、鳴り、鳴り響いた響きら

      固有の消滅ら

   散華せよ

    せめて

     花のように?

      花ですらない肉の色づき

   せめて

    散華し空中に

     地に落ちる前に

      燃え尽きればいい

   花ですらない肉の…肉ら

    おそろしいほどの孤独のきらめきを

     祖母は救いとしてわたしに示す

      おそろしいほどの無限の孤絶を

   祖母は慈しみの聲にさらす

    あなたは知るか

     わたしの咬んだ——十歳の?

      哄笑を

   あなたは知るか

    わたしがまさに

     あなたの爲にだけ隠し通した

      わたしの咬んだ——十一歳の?

   哄笑を

    やさしい恵美子は隣の部屋の

     久生のもらした

      濁音の聲の

   長い叫びを

    聞き取る耳を——十歳の?

     手のひらに包んだ。より鮮明に

      籠った音に

   反響させながら








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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