修羅ら沙羅さら。——小説。53
以下、一部に暴力的な描写を含みます。
ご了承の上、お読みすすめください。
修羅ら沙羅さら
一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部
夷族第四
九月朔日朝。耳の近くに聞いた。悲鳴。壬生は、短い、それ。ゴックの。それら。不思議な程の遠くに。ゴックが不意に悲鳴に近い聲を喉に立てゝ、必死に押しとゞめようとしたまゝに聞こえるか聞こえないかの、…音響。一瞬の。ゴックではない他人が見ず知らずに喉にだけ立てゝそこに投げ落としたような。壬生は聞いた。ゴックは未だに着衣も無くて、さらした肌の背中に体内の他人の誰かのあらゝぐ息遣いを逆らえずにさらけだしたかにも、荒い息遣い。途切れることの急激な、酸素の供給の無いあわたゞしいだけの息吹き。痛みをさえ壬生に、顯らかにあざやかにも感じさせたほどに、大丈夫?
さゝやいた。
…ね、と。
ゴックはあらゝぎあえぎかけあらゝぎ振り返りもせずに
大丈夫?
さゝやいた。心に、たゞ壬生の爲にだけゴックは、…だいじょうぶ?
と、さゝやき聲のわずかの一音の匂いだにもないゴックの喉がこするようなノイズをのみ響かせ、壬生は目を逸らした。そしてゴックは息を止め、吸い、吸い込み、吐き得ずに唾液を引き、吸い、尚も吸い込み、吐きかけ、死ぬ、と。はく。
ゴックは、死ぬよ。
さゝやいた。心に、…なにが?
なにが死ぬの?
生まれるよ
と。
さゝやいた。心に、…なにが死ぬの?
生まれるのに?
と。
さゝやいた。心に、…死ぬ。…と自分の爲にだけささやき、…嘘。
ゴックは
あなたの爲に。
さゝやいた。心に、…あなたの爲にわたしは、…と、…ささやく
死ぬ。
生まれるのに?
と。
さゝやいた。心に、…死ぬ。
うまれるよ、…と、さゝやき、ささやく。ゴックは
あなたの爲に、と。
ゴックは、そして壬生は意味も無く又意図さえも無くてその傍らに、洗面所に自分の手を洗った。流れ出す水、その流れが——音響。
ほとばしる。音響の迸り…それ。
聞く。
音響…と、手にぶつかって砕け、散る飛沫に成って散り、碎け、かくて偈に頌して曰く
のそけぞるように
不意に背をのばしたゴックがそのとき
のけぞるように
仰向けに、頭から
こんなにも?
後頭部から仰向けに
こんなにも?
倒れ
こんなにもくるしいの?
失神した不意の、不知の一瞬のように
くるしいよ
倒れ、のけぞって
こんなにも?
四肢をなげだし
こんなにも?
知っていた。わたしは
くるしいよ
ゴックが
こんなにも?
仰向けに横たわったその
こんなにも?
バスルームの
くるしいの?
タイルの淡い靑の上で
わたしを見もせずにただ上に
上の方にだけ視線をながし
天上を?
何かを見詰め
何を?
ゴックはさゝやく
洗って
さゝやき、ゴックは
…ね
ゴックはさゝやく
水で
さゝやき、ゴックは
シャワーの
ゴックはさゝやく
シャワーの水で
さゝやき、ゴックは
きたないよ
ゴックはさゝやく
わたし(…こないで)
さゝやき、ゴックは
きたないよ(…きないで…こな)
ゴックは(…こないで)さゝやく
あらうよ
さゝやき、ゴックは
あらって(…きたないから)
ゴックはさゝやく
みずで(…ながしきる)
さゝやき、ゴックは
…ね(…なかしぎる)
ゴックはさゝやく
きたないくない?(…ないよ)
さゝやき、ゴックは
あらって(きたなくないよ)
ゴックはさゝやく
きたないから、と(…ながすきる)
さゝやく聲に
見向きもしない儘にわたしは(…なかずぎる)
さらされた他人の全裸にぶちまけた
ノズルの水流
ゴックのそれ
シャワーの
…嘘
迸る(散れ)
もう、あらゝぎもせず
ほとばしる水
ただ、(飛び散れ)しずかな
水流
静かすぎた
飛沫(散れ)
しずかな息遣い
散る。飛び
だれ?(飛び散れ)
とびちる飛沫
ゴックの、…
ノズルの水流
洗った(…匂う水の、水の水らの匂いの)
シャワーの
わたしは彼女を
迸る
頭から(散れ)
ほとばしる水
つま先まで(飛び散れ)
水流
うつくしい?(散れ)
飛沫
その全裸が?
散る。(飛び散り)飛び
肥滿にちかづく
とびちる飛沫
豐満
ノズルの水流
のけぞる
シャワーの
背筋
迸る(のけぞる)
唇、…なぜ
ほとばしる(散れ)水
なぜあなたはいま唇をとがらせたのか?
水流(散れ)
見ない
飛沫(のけぞる)
眼を閉じたから。ゴックは
散る。(…見た)飛び
見なかった
とびちる飛沫
何も(…息遣いながら?)
ノズルの水流
漏らした?(散れ)
シャワーの
恐怖の(飛び散れ)なかで?
迸る
窒息の(のけぞる)
ほとばしる水
安らぎの中で
水流(のけぞる)
浄化の?
飛沫(散れ)
穢くないよ
散る。(散り塵りに)飛び
まみれただけ
とびちる(散れ)飛沫
あなた自身の体液に(のけぞる)…自分
ノズルの水流
自分自身に?
シャワーの(…見た)
気付くだろう
迸る(…見ていた)
わたしは
ほとばしる水
コックをひねって
水流(さまざまの)
水を止めた時
飛沫(さまざまの)
むしろ(音響の群れを)そのとき
散る。飛び
わなゝいていたのを(のけぞる)
とびちる(…生きてる?)飛沫
その轟音。…とび散る水の、(此のすさまじい生き物らのすさまじい繁茂)赤裸々に立てた赤裸々な(のけぞる)轟音
その、さっきまで(散れ)のあきらかな(飛び散れ)その
存在の不在に
かくに聞きゝ8月5日壬生メ覺めたルに朝暗く部屋のうち暗くシてあふれよ窓が向かふもあふれよ暗シ空あふれ曇りき壬生あふれそノ白濁の色あふれかえり見キかたわらにゴックがあふれかえって寢る寝息ノ音ありて耳にあふれよ聞きゝかクてあふれよ壬生ゴックが目覺めて後あふれよゴック朝食を作ルを居間にてあふれよ待ちてあふれ眼ノ左のあふれ前の先あふれ台所部分にあふれかえりゴック調理シたるをあふれかえって後ろ姿に見てあふれ、あふれかえって覩る登裳那ク爾壬生あふれよすデに知りきすデにあふれよ空晴レき雲あふれよ昬き白濁なクたダ飛多須良爾あふれ白くしろくしてあふれ白ク空があふれよ靑の青なる靑があふれ處ゝに停滞シあふれ浮かびきかクてあふれ午前はあふれかえって盡きゝ昼食と裳那く爾あふれかえってまさにあふれあふれて居間なるソファにあふれよじゃれてジゃレあふれよあやしあやす儘にあふれゴック壬生が腕の中にあふれ眠りきゆゑに壬生あふれかえってややありて迦久天あふれ壬生あふれゴックが身ソファにあふれあふれて預けゴックかクてあふりかえってほとばしりたばしり
ほとばしり
あふれ
あふれかえるように淚よ、その
みずからの温度を
咬めソファが上にしれ寝姿さらシかくてしれ窓より差ス光まバゆくも斜メにしれ差し差シ込ミしれ寧ろゴックが身ノみしれ物の翳りに墜としつツみてしれ寢息やスらぎてしれ寝息静かなりてしれ寝息時に纔かにノみしれ亂れきかクて壬生暇もてあますともなくに庭に出テ日ノ直射浴び浴ビたル儘に肌光ノ熱感じ感じるが儘に壬生傍ら樹木見かくて覩るまマに壬生…雨。
雨が…
雨?
…雨。かクに壬生ひとり思ひてかクて飛登里心にノみ白シてさゝやき言さく突然に
雨?
ふれもはや
突然に
せきらゝなまでに
雨?
…雨。かくてかク那里天壬生見上ぐルに空靑ク靑かりて靑かる儘空雨雲もなきに雨ふらシき小雨にも滿たぬ霧雨にも滿たぬしかれども雨ハ雨なりて晴天に雨ふり晴天雨ふらシて晴れ晴レ渡りて晴レ晴れ渡りきかクて頌シて
それがどうしたというのだ?
匂い立つ
たとえその
木。…き
はれきったそらが
樹木。…じゅ
ふいに
き
あくまでもふいに
匂い立つ
あめつぶをしらせ
葉。…は
ふいに
はハ
あくまでもふいに
は
かげることもないひかりに葉の
葉ゝ
上に落ちた水滴はそれでもきらめく——あからさまに
匂い立つ
それがどうしたというのだ?
幹。…み
たとえそのかわききったままのつち
み
あしのさきに
みき
てりかがやくありの
み
ありらのはうつちが
きゝ
かわききるまま
幹
ひあがったままにそれでもふっていたあめ
きゝき
その水滴に濡れたひとつぶのつちのつぶのひとつぶだけのみずびたし。蟻
幹
蟻ら
匂い立つ
その
っつ
ちいさな複眼はまがうことなく見出したのだった
っつ。…っ
全方位の視野にひろがる上方の空。まなざしの行きつく先まで
っつ、ち
その青もう一度
っち、っつ、っつつ、っつち、ち
視さえすれば氾濫が。おそらくは
ちっ
ひかりの。氾濫が
ちっ、っち
輝いた閃光。おそらくは
土
全方位の眼差しの上方に、かならずしも見出されはしなかったそこに
ちっ
かがやく閃光
ちっ、…いっ
…ひかり
いっ…
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