修羅ら沙羅さら。——小説。46
以下、一部に暴力的な描写を含みます。
ご了承の上、お読みすすめください。
修羅ら沙羅さら
一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部
夷族第四
そして瞬間不意にせき込んで身を曲げた壬生をゴックはそのまゝに、身動きもせずに見つめるばかりに、眼差しに見るくねらせられる身の、急激な呼吸の肺のわなゝきに骨格にゝぶい、ちいさな、鋭い痛みの散乱を壬生は感じながら咳き已まないまゝに、眼差しは見るまゝに咳込む肉体のくの字に曲がった、肌には光澤。入り日の投げた、容赦もない。…紅。赤裸ゝな?…あざやかな。そして壬生は見ていた、あざやかにその床。ゴックの部屋の、日本風のフローリングに這う知らない誰かの、——ゴックの緣の?——それともたゞ、誰とも無緣の?…それ。死者らの翳りの數躰の肉と骨らの無数の、無數の肉ら骨ゝの骨の流動。出來損ないの生クリームをぶちまけたような流動。極彩色に、熟れ合い流動するする個体の流動。重なり合った肉、肉らの無数、その色、色らの無数、それら、匂い、匂いらの無数、それら、眞ん中の生えたいくたり分かの指の、手のどの指ともさだめられない指というにすぎない指らの指が、無数の肉の流動の無数のなかに埋没しかけた眼球の広げた口蓋の齒に、齒ゝらに。噛み千切られ且つ觀じられた痛みの存在さえ眼差しにはさらさずに——痛み、
そして痛み。痛む苦しみに
痛み、まさに、ひきちぎられているのに?
と、壬生は
なにも?
ひきちぎられ、痛んで痛み、
そして痛みに。
なにも?——痛みをも、まさに痛みに
噎せ返りながらも?…と、流動する肉の個躰らの無数の流動はみずからを飲み込み落とし込みながら增長しそして流れ出すように…どこに?床を…どこに?這った。壬生は目を、…どこに?その目を開いたそれを、…どこに?
それらはどこに?そこだけ静かに音もなくそれは見つめながら偈を以て偈に頌して曰く
あなたに
あなたに話そう
まさに
あなたに
うつくしいひと
思い出すだに
ひたすらに、今も猶も
うつくしいひと
唇さえもが
うつくしい
あきらかに
生き物の、赤裸ゝなまでに息づいた
内臓めいた
不意の露出…唇
かくさるべきものの
いきなりの秘部の露骨な露呈
肉の色とも
血の色とも、まして
肌の變色とも
さだめがたい色彩の無残
そのくちびるだに
うつくしいひと
その、あ音
血まみれなの?…赤い
唇が多用した
その、あ音
血まみれなの?…赤い
かすかに
血まみれなの?…赤い
ほんのかすかにだけ
濁音をひそませた
引き裂かれた腹
血まみれなの?…赤い
皮膚の切れ目に
血。それは流れ出し
あふれだし
その、あ音を聞いた
心がただ
それ、心がただこころとして心づいたときには
すでに絶えた呼吸
わたしのそばに彼はいた
あなたも見た。あなたも聞いた
すでに絶えた呼吸
惨殺された肉躰は
すでに死んだ。稚彦の
その、あ音
あなたとわたしが
引き裂かれた肉体は
すでに…死?
あるいはわたしたちが
つまりは
わたしそのものが
みつめつづけたそのうつくしい
うつくしいひとの
その雨の日に
引き裂かれた腹部
くちびるの吐く
あ音の多様
わたしは見つめた、その一瞬の
茫然…死?…稚彦の
大津寄稚彦は
その音をしか
口にしないと誓ったかのように
稚彦の死
いつでもさゝやいた
雨の中の、わたしに
あの多彩
私に見つめられた
稚彦の死
わめかれるそれ、
濁音のあ
詈しるそれ
他人の死。あくまでも
濁音のあ
わらいとばした…あ
見つめられたのは
濁音のあ
わななくような
他人の死。もはやあきらかに
濁音のあ
さざめくような
わたしには、ふれることさえ
あの連続…濁音の
もとから知性などないのだった
ましてそれを…他人の死
わたしのようには
知性など
まして。味わうなど?
その母のようには
知性など
稚彦の死を
私は茫然の眼差しに見た
その父のようには
知性など
羞じられるように
言葉も無く、わたしは
誇られるように
わたしはひとりで
けなげなほどに
ひとりで雨に
讃えられるように
雨の中に
その知性の無い
誰が彼を?
誰が?
うつくしい人は人の目の前に
誰が稚彦を?
ささやく
あ音で
さゞめく
あ音で
罵り
あ音で
泣き叫ぶ
あ音で
罵倒する
あ音で
稚彦の誕生日に
十歳の?
誕生日会に
彼の家で
ひらかれた誰も
私以外には
だれもいかなかった
彼の爲の
あるいは
父と母
母と父の
父と母みずからの爲の
稚彦の誕生日会に
彼の爲のプレゼントを
彼が
決して自分では読まず
決して自分では理解せず
決して自分では興味さえ示さない
わたしの祖母の
撰んだ星の王子様の
6歳用の絵本を
まるで自分が貰ったかのように
まるで自分にささげられたかのように
その母
結子という名の
稚彦と同じように
うつくしい
稚彦にすこしも
似ない女は
はるかに年上の掌で
わたしから奪い
稚彦にささげた
まるで彼女が貰ったかのように
まるで彼女にささげられたかのように
稚彦ににさしだし
まるで自分があげたかのように
まるで自分がささげられたかのように
稚彦は叫ぶ
あ音の多様
目を剝いて
うつくしいひと
稚人はつぶやく
あ音の多彩
知性の無い
くちびるの自在が
自由にさらす
あ音のさまざまを
わたしたちは聞いた
私以外に
誰も来なかった誕生日会に
歸りぎわに
久生は云った
ありがとう、と
まるで自分がその爲にだけ
わたしにして貰ったかのように
まるで自分がその爲にだけ
わたしにささげてもらったかのように
まるで自分がその爲にだけ
生まれたその日を
いわゝれたように
かなしいとも
むなしいとも
あわれとも
おもわないわたしは
かなしいとも
むなしいとも
あわれとも
思わない稚彦の
知性の無い目を擬態して
かれと戯れた
いつものように
わたしとかれを
みつめる彼の
両親の
四つの黑目にみられながら
稚彦のあ音を擬態しながら
わたしはかれと
ひとり戯れた
おそらくは
かれをかなしみ
かれをむなしみ
かれをあわれみ
かなしいとも
むなしいとも
あわれとも
思わない儘に
知性の無い
うつくしいひとと
戯れていた
窓の外には三月の
不意打ちの雪
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