修羅ら沙羅さら。——小説。45


以下、一部に暴力的な描写を含みます。

ご了承の上、お読みすすめください。


修羅ら沙羅さら

一篇以二部前半蘭陵王三章後半夷族一章附外雜部

夷族第四



8月の終わり、壬生がゴックの家に住みついて一か月近く經っていた。それは壬生も気づいていた。時に市場に食材を調達に行く以外にゴックは始終家にいた。故に壬生も始終その家にいた。ゴックは明らかに新型コロナ・ヴィルスの市中蔓延を恐れていた。壬生はかならずしも恐れた譯でも無かった。時に救急車が鳴った。封鎖された町の中にその音響は惡戯らな程に響いた。コロナだよ、と。ゴックはその度に壬生に耳打ちした。独り語散、むしろ自分に敎え諭すように、…たぶん、と、その度に至近の頬に、…でも…と、壬生は笑いかけた。…交通事故じゃない?たまには、…と。ゴックの眼差しがその瞬間に、まるで、いまだ壬生の唇さえ知らないかのように羞じた。壬生は間近くの頬に、わざと愛撫するように口づけた。ゴックがもはや目をとじてたことを壬生は知っていた。ゴックは瞼が閉じて、そして自分が何を見てもいないことさえ氣附かなかった。壬生は嘲るに近い可愛らしをゴックに感じた。故に嘲笑するに近い笑みを、あなたは、と、頬にふれた儘に笑みを唇にさらし、…あなたは

と。

ゴックは思う、すでに、と。

もう

わたしをだけしか愛せなかった

だから、と

あなたはだから、と、かくてゴックは気付く、いまさらに、と

もう、と

わたしにすがって

わたしにだけすがって

わたしのそばで

わたしに必死にじゃれつきながら、必死にひとりでなんとかあなたは

生きるしか?…と、壬生はゴックを抱いてやらなければならないだろうと思った。そうしなければゴックはとまどうだろう。なぜなら彼女はすでに私が彼女に餓えて、飢え、そして求めていると思っている筈だから、と。そしてその三度に一度は壬生はゴックをその場で抱いた。寝室で。居間で。臺所で。庭の樹木の翳りで。ゴックはかならずしも多くの友だちを抱えた女ではなかった。壬生はそれに気づいた。始終應答するなんらかのメッセージ通信以外に、彼女の電話番号が直接鳴るのは稀だった。おそらくは大半が業務上のそれ。だから壬生の、ゴックの家での生活は彼女にじゃれ合って、彼女を愉しませてやる以外に時間の潰しようもなかった。生活は、費用も家事もなにもかもゴックがみた。壬生はただゴックのそばに存在したに過ぎなかった。ブーゲンビリアの夢に目覺めたその日、壬生は空が明けを知ってから見当たらないゴックを探す爲に、そしてなにより尿意の爲にベッドを出た。カーテンをはぐり、窓の外を見た。いつもに同じく、空に朝燒けは見られなかった。いつもとおなじように窓は西向きだったから。いつもと同じように壬生は部屋が西を向いていたことにいまさらに気付いた。思い出した。いつかゴックが云った。沈む日の夕日があざやかに部屋の中に、ベッドの上の壬生の裸身の横たわったのをさらけださせたときに、——お酒飲んだみたいだね。

壁際に、ひとりだけ先に服を着たゴックは云った。ひとりだけ立ったまま、振り向きざまに

——ひとりで、…

途中で壬生がやめた後に

——ね?

トイレに立って、ひとりだけ

——ひとりで、内緒で。

ショートパンツだけ穿いたゴックは

——お酒飲んだみたいに

壁の斜めに投げた斜めの

——眞っ赤だよ。

長い翳りの中に

——熱でもあるみたい。

息遣うたびに、不意におどろくほど豐かな

——コロナ?

胸を殊更に大きく上下させて

——死んじゃうの?

鳩尾のくぼみに

——隔離、されちゃうの?

おそらくは

——コロナみたいに

壬生が付着させたに違いない汗を

——眞っ赤だよ。

埀れ落とした

壬生はその時、ゴックの茫然としたにも似て笑みつづけた眼差しを見ていた。ゴックは自分を見ていた。壬生はそれを知った。壬生は、自分のあお向けた肌のことごとくが入り日の紅と朱と橙と黄に染まりきっていることをは知っていた。肌に温度があった。光の、そしてカーテンは引き開けられたまゝだった。礙げるものはなかった。だれかが窓の向こうの、同じ二階の窓の向こうで上半身だけの裸躰をさらしたゴックの、横殴りの朱にそまった裸躰を見い出すかもしれなかった。例えばふと、スマートホンから見上げて見た、いつもどおりの目の疲れの、いつもにない眼差しの中で?壬生はそう思った。壬生はゴックを見て、ゴックの見つめる眼差しを見つめた儘に、——白濁の向こうに

と。

ゴックの方がむしろ朱に、と

壬生は思う、——その黑眼の白濁

あざやかに、醉ったようにも。顯らかに

ひかりのこまかな白濁の向こうに

あなたの方こそ朱に染まって

きらめきの白

鮮明な朱に

あなたが見た私をはわたしはいまだにしらないままに、…と。壬生は指先で自分をなぜていた。いじり、なぶるようにいじり、いじるようになぶり、ゴックの眼差しの爲にだけそうするように思った。あるいは、もっと素直に、自分自身がそれを求めているようにも。快樂として?かたちを、…指先がなでつづけた形態を、ゴックの眼差しが見つめた氣配はなかった。その事実も、…なにを、——と。

壬生は思った。

あなたはなにを

…と

わたしのなにを

どこを?

なにを見たの?…微笑みかけたその頬の上に、ゴックの眼差しだけは笑んだ氣配だにもさらさずに、そして何の變形も、わずかにもないまゝに、壬生の眼差しの中であきらかにゴックは笑んでいた。壬生は、ゴックの唇が何か言いかけた気がした。そうではなかったかもしれなかった。ただ、くちびるは開きかけたかたちに停滞した。壬生は、朱のひかりの切れた脛の下に、靑みた翳りの中に暗み、昬んだ儘に白い肌の色をさらした脛にゴックを、そして想う、どうして?——と、ゴックは、

わたしは

…と、その時に、彼女は未來をさえも。…と

もはや未來をさえもとめなかった

どうしてだろう?

わたしは、…と、ゴックは

終わりをさえもとめないで…と、もはや

まるで

聲を自分の爲にだけひそめたかのように

どうして?

と、…まるで

だれにも聞き取られないように

だれよりも

と、自分の爲にだけ

聲を

あなたよりも

と、聲をひそめ

むしろあなたと未来を求めているのに?

と、殊更に聲を、聲をだけひそめ、

どうしてだろう?

わたしは明日

もはや

何がおこるべきさえもしろうとしなかった

もはや

あなたをひそかに

もはや

あなただけをひそかに

もはや

みつめながら?

ひそかに

もはや

今、あなたをだけをみつめながらにも、と、壬生は、あやうく聲を立ててわらいそうになったその一瞬に、…なぜ?と、壬生は心に問い、…なぜ?と、壬生は、隱しようもなくもはや、聲を立てゝ笑いそうになって、もはや、立ちかけた聲を抑えられもせずにかくて偈に頌して曰く

   いきさえできないほどに

    なまえさえ

   あなたはわたしに

    その

   わたしにだけに

    なまえさえもしらない

   しがみつく

    その花をみて

   わたしをもとめて?

    想う。あなたを

   もとめられて?

    なまえさえ

   もとめられたと、かたく信じ

    わすれた花をみて

   もとめて?みづから、もとめられるまま

    想う。あなたを

   うもれるように

    赤い花に

   しがみつき

    白い花に

   うずもれるように耳に

    あなたを想う

   自分の喉が立てた音を聞く

    紫の

    靑紫の

    白の緣取り

    ふちどられた赫

    靑い赤

    黄色の一色

    ちいさな黄色

    斑点のある

    赫

    橙の

    ひそかな斑点

    斑らの

    色

   いきさえできないほどに

    けもののように

   むさぼられたくちびるが

    ないてごらん

   ときに触れあう歯をさえ恥じず

    うゑたけものは

   むさぼる

    なきもしないけれど

   ひたすら、もはや

    ないてごらん、もさぼる

   すすりあげるように

    もさぶるどんよくなけものゝように

   むさぼる、もはや

    ないてごらん

   しゃぶりつくように

    うゑたけものは

   むさぼられ、もはやざわめき

    むしろむくちなまゝだけれど

   わめき、さわぎ、ちりぢりにみだれる

    ねらうけものは

   われをわすれたこころの奇妙な

    かたくなゝまでに、くちもきばも

   沈黙に似た空白の内にも

    ちんもくするけど

   明日

    けもののように

   月の海に雪の降ることはないと知った









Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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